第二十八話 お約束
アーニャは寝ぼけ眼で手を伸ばした。
「ん……リーゼロッテちゃん……。……あれ?」
しかし、隣に寝ていた筈のリーゼロッテの姿がない。
瞼を擦りながら周りを見渡すと、アーニャの足元──ちょっとでも動けばベッドから落ちてしまいそうな隅っこで、リーゼロッテは尻尾を足の間に挟み縮こまって眠っていた。
アーニャは起き上がると、
「リーゼロッテちゃん? どうしたの?」
とリーゼロッテの体を揺する。
それにリーゼロッテは少し迷惑そうに瞼を開け、
「んん……アーニャ……おはよ……」
と体を起こした。
だが眠れなかったのか目の下にはクマができ、だるそうに座り込んでいる。
「大丈夫? 眠れなかったの?」
「あー……え、えっと……」
アーニャの言葉に、リーゼロッテは答え辛そうに俯いた。
自分から一緒に寝ようと言った手前、はっきり指摘していいものか。
リーゼロッテは昨晩のことを思い出していた。
──尻尾を抱かれながら眠る。それだけでもむず痒く、しばらく目が合わなかったが……。
ベッドに入って数時間後、突然背中に衝撃を受けリーゼロッテは短い悲鳴と共に床へ転げ落ちた。
顔を上げると、そこには鍛えられてはいないが芯のしっかりしたアーニャの足が。
起こさないよう注意しながら姿勢を直し、自身も再び眠りにつこうとしたが、今度は抱き枕よろしく全身を抱きしめられてしまい……。
そこから何とか抜け出し、前述のような姿勢で寝ていたという訳だ。
「アーニャってさ……帝都では飛鳥と一緒のベッドなんだっけ……?」
「うん、そうだよ」
「何て言うか、こう……飛鳥から何か言われたことない?」
「え? 何もないけど……?」
リーゼロッテは「そっかー」と呟き心の中で拳を握る。
ダメよ飛鳥! 直してほしいことはハッキリ言わなきゃ!
気持ちは分かるけど、夫婦っていうのは何でも言い合えるのが一番だってお母さんも言ってたし!
リーゼロッテが夫婦の在り方に思いを馳せていると、ノックの音が聞こえブリギットが部屋に入ってきた。
「お姉ちゃんたちおはよう! 朝ごはんできたよ!」
「おはよう、ブリギット。ありがとね、すぐ行くわ」
リーゼロッテが欠伸をする横で、アーニャは急いで着替え階下に駆け下りると、
「おはようございます! ご、ごめんなさい! 手伝いもしないで!」
トーマスに頭を下げるが、彼は微笑み、
「おはようございます、アーニャさん。気にしなくても大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます」
ホッと息を吐き、アーニャも微笑んだ。しかし、
「あれ? 飛鳥くんとアクセルさんもまだですか?」
と視線を動かす。
「あぁ、二人なら朝早くに出掛けたみたいですよ」
「出掛けた?」
「はい」
頷き、トーマスはテーブルの上を指した。そこには飛鳥の字で
『少し出掛けてきます。夕飯までには戻ります』
そう書かれた紙が置かれていた。
トーマスの家から数キロ離れた森の中、少し開けたその場所では──
「ふん、消し飛べ」
「させるか!」
雷と大地のエレメントがぶつかり合い地鳴りを起こした。
周囲を寝ぐらにしている動物たちは戦いが始まった直後こそ怒りを見せたが、すぐに敵わないと分かったのか巻き込まれぬよう方々へ逃げていった。
土と雪が舞い上がる中で、飛鳥がアクセルの首目掛け斬撃を放つ。だが──
「ぐっ……!」
レーヴァテインの重量は何倍にも増し、持っているのがやっとの状態だ。それでも、
「はああああああああああ!!」
「ハッ、焔王の真似か? やめておけ」
更に重量が増し飛鳥は体勢を崩した。
前のめりになった飛鳥の顔面にアクセルの蹴りが突き刺さる。
「がっ!?」
そして続け様に放たれた蹴りをギリギリのところで避け、飛鳥は後ろへ飛んだ。
息を整える飛鳥に対し、アクセルが意地悪そうな笑みを浮かべる。
「おいおい、そんな簡単にやられてくれるなよ。館での借りはこんなもんじゃねぇぞ?」
しかし飛鳥はアクセルを睨みつけ、
「倒れるかよ。お前如きに負けてたんじゃマティルダには一生勝てん」
「口の減らないやつだ」
アクセルが腕を振ると地面から木の根が飛び出し飛鳥へ向かっていった。
それを切り裂き、或いは避け、飛鳥は距離を詰めていく。
二人の戦い、その発端は早朝まで遡る──。
まだ辺りが真っ暗な時間。
「アクセル。おい、アクセル。起きてくれ」
と、飛鳥はアクセルの肩を揺すった。
アクセルは少しだけ目を開けると、
「何だよ……まだ日も昇ってねぇじゃねぇか……」
心底不機嫌そうに呟いた。
だが飛鳥は何も言わず着替え終えると、
「早く準備しろよ、出掛けるぞ」
「あ? どこへだ」
「特訓しに」
「特訓……?」
ベッドの上で胡座をかき、面倒臭そうな表情のアクセルに飛鳥が頷く。
「あぁ、マティルダに勝つ為に足りないものがある。それを補うにはお前の力が必要だ」
「話が見えんな。もう少し詳しく説明しろ」
「それは後で。でもお前にもメリットがある話だ。あんな連中に負けてるようじゃ、この先リーゼロッテを守ってやれなくなるだろ?」
「何でそこでリーゼロッテさんの名前が出てくるんだ」
すると飛鳥はからかうように笑い、
「好きで好きで堪らないリーゼロッテに良いとこ見せたいだろ?」
なんて言ってのけた。
その言葉にアクセルはしばらく目を瞑っていたが、
「そうか。まっ、特訓したいなら好きにやれ。俺はお前を殺すだけだ」
そう吐き捨てベッドから下りた。
アクセルへ迫る飛鳥の進路を重力球が塞いでいく。
飛鳥は重力球を破壊しながら駆けるが、
「次はこいつだ」
アクセルが天を仰ぐと、飛鳥の頭上に氷の槍が出現した。
重力球も生成され続けている。
全方位を囲まれた飛鳥は足を止めた。
「終わりだ」
アクセルが勝ち誇ったように告げる。
「……いや」
全てのエレメントが飛鳥へ向かっていく。
しかし──
飛鳥の目の前で止まったかと思うと、それぞれが別々の方向へ弾き飛ばされてしまった。
その光景にアクセルは唖然とした。
「なっ!? ……てめぇ!」
逸れた攻撃によって木々や地面が爆ぜ視界が塞がれる。
その中で互いに斬撃と拳打を繰り出した。
「「…………」」
視界が晴れていく。
互いの攻撃は正確に首と心臓を捉え合っていた。
そのまましばらく睨み合っていたが、やがてどちらからともなく身を引いた。
「……少し休むか」
「あぁ」
近くにあった巨木の、剥き出しになっている根に二人は腰を下ろすと、
「おい、いい加減説明しろ。これが何の特訓になる」
「僕たちの力について確認したかったんだ」
「確認?」
アクセルが怪訝そうな表情を浮かべる。
「あぁ、ところでお前と水城のどかって水と氷のどっちも扱えるよな? あれって何か意識してやってるのか?」
「どういう意味だ?」
「水と氷は同じ水分子から作られてるけど、その状態は全く違う。本来なら熱エネルギーによって状態を変化させるがお前たちはその工程を経ていない」
「熱? 当たり前だ。俺たちは炎使いじゃない」
その言葉に、飛鳥は考え込むように顎を摩った後、
「そうなると、お前たちは直接分子の運動を操っていることになる。重力も同じだ。重力ってのは世界が物質を引きつける力だから、それを自在に変化させられるってことは物質を操っていると言うより物理法則に介入していると言った方が正しい」
説明が頭に入りきらなかったのか、アクセルは少し視線を逸らし「ふーん」とだけ答えた。
「お前分かってないだろ」
「いや、完全に理解した」
視線を戻さないアクセルに飛鳥は憮然とした表情を浮かべながら、
「お前に実験を行なった人はこのことに気付いてたのかもな」
と呟いた。
アクセルが一瞬眉を釣り上げるが、すぐにいつもの表情に戻り、
「んで? これでてめぇはマティルダ・レグルスに勝てるのか?」
アクセルの問いに、飛鳥は「うーん」と唸り、
「確実じゃないけど、勝てる可能性は出てきた、かな。そうだ、お前の力の完成形も見せてやるよ」
「俺の力の完成形……?」
「僕の考えが正しければ、お前は誰よりも強力な精霊使いになれる。それこそマティルダや焔よりも」
それにアクセルが目を見開く。
これまでと違い、その目には強い意思が見られた。だが……、
「そこまでいけばどんな相手にも負けないだろうし、リーゼロッテも喜んでお前を受け入れてくれると思うよ」
そう言って飛鳥は身を翻した。
そこへ鋭い蹴りが飛ぶ。
「いやァ、残念だ。完成形とやらを見ることは叶わんようだ」
「いい加減認めろって。八年も一緒にいるんだろ? リーゼロッテだって同じ気持ちかも知れないじゃないか」
「黙れ、喋るな。てめぇこそ人のことよりダメ神とのことを何とかした方がいいんじゃないか?」
嘲笑うアクセルに、飛鳥は剣を抜いた。
「アーニャって呼べって言ったよな? もしくは宇宙一可愛くて優しい大女神様と呼べ」
「ダメ神で十分だ」
次の瞬間、再び嵐のように強大なエレメントがぶつかり合った。
その日の夕方。
庭先で作業をしていたトーマスは二人を見つけると、
「おかえりなさい。大変だったみたいですね」
珍しく苦笑いを浮かべた。
「あの、アーニャは……」
「中にいますよ。今日は三人で夕飯を作るそうです」
飛鳥はお辞儀をし、扉に手を掛ける。そして……、
家に入った直後、二人揃って倒れ込んでしまった。
「あ、飛鳥くん!? どうしたのその怪我!?」
音で気付いた三人が駆け寄ってくる。
「お兄ちゃんたち大丈夫!?」
「うん……大丈夫だよ。ありがとう……」
一方リーゼロッテは──
「あの、リーゼロッテさん……?」
ジッとアクセルを見つめた後、体を引っ張り上げソファに座らせると、
「何その怪我。家事もせずどこ行ってたの? あんたたち」
飛鳥とアクセルは互いに視線を送り、
「「しつこくて分からず屋な馬と鹿退治をちょっと……」」
と項垂れた。
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