第二十七話 しばしの休息

「あの〜……アクセルさん……」

「何だ」

「そんなに見られてると、やり辛いと言うか……」

「黙れ、さっさとリーゼロッテさんを治せ」


 トーマスの気遣いもあり、一行は彼の家に戻ってきていた。

 帰りの道中、ブリギットは目を輝かせながら飛鳥とアクセルに向かって「すごい! すごい!」とはしゃいでいたが、やはり緊張や疲れが溜まっていたのだろう。

 家に着くなり、すぐに眠ってしまった。

 一方、リビングのソファではアーニャがリーゼロッテの手当てをしようとしていたが、すぐ近くでアクセルが手元を凝視していて……、


「だから、そんなに顔近付けられたらアーニャがやり辛いんだってば。離れなさいよ」

「嫌です」


 いつものやり取りに、アーニャは少し困ったように笑う。


「いいか? 痕が残らないようにしっかり治せよ? じゃないと──」


 するとアーニャは拳を握りしめ眉を吊り上げると、アクセルの言葉を遮り


「もちろんです! リーゼロッテちゃんの可愛い顔に痕なんて残しません!」


 と、高らかに宣言した。

 リーゼロッテは頬を少し赤らめ、


「い、いいからっ。早く、治してほしいんだけど……」


 気恥ずかしそうに呟く。


「そうだ、早く始めろ」

「いやだから! あんたがいるから始められないんだってば!」


 リーゼロッテが尻尾でアクセルの顔面を叩くと、アクセルは椅子から勢いよく転げ落ちた。


「あだっ!?」

「はいはい、あんたは水汲みと薪割りね。さっさとやりなさい」

「俺も戦闘で結構疲れてるんですが」


 アクセルが拗ねたような態度を見せる。

 しかしリーゼロッテはそんなことお構いなしだ。


「道中で十分回復したでしょ」


 バッサリと切り捨てそっぽを向いてしまった。

 それが決め手となり、アクセルはブツブツ言いながらも桶を持つと出掛けていった。

 見送り、アーニャは微笑みながらリーゼロッテの傷に触れる。


「どしたの? アーニャ」

「アクセルさんって、本当にリーゼロッテちゃんのことが大好きなんだなぁと思って」


 その途端、リーゼロッテの顔が茹で蛸のように益々真っ赤になり、大きく首を振った。

 普段でも毛量の多い尻尾も更に膨らみピンっと立っている。


「はぁっ!? な、何言ってるの!? 知らないわよそんなこと!」

「でもリーゼロッテちゃんだってアクセルさんのこと好きでしょ?」


 アーニャはからかっている訳でも面白がっている訳でもない。

 その眼差しは純粋そのものだ。しかし……、


「そんな訳ないでしょ!!? 前にも言ったけど! 私は先王の命令であいつの世話をしてるだけ!! ……大体、それを言ったら飛鳥だってそうじゃない」

「え?」

「は?」


 アーニャがキョトンとするのを見て、リーゼロッテは怪訝そうな表情を浮かべた。


「飛鳥くんがどうかしたの?」

「えっ、いや……あんたと飛鳥だってお互いのこと大切に思ってるでしょ?」


 それを聞くとアーニャは心の底から嬉しそうに笑い、


「もちろん! 私は『救世の英雄』を導くのが役目だし、飛鳥くんも信仰心がとても厚くてね? 初めて会った時から私のことを信じて助けてくれてるの」


 そんなアーニャに対して、リーゼロッテは返す言葉が見つからず、


「え、あ、ふーん……そ、そうなんだ……」


 困惑した様子で爪を弄り始めた。


 飛鳥あんた……あんなに体張ってるのに、全然伝わってないわよ……。

 それとも私たちの感覚でアーニャを見るのが間違ってるのかな? 人間じゃなくて神様だし……。

 でも、せめて二人がこの世界にいる間は私が応援してあげなきゃ……!


 使命感に駆られるリーゼロッテを見て、アーニャは不思議そうに、


「リーゼロッテちゃん? どうかした?」

「う、ううん。何でもないわ」

「そう?」


 『神ま』を開き、リーゼロッテの手当てを始めたのだった。




 同じ頃──


 トーマスは、ブリギッドのベッドの横で静かに本を読んでいた。その目の前で、


「トーマスさん。今回のこと、本当に……」

「気にしないでください、飛鳥くん」


 頭を下げる飛鳥に、トーマスは微笑んだ。


「元々私は獣人たちから良く思われてはいません。今回のことで生活が大きく変わることもないでしょう。それより、君たちにはやるべきことがある筈。今はそれに集中してください」

「……ありがとうございます」


 変化がない筈がない。

 少なくともハマールは人間でもトーマスさんを理解しようとしていたし、ブリギットのことも同族と呼んでいた。

 でも、僕たちが来たばかりに戦いが起きて、集落をめちゃくちゃにしてしまった。

 自分が集落の人たちの立場だったら、今後トーマスさんとは……。


 だが、優しく諭すようなトーマスの言葉に、飛鳥はただ頭を下げることしかできなかった。


「ところで、一つ聞いてもいいですか?」

「はい。何でしょうか……?」


 トーマスは変わらず優しく微笑んでいるが、


「帝国と共和国の同盟は、王国に対抗する為のものと君は言いました。それができたとして、戦争が終わった後、飛鳥くんはこの世界をどうしたいですか?」

「それは……」


 アクセルの言葉が頭を過り、言うべきか少し迷ってしまった。

 こんな、理想論でしかない……。


「また、アクセルに怒られると思いますけど……」

「怒られたっていいんですよ。大切なのは、飛鳥くんがどうしたいかです」


 飛鳥は拳を握り締めると、


「この世界も、僕がいた世界と同じです。同じ人種でも……リーゼロッテを傷つける人もいれば、マティルダさんみたいにリーゼロッテの為に怒ってくれる人もいました。だから人種に、種族に差なんてない。正しいことをしようとする人を守って、間違いを犯そうとしたらそれを正す。僕は、そんな世界を目指したいんです」


 そう言って、トーマスを見据えた。

 トーマスが静かに頷く。


「やっぱり……甘い、戯言でしょうか……」

「いいじゃないですか、甘い戯言で。飛鳥くんのような人が増えていけば、それが普通のことに変わっていきます」

「トーマスさん……」

「どうかその甘い戯言を大切にしてください。もう、サラのような犠牲を出さない為にも」


 その言葉に、飛鳥は強く頷いた。






 その夜、夕食を終えた四人は飛鳥たちの部屋に集まっていた。

 ふとアクセルがリーゼロッテの髪を上げ、


「ふん、ダメ神でもたまには役に立つな。綺麗に治ってるじゃないか」

「当然です! リーゼロッテちゃんの可愛さもモフモフも私が守ります!」


 胸を張り、やり切った表情のアーニャの隣で、飛鳥が静かに剣を抜いた。

 リーゼロッテは慌てて飛鳥を宥めるアーニャを眺めていたが……、


『アクセルさんって、本当にリーゼロッテちゃんのことが大好きなんだなぁと思って』

『でもリーゼロッテちゃんだってアクセルさんのこと好きでしょ?』


 昼間の言葉を思い出すと顔を赤らめ、アクセルに思いっきりグーパンチを叩き込んだ。

 アクセルの体が勢いよく飛び壁に激突する。


「いってぇ!!?」


 そのあまりの威力にアクセルだけでなく、飛鳥とアーニャも呆気に取られてしまった。

 突然のことにアクセルは痛みも忘れ、


「あの……リーゼロッテ、さん……?」


 リーゼロッテは拳を握ったまま肩で息をしていたが、三人の視線に気付くとハッとした表情を浮かべ、


「あ……えっと……。や、やり過ぎた……ごめん……」


 と視線を逸らした。

 珍しく素直に謝るリーゼロッテに飛鳥は訝しむように、


「ねぇ、昼間に何かあった……?」


 アーニャに耳打ちするが、原因を作った当の本人はと言うと、


「え? ううん。何もなかったけど……」


 どうやら自覚はないようだ。

 飛鳥はしばらくの間アクセルとリーゼロッテを交互に見つめていたが、


「と、とりあえず状況の整理と、今後のことを話そう」


 そう言って、二人を座らせた。

 アーニャが頷き『神ま』を開く。


「集落を出る時、マティルダは獣人のやり方で来いって言ってたけど、それって……」


 飛鳥が視線を向けると、リーゼロッテはまだ少し赤い顔を隠しながら、


「敗者は勝者に従う。それが一番シンプルな獣人のルールよ。つまり、飛鳥とマティルダの決闘で同盟を結ぶかどうか決めるってこと」

「僕とマティルダの、決闘……」

「随分話が早くなったじゃねぇか。んで、勝てるのか?」


 アクセルが笑うが、飛鳥の表情は──


「いや、今の僕では勝てない」


 冷静に、それだけ述べた。

 代わりにアーニャが不安そうな表情を浮かべる。


「そんな……」

「『外なる物質ダークマター』だけじゃ足りない。もう一つ……。それに、そっちもまだ視終わってない」

「そうだ、結局その『外なる物質ダークマター』ってのは何なんだ?」


 アクセルの問いに、飛鳥は窓から空を見つめ、


「僕がいた地球もこのティルナヴィアも宇宙に無数に存在している世界……星の一つだ。でも、地球に存在する物質は宇宙全体に存在する物質の僅か六パーセントほどと言われている。つまり、残りの九十パーセント以上は未知の物質なんだ」


 それを聞いたリーゼロッテは目を丸くし、


「ちょ、ちょっと待ってよ! 星って……じゃあ、あれ全部同じような世界ってこと!? あんなにあるのよ!?」


 と、夜空を指差す。

 飛鳥は頷き、続けた。


「うん、全部に人間や獣人みたいな生き物がいる訳じゃないけどね。この世界に存在しない未知の物質、それが『外なる物質ダークマター』だ」


 リーゼロッテは小さく「へぇー」とだけ口にし、興味深げに星々を見つめている。


「じゃああの女が言ってた物理法則が通じねぇってのは……」

「存在してないんだから、この世界の法則には当てはまらないってこと」


 アクセルは信じられないといった様子で首を振った。


「そんなのアリかよ……」

「でも『外なる物質ダークマター』の情報を完全に読み取って使うことができれば、マティルダのエレメントに対抗できるかも知れない」


 聞いていたアーニャが口を開く。


「それじゃあ、まずはあの二人を探すところからだね」

「本当はそうしたいけど、簡単には見つけられないと思う。だからマティルダの城へは行こう。やつらはマティルダ殺害を諦めた訳じゃない、必ずもう一度現れる筈だ」


 飛鳥の言葉に、アーニャとアクセルも頷いた。

 そして、アーニャは『神ま』を閉じると、


「方針も決まったし、今日は休もっか。皆疲れてるし」


 アクセルが「あぁ」と椅子から立ち上がるが……、

 急にリーゼロッテがアーニャを抱きしめ、


「今日はアーニャと寝るわ」


 なんてことを言い出した。


「え? 私はいいけど……」


 と、アーニャが飛鳥の方を向くと、その顔にはハッキリと「絶対嫌だ」と書かれていて。

 アクセルももちろん、同じような表情をしている。

 二人を見て、アーニャが悩む素振りを見せたが、リーゼロッテは口の端を上げ、


「今日はアーニャの好きなだけモフモフしていいから。ねっ? 一緒に寝ましょ?」


 とびきりの必殺ワードに、アーニャは元気よく「うん!」と返事をし、部屋から出ていってしまった。


「「…………」」


 残された二人はしばらく沈黙していたが、


「おい、ちょっと待て。お前はこっちで寝ろ。アーニャのベッドは僕が使う」


 布団に入ろうとするアクセルを飛鳥が咎めた。


「……お前、会った時から思ってたがアーニャのことになると気持ち悪いな」

「人を傷つける言葉を軽々しく吐くなよ。と言うか、お前だってそうだろ」

「あ? 喧嘩売ってんのか?」


 だが──


「「…………」」


 余程疲れが溜まっていたのか、緊張の糸が一瞬切れてしまったのか。

 素直にベッドを交換すると、深い眠りへと落ちていった。

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