第二十六話 獣を統べる者

 四人の戦闘開始とほぼ同時刻──。


 文字通り、疾風のように森を駆け抜ける影があった。

 行く手を遮る木々を薙ぎ倒し、雪を巻き上げながらハマールの集落を目指す。


「クララ! お前は他の集落を回り医者の手配をしろ!」

「内科? 外科? 歯科? 近年流行りの精神科?」

「どれでもいいッ!」

「かしまこり〜」


 眠たげな瞳の、白い翼の生えた鳥人族の女性は気怠げに答えると、別の方向へ飛んでいった。

 しかし言動とは裏腹に、その速度は恐ろしく速い。

 あっという間に姿が見えなくなってしまった。


「カトル! 敵は何人と言った!」


 今度は黒い翼を生やした鳥人の男が、報告書らしき紙を開き、


「六人ですが、内一人は同族です。恐らくは──」

「あぁ! 助けてやらねば!」


 二人は更に速度を上げ、森の中を突き進んでいった。






   ◆


「飛鳥……くん……? 嘘、だよね……?」


 目を見開き、フラフラとアーニャが歩き出す。しかし、


「きゃっ!?」


 足がもつれ、その場に倒れ込んでしまった。

 リーゼロッテがアーニャを抱き起こす。


「……やだよ」

「アーニャ……」

「やだよ……飛鳥くん……。やだよぉ……」


 大粒の涙をボロボロ流し、アーニャは嗚咽を漏らした。

 リーゼロッテものどかも、その姿を辛そうに見つめている。そこへ──、


「びぃびぃ泣いてんじゃねぇ!! ダメ神!!」


 アクセルが飛鳥の体を掴み上げ、アーニャたちの方に向かって投げ飛ばした。

 手足をブラブラ揺らしながら飛鳥の体が放物線を描く。

 リーゼロッテは慌てて飛鳥をキャッチすると、


「何してんのよ!? バカ!」


 と怒鳴り声をあげた。

 だがアクセルはアーニャを睨みつけ、


「飛鳥はまだ死んじゃいねぇ! てめぇ治癒術式だけは使えんだろ!? お前が治さねぇで誰が治すんだよ! アーニャ!!」

「えっ……?」


 駆け寄り、アーニャは飛鳥の胸に耳を当てた。そこには、まだ──


「飛鳥……くん……」


 顔をぐしゃぐしゃにし、アーニャの頬を再び涙が伝う。

 リーゼロッテが飛鳥を地面に下ろすと、アーニャは『神ま』を開いた。


「飛鳥くん。私が必ず助けるからね」


 涙を拭い右手を飛鳥の胸に置くと、光のエレメントが二人を包み込んでいく。

 それを見届け、アクセルは再び恭介たちと向かい合った。

 ヴァナルガンドもアクセルの心情を表すかのように牙を剥き、低い唸り声をあげる。


「どこまでも愚かだな、お前たちは」

「あ?」


 眉ひとつ動かさず告げる恭介に対して、アクセルの頬が一瞬だけ動いた。


「仲間の為、必死に抗うその姿勢だけは評価してやろう。だが、やつの回復まで時間を稼いだところで無駄だ。お前たちでは俺たちには勝てん」


 するとアクセルは眉を寄せ口を大きく開くと、


「は〜〜〜〜〜〜?? 誰と誰が仲間だってぇ? お前こそ何を見てたんだ? それとも、頭ん中お花畑の劇作家志望か何かかァ?」


 そう言って笑い出した。


「俺が戦う理由はただ一つ、俺の邪魔をする連中を潰すこと。それだけだ」


 アクセルが腕を振ると、ヴァナルガンドが咆哮をあげのどかへ向かっていく。

 それと同時に分厚い氷の板が現れ、棺桶のように恭介を閉じ込めた。

 のどかの手に、再び『不可視のエレメント』が収束していく。


「ハッ、無駄だ」


 のどかが撃ち出すより速く、ヴァナルガンドの爪がのどかを捉えた。


「くっ!?」


 距離を取り、再びエレメントを練るが、ヴァナルガンドは天に届くほど大きく口を開け、のどかへ襲いかかった。


「速い……!」


 のどかの言葉に、アクセルの顔が愉快そうに歪む。


「当たり前だ。ただの人間が獣に勝てると思っているのか?」


 それだけ言い残し、アクセルは恭介を閉じ込めた氷の棺桶を見つめた。すると、


「無駄だと言った筈だが」


 氷が音を立てて砕け、隙間から激しい炎が吹き出した。

 中から現れた恭介に傷はない。相変わらず涼しい表情だ。

 その様子に、アクセルは珍しく拍手を送る。


「さすがは大陸最強の精霊使い。どうしたもんかねぇ、俺とお前じゃ決着がつきそうにないなァ」

「馬鹿なことを。実力差は明白だ、貴様の底は見えた」

「いやまだ全然本気出してねぇし。お前こそ特異能力シンギュラースキルを使ったらどうだ? 本気を出さなかったから負けましたなんて言いたくねぇだろ?」


 恭介が一足でアクセルに迫る。


「その必要はない」

「必要はない、か」


 アクセルは斬撃をいなし蹴りを放つが、恭介の方も軽々と避けてしまった。

 そのまま再び剣を振るうが、


「むっ……?」


 剣の重量が何倍にも膨れ上がっている。

 二人の攻撃が交差した瞬間、アクセルが重力操作をしていたのだ。それでも、


「はああああああああああっ!!」


 剣に炎を纏わせ、恭介は剣を振り抜いた。


「ぐぅっ!」


 予想以上の抵抗にアクセルが地面を転がる。

 咄嗟に霊装を庇ったせいで腕が焼け、舌打ちをした。


「これで分かっただろう、貴様では役不足だ」

「この程度で勝った気になるなよ。底が知れるぜ?」


 辺りからエレメントを吸い上げ腕を回復させるが、やはりフラナングの館ほどの効果は出ない。

 笑みを貼り付けたまま、アクセルは心の中で恨み言を吐き捨てた。

 そこへヴァナルガンドの呻き声が響いたかと思うと、その巨体が地面に倒れ込んだ。


「マジかよ。……戻れ! ヴァナルガンド!」


 アクセルが叫ぶと、ヴァナルガンドはアクセルの影へと消えていった。


「初めて見る術式だ、興味深いな。その狼は力を切り離して自走させているのか?」

「答える義理はねぇなァ」


 あの女のエレメント強度は俺より下だ。なのに、何故こうもあっさり破れるんだ……!


「私の『外なる物質ダークマター』に通常の物理法則は通用しません」


 のどかがアクセルの前に立ち塞がる。


「『外なる物質ダークマター』……? 何だそれは」


 するとのどかは空を指差し、


「貴方では決して辿り着けぬ天の力です」

「訳の分からんことを……!」

「のどか、余計なことは言うな」


 恭介に咎められ、のどかはアタフタと頭を下げた。


「手間取らせてくれたな。これで終わりだ」


 その言葉に、アクセルは大きく息を吐き視線を落とす。


「気付かないもんかねぇ」

「何?」


 次の瞬間──


 巨大な雷撃が迸り、恭介たちへ襲いかかった。

 アクセルが呆れたように笑う。


「遅ぇよバカが」


 そこには飛鳥が立っていた。

 傷はすっかり癒え、全身にエレメントを纏っている。

 その後ろでアーニャとリーゼロッテが満面の笑みでハイタッチした。


「『外なる物質ダークマター』、か。なるほど、俺たちのエレメントが通じない訳だ」

「おい、だから何だよそれは」

「説明はやつらを倒してからだ」

「ハッ、それもそうだな」


 飛鳥が手を伸ばしアクセルを引き上げる。

 そして、恭介を睨みつけた。


「……引く気はなさそうだな」

「当然だ」


 二人が剣を構える。だが──


「はあああああああああああああああああッ!!!」


 突如、獣の咆哮のような雄叫びが響いた。

 四人が声の方へと視線を移す。そこにいたのは──


「せりゃあああああああああああああ!!」


 その人物は飛び上がり、四人に向かって巨大な斧を振り下ろした。

 四人が一斉に回避行動を取るが、その一撃は大地を割り、辺り一面を薙ぎ払ってしまった。


「今度は何だ!?」


 アクセルが口の中の土を吐き捨て怒鳴る。

 その隣で飛鳥は……、


「まさか、あれが……」


 視線の先、爆発の中心に獣人の女性が立っていた。


 釣り上った大きな瞳に高い鼻、僅かに覗く鋭い牙。

 腰まである亜麻色の髪に、同じ色の猫耳と尾を持つその女性は、首から下は豪奢な黄金の鎧に身を包み、自身の二倍以上はあるであろう、これまた黄金の斧を片手で軽々と担いでみせた。


 その姿に、ハマールを始め集落の者たちから歓声があがる。

 気を良くしたのか、その女性は得意げな表情でフンッと鼻息を吐き出した。

 そこへ恭介が近づいていく。


「探す手間が省けたぞ、マティルダ・レグルス」


 しかしマティルダはジッと恭介を見つめた後、


「無礼者ッ!!!」


 と吼えた。


「ッ!?」


 マティルダは精霊術を使った訳でも、エレメントを発現させた訳でもない。

 その咆哮だけで恭介は気圧されてしまった。


「貴様! 余をマティルダ・レグルスと知りながら名も名乗らぬとは、それでも戦士か!」


 それに対し、のどかは恭しく頭を下げると、


「失礼いたしました。私はスヴェリエ王国軍所属、水城のどかと申します」

「……王国軍大将、焔恭介だ」


 マティルダは、今度は飛鳥たちを無言で見つめた。


「俺の名前は皇飛鳥。正式な軍人ではないが……訳あって、今はロマノー帝国に協力している」

「アクセル・ローグ。ロマノー帝国軍中尉だ」

「……ん? え? お前階級付きなのか?」

「じゃなきゃヴィルヘルムの命令なんぞ聞くか。何だ? 羨ましいのか?」

「別に……」


 二人のやり取りを無視し、マティルダは考え込むように目を瞑る。


「スヴェリエにロマノーの軍人か。戦争中と聞いているが、余の国に何の用だ」


 それに恭介が剣を構える。


「俺たちの目的は貴様だ。王国による大陸統一の為、その命貰い受ける」

「ロマノーよりも余が気になるか。流石は焔王、分かっているではないか。だが、余一人殺したところでこの国は落ちぬぞ?」

「いいや。貴様さえいなければ残りは有象無象だ、敵にすらならん」


 その言葉にマティルダは眉を吊り上げ、牙を剥いた。


「余の民を有象無象と吐かすか、焔王よ」

「貴様という個体は優秀だが、獣人自体は劣等種族だ。同じヒトとして扱う連中の気が知れん」


 のどかも『外なる物質ダークマター』のエレメントを練り上げていく。

 マティルダは何も言わず斧を両手で握りしめた。


「マティルダ! 待て! そいつらは──」


 飛鳥が叫ぶが、既にマティルダの姿はない。

 次の瞬間、のどかの体が血を撒き散らし宙を舞った。


「はっ……?」

「のどか!」


 恭介が叫ぶ。しかし──


「人間風情が、よくもそこまで大言を吐けるものだ」


 マティルダの体が光のエレメントで黄金に輝き、掴み上げた恭介の全身を焼いた。


「ぐああああああああああああ!! うぅ……ぐううううう!!」


 腕を振り解こうと恭介の体から炎が噴き上がるがまるで歯が立たない。

 そのままマティルダは恭介の体を投げ飛ばした。


「恭介……!」


 のどかが這うようにして、恭介に手を伸ばす。

 恭介は唇を噛み締めながら起き上がり、マティルダを睨みつけた。


「どうした!! 余の民を愚弄した罪、その程度で贖えるものではないぞ!!」

「のどか、一度退くぞ……!」


 恭介がのどかの腕を取る。


「逃すと思ったか!!」


 マティルダが光球を放つが、既に二人の姿は消えていた──。


「おのれッ!!」


 と、マティルダが地面に斧を叩きつける。

 そして飛鳥たちへ目を向けると、


「貴様たちロマノーも余と民の命を狙ってきたか!」

「違う! 俺たちはお前たちに協力してほしくてここまで来たんだ!」

「協力だと……?」


 マティルダは警戒するような表情を浮かべた。

 そこへ、集落の者たちから怒声が浴びせられる。しかし、


「あいつらがいなくなった途端に調子に乗るんじゃないわよ!」


 リーゼロッテが怒りを露わにした。


「あんたら何を見てたの!? アクセルと飛鳥はこの集落を守る為に戦ったのよ!?」


 一瞬、皆が静まり返るが……、


「黙れ! 裏切り者め!」

「痛っ!?」

「リーゼロッテちゃん!」


 誰かが投げた石がリーゼロッテの額に当たり、地面に赤い染みを作った。

 アーニャは慌てて駆け寄り、


「すぐに手当てするから見せて!」

「う、うん……」


 飛鳥も二人を守るように立ち塞がる。

 だが、一番怒りを表したのは意外にもマティルダであった。


「今石を投げたのは誰だ! この者は同族だぞ!!」


 その迫力に、全員押し黙ってしまった。

 マティルダはリーゼロッテの前に膝をつくと、


「すまない。すぐに医者の手配を……」

「いいわよ。アーニャに治してもらうから」


 アーニャがリーゼロッテを庇うように抱くと、マティルダが悲しそうな表情を浮かべる。


「……僕らも一度退こう」


 飛鳥の言葉に、アーニャたちは集落の入り口に向かって歩き出した。

 トーマスもブリギットを抱きかかえ後を追う。


 その時だった──。


 地面から闇のエレメントが噴き上がる。


「何だこれは!?」

「これは……! アクセル!!」

「結局……一緒じゃねぇか……!」

「え……?」


 アクセルの体からドス黒いエレメントが溢れ、集落を飲み込まんと広がっていく。


「何で……何でリーゼロッテが傷つかなきゃならねぇんだ!!」


 唸り声とも金切り声ともつかぬ叫びが響き渡った。

 アクセルを止めようと飛鳥が踏み出すが、エレメントに阻まれ進むことができない。


「頼む……やめてくれ! アクセル!」


 しかし、その声は届かない。その中で──


「何やってんのよ……バカ」


 リーゼロッテがアクセルを抱きしめた。


「リーゼ……ロッテ……」

「私は大丈夫だから。……ねっ?」


 触れたら壊してしまう。

 そんな怯えを見せながら、アクセルはゆっくりと、慎重にリーゼロッテを抱きしめた。


「リーゼロッテ……」

「うん、ここにいるから。安心しなさい」


 次第に闇が消えていく。

 全員が集落を出るまでの間、飛鳥とマティルダは武器を構え睨み合っていた。


「……余たちに協力してほしいと言ったか?」

「あぁ」

「ならばこの国の中心、余の城へ来るがいい。余は人間の道理など知らぬ。獣人のやり方で余を従わせてみせよ」

「……分かった」

「今はゆっくりと休むがよい。手負いの者を討ったところで何の誉れにもならぬ」


 飛鳥は頷き、集落を後にした。

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