第二十五話 未知の力

 互いを囲むように生成された氷の槍を見て、のどかが呟く。


「貴方も氷使いでしたか」

「いやぁ?」


 アクセルはとぼけたような表情を浮かべると、


「自分の常識だけで戦うと、思わぬところで足元を掬われるぞ?」

「どういう意味でしょう?」

「さぁな。てめぇで確かめろ」

「そうですか。では……」


 のどかは腰に下げたレイピアを抜いた。そして──


 互いが作り出した槍が同時に放たれる。

 無数のそれらは交わったかと思うと砕け散り、破片が視界を覆った。だが、その只中で、


「はっ!」


 のどかの突きが、アクセルの喉元を正確に捉えた。

 アクセルは拳で刃を払い、


「ふっ!」


 と、返す刀で顔面に拳を放つが、間一髪のところで避けられてしまった。

 そのまま距離を取ろうとのどかが後ろへ飛ぶ。しかし、


「ッ!? 体が……!」


 思うように動かぬ体に眉を寄せた。そこへ──


「どうした? 体が重くて思うように動けないか?」

「──ッ!?」


 アクセルの蹴りがのどかの腹へ突き刺さる。


「がっ……!?」


 咄嗟に受け身を取り、のどかは訝しむようにアクセルを見つめた。


「一体……何を……?」

「俺が懇切丁寧に教えてやるような善人に見えるか?」

「……失礼ながら、見えませんね」


 のどかの言葉に、アクセルは笑い声をあげる。


 その直後──


 爆発音と共に、衝撃波が二人の体を叩きつけた。

 アクセルはそちらへ一瞥もくれず、


「派手にやってるじゃねぇか。……だが、分が悪いか」


 後半はのどかに聞こえないように呟いた。


「恭介……!」


 対して、不安そうな表情を浮かべるのどかであったが、


「同じこと言わせんじゃねぇよ。余所見してる暇なんてねぇぞォ!!」


 アクセルが脳天目掛け蹴りを放つ。

 後数センチというところで避けられてしまったが、地面へと突き刺さった瞬間爆発にも似た衝撃を生み、のどかを弾き飛ばした。


「くっ!?」


 何とか体勢を整えたのどかであったが、


「まだだ」


 アクセルが顎で合図すると、地面に落ちた氷の破片が竜巻となり襲いかかる。

 だが、のどかが手を翳すと巨大な盾が現れ、竜巻を掻き消してしまった。

 アクセルはいつもの、相手を小馬鹿にするような笑みを浮かべると、


「そんなに焔王が心配か? 安心しろ、すぐに二人とも殺してやる」

「いえ……」


 のどかは言うべきか一瞬迷う素振りを見せたが、辛そうな表情でアクセルを見つめ、


「私が心配しているのは貴方の仲間の方です。本当は、極力犠牲を出したくないのですが……」

「あ? てめぇは飛鳥が焔王に負けると思ってるのか?」

「はい。恭介に勝てる者など、この世界にはいませんから」


 その表情からも言葉からも、嘘偽りは感じられない。

 のどかは本気で飛鳥を哀れに思っているようだ。

 アクセルは苛立ちを隠すように、敢えて不敵な笑みを浮かべる。


「妄想もそこまで行けば立派なもんだ。だが、その年恰好でそれはちょっと痛いなァ」

「いえ……」


 のどかはレイピアを収めると、両の手の平を合わせた。


「貴方もです。貴方では恭介はおろか、私にも勝てません」


 相変わらずのどかは挑発するでも嘲るでもなく、アクセルを哀れむような表情を浮かべている。

 その態度に、今度こそアクセルは怒りを露わにした。


「そうかい。なら……その痛ぇ妄想全部砕いてやるよォ!!」


 アクセルが勢いよく地面を蹴る。

 のどかは巨大な氷の剣を生み出し振り下ろした。


「ハッ! その程度で仕留められると思ってんのかァ?!」


 アクセルは飛び上がり、氷の剣へ拳を叩きつける。

 それだけで剣は砕け散ってしまった。しかし、


「無駄です」


 散った破片が水へと変わり、アクセルを包み込もうと向かっていく。


「それはこっちの台詞だ」


 アクセルを取り囲んだ水の塊は急に向きを変え、地面に落ちていった。

 それにのどかは目を見張る。脳裏に先ほどのアクセルの言葉が過った。


「まさか……重力を操って……!?」

「何をボサッとしてやがる!」


 再びアクセルが氷の竜巻を生み出す。

 のどかは避けようと横へ飛ぶが──


「だから無駄だってんだよ!」


 竜巻が急にあり得ない曲がり方をし、のどかを空高く弾き飛ばした。


「きゃああああああああああああああ!?」


 そのまま地面に叩きつけられたのどかの顔に、初めて焦りの色が浮かぶ。

 傷ついた体を無理やり起こし、口を開いた。


「氷と……大地。二つのエレメントを扱うなんて……」

「それだけで驚かれちゃ困るなァ」

「何を……。──ッ!?」


 体が動かない。

 恐怖を押し殺し、辛うじて動く瞳で自身の体を確かめる。

 すると、影から黒い帯のようなものが、アクセルへ向かって伸びているのが目に飛び込んできた。


「今度は闇の!?」

「さて、俺ではお前に勝てないとか言ってたか?」


 アクセルがのどかの髪を掴み上げ、顔面に膝蹴りを叩き込む。


「がっ!?」


 アクセルは攻撃の手を緩めない。

 黒い帯がのどかの体を吊るし上げると胸、腹、足……何発も蹴りを放ち、のどかはサンドバッグのように無抵抗に体を揺らした。


「お、思い出し……ました……」

「あ?」

「複数の、エレメントを扱う……帝国の……。貴方が……トリック、スター……」

「ほぉ、俺も割と有名なんだな。だが今はそんなことどうでもいい。焔王を退かせろ。このまま無抵抗な人間を殺したとあっちゃ、あのバカに文句を言われちまう」


 だが、のどかは一転して笑みを浮かべた。


「この程度……でしたか……。やはり、貴方では……私には……」

「まだ言うか。頭を蹴りすぎたか?」


 その直後だった──


 『何か』が体を勢いよく叩きつけ、アクセルは十数メートル吹き飛ばされてしまった。

 自身の上に積もった瓦礫を蹴り飛ばし起き上がると、


「何だ今のは……?!」


 視線を移した先では、のどかの体を水のエレメントが包み込んでいる。

 舌打ちし、再びアクセルの体から黒い帯が伸びるが、見えない壁のようなものに掻き消されてしまった。

 そうしている間も、のどかの体から傷が消えていく。


「だったら……!」


 アクセルが腕を振ると氷の剣が矢のように降り注ぎ、重力が空間を歪める。

 だがやはり、のどかから一定の距離まで迫ったところで消えてしまった。


「分かっていただけましたか? 貴方では私を倒すことはできません」


 花が咲くように水の包みが開き、のどかが一歩踏み出す。その体には傷一つない。


「気持ち悪い回復速度だな。ところで、その力は何だ」

「申し訳ございません。私も、懇切丁寧に説明するほど善人ではありません」


 そう言ってのどかは微笑んだ。

 その笑顔は、やはり相手を嘲るものではなく、あくまで穏やかなもので。


「どこまでもムカつく女だなァ」


 アクセルは嫌悪感を露わにした。


 すると、そこへ──


 目にも留まらぬ速さで何かが二人の間を通り過ぎた。そして、


「そこまでだ」


 恭介がのどかの隣へ降り立つ。

 アクセルが目を見開き視線を移すと、そこには飛鳥が横たわっていた。

 胸から血を流し、火傷の跡も見える。


「これはお前たち自身が招いた結果だ」

「何だと……!」

「初めからこちらの命令に従っていれば、お前たちが死ぬことはなかった」


 淡々と告げる恭介に対し、アクセルはニタリと、いつもの調子で笑みを浮かべた。

 そんなアクセルへ恭介は不思議そうな視線を向ける。


「何がおかしい」

「二人揃って冗談が上手いと思ってなァ。お前ら軍人より大道芸人でもやった方がいいんじゃあないか?」


 そして飛鳥へ歩み寄り引き摺りあげると、


「酷い有様だなァ、英雄様よォ」

「うる……さい……」


 飛鳥はアクセルを睨みつけた。その目はまだ輝きを失っていない。


?」

「当たり前……だ。焔王は──」


 飛鳥がアクセルへ耳打ちする。

 それを聞いた途端、アクセルの表情が狂喜に染まった。


「上出来だ。じゃあ次は女の方だ」

「何……?」

「あの女、妙な力を使いやがる。だが、お前の眼なら正体が分かるな?」


 飛鳥が無言で頷く。

 アクセルは手を離すと、恭介たちへ向き直った。


「作戦会議は済んだか?」

「あぁ、待ってくれるなんて優しいんだなァ」

「何をしようと結末は変わらない。早いか遅いかだけだ」

「そうかよ。……てめぇら如きに使いたくはなかったんだが」


 アクセルの影が揺れる。


「行くぞ、ヴァナルガンド」


 そう告げると、影から黒く巨大な狼が飛び出し咆哮を轟かせた。

 集落の者たちからどよめきが起きる。


「あれが……アクセルの本当の力……」


 リーゼロッテもその景色に慄き呟いた。


「俺はこいつみたいに甘くはないぞ? 焔王」

「どちらだろうと同じことだ。来るがいい」






 飛鳥はソフィアから預かった剣を投げ捨て、


「来い! レーヴァテイン!」


 飛来したレーヴァテインを掴み、フラナングの館で視た精霊術の一つを思い浮かべる。

 すると、全身を雷のエレメントが包み傷を癒してしまった。

 とは言え完全ではない。血を止めた程度だ。それでも、


「今度は貴方が相手ですか」

「お前たち、自分が何をしているか分かっているのか? これは──」


 のどかと向き合い、精霊眼アニマ・アウラに力を込める。すると、


「痛ッ……!?」


 精霊眼アニマ・アウラが『何か』の情報を捉えたかと思うと、頭に鋭い痛みが走った。だが……、


「これは、何でしょう? 王国と共和国との戦争とでも仰りたいのですか?」

「……あぁ、それも布告なしのな。このご時勢にそんなことが許されると思っているのか?」


 飛鳥の言葉にのどかは静かに息を吐き、手の平を向ける。


「貴方方は何か勘違いをされているようですね」

「どういうことだ」

「私たちは戦争をしているつもりはありません。王国による大陸統一、平和な世を作る為に行動しているだけです」

「ふざけたことを。平和の為に武力を行使するなんて本末転倒だな」

「いいえ、だからこそです。獣人という劣等種、それを庇護する帝国。今刈り取ることで、平和な未来が訪れるのです」

「……本気で言っているのか?」


 飛鳥の怒りに呼応し、精霊眼アニマ・アウラが輝きを増していく。

 その中にあっても尚微笑みを浮かべたまま、のどかは頷いた。


「そうか。ならもう、話すことはない」

「はい。残念ですが……」


 雷が渦を巻くように、レーヴァテインに集まっていく。


「咆哮せよ──レーヴァテイン!!」


 荒れ狂う稲妻が地面を抉りのどかに迫る。しかし──



 のどかの手に触れた瞬間、煙のように消えてしまった。



「なっ……!?」


 防がれたわけでも、吸収されたわけでもない。

 文字通り消滅してしまった。


「あぐっ……!」


 再び精霊眼アニマ・アウラが『何か』を捉えるが正体が掴めない。

 吐き気を覚え、飛鳥は膝を折った。


 何なんだ……この力は……!? 精霊眼アニマ・アウラは確かに情報を取り込んでいる、なのに……!


 飛鳥の様子に、のどかは眉をひそめた。


「見えている……のではありませんね。しかし、この力を感じ取るだけでも驚きです」


 いつもと同じように、脳に直接ペンを走らせるように情報が書き込まれていく。

 言語化、数値化されたそれは見慣れたものだ。なのに、理解することができない。

 読める筈なのに、説明することができない。

 触れてはならないと体が拒絶している。

 知ってはならないと意識が閉じようとしている。


「が……はぁっ……!」

「少し、話をしましょうか」

「な……に……?」

「貴方は世界がどのようにできているかご存知ですか?」

「世界、が……?」


 のどかは静かに頷き続けた。


「この世界は目には見えない小さな物質の集合体です。そしてそれらは、四つの力によって成り立っています。貴方が操る雷の力、トリックスターが操る重力もその一つなのです」


 電磁力に重力。自然界の四つの相互作用……。だが何故、今そんな話を──。


「ですが、例外もあります」


 その瞬間、先ほどまで自身を苦しめていた情報が繋がり線となる。


「まさか……!」

「この世界を超えた、天にのみ存在する五番目の力。それこそが私に与えられた力です」


 のどかの手の平にエレメントが収束していく。

 しかし見た目に変化はない。

 精霊眼アニマ・アウラだけが、その力の流れを映した。


「お話はここまでです。──《認識し得ぬ第五元素インヴィジブル・コスモス》!!」


 不可視の力の濁流が飛鳥を飲み込む。


「があああああああああああああああああああ!!」


 全身を打たれ吹き飛ばされたその先には、




「あ? ……ぐぉっ!?」


 アクセルを巻き込み、二人は地面を転がった。


「てめぇ何しやがる!」


 だが、飛鳥から反応はない。


「おい、何とか言ったらどうなんだ」

「…………」

「おい! 飛鳥ァ!!」


 轟々と燃え続ける炎を掻き消すように、アーニャの悲鳴が響き渡った──。

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