第二章 エール共和国編

第二十話 想起

 その日は特に寒さが厳しい日であった。

 朝からずっと強風が吹き荒れ、コートを着込んでいても肌を突き刺すように冷気が襲ってくる。

 雪が降っていないだけましといったところだ。

 まだ足跡のついていない新雪を踏みしめ、アクセルが愚痴をこぼした。


「何もこんな日に出発しなくてもいいだろうが……」


 場所は帝国軍北方司令部から更に北へ五キロほど進んだ、エール共和国との国境付近。

 すぐ近くには川があり、小型の馬車が一台通れるかといった狭い橋が一本だけ架けられていた。


「あの橋を渡ると共和国の領土ですので、我々はここまでです」


 道案内をしてくれた兵士が寒さに震えながら告げる。

 飛鳥は頭を下げ礼を述べた。


「ありがとうございます。助かりました」


 兵士たちも頭を下げると足早にその場を去ってしまった。

 いくら雪国育ちとは言え、こんな日に外出などしたくはないのだろう。

 それも、もう何年も落ち着いている国境付近など尚更だ。


「いよいよエール共和国に入るね、気を付けていかないと……」


 と、アーニャが言うが上手く聞き取れない。

 それもその筈。

 アーニャはコートはもちろんだが、マフラーをぐるぐる巻きにし、目から下が全部隠れてしまっていた。

 アクセルもまだ何かぶつぶつと文句を言っている。

 リーゼロッテだけ唯一、何でもなさそうな顔で佇んでいた。


「リーゼロッテちゃん、こんなに寒いのにコートだけで平気なの?」

「一応冬毛だから──って抱きつこうとしないでよ!」


 飛び掛かっていくアーニャを避けリーゼロッテが叫ぶ。

 そんな二人を横目にアクセルが飛鳥に向かって手を差し出した。


「国境を越えるんだ。いい加減秘密兵器とやらを出せ」

「あぁ、ちょっと待ってくれ」


 飛鳥は荷物から皮の袋を取り出し、中身をアーニャとアクセルへ渡した。


「……何だこりゃ」

「わぁっ、耳と尻尾!」


 呆れ返るアクセルとは反対に、アーニャが嬉しそうに笑う。

 飛鳥は自慢気に胸を張るとこう言った。


「これから獣人の国に入るからな、人間だってバレないように変装しないと」

「…………」


 アクセルはリーゼロッテへ手招きすると、渡された耳を彼女の頭へ乗せようとして、


「いや私はいらないから!」


 と手を叩かれてしまった。


「俺もいりませんよ。こんなもので誤魔化せる訳ないでしょう、奴らは臭いで判別できるんですから」


 しかし飛鳥とアーニャはと言うと……、


「どうかな? 似合う?」

「うん! すっごく似合ってるよ! そ、それにその……凄く、可愛いよ」

「えへへ、ありがとう! 飛鳥くんもどこからどう見ても獣人だよ! 完璧!」


 なんて馬鹿丸出し……いや、微笑ましいやり取りをしていて。

 リーゼロッテははしゃぐ子どもを見るように二人を眺めた。


「楽しそうだしいいんじゃない? 着けても着けなくても戦闘は避けられないだろうし」

「アホらしい……。おい、さっさと行くぞ。獅子王を潰してこの国を奪るんだろ?」


 アクセルも耳と尻尾を着けると、橋を渡り始めた。


 何故こんなことになってしまっているのかと言うと、事の発端は一週間前まで遡る──。






   ◆


 謁見の間での一件以来、飛鳥はほとんど動くことができず、一日の大半を眠って過ごしていた。

 アクセルも、多少は飛鳥に気を遣ったのか部屋から出ず、おとなしく過ごしている。


 そして迎えた約束の三日目──。


 ソフィアを連れ、リーゼロッテが部屋に入ってきた。

 久しぶりに同族と会えたのが嬉しいのか、食事や入浴時など頻繁にソフィアの部屋を訪ねていたようだ。


「お待たせしましたぁ」


 と、相変わらず間延びした口調でソフィアが椅子に腰を下ろす。


「私、アクセルを呼んでくるね」

「うん、私も飛鳥くんを起こすね」


 ソフィアにコーヒーを出し、アーニャは飛鳥へ声を掛けた。


「飛鳥くん、起きられる? ソフィアさんが来たよ」

「ん……うん……」


 アーニャに支えられながら飛鳥はゆっくりと体を起こした。

 顔色は優れず、頬もこけている。

 当然だ。数日とはいえ、食事は軽いものしか口に入れられず、エレメントの吸収量や速度も互いにコントロールできない状況が続いていた。

 もう何日か遅かったら、飛鳥が命を落としていたかも知れない。

 そんな飛鳥の顔をソフィアが覗き込んだ。

 普段ならドギマギしてしまうところだが、今はそんな元気もない。


「何だか調子が悪そうですねぇ。ちゃんとご飯食べてますかぁ?」

「ソフィアさんこそ……クマが酷いですけど……寝て、ないんですか……?」

「いや〜夢中になるとつい〜」


 飛鳥の心配を余所に、ソフィアはいつものことといった調子で笑う。

 そこへリーゼロッテとアクセルがやってきた。

 そしてアクセルはソフィアの姿を見るや否や、


「お前がソフィア・リストか。さっさと霊装をよこせ」


 と近付いていく。

 アクセルの態度に、リーゼロッテが助走をつけ飛び蹴りを放った。


「ぐぅっ!?」

「そういう態度はダメっていつも言ってるでしょ?! ごめんね、ソフィア」

「いえいえ〜。すぐに試したいって気持ちはよく分かりますからぁ」


 何か勘違いしているのか、ソフィアは気にしていないようだ。

 ポケットからネックレスと皮の袋を取り出しベッドの上に置いた。


「それが……」

「はい〜。むしろこっちのが慣れない作業で時間がかかっちゃいましてぇ」


 ソフィアが皮の袋を持ってみせると、アーニャが不思議そうな表情を浮かべた。


「それは?」

「これはですねぇ」

「それは……共和国攻略の、秘密兵器なんだ……。それより、早くアクセルに……霊装を……」


 件の霊装は赤い宝石を銀でできた格子状の立方体で囲った作りになっていた。

 リーゼロッテがアクセルの後ろに回り、霊装を首に掛ける。

 それを見て、飛鳥は発動時と同じようにレーヴァテインの柄を握り、術式を解除した。


「どうだ? アクセル」

「……ふん、フラナングの館と同じ感覚だ」


 感覚を確かめるように体を動かし、アクセルが呟いた。

 その言葉にソフィアがニコリと笑う。


「良かったです〜。何かあったらすぐ連絡してくださいねぇ」

「はい。本当にありがとうございました」


 飛鳥も回復してきたのか、ベッドから出て頭を下げる。

 しかし何を思ったのか、突然アクセルがソフィアの襟を掴み上げた。

 ソフィアの顔が一転して青ざめる。


「ななな、何でしょうかぁ……?」

「お前……どこかで会ったことはないか?」

「しょ、初対面だと思いますよぉ……」


 殺意の宿った視線に、ソフィアは震えながら消え入りそうな声で答えた。

 飛鳥とリーゼロッテが慌ててアクセルの腕を掴む。


「やめなさいよ! ソフィアが怖がってるでしょ!」

「いきなりどうしたんだよ。霊装に問題はないだろ?」


 アクセルは尚もソフィアを睨みつけていたが、舌打ちをすると乱暴に扉を開け部屋から出ていった。


「何なのよあいつ! ソフィア、怪我はない?」

「は、はい〜……あのぉ、あの方はぁ……」


 その問いにアーニャとリーゼロッテが答えにくそうに目を伏せる。

 飛鳥はそんな二人へ敢えて笑顔を向けた。


「二人とも、僕がちゃんと答えるから。二人は気にしないで」


 ここは自分が答えるべきだ。

 アクセルを参戦させるよう提案したのは僕だ。これからあいつが起こすこと全てに責任を持たなければならない。


「あいつがアクセル・ローグです……ソフィアさんもご存知かも知れませんが、八年前に、殺人事件を起こした……」

「……あの方が」

「すみません、隠すつもりはなかったんです。でも、この戦争を終わらせるにはどうしてもあいつの力が必要で……」


 だが、ソフィアは飛鳥の声など聞こえていないかのように、ボーッと宙を見つめている。


「ソフィア、さん……?」

「あ……すみません〜。では私は部屋に戻りますねぇ」


 そのままフラフラと出ていってしまった。


「ソフィアさん、大丈夫かな……」


 心配そうな飛鳥の言葉にリーゼロッテが応える。


「後で様子見てくるね」

「うん、頼むよ」




 自室へと戻ったソフィアは、一直線にソファに向かい倒れ込むように身を委ねた。


「だから……あんな質問を……」


 浮かぶのは、最後に見た父の姿。


「身内の業からは……逃れられないということですかね〜……」


 呟き、ソフィアは泥のように眠りについた。

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