第十九話 不信

「ふぁ……あ〜ぁ……」


 アーニャは目を覚ますと、両手を組みぐーっと背伸びをした。

 カーテンを開け外を見ると、はらはらと雪が降っている。

 上着を羽織り飛鳥を起こすべく声を掛けた。


「飛鳥くん、朝だよー」


 と体を揺するが、返ってきた答えは、


「うぅ……もう少し寝かせて」


 飛鳥は掛けている毛布を引き上げ、頭まですっぽりと覆ってしまった。

 それにアーニャは笑顔を浮かべる。


 いつも頑張ってるし、たまにはいいよね。


「じゃあ私、水汲みに行ってくるね」

「うん……」


 アーニャは手早く着替えると桶を持ち廊下に出た。

 初日に起きた迷子事件のお陰で、廊下の壁には案内板が設置されている。

 少し情けなさを感じつつも、それに従い外の水場へとやってきた。


 炎や水のエレメントが使えればもっと楽なのになぁ。


 エミリアとアクセルの顔を思い浮かべながら井戸のロープを引っ張る。


 その時だった──。


 近くの茂みが音を立て、


「ん?」


 と、アーニャは振り向こうとしたが、それより速く何者かに口と腹を掴まれ茂みに引き摺り込まれてしまった。


「んっ!? んー! むー!」


 手を振り解こうと身をよじるが、思ったよりも相手の力が強い。

 アーニャは左手で『神ま』を掴んだ。


 飛鳥くん! お願い、気付いて!


 飛鳥への救援を念じながら、右腕を思いっきり振り自身を捕らえている何者かに肘打ちを食らわせる。

 すると「ぎゃうっ!?」と短い悲鳴が聞こえ、体が自由を取り戻した。

 そのまま逃げ出そうとしたアーニャであったが、


「あれ? その声は……」


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはラベンダー色の髪の毛に金色の垂れ耳が生えた少女、リーゼロッテがお腹を押さえてうずくまっていた。


「リ、リーゼロッテちゃん!? どうしてここに!? 大丈夫!?」

「や、やった本人が聞く……!? いや、そんなことより……」


 リーゼロッテが苦しそうに顔を上げ、アーニャのマントを掴む。


「お、お願い……アクセルを、助けて……!」

「アクセルさんを……? どういうこと……?」


 そこでようやくアーニャは気付いた。

 フラナングの館から夜通し走ってきたのだろう。

 リーゼロッテの靴は泥だらけで、体は氷のように冷え切っている。


「と、とにかく私たちの部屋に来て!」


 アーニャはリーゼロッテを抱きかかえ自室を目指した。




「飛鳥くん! 起きてる!?」


 アーニャが勢いよく扉を開けると、飛鳥が暖炉の前でコーヒー豆を挽いていた。


「おはよう、アーニャ。……って何でリーゼロッテがここに?」

「話は後で! と言うか、私もまだ何も聞いてないんだけど、まずはリーゼロッテちゃんを暖めないと……あ! 桶置いてきちゃった! どうしよう……」


 うぅぅ、何で私はいつもどこか抜けちゃうんだろう!?


「お、落ち着いて。とりあえずリーゼロッテをこっちに。マリアさんに食事を用意してもらうね」

「あ! それはちょっと……。他の人には知らせない方がいいと思う……」

「……分かった。じゃあ適当に言って食堂からスープでももらってくるよ。アーニャはリーゼロッテを着替えさせてあげて」

「うん!」


 アーニャはリーゼロッテを着替えさせると毛布を被せ、手を握り揉み始めた。

 そして、飛鳥が持ってきたスープをリーゼロッテの口に運ぶ。


「温かい……」


 少し回復したのか、リーゼロッテがホッと息を吐いた。しかし、


「そうだ! アクセルを助けないと! 飛鳥、お願い! あいつを助けてやって!」


 と必死な表情で顔をあげる。


「リーゼロッテ、落ち着いて。何があったの?」

「そ、それが──」


 リーゼロッテの話を聞いた飛鳥は剣を手に取り、部屋を飛び出していった。






   ◆


「気分はどうかな? アクセル・ローグ」


 そう言って見下ろすヴィルヘルムをアクセルが睨みつける。

 しかしその顔色は青白く、床に倒れこんだまま動けずにいた。呼吸も段々細くなっていく。


「陛下がお尋ねになられているのですよ? 答えなさい、アクセル・ローグ」


 ヴィルヘルムを護るように立つプリムラが告げる。

 するとアクセルはニタリと笑みを浮かべた。


「最悪に……決まってんだろうが……。見て、分からない……かねぇ……」


 途端、アクセルの影が蠢き出した。段々と蛇のような形を取っていく。

 それを見たオークランスが叫んだ。


「いかん! プリムラ!」


 プリムラがフッと溜め息を吐くと、七色に輝く剣が数本現れアクセルの影を縫うように突き刺した。

 アクセルが呻き声をあげる。


「がぁぁぁぁぁぁぁ……!」

「無駄ですよ。仮に使ったとしても、死ぬのは貴方だけですが」


 直後、謁見の間の扉が勢いよく開かれ警備兵が転がり込んできた。


「何事だ!」


 怒鳴るオークランスをヴィルヘルムが手で制す。


「あぁ、来たか。飛鳥」


 そこには、レーヴァテインを手にした飛鳥が立っていた。

 何も言わず真っ直ぐ歩を進める。


「お待ちください、英雄殿。ここで剣を抜くことがどういう意味を持つか──」

「分かっています。ですが、あなたたちを傷付けるつもりはありません。どうかご容赦ください」


 プリムラの言葉を遮り、飛鳥はアクセルの隣で足を止めた。


「随分辛そうだな」

「うる……せぇ……よ」


 その様子をアーニャとリーゼロッテが扉の影から見つめている。

 リーゼロッテは青ざめ、今にも崩れ落ちそうだ。

 アーニャは落ち着かせるようにリーゼロッテの肩を抱き寄せた。


「大丈夫、飛鳥くんがきっと何とかしてくれるから」



「プリムラ、下がれ」


 ヴィルヘルムの言葉に従い、プリムラが一歩身を引く。

 飛鳥はレーヴァテインを床に刺すと、跪き頭を垂れた。


「陛下、これはどういうことかご説明いただけますでしょうか」

「どうもこうも、アクセル・ローグにはすぐに軍務に就くよう命じた筈だが?」

「それでしたら報告書に記載した通りです。リスト主任技師の霊装が完成するまでお待ちください」


 飛鳥がヴィルヘルムへ非難するような視線を送る。

 それを受け、ヴィルヘルムは静かに息を吐いた。


「この八年、被害者の遺族はどのような気持ちで過ごしていたのだろうな」

「それは……」


 アクセルが起こした事件について言及され、飛鳥は言葉に詰まってしまう。


「被験者や開発局の者たちはこの国の為、身命を賭してくれた。民にいたっては何の落ち度もない。ただ平穏に暮らしていただけだ」


 ヴィルヘルムの言うことは尤もだ。どんな理由があるにせよ、敵意もない者を殺していい筈がない。でも、それでも……。


 ヴィルヘルムは試すような視線で飛鳥を見つめた。

 オークランスも飛鳥が何を言うのか、神妙な面持ちで待っている。

 少しして、飛鳥は立ち上がり口の端を釣り上げた。


「ならば尚のこと、この程度で死なせてはなりません」


 その様子を見ていたリーゼロッテが短い悲鳴をあげる。

 アーニャも、飛鳥の表情に息を呑んだ。


 嗤っている──。


 普段の優しく柔らかな笑みではない。

 他人を見下すような、凶悪な笑みを浮かべアクセルを見つめた。


「こいつには王国との戦争に勝つまで、それこそ血反吐を吐いてでも戦ってもらわねば困ります。戦って戦って、そして死んでもらわなければ贖罪になりません。ですので──」


 飛鳥はレーヴァテインの柄を握った。

 すると飛鳥とアクセル、二人の周りに雷の輪が現れ体を締め付けた。

 次の瞬間、飛鳥が膝から崩れ落ちる。

 その光景にプリムラは目を見張った。


「アクセルの、身柄は……俺が引き受けます。お任せ……いただけますね……?」


 額に汗を滲ませ、今にも倒れそうな体を何とか支え、飛鳥はもう一度頭を垂れる。


「……分かった。アクセル・ローグについてはお前に任せよう。アーニャ、それから獣人の娘よ、二人を部屋へ連れていってやってくれ」


 アーニャとリーゼロッテは急いで駆け寄り、二人を抱き起こすと謁見の間を後にした。




 ──部屋へ戻った直後、飛鳥は床に倒れ込んでしまった。


「飛鳥くん! しっかりして! これは一体……」


 だが、それに応えたのはアクセルであった。

 先ほどより幾分顔色が良くなっている。


「無茶苦茶だな。俺にエレメントを供給し続けたらてめぇが死ぬぞ?」

「そんなに……ヤワじゃないよ……。でも、思った以上だな……お前……燃費悪すぎだろ……」

「飛鳥くん、喋らないで。霊装ができるまでは休んでて」


 と、アーニャは飛鳥をベッドに寝かせ膝の上に頭を乗せた。

 そんな二人をリーゼロッテが警戒するように見ている。


「リーゼロッテちゃん?」

「さっきの……どういうこと? 戦争が終わったら、アクセルを殺すの?」


 飛鳥はリーゼロッテに視線を向けた。


「ねぇ、答えてよ! やっぱりこいつはただの駒だって言うの!?」


 尚も詰め寄るリーゼロッテをアクセルが止める。


「安心してください、リーゼロッテさん。あれはあの場を切り抜ける為の方便です。仮に本気でも、俺がこいつに負けると思いますか?」

「負けたじゃない! 今だって飛鳥がいなきゃあんた死んでるのよ!?」


 リーゼロッテの噛み付かんばかりの勢いに、アクセルはバツが悪そうな表情で椅子に座ると背を向けてしまった。

 それをアーニャが宥める。


「アクセルさんの言う通りだよ、リーゼロッテちゃん。飛鳥くんはそんなことしないよ、私が保証する」


 アーニャの笑顔に、リーゼロッテは少しの間口を曲げていたが、


「……ごめん、言い過ぎた」

「ううん……」


 しょぼくれるリーゼロッテに飛鳥が微笑む。

 しかし飛鳥は別のことを考えていた。


 ヴィルヘルムは急にどうしてしまったんだ……。あれは、一体……。

 初めて会った時とはまるで別人のようだった……。あの冷たさは、それこそ……。


 そのまま飛鳥はゆっくりと瞼を閉じ、深い眠りへと落ちていった。

 眠る飛鳥の横顔を見て、アーニャは微笑み頭を撫でる。

 そこへリーゼロッテが気恥ずかしそうに毛布を持ってきた。


「ありがとう、リーゼロッテちゃん」

「うん……」

「ところでダメ神」


 アクセルの呼び掛けにアーニャが「ふぐぅ……」と嗚咽を漏らす。

 だが、アクセルはいたって真面目な様子だ。

 それにリーゼロッテは牙を剥き、高く飛び上がったかと思うとアクセルの頭を蹴り飛ばした。


「あだっ!?」

「ちゃんと名前で呼びなさいよ! あんたのそういうとこ本当最低!」

「事実を言っただけなんですが……。おい、アーニャ。飛鳥にはこの世界を救う為の能力が与えられていると言っていたな、俺の体を維持できるほどのエレメント……これもその一つか?」


 その問いに、アーニャは飛鳥がちゃんと眠っているのを確認し答えた。


「……分からないんです」


 声が、僅かに震えている。


「あ? 何故だ、お前の持っている本に全て書かれているんだろう?」

「飛鳥くんに関するページだけ、どうしてか読めないんです……。真っ黒に……塗り潰されてて……」

「どういうことだ」

「分かりません、こんなことは初めてで……」

「そのこと、飛鳥は知ってるのか?」


 アーニャは首を横に振った。


「はっ、可哀想なもんだなァ。そんなにも尽くしているのに、隠し事をされてるなんてな」

「ちょっと! そんな言い方ないでしょ!?」


 リーゼロッテが再び牙を剥く。


「ううん、アクセルさんの言う通りです。でも……飛鳥くんを、不安にさせたくなくて……。だから、その……」

「言わねぇよ、俺には関係のない話だ」

「ありがとうございます……。それにしてもヴィルヘルムさん、どうしちゃったんだろう……。初めて会った時はあんなに優しかったのに……」


 アーニャの言葉に、アクセルは憐れむような表情を浮かべた。


「ヒトのことを分かってないのに世界を救おうなんて、神様ってのは大変なんだなァ」

「え……?」

「奴は帝位に就いてからたったの六年で周辺国を手中に収めたんだぞ? 一番簡単な方法でな。そんな奴が善人なわけねぇだろう」


 一番簡単な方法──。

 その意味を理解し、アーニャの顔が曇る。


「あまりこの世界の連中を信じるなよ、俺も含めてな。お前は飛鳥だけ見てればいいんだよ」


 アーニャは少し迷う素振りを見せたが、やがて小さく頷いた。

 アクセルも満足したのか笑みを浮かべる。


「んで? 次はどうする気だ?」

「そのことなんですが、二人にも協力してほしいんです。特に、リーゼロッテちゃんに」

「へ? 私?」


 いきなりの指名にリーゼロッテは間の抜けた声を発した。

 それにアーニャは強く頷く。


「うん。次は北方の獣人の国、エール共和国をとります」

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