第十八話 天才と……

 翌日、フラナングの館から戻った飛鳥とアーニャは、すぐにマリアの元へ向かった。

 二人の元気そうな姿を見て、マリアが心底安心したように微笑む。

 余程心配していたのか、珍しく駆け寄ってきた。


「お帰りなさいませ、ご無事で何よりです。首尾はいかがでしたか?」


 自身の執務室に二人を招き入れ、お茶の準備をしながら聞くマリアに、飛鳥は報告書を渡し、


「とりあえずは成功です、詳しくはこれを読んでもらえれば。陛下にも報告お願いします。ところで、ソフィア・リストさんという人に会いたいんですが、今どこに?」

「リスト主任技師ですか? 彼女なら開発局の自室にいると思いますが……。彼女のことをどこで?」

「ちょっと噂で。開発局の場所を教えてもらえませんか?」

「はぁ、分かりました」


 と、マリアが簡単な地図を描き飛鳥に渡すと


「ありがとうございます。行こう、アーニャ」


 さっさと部屋から出ていってしまった。


「あ、お待ちを──」


 残されたマリアは湯気のあがるポットを眺め、少し残念そうな表情を浮かべる。


「せっかく良い茶葉が手に入ったのに……。仕方ありませんね」


 ティーセットと飛鳥から受け取った報告書を持つと、ヴィルヘルムの元へと向かった。




「無事に戻ってきたのはいいが、俺より先に他のやつのところに行ってしまうとは寂しいな。……うん、良い葉だ」


 ティーカップ片手にヴィルヘルムが冗談っぽく述べる。

 そして、執務机に積まれた書類の一枚に目を通しながら


「それで? 飛鳥は何と?」

「はっ、アクセル・ローグは参戦には納得したようです。しかし、彼を館から出す為に霊装が必要とあります」

「そうか」


 ヴィルヘルムはマリアから報告書を受け取ると興味深そうに見つめた。


「……なるほど。だから開発局に、か」

「はい、リスト主任技師は帝国一の霊装研究者です。彼女を頼るのは当然の流れかと」

「ふむ……」


 お茶を飲み干すと、ヴィルヘルムは椅子の背もたれに体を預け目を瞑る。


「陛下……?」

「エミリアとプリムラをフラナングの館へ向かわせてくれ」


 その言葉に、マリアは訝しむようにヴィルヘルムを見つめた。


「俺は飛鳥たちと一緒に帝都に来るようにと手紙に書いた。何故飛鳥たちだけ戻ってきている?」

「は……? それは、彼を館から出す為の準備があるからと……」

「俺はそんなことを許可した覚えはない。エミリアとプリムラならあの男に遅れを取ることもないだろう。すぐに向かわせてくれ」


 今度こそマリアは困惑したように視線を右往左往させた。


「陛下……そのようなことをすれば、また犠牲者が出る可能性があります。それにこの件は英雄殿にお任せすると──」

「……だ?」

「はい……?」

「マリア、お前の主は誰だ?」


 ヴィルヘルムは目を開き、真っ直ぐマリアを見据える。

 その視線にマリアは心臓を鷲掴みにされたように息を呑んだ。


「もう一度言った方がいいか? マリア」

「い、いえっ。すぐに手配いたします……」


 とマリアは慌ててヴィルヘルムの執務室から出ていった。






   ◆


 一方その頃、飛鳥たちはと言うと──


「リストさんってどんな人なんだろうね? リーゼロッテは天才って言ってたけど」

「ん〜、リーゼロッテちゃんみたいにモフモフだといいなぁ」


 気になるのはそこではないのだが……。

 余程獣人の耳と尻尾が気に入ったのか、アーニャはにへっと顔を緩め、感触を思い出すかのように指を動かした。

 思えばこの世界、いや、アーニャの神殿で初めて会った時から今日まで、彼女の笑顔に癒され元気をもらってきた。

 でもここまで緩みきった表情は初めてかも知れない。

 アーニャを横目で眺め、飛鳥も笑みを浮かべる。


「飛鳥くん、どうかした?」

「ううん、何でもないよ」


 たまにはこういう時間も必要だ。いつも気を張っていては肝心な時に力を出し切れない。

 そんなことを考えながらアーニャを見ていると、急にハッとした表情を浮かべ飛鳥の腕を掴んだ。


「飛鳥くん、凄いこと思い出しちゃったんだけど……!」

「ど、どうしたの……?」


 珍しく真剣な顔つきで迫るアーニャに、飛鳥も生唾を飲む。


「獣人って全身変化できるんだよね……? ということは、完全に猫になったリーゼロッテちゃんを抱っこすることも可能ってこと……!?」

「……あー、そう、かも、ね」

「あ、あれ? 何で目を逸らすの? もしかして引いちゃった……?」

「ううん、引いてはないけど……。そんなに動物が好きなんだなーと思って」


 するとアーニャは窓の外を見つめ、


「だって、下位神は神殿で動物飼っちゃいけないから……」


 と、心底残念そうに俯いた。


 動物飼っちゃダメって……アパートじゃないんだから……。


 そこであることに気付き、飛鳥は口を押さえた。

 顔色も段々と青ざめていく。


「飛鳥くん? 顔色悪いけど大丈夫?」


 待てよ……。こんなに動物好きってことは、アルヴァみたいなのを好きになる可能性があるってことか……!?

 それは困る!! せっかく天界? 神界? に相手がいないって安心してたのに、思わぬ伏兵がいたなんて……!


「あの、飛鳥くん?」


 アーニャが再び呼ぶが飛鳥は答えない。

 かと思うと、急に真剣な表情で顔を上げた。

 アーニャも思わず両の拳を胸の前に持っていき身構える。


 いや、何を焦ってるんだ僕は……。そうならないように、アーニャに好きになってもらえるように世界を救うって決めたじゃないか!

 弱気になるな皇飛鳥! この手でアーニャとラブラブな未来を掴むんだ!!


「よし、早くリストさんのところへ行こう。アーニャ」


 大股で歩き出す飛鳥に、アーニャも慌ててついて行った。


「何だか今日テンション高いね。良いことでもあったの?」

「えっ、ま、まぁね」


 そう、あったのだ。

 リーゼロッテを愛でるアーニャももちろん可愛かったが、何より昨日の夕飯はアーニャの手作り! おまけにアーニャのエプロン姿まで見ることができて……。

 まさかこんなところで新婚気分を味わえるなんて、アクセルは好きにはなれないが、泊まっていくよう提案した点には感謝しなければ。


 そんなやり取りをしながら歩いていると、角から黒いローブを纏った女性、プリムラが現れた。

 相変わらずフードを目深に被り、表情は窺えない。


「無事にアクセル・ローグを説得できたようで何よりです」

「どうしてそれを?」

「お二人が戻られたのが何よりの証拠。説得に失敗していれば、今頃お二人は死んでいたでしょうから」


 それに二人は苦笑いを浮かべた。


「ですがどうかお気を付けください。彼は先王と軍が遺した負の遺産、扱いを誤ればこの国だけでなく世界を破壊する災厄となるでしょう」


 淡々とした口調でプリムラが告げる。

 しかし飛鳥は笑みを返した。


「そこは大丈夫です。そうなったら、僕が斬りますから」


 飛鳥の言葉にプリムラは微笑んだ、ような気がした。


「そうですか、では私はこれで。陛下に呼ばれておりますので」


 互いに一礼し、飛鳥とアーニャはプリムラを見送った。そして──




 場所は技術開発局研究室前。

 飛鳥はドアをノックし、


「すみません。リストさん、いらっしゃいますか?」


 と声を掛けた。

 しかし、部屋からは何の反応もない。


「留守なのかな?」

「うーん、どうだろう……」


 もう一度ノックしてみるが、やはり反応はない。

 だがドアノブに手を掛けると、


「あれ? 開いてる……」


 少し考えた後、飛鳥は思い切って扉を開けた。

 アーニャが慌てて飛鳥の腕を掴む。


「ダ、ダメだよ飛鳥くん! 勝手に入っちゃ!」

「ちょっと覗くだけだから、ねっ?」


 制止するアーニャを宥め、一歩踏み入れた途端飛鳥は「うげぇ」っと顔をしかめた。

 やはり興味があったのか、アーニャも飛鳥の後ろから部屋を覗き込み「うわぁ……」と声をあげる。


 棚に入りきらない本が床に堆く積まれ、そこら中に書類が散らばっていて足の踏み場もない。

 おまけに服は脱ぎ散らかされ、使ったままの食器がテーブルの上に放置されていた。

 まるで泥棒にでも入られたかのような、警備はしっかりしている筈だからゴミ屋敷の方が正しいか。

 二人で書類と服を拾いながら進むと、部屋の隅に置かれたソファからだらりと腕が出ているのが見えた。


「ん? あそこにいるのがリストさんじゃない?」


 と近付いてみるとそこには……、


 寝顔だけでもハッとするほどの美しい獣人の女性が横になり寝息を立てていた。

 だが残念なことに、手入れをしていないのか桃色の長い髪の毛はボサボサで、麦わら色の猫耳と尻尾も傷んでいる。

 おまけにこんな時期だというのに上はシャツ一枚しか着ておらず、そのシャツのボタンも今にも弾け飛ばんと悲鳴をあげていた。

 更に、下半身はパンツだけで……


「え、えっと……」


 みるみる内に飛鳥の顔が真っ赤になり、一歩後ずさる。と、そこへ──


「あ、飛鳥くんは見ちゃダメー!」


 キレのあるアーニャの右フックが飛んできた。


「あ痛っ!」

「ご、ごめんなさい! でも……わ、私がいいって言うまで飛鳥くんは廊下で待ってて!」


 アーニャも顔を真っ赤にし、その女性を隠すように腕をバタつかせる。

 飛鳥は慌てて部屋から飛び出した。




 それから一時間ほど経っただろうか。

 扉が開き、アーニャが顔を覗かせた。


「ごめんね、寒いところで待たせちゃって……。入って」


 申し訳なさそうに視線を下げるアーニャに、飛鳥は笑顔を返す。

 そして部屋に戻ると、先ほどの女性が上半身を机の上に投げ出し、弛みきった表情でカップに口をつけていた。

 一瞬胸元に目がいってしまい、飛鳥は恥ずかしそうに向かいの椅子に腰を下ろす。

 アーニャはというと、ブラッシングもとい髪の手入れをし始めた。


「あの、貴女がソフィア・リスト主任技師……ですか?」


 するとその女性は目線を少し上げ、


「そうですよぉ、ソフィアって呼んでください〜。ところで、お二人はどちら様ですかぁ?」


 と、間伸びした口調で聞いてきた。


「僕は皇飛鳥といいます。そちらはつ、妻のアーニャです」

「さっきは、その……いきなり浴槽に放り込んですみませんでした」


 そんなことしたのか……。


 しかしソフィアはさほど気にしていないのか、


「いえいえ〜、片付けまでしてもらってありがたいですよぉ」


 気持ちよさそうにアーニャに身を委ねている。


「それでぇ、ご用件は何でしょうかぁ」

「ソフィアさんに作っていただきたい霊装があるんです、これなんですが……」


 飛鳥は数枚の紙を取り出し机に並べた。

 ソフィアは欠伸をしながらしばらく紙を眺めていたが……、


「難しいですねぇ。結構時間かかりますよぉ?」

「え、でも、作れはするんですか?」

「これぐらいであればぁ」


 これぐらいって……まじかよ。術式を書き起こすだけでも大変だったのに……。


「ちなみに、どれくらいかかりそうですか?」


 アーニャが聞くと、ソフィアは少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「すみません〜。三日はかかるかとぉ」


 その言葉に飛鳥とアーニャは目を見開いた。


「たった三日ですか!? 本当に!?」

「いやぁ、簡単なものなら半日もいらないんですけどぉ、ここまでの物になるとそれぐらいはかかりますねぇ」


 冗談ではなく、ソフィアは当たり前のように答えた。

 あまりの衝撃に二人は呆然と見つめ合った。


「それでもいいですかぁ?」

「も、もちろんです! むしろ予想よりずっと早いので! ところで、料金なんですが……」

「お金はいらないですよぉ。その代わりぃ、飛鳥さんでしたっけぇ、貴方の体で払ってください〜」


 そう言って、ソフィアは飛鳥へ視線を送る。


「は? 体?」

「ダ、ダメですそんなの!! 飛鳥くんの体なんて……」

「アーニャ……?」


 急に大声を出したアーニャを飛鳥は不思議そうに見つめた。

 するとアーニャはハッとしたように、


「あ、ごめんなさい! 大声出して……」


 顔を赤くし、俯いてしまった。

 だがソフィアは何も言わず立ち上がると、部屋の隅に立て掛けてある大剣を抱え飛鳥の前にやってきた。

 鞘に乗っている胸を見て、飛鳥は目を逸らす。

 マリアでも十分大きかったが彼女はそれ以上だ。エミリアが見たら発狂するんじゃないだろうか。


「貴方ってぇ、剣士ですよねぇ? これを使ってみてほしいんですよぉ」

「これは?」

「個人的には自信作なんですけどぉ、誰も扱えないみたいでぇ。感想を聞かせてください〜」


 性能について聞きたいのだが、腕が疲れてきたのか飛鳥に押し付け、再び机に突っ伏してしまった。


「では完成したら連絡しますねぇ」

「よ、よろしくお願いします」


 二人は大剣を手に、ソフィアの部屋を後にした。


「良かったね、引き受けてもらえて」

「そうだね。こいつは……次の作戦で使ってみようかな」

「次の作戦?」


 飛鳥の言葉にアーニャが首を傾げる。


「部屋に戻ったら話すよ」


 そう言って笑う飛鳥に、アーニャも微笑んだ。



 しかし、遂に事件は起こってしまうのだった──。

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