第二十一話 逢魔
飛鳥とアクセル回復の報せは、すぐに軍上層部へと伝えられた。
そして、全面対決に向けた準備状況の報告及び、今後のアクセルの扱いについて軍議が開かれることとなった。
その中で飛鳥からもう一つ、新たな提案があったのだが……。
「…………」
軍議を終えたマリアはヴィルヘルムの執務室へ向かっていたが、その足取りは重い。
表情にも疲れが見られ、普段とは違いやや猫背気味に歩いていた。
英雄殿は何故あのような提案を……。時勢に疎いのは分かっていたが、あれほどとは……。
議事録へ目を落とし、溜息を吐く。
こんな内容、陛下へどう説明すれば……。職務放棄は厳禁だけど、今回だけ姉さんに代わってほしい……。
叶わぬ願いに首を振り、一度深呼吸をすると、マリアは執務室の扉をノックした──。
「ふむ、この辺りだけやけに詳しく書かれているが……うん、ルンドならこういう反応をするだろうな。それにしても飛鳥のやつ……」
ヴィルヘルムは口元に手を当て、しばらく議事録を眺めていたが、
「やはりあいつは伝説に伝わる英雄だ。今の軍にこんな提案ができる者はいないぞ」
と笑い出した。
その表情は心底楽しそうな、普通の青年と変わらないもので。
側に控えているプリムラが「陛下」と嗜めるように声を掛けた。
しかし余程ツボに入ったのか、ヴィルヘルムは笑い続けている。
「いや、すまない。マリアもご苦労だったな。これをまとめるのは大変だったろう」
「はっ、あ、いえ……」
一瞬同意しかけ、マリアは慌てて姿勢を正すと咳払いをした。
それを見たヴィルヘルムが優しく微笑む。
「ここでぐらいは肩の力を抜いてくれ。共和国については俺も前々から気にはなっていた、しかし……」
「はい、彼らに領土拡大の野心はありません。他国と戦うのは自国の領土が脅かされた時のみです。英雄殿の提案は、むしろ彼らを刺激するだけかと」
「そうだな。だが、そろそろ立場をハッキリとさせておく必要もある」
そう言うとヴィルヘルムはプリムラへ手招きした。
プリムラはそれに応えるように、大陸の地図をヴィルヘルムの机に広げ、駒を並べていく。
「共和国には人間に恨みを持つ者が多い。それでも、俺たちが王国に負ければ次は自分たちが標的になることは分かっている筈だ。にも関わらず、未だに態度を示さないというのは如何なものかな」
「一時的にでも共闘できるのであれば、東部を彼らに任せ、我々は南部と海上ルートに注力することが可能となります」
確認するように口にし、プリムラは駒を動かした。
その動きを目で追いながら、マリアが顔をしかめる。
もちろん分かってはいる。分かってはいるのだが……獣人の多く、とりわけ今の王は利害よりも感情を優先して動いている。
それを説き伏せるよりは、私たちだけで王国に勝利できるだけの準備をする方が簡単だし確実だ。
「でも、それでは飛鳥が納得しないんだろう?」
マリアの気持ちを見透かすかのように、ヴィルヘルムが真剣な表情で問う。
見事に言い当てられてしまい、マリアはドギマギしながら答えた。
「は、はい……王国という脅威に対して協力すべきだと……」
「そうか。なら、飛鳥の好きにさせてやろう」
あまりにあっさりとした返事にマリアは耳を疑った。
「よ、よろしいのですか!? 万が一共和国との関係が悪化すれば挟み撃ちに遭う可能性があります! そうなれば、平定した周辺国が反旗を翻す恐れも! それに英雄殿はアクセル・ローグと彼に従っている獣人の娘も同行させたいと仰っています! そんなに簡単にお認めになっては──」
「マリアは飛鳥が信じられないのか?」
「い、いえ……そうではありませんが……」
あの姉さんが懐いているくらいだ、英雄殿は信頼するに値する人物だとは思う。
だがそれとこれとは話が別だ。いくら陛下がお許しになっても、他の者が納得する訳がない。
「ルンドたちへは俺が直接説明しよう。くれぐれも言っておくが、アーニャを人質に取ったり監視用の精霊術を施したりはなしだ。四人にはすぐに北方司令部へ向かい、準備ができ次第共和国へ入るよう指示してくれ。北方司令部への伝達も忘れずにな」
そう指示すると、ヴィルヘルムは他の書類へと目を移した。
しかしマリアは呆然としている。
「どうした? ボーッとして。早く取り掛かってくれ」
「も、申し訳ございません! それでは、失礼いたします!」
マリアは敬礼し、慌てて部屋を飛び出していった。
扉が閉まる音を確認し、ヴィルヘルムが微笑み息を吐く。
「マリアは優秀だが、少し遊び心が足りないな」
「その点に関しては姉のエミリア准将が如何なく発揮しております。彼女の場合は真面目さが欠落していますが」
プリムラの評価に、ヴィルヘルムは声を出して笑った。
「そうだな、二人の中間が程良いんだろうが……うん、それでは面白みがない」
そう言ってヴィルヘルムが席を立つ。
「少し席を外す。急ぎの用件は待たせておくか、対応できるのであればお前が対応してくれ」
「かしこまりました」
行き先も聞かずプリムラは恭しくお辞儀をし、ヴィルヘルムを見送った。
◆
そこは床も壁も、そして天井までも真っ白な、こじんまりとした部屋であった。
家具の類いも窓もないのに、どういうわけか自身の姿ははっきりと見える。
ヴィルヘルムが部屋の中心へ向かうと、すぐ横を何かが通り過ぎる気配がした。
「今度のは……飛鳥、だったか? エールに行くそうだな」
「あぁ、皇飛鳥。とても優秀で、とても恐ろしいやつだ。共和国も王国も本気で救おうとしている」
「何も切り捨てない、それが皇飛鳥が目指す救世か」
頷き、沈黙が流れる。
「だがあいつには不可能だ。あいつは英雄なんかじゃなく──」
「王の器、か。エールがその基盤になると?」
「さぁ? そうかも知れないし、帝国や王国、それとも全く別の国かも知れない」
「女神の方はどうだ?」
その問いに腕を組み、うーんと唸った。
「あれはどうも本調子ではないようだ。それを言ったら飛鳥も同じだが」
「だろうな。しかし誰も気付いていないとは呆れたものだ」
「そういう、身辺調査と言っていいかは分からないが……やらないのか?」
「個々のさじ加減次第、と答えておこうか。念入りなやつもいれば、放任主義なやつもいる」
「そんなものなのか。それでも──」
「あぁ、それでも……」
「皇飛鳥には王になってもらわなければ困る。この世界を作り変える為に」
どちらからともなく、そう告げた。
「これまでの歩みを正すことはできない。これから先の未来を変えることもな」
「そう、全てを初めからやり直すしかない」
「嫌がるだろうか? 皇飛鳥は」
「あいつの意思は関係ない、あいつにできるのはそれだけだ」
「仮に力を取り戻したとして、女神が阻む可能性は?」
「その心配もない。むしろ皇飛鳥はアニヤメリアの為に世界を壊すさ。あいつは女神に心底惚れているからな」
その言葉に笑い声が響く。
「それを先に言え。ならば何も問題はないな」
「そういうことだ。──では、そろそろ戻るよ」
ヴィルヘルムがそう告げると、気配が消え扉が開く。
そして嬉しそうに、ポツリと呟いた。
「終焉の王、皇飛鳥の英雄譚の幕開けだ──」
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