第六話 商業都市キーウ・ルーシ

「「…………!!」」


 ロスドンを出発してから一日半、キーウ・ルーシの街に辿り着いた二人は目の前に広がる光景にただただ唖然としていた。いたるところで露店が開かれ、商人たちが忙しなく走り回っている。街中が活気に包まれ、異国に来てしまったのではと錯覚してしまう程の賑わいだ。


「何か……ロスドンとは大違いだね」


 飛鳥が振り向くと、アーニャは『神ま』を開き納得するようにうんうんと頷いた。


「キーウ・ルーシは帝国内でも二、三位の大きさみたいだね。帝都と南部、東部を結ぶ一大商業都市って書いてある」

「そうなんだ。とても戦争中とは思えないね」

「戦争中だからこそ、じゃないかな。南部への戦略物資はほとんどここを通ってるみたい」

「戦時特需ってやつか……。とりあえず、今日の宿を探そうか」


 そう言って飛鳥は歩き出す。その言葉にアーニャは懐から封筒を取り出すと、飛鳥の目の前に差し出した。


「軍の駐留地に行かないの? せっかくモアさんが紹介状くれたのに」

「ん〜あまり好意に甘えすぎるのもどうかな、と……」


 ボソボソと答え、飛鳥は目線を逸らした。頬が少し赤くなっているのを見て、アーニャは首を傾げる。


「飛鳥くん、顔が赤いけど……具合でも悪いの?」

「へ? あ、いや、大丈夫だよ。……あーえーっと、ほら、英雄と女神様が人に頼りっぱなしは良くないんじゃないかなーと……」


 それを聞いたアーニャは少しの間考える素振りを見せ、

「確かにそうだね。幸いお金はあるし、自分たちの宿は自分たちで探そっか」

 と微笑んだ。飛鳥も安心したように笑う。


 やっぱり飛鳥くんはしっかりしていると言うか、自分の使命を理解してて偉いなぁ。


 そんな人と組めたのを誇らしく感じ、歩き出そうとしたその時だった──


「……ん?」


 急に飛鳥が足を止め、後ろを振り返る。


「飛鳥くん? どうしたの?」

「……いや、何でもないよ。気のせいだと思う」

「?」


 そのまま二人は街の中心地へ向かって歩き出した。



「…………」


 その姿を見つめる人影が一つ。嬉しそうに笑みを浮かべると、二人を尾け始めたのだった。






   ◆


 宿を探し始めてから二時間ほどが経過した頃、飛鳥とアーニャは疲れ切った様子でレストランの席に着いていた。


「まさかどこも満室だなんて……」


 呟き、飛鳥はテーブルに突っ伏した。隣ではアーニャが困ったような笑みを浮かべている。


「やっぱり軍を頼った方がいいんじゃないかな?」

「それは……そしたらまた二人一緒な部屋にされそうだし……。一応夫婦ってことになってるから……」

「あ……」


 もしかして軍を頼りたがらないのは、私と同じ部屋になるのが嫌だから……?


「あのっ、飛鳥くん」

「ん? なぁに?」


 飛鳥は運ばれてきた料理を取り分ける手を止めず聞いた。分量が明らかにアーニャの皿に偏っている。


「私と一緒の部屋で寝泊まりするの……嫌……?」


 アーニャの寂しそうな表情を見て、飛鳥は固まりフォークを落としてしまった。


「ご、ごめんね……気が付かなくて……」

「そ、そんなことないよ! ただ、その……知り合って間もない男女が一緒に寝るというのは世間的にどうかなーと思って……」


 飛鳥がさっきよりも顔を真っ赤にし、消え入りそうな声で答える。

 アーニャは一瞬キョトンとしたが、すぐに嬉しそうに笑い始めた。


「良かった。嫌われてたらどうしようかと思っちゃった。私たちは救世のパートナーなんだから、そんなこと気にしなくていいよ」

「そ、そうだね……僕らは『仕事上のパートナー』だもんね……」

「え?」

「ううん、何でもない……」


 どこか虚空を見つめながら、飛鳥は料理に手を付けようとフォークを拾う。そこへ店員が申し訳なさそうに声を掛けた。


「すみません、お客さん。相席してもらってもよろしいですか?」

「えぇ、もちろんですよ」


 アーニャが笑顔で答える。

 すると店員が礼を告げるのも待たず、一人の少女が椅子に腰を下ろした。


「にゃはは〜。デート中にごめんね、お二人さん♪ 店員さん! これとこれと、後こっちのもお願い!」


 その少女はやや早口に注文を終えると、飛鳥を見てニコリと笑った。


 ウェーブ掛かった真っ赤なショートヘアに炎のようなオレンジ色の瞳。

 見た目からして十三、四歳といったところか。

 身の丈以上の槍を壁に立て掛け、足をブラブラさせながら上目遣いで飛鳥を見つめている。


「…………」


 人懐っこそうなその少女へ、飛鳥は先程までとは打って変わって警戒するように目を細めた。

 しかしアーニャは飛鳥の変化に気が付かないのか、

「ううん、気にしないで」

 と明るく答えた。


「私はエミリア。ここで相席したのも何かの縁ってことで、よろしくね♪」

「うん、よろしくね。エミリアちゃん。私はアーニャ、この人はえっと、夫の飛鳥くん」

「……どうも」


 無愛想な飛鳥の様子をアーニャは意外そうに見つめる。


 あれ? 普段だったらもっと赤くなったり、嬉しそうにしてくれるのにどうしたんだろう……?


 だが、エミリアと名乗った少女は気にせずパンッと手を叩いた。


「おぉ♪ カップルじゃなくて夫婦だったんだね♪ お詫びにこれ交換しよ♪」


 エミリアがやってきた料理を差し出す。


 交換だとお詫びにならないんじゃ? と思いつつもアーニャは自分の皿から料理を取り分けた。


「……それで、僕らに何の用ですか?」


 冷たい声色と視線にアーニャは身を震わせた。

 その顔付きはロスドンで王国兵と戦った時と同じだったからだ。おまけにいつの間にかレーヴァテインをベルトに戻し、いつでも抜剣できる態勢を取っている。

 しかしエミリアはあっけらかんとこう答えた。


「用なんてないよ? 店員さんに相席でもいいかって聞かれたからいいよって答えただけ♪」

「なら、どうして僕らを尾行してたんですか?」

「び、尾行?」


 飛鳥の言葉に唯一驚きを見せたのはアーニャであった。そして、飛鳥の行動を振り返りハッとすると同時に心の中で頭を抱えた。


 ぜ、全然気付かなかった……! うぅ……私女神なのに……。飛鳥くんの方がすっごいちゃんとしてる……!


 露店で売ってるアクセサリー可愛いなぁとか、あの食べ物何て言うんだろう美味しそうだなぁとか、そんなことばかり考えていた自分を頭の中で殴り付ける。


「ふーん……」


 飛鳥に睨まれながらも口をモグモグと動かしていたエミリアであったが、料理を飲み込むとニタリと口の端を釣り上げた。先程までの無邪気で人懐っこい笑顔ではない。人を値踏みするかのような、見た目に不釣り合いな笑いだ。


「思った通り、ただの旅行者じゃないね。貴方たちの目的は何?」

「質問しているのは俺だ。何故尾行していた? 答えろ」


 あわわわわわ……! 完全に戦闘モードだ……! こんなところで騒ぎを起こしたら『救世の英雄』どころか最悪お尋ね者になっちゃう!


「あ、あの! 私たちは怪しい者じゃなくて! えぇと……志願兵、そう! 帝国軍に志願したくてセントピーテルを目指してるだけなの!」

「志願? じゃあスヴェリエ王国の人間じゃないの?」


 エミリアが怪訝な表情で聞き返す。


「うん! 私たちはもーっと遠いところからやって来たの!」

「それを証明できる?」

「うぐぅ……それは難しいけど……」

「とにかく、俺たちはセントピーテルへ行かなければならない。邪魔をするならお前を倒すだけだ」


 飛鳥がレーヴァテインに手を掛けるのを見て、アーニャは目を剥いた。


 うぉい!? ちょっと待ってよ! ここで荒事は本当まずいから! 一発で犯罪者になっちゃうから!


「あ、飛鳥くん落ち着いて! きちんと話を──」

「じゃあこうしない? 私の仕事を手伝ってくれたら信用してあげる!」

「仕事?」

「うん! 飛鳥は荒事得意そうだし? お礼に宿も取ってあげるよ!」


 アーニャの問いにエミリアは元気よく答えた。

 だが、飛鳥は態度を緩めない。


「待て。そもそも俺たちはお前の素性を知らない。お前こそ王国とやらのスパイじゃないのか?」


 それにエミリアは得意気な表情を浮かべる。

 そして、ポケットからバッジを取り出し机に置いた。


「それは帝国軍の……!」


 モアが付けていたものと同じだ。つまりエミリアは……、


「あんな差別主義者たちと一緒にしないでほしいな〜。私は貴方たちが志願したがってる帝国軍の所属なの。私が言えば憲兵もすぐ動くよ?」


 飛鳥が小さく舌打ちする。


「……分かった。但し手伝うのは俺だけだ。先にアーニャを宿に案内してくれ」

「ちょ、ちょっと飛鳥くん!」

「うん、いいよ! 飛鳥は奥さん思いなんだね〜。にゃはは♪」

「会計は済ませておく。どこで待ってればいい?」

「この店の前で待ってて。アーニャを送ったら戻るから」


 飛鳥は頷き席を立つ。


「えっと、あのー……」


 もう、何で勝手に決めちゃうのよ!? それに私は留守番って、足手まといだと思われてるのかな……? でもエミリアちゃんの尾行にも気付けなかったし、戦闘用の能力も付与されてないし当然だよね……。


 俯き、エミリアについて歩きだす。その肩を飛鳥が掴んだ。


「飛鳥くん……?」

「あのっ、アーニャ。その……ロスドンでも言ったけど、アーニャには怪我してほしくないし嫌いになったわけでもないんだ。だから、すぐ戻るから、待っててほしい」


 その顔はいつもと同じように少し赤くなっていて。私を可愛いって言ってくれる、いつもの飛鳥くんで──


 アーニャはグッと顔を近付けた。


「ア、アーニャ!?」

「分かった。待ってるから、早く帰ってきてね。それと、無茶したら私でも怒るからね」

「……アーニャって怒るとどうなるの?」

「へっ!? えーと……何か、凄い、うん、凄いことになるよ?」


 それに飛鳥が笑う。アーニャも恥ずかしそうにしているが微笑んだ。


「イチャイチャするのはいいけど、私にも都合があるし早くしてほしいんだけどなー」

「ご、ごめんなさい! じゃあ飛鳥くん、また後で!」


 アーニャは振り向き、笑顔で飛鳥に手を振った。

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