第五話 首都を目指して
髪を手櫛で整えながら、アーニャはベッドに腰を下ろした。
そして『神ま』を開くと溜息を一つ。
「何か複雑な世界だな~……」
ティルナヴィア──
それがこの世界の、私と飛鳥さんが救うべき世界の名前。
私たちが降り立ったのはティルナヴィア最大の大陸であるユートラント大陸、その中でも大国と呼ばれるロマノー帝国南部の町ロスドンだ。
現在ロマノー帝国は南方の隣国スヴェリエ王国と戦争状態にあり、飛鳥さんが退けた男たちは王国軍だったらしい。
あの後私たちはこの街に駐留している帝国軍の部隊長モア・グランツに歓待され、温かい食事とお風呂でもてなされたばかりか、血塗れになっていた服は洗濯してもらい、こうして暖房が効いた部屋のふかふかなベッドでくつろげているという次第だ。
干してある飛鳥の服を眺め、アーニャは頬を赤らめた。
「あのっ、僕ら旅行者で……新婚旅行中なんです! 僕は皇飛鳥、こちらは妻のアーニャです!」
なんて、モアに身分を聞かれた飛鳥が答えてしまったからだ。
やっぱり飛鳥さんは、これまでの『救世の英雄』とは全然違う。
今まで一緒に戦ってきた英雄たちにあんな風に言われたことはなかったし、そもそもここまであっさりと自分を信じてくれたのも彼が初めてだ。
それに……
アーニャは『神ま』のページを捲る。変わらず飛鳥のページは黒く塗り潰されたままだ。
「飛鳥さんは、怖くないのかな……」
迷いなく相手を葬る飛鳥の姿を思い出し呟く。
『救世の英雄』といっても、最初から戦える者の方が珍しい。以前一緒になった少女などは中々覚悟ができず、旅が始まってからの一月は剣を握るどころか部屋からも出てきてくれなかった。
毎日食事を運び、扉の前で説得し、ようやく出てきてくれたものの、以降も何かあると引き籠ってしまうの繰り返し。
しかしそれが普通の感覚だ。飛鳥のように平和な世界から来た者なら尚更。
なのに……、
拭いきれない不安を感じながら、アーニャは横になり空になっている隣のベッドを見つめた。
「ん~~……私がちゃんと、支えないと、っと」
足を上げ、疲れを取るようにぱたぱたと揺らす。
すると、扉が開き飛鳥が戻ってきた。しかし……、
「あ、おかえりなさ──」
言い終わる前に、飛鳥は後ろへ飛び退き壁に激突した。手で目を覆い、下を向いている。
「す、すすすすみません! そういうつもりじゃないんです! 今度からはちゃんとノックしますから!」
「へっ?」
と、アーニャは自分の体を眺め首を傾げた。
暖房のお陰で着込む必要もなく、今は借りたシャツとショートパンツを身に着けている。そこから伸びる透き通るように白い足を指差しながら、飛鳥は謝り続けた。
「あの……別に変な恰好じゃありませんから、そんなに気にしないでください……。それより……」
アーニャは心の中でホッと溜息を吐いた。
どうやらいつもの調子に戻ったらしい。『神ま』から能力が分からない以上油断はできないが、精神に異常をきたしているわけでもなさそうだ。
飛鳥に近付き目の前に座ると、気配を感じたのか彼は身を震わせた。
そしてアーニャは、床に手をつくと
「おかえりなさいませ。……あなた」
と笑って見せた。
「…………」
飛鳥からは何の反応もない。
「ふふっ、なんて♪ ……あれ? 飛鳥さん?」
呼びかけるも、座ったまま動かない。手だけがずるずると下がっていき、その辺の酔っぱらいより真っ赤な顔が現れた。
あー……。
「あのっ、えっと……その……」
まともに視線を合わせてくれない飛鳥を見ている内に、アーニャの顔も段々と赤くなっていく。
うわああああああああああああああああああ!? 私ったら何やってるの!? 何でこんなに浮かれてるの!? 今救世の旅の最中だぞアニヤメリア!!
恥ずかしさであたふたしていると、急に飛鳥が床に頭を擦りつけた。
「ほ、本当にすみません! あの場ではあれしか思いつかなくって! でも……嫌、ですよね……。アーニャ様みたいに可愛い人が僕の奥さんなんて……」
「い、いえ! そんなことありません!」
「……え?」
飛鳥がきょとんとした表情で顔を上げる。
「た、確かに私たちは見た目の年齢が近いですし……その、多分いきなり英雄とか女神とか言っても信じてもらえないと思いますし……。なら、あの場はあれがベストだと思います……。と! という訳で! この世界にいる間はあなたって呼びますね!?」
また何を言ってるんだろう私は!?
「え!? それは破壊力が強すぎるのでちょっと……。飛鳥って呼び捨てでいいです、いいよ。僕もアーニャって呼びます、呼ぶから……」
「じゃ、じゃあそんな感じでお願いしま……。そんな感じにしようか……」
「うん……」
そこでようやく視線が合い、どちらからともなく笑い始めた。
「アーニャって、もしかしてそっちが素なの?」
「えっ。……まぁ、神様だから威厳ある態度を見せないとなーって思って」
「そうなんだ……。でもそっちの方が話しやすいからありがたいかな」
「そっか、なら……」
アーニャは立ち上がり、机を持つとベッドの間に下ろした。
「まとまったところで、今後の話しよっか」
飛鳥もベッドに座る。
「まずは飛鳥くんの能力だけど……ど、どう?」
「? 僕の能力は『神ま』で分かるんでしょ?」
「あーえーっとね。いきなり戦闘だったし、字で見るより本人に聞いた方がいいかなーって……」
「あぁ、確かにそうだね」
そう言うと、飛鳥は右の前髪を持ち上げた。そこには……、
「……それは?」
「ん? 名前までは分からないけど、書いてないの?」
不思議そうな表情を浮かべる飛鳥の右眼は真っ赤に染まっていた。
再び『神ま』に触れられ、アーニャは必死で言い訳を考える。
素直に伝えた方がいいのかな……? 読めないって。でも……それで不安にさせたくないし……。
「あ、あー……。アレだよ。飛鳥くんが分かりやすい単語で言うと『魔眼』ってやつかな! 相手の能力が見える、とか?」
自分でもおかしいと分かるくらいたどたどしく答え、アーニャは身を縮めた。
「……アーニャ、ひょっとして」
それが伝わってしまったのか、飛鳥は訝しがりながら身を乗り出す。
バ、バレちゃった……!? でも……そうだよね。能力については神から英雄に伝えるのが本来だし……。
「『神ま』にも載らないようなレアな能力があったりするの?」
「へ?」
思いもしなかった問いにアーニャは間の抜けた声を出した。
飛鳥はというと、興奮しているのかいつもより目が輝いている。
「何か血管みたいな変な線が見えるしさー。血管ほど細かくはないんだけど」
「線……? エレメントの流れが見えるってこと?」
「エレメント?」
飛鳥の問いに、アーニャは頷いた。
「うん。この世界、ティルナヴィアにはエレメントっていう力と、それを使った精霊術……魔法とかと似たようなものかな。そういう体系の技が存在しているの。エレメントの属性は七つ。私は光で、飛鳥くんは雷だね」
「それが見えるってことは、相手がどんな技を出そうとしてるかが分かるってこと?」
「うん! 凄いよ飛鳥くん! さすがは『救世の英雄』だね!」
「じゃあ僕はこの魔眼と雷のエレメント……。アーニャの能力は?」
「私は……」
そこで少し気まずそうに目を逸らす。
「どうしたの?」
「私のは、光のエレメントとそれを使った治癒の精霊術……だけでした……」
うぅ……私神様なのに……。こんな能力しかないなんて……。と落ち込んでいると、飛鳥は立ち上がり、壁に立て掛けてある剣を手に取った。
「そっか。なら良かった」
「え……?」
「僕が前衛でアーニャは後衛。バランスもいいし、何よりアーニャが怪我しないのが一番だから」
「飛鳥くん……。あ、いや、一番はこの世界の救済だよ! それも飛鳥くんがいないとできないし!」
「じゃあ全部一番ってことで」
そう言って、飛鳥は微笑んだ。その笑顔にまた顔が赤くなる。
「ちなみに大事なこと聞き忘れてたんだけど」
「なぁに?」
「世界の救済って具体的にどうするの?」
「それは……」
そう。それが最大の問題なのだ。
これまでの世界は大体魔王とか邪神とか絶対的な悪がいた。それを倒し、現地の人たちを解放すれば解決できていたが、ティルナヴィアは少し様子が違う。
帝国側で戦争に参加し、スヴェリエ王国を滅ぼせばいいのか? それは違う。それでは他国の人々を救うことができない。
それを話すと、飛鳥は借りてきた地図を机に広げある街を指差した。
「戦争はどっちが悪いとか、あまりないと思う。お互いに戦う理由があるんだろうし。かと言ってどっちにも属さず第三の勢力になるのも現状不可能だ。一旦は帝国側について、和睦の道を探すのが最善じゃないかな。……僕は王国には入れてもらえないだろうし」
「そうなると、目指すは帝国の首都、セントピーテルだね」
「うん。今日はしっかり休んで、明日すぐに出発しよう」
そう言うと、飛鳥はベッドに寝転がった。その姿に改めて凄いなぁと思う。
「飛鳥くんは、怖くないの? いきなり知らない世界で戦うって」
「うーん……神殿から落ちてる間は怖かったけど、今はワクワクが強いかなぁ。アーニャもいてくれるし」
「そっか……。何かあったらすぐに言ってね? 私一応女神だし!」
「もちろん。改めてよろしくね、アーニャ」
飛鳥が少し顔を赤くしながら手を差し出す。アーニャはそれを笑顔で握り返した。
翌朝──
「帝都へはここから数日かかります。途中の町にも駐留地がありますから、この紹介状を見せてください。よしなに取り計らってくれるでしょう」
と、モアが封筒を差し出した。
アーニャはそれを受け取ると、笑顔でお辞儀をした。
「何から何までありがとうございます」
「いえ、お礼を言うのはこちらです。町の者を救っていただきありがとうございました。貴女方の旅路に、精霊のご加護があらんことを」
改めて礼を告げ、二人はロスドンを後にした。
目指すは帝都セントピーテル。だが、二人はまだ気付いていなかった。
この選択が、大きな間違いであったことを──
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