第四話 最初の一ページ
あれから、どれだけの時間が経っただろう──
「ああああああああああああああ!?」
飛鳥は叫び声をあげながら自由落下を続けていた。
既にアーニャの神殿は見えなくなり、と言うより周りには壁も何もない。
真っ暗な闇が広がっているだけで、上下左右の感覚も失いつつある。
しかし、落ちているということだけは分かる。少し速いエレベーターで下っている感じだ。
「嫌だああああああああああああ!! 死にたくないいいいいいいいいい!!」
「お、落ち着いてください! 飛鳥さんは既に一度死んでいますから!」
「フォローになってませんけど!? 死ぬなんて一度で十分ですよ!」
すると、アーニャが飛鳥の手を握り引き寄せた。そして目を見つめ、
「着くまでこうしていますね。大丈夫ですよ、私がついていますから」
と微笑んだ。
段々と体温が上がり、顔が赤くなっていくのが分かる。
今まで二十六年間ほとんど出逢いなんてなかった。幸い男友達はいたからぼっちではなかったが、それでも街でカップルを見かけるとガチャ爆死しろぐらいは考えたものだ。
それがまさか、死んでからこんなに素敵な人に出逢えるなんて……。
「可愛い……」
思わず呟き、ハッとする。
「す、すみません! あのっ! 変な意味じゃなくて……!」
だがアーニャは気分を害した様子はなく、ふふっと笑った。
「良かった。調子が戻ってきたみたいですね」
つられて飛鳥も照れくさそうに笑う。
その時、飛鳥の服が光を放ち始めた。
「これは……!?」
「始まりましたね。これから行く世界に合わせた服と、もし武器があれば作られますから、じっとしててくださいね」
自身の体をまじまじと見つめていると、光が輪郭を帯び始める。
そして形作られたのは、詰襟に似た黒い上着と黒いズボン。腕と足にはそれぞれ銀色の西洋甲冑が着き、グレーのボアが付いた真っ黒なマントも現れた。
更に腰にはこれまた黒い剣が下げられていて、全身ほとんど真っ黒な恰好だ。
「どうやら飛鳥さんには、剣士としての能力が付与されたようですね」
その声に振り向くと、アーニャの服も変化していた。
襟の付いた白い上着にブラウンのショートパンツ、黒いニーハイブーツ。その上からフードが付いた真っ白いマントを纏っている。
清楚なイメージにピッタリの服装に、飛鳥は思わず見惚れてしまった。
「どうでしょう? 似合ってますか?」
「も、もちろんです! すっごく似合ってますし、可愛いです!」
「ふふっ♪ ありがとうございます♪ あ、そろそろ着くみたいですね」
足元に目をやると、落ちてきた時と同じように穴が開き、そこから地面が見える。
「あれが……!」
「はい! 私たちが救うべき世界です! 着いたら『神ま』で状況を確認して、まずは当面の生活拠点を探しましょう!」
そう言うと、アーニャは掴んだ手に力を込めた。
いよいよ始まるんだ。僕とアーニャの旅が。
さっきまでの恐怖は消え、むしろ気分は高揚している。
ん? いや、待てよ? 生活拠点って当然二人で暮らす訳だよな?
アーニャと、二人で……。
気付かれないようにチラッと目を向ける。
……寝室は分けられるように、できるだけ部屋数があるところを探さないとまずいよな。パートナーって言ってもそういう意味じゃないんだし。
「もうすぐ地面ですね。着地の衝撃は大きくないので安心してください」
「はい!」
飛鳥も着地の体勢を取る。
「では! とうちゃー……」
「く!」と同時に生温かい液体が体中に飛び散った。
それと、何が地面に倒れ伏す音が一つ。
「「…………」」
何が起こったのか分からず、二人ともその場で固まってしまった。
しかし、立ち昇ってくるこの臭いは……。
錆びた金属のような鼻につく臭い。
ごくごく普通の、戦いとは縁遠い生活を送ってきた飛鳥でもこの臭いには覚えがある。
とすると、目の前に転がっているのは恐らく……。
飛鳥とアーニャは恐る恐る目を開け、顔を見合わせた。
互いの顔にも服にも、スプラッタ映画よろしく真っ赤な血がベットリと付いていて──
「うわああああああああああああああ!?」
「きゃああああああああああああああ!?」
二人は叫び声をあげた。
地面に視線を移すと人が倒れている。だが、その体には首がない。
流れ出した血が二人の足元を濡らした。
「こ、これ、は……」
飛鳥は青ざめ、ヨロヨロと後退った。
アーニャは冷静さを取り戻しつつあるのか、飛鳥の体を支え、
「飛鳥さん! 怪我はないですか!? 痛いところや気持ち悪いところはありませんか!?」
と腕や胸を擦った。
「は、はい……。僕は何とも……。でも……」
「一度ここを離れましょう。何が起きているのか確認しないと──」
「おい! てめぇら何者だ!」
見ると、皮の鎧と剣を身に着けた男が立っていた。その剣からは血が滴り、警戒心に満ちた表情を浮かべている。
足元の死体はこの男の仕業だろう。
「見かけねぇ面だな……。さてはてめぇら帝国の連中だな!?」
「て、帝国? あのっ、私たちは──」
「うるせぇ! 魔王の手先が! 死にやがれ!」
男は剣を構え二人に迫った。しかし、
「「はっ!」」
飛鳥が剣を弾き飛ばし、アーニャは腹部へ蹴りを叩き込んだ。
「ぐぉ!?」
「えっ……?」
「アーニャ様! 早く!」
アーニャは飛鳥の手を握り、走り出した。
しばらく走ったところで、民家の影に腰を下ろした。
二人とも息を切らしている。
アーニャは顔に付いた血を拭うと頭を抱えた。
どうなってるの!? 今までは街の近くとかのどかな草原とか、そういう場所に出てたのに! 何で今回に限っていきなり殺人現場なの!?
飛鳥の方へ目をやると、黙ったまま俯いていた。
無理もない。飛鳥が生きていた日本という国はもう何十年も戦いなど起きていない、地球の中でも平和な部類に入る国だ。本物の死体を見ることだって初めてかも知れない。
そんな人間がショックを受けない訳がない。自分がちゃんとケアしないと……!
「飛鳥さん……。大丈夫……じゃ、ないですよね……。でも、心配しないでください! すぐに『神ま』で調べて安全なところへ──」
そこへ、女性の悲鳴と子どもの泣き声が聞こえてきた。
今度は何なのよ!? もしかして、恐ろしく治安の悪い場所に出ちゃったとか!?
民家の影から少し身を乗り出し、辺りの様子を窺い目を見張った。
視線の先には、地面に倒れた親子らしき二人と先程の男と同じ皮の鎧と剣を身に着けた男が立っている。
さ、さっきの奴と同じ! ひょ、ひょっとして盗賊団!?
そこでようやく気付いた。
町の至るところから悲鳴と怒号が聞こえ、連続して爆発音が響いている。
うわああああん! 益々分からないよおおおお! 何なのこの世界はあああ!!?
「お願いします! どうか命だけはお助けください!」
母親らしき女性は子どもに覆い被さり、泣いて頼み込んだ。
「駄目だ。町の連中は全員殺せとの命令だ」
「ど、どうして!? 私たちが何をしたって言うんですか!?」
「うるせぇ! 畜生が喋るな!」
男が女性の顔を蹴り飛ばすのを見て、アーニャは思わず目を背けた。
ごめんなさい……。ごめんなさい! まだ分からないことだらけだし、ここで飛鳥さんにもしものことがあったら……。
アーニャは心の中で何度も謝りながら、『神ま』に手を伸ばす。
だが、その目の前で飛鳥が剣に手を掛けた。
「あ、飛鳥さん……? 何をする気ですか……? まだ私たちにどんな能力が備わってるかも分からないんですよ!?」
「大丈夫だ。もう視終わった」
「えっ……?」
それだけ言うと、飛鳥は剣を抜き走り出した。
「待って!」
アーニャが手を伸ばすが、飛鳥へ届くことはなかった。
男が剣を大きく振り被る。
「これも仕事なんでな。恨むなら俺たちじゃなく、獣人に生まれた自分を恨──」
「そこまでだ」
「め?」
飛鳥が男の目の前を駆け抜けたかと思うと、次の瞬間、男の頭と両腕が宙を舞った。
残った胴体が勢いよく血を噴き出し、地面に崩れ落ちる。
女性の悲鳴が辺りに響き渡った。
しかし飛鳥は振り向かない。眼前を見据えたまま、剣を構えている。
すると悲鳴を聞き付けたのか、同じ格好の男たちが集まってきた。
「なっ!? おい! これはてめぇがやったのか!?」
「だったら何だ」
「この野郎……! 生きて帰れると思うなよ! てめぇら! やっちまえ!」
迫りくる男たちに、飛鳥は溜息を吐いた。
「モブもモブ。やられ役の台詞だな」
飛鳥も地面を蹴り、横薙ぎに剣を振るう。
それだけで先頭にいた三人の首が、まるで果物でも切るかのようにあっさりと飛んだ。
残りの者たちが一瞬怯むが、飛鳥はお構いなしに突っ込んでいく。
あっという間に、一団が物言わぬ肉塊と化してしまった。
──どうして……何で……!?
その光景に、アーニャは立ち尽くした。
何で……飛鳥さんは戦えるの……?
『救世の英雄』には、対象の世界を救う為の能力が付与される。飛鳥の剣術もその影響だ。
だが、それだけなのだ。与えられるのは装備と能力だけ。
その者本来の人間性が変わることはない。
これまでの人生を見る限り、飛鳥は平気でこんなことができる人間ではない。
躊躇いなく剣を取れるような人間ではない。
それぐらい、平和で戦いを知らない人生を送ってきている。ならば、何故……。
もしかして、精神に変化を及ぼす能力が……?
震える手で『神ま』を開き、飛鳥について書かれたページまで捲り愕然とした。そこには……、
「何なの……これ……!?」
インクを垂らしたように、真っ黒い染みがページを埋め尽くしていた。
付与された能力はおろか、神殿で読み上げた情報まで確認できなくなっている。
一体、何が起きてるの!?
こんなことは初めてだ。慌てて他のページを見てみるが、そちらはきちんと書かれている。
得体の知れない恐怖に包まれ、アーニャは息を呑んだ。
その時だった──
急に辺りが眩い光に包まれる。
視線を戻すと、飛鳥の剣が荒れ狂う雷を纏っていた。
あれも飛鳥さんの能力なの……!?
「咆哮せよ──」
剣を両手で構える。そして、眼前に向け横薙ぎの一撃を放った。
自らが手にした剣の名と共に──
「レーヴァテイン!!」
雷は巨大な斬撃となり、地面を抉りながら進んでいく。
兵士の腕が、胴が、頭があっさりと切り離される。
命の灯が消え、ただの肉の塊へと変えてしまった。
「……ッ!」
地面に撒き散らされた夥しい量の血に、アーニャは思わず目を逸らす。
そこへ背後から迫りくる新たな一団が見えた。
「飛鳥さん! 危ない!」
しかし飛鳥は慌てることなく、当たり前のことのようにその命を奪った。
程なくして、残った者たちは撤退を開始した。
中には泣き叫んでいる者もいる。
その後、町には静寂が訪れた。
だが、誰も喜びの声をあげない。先程の親子も悲鳴をあげ逃げてしまった。
その心中は容易に想像ができる。
盗賊団らしき連中を退けたとは言え、彼らにとっては私たちも得体の知れない存在だ。
次は自分たちが同じ目に遭うのではないかと、恐怖と疑念が渦巻いているのを肌で感じる。
撤退していく男たちを眺めた後、飛鳥は振り向き、私を見つけると微笑んだ。
その笑顔は、初めて見せてくれたものと同じで──
だから私も、湧き上がってくる恐怖も疑問も全て黙らせ、同じように微笑んだ。
これが私たちの、救世の旅の最初の一ページとなった──
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