第三話 英雄説明会

「うーん……これって、こんな感じで合ってるよな……?」


 一枚布を体に巻き付けながら、飛鳥は目の前の姿見を眺めた。

 ギリシャのキトン、ローマのトガ……ネットで見た知識を総動員し整えていく。

 そして、もう着ることはないだろうが、ボロボロのスーツを折り畳み部屋の隅に置いた。


 『救世の英雄』──


 アーニャに言われた言葉を思い出し、姿見の前で拳を握り構えてみる。

 しかしどうも様にならない。


 英雄とは神話や伝承、歴史に名を残した豪傑たちを指す言葉だ。誰かを救う為に、世界を変える為に自分を投げ出せる者だけがそう呼ばれる資格を持つ。

 自分にそんなことができるとは到底思えないし、流行りの小説のように何か特別な能力を身に付けた様子もない。だけど……


 アーニャの為なら、やってみようと思っている自分がいるのも事実だ。


 また鼓動が速くなっていくのを感じる。

 姿見を見なくても、顔が赤くなっているのが分かる。


「そういう、ことなのかな……」


 呟き、飛鳥は部屋を後にした。




 最初に寝ていた部屋──アーニャの神殿に戻ると、彼女はニコリと微笑み、目の前の椅子を手の平で指した。

 テーブルの上にはケーキとコーヒーが置かれている。

 飛鳥が座ると、彼女は手元の本を開き深々とお辞儀をした。


「では改めまして、私はアニヤメリア。アーニャと呼んでください。飛鳥さんが理解しやすい言葉でいうと、女神の一柱です。これからよろしくお願いします」


 それを飛鳥はボーっとした表情で見つめている。


 腰まである金色の髪は、どこが光源か分からないが光を浴び艶やかな輝きを放っていた。

 加えて、透き通るように白い肌と薄い紫色の瞳。淡い桃色の唇。

 身体の凹凸はあまり大きくないが、それこそRPGに出てくる神様やお姫様のようだ。


 飛鳥が見惚れていると、アニヤメリヤは笑顔のまま首を傾げた。


「どうかしましたか? 飛鳥さん」

「えっ? あ、いえ、何でもありません……」


 緊張と会話の糸口が掴めず、飛鳥は出されたコーヒーに口を付け、

「あ、美味しい」

 と呟いた。


「良かった。やっとリラックスしていただけたようですね。それでは、説明を始めますね」

「は、はい。よろしくお願いします」


 飛鳥が頭を下げると、アーニャは嬉しそうに笑った。

 先程までとは違い、見た目相応の無邪気な笑みだ。


「飛鳥さんは礼儀正しいですし、神を敬う姿勢が見えてとてもいいと思います。地球の日本という国は無神論者が多いそうですが、貴方は信仰心をお持ちのようですね」

「あ、あはは……」


 飛鳥は無理やり笑顔を作った。

 神を敬う気持ちとか、正直あまり持ち合わせていない。神に祈るのは電車の中や会議中に腹痛を起こした時くらいだ。

 単純にアーニャに良い印象を持たれたい。それだけだ。


「地球からいらっしゃった方と何度か一緒になりましたが、中にはいきなり斬りかかってくる方もいて……。まぁ、いきなり神様ですって言っても信じられないですよね」


 それは信じていないからではなく……いや、やめておこう。そういう話をし出すと色々厄介なことに巻き込まれる。以前来たのがどんな人かは知らないが、まぁ、うん。これ以上は言わせないでほしい。

 それより、アーニャの言葉に引っかかる部分があった。


「以前ってことは、僕以外にも『救世の英雄』がいるんですか?」

「もちろん。私含め、下位の神々は上位神様たちが選ばれた英雄と一緒に世界を救う旅をしています」


 その言葉に飛鳥は疑問を浮かべた。ならば……


「他の英雄たちは今どこにいるんですか? 世界を救った特典で元の世界に戻れるとか?」

「いいえ、元の世界に戻る──生き返るということですが、それだけはできません。世界を救った英雄たちは上位神様の軍団に加えられ、宇宙存続の為に戦い続けています」


 アーニャの返答に、飛鳥は不安そうな表情で

「じゃあ……アーニャ様は毎回僕みたいな素人と世界を救う旅をしてるんですか?」

 と聞いてみた。しかし当のアーニャは表情を変えず、

「素人、というのが適切か分かりませんが、そうですね」

 何の迷いもなく、当たり前のように答えた。


「そんな……」


 飛鳥は下を向き、鼻を啜った。それって、つまり……


「飛鳥さん? どうしました?」


 アーニャは心配そうに身を乗り出した。しかし飛鳥は急に顔を上げたかと思うと、

「大変だったんですねぇ……!」

 とアーニャを手を思いっきり握りしめた。目には涙まで浮かんでいる始末だ。


 その様子にアーニャはきょとんとしている。


 上位神……アーニャ様からしたら上司に当たるんだろうけど、世界を救った、成長した英雄は自分のとこに引き抜いて、アーニャ様には毎回毎回素人を押し付けてるって要するにさぁ……。

 新人教育って一番負担がかかるとこを押し付けてるってことだろ!?

 やってることが神じゃねぇ! 悪魔だ悪魔!


「ブラックだ……!」

「えっ?」

「アーニャ様! 安心してください! 僕は世界を救っても、アーニャ様と一緒にいますから!」

「え、あ、ありがとうございます。でも……それをお決めになるのは上位神様ですから」

「大丈夫です。そしたら上位神様とやらを潰します。それぐらいの能力が僕にも付与されてますよね?」

「いやいやいやいや! ダメですよそんなことしちゃ!」


 飛鳥の言葉に、アーニャは目を丸くしている。


「なら、アーニャ様が上位神に昇格すれば僕の人事権も持てますよね? どうすれば昇格できるんですか?」

「ジンジケン……? えぇと、私の神格についても上位神様がお決めになられるので何とも……。一回で上がった神もいますし、百回以上世界を救っても救世の旅を続けている神もいます」

「んな……!?」


 昇進にあたっての明確な基準もなければ数値目標もない? 全部上司の気分次第ってことか?

 あり得ない! 今時日本でも目標に対する結果で評価を……うん、一部はやってるぞ。一部は。

 うちは中小だったから曖昧な部分も……うん、結構曖昧だったな……。それでもボーナスの算出に使われてたし。多分。


「……決めました」


 飛鳥は目が据わっている。アーニャは恐る恐る聞いてみた。


「何を、ですか?」

「僕が貴女を上位神にしてみせます! さっそく行きましょう! 救世の旅へ!」


 飛鳥はコーヒーを一気に飲み干すと、勢いよく立ち上がった。


「お、落ち着いてください! その前に色々説明することがありますから! ……でも、嬉しいです。そんな風に言ってもらえたのは初めてなので」


 アーニャは嬉しそうに頬を染め、飛鳥を見つめた。その笑顔が本当に眩しくて、可愛くて……

「す、すみません。取り乱しました……」

 飛鳥は椅子に座り直した。


「いえいえ。ではまず、お名前が皇飛鳥さん。年齢は二十六歳。地球の日本出身で、死因は事故死。ここまではいいですか?」

「え、はい、そうです」


 急に面接みたいになったなぁ、と飛鳥は思う。


「では次ですが、飛鳥さんはこの宇宙はどういうものだと思いますか?」

「は? 宇宙?」


 益々面接の様相を呈してきた。宇宙がどういうものか? これって答えはこうだと思います、何故ならって論理的に説明できればいいです正解はありませんみたいな質問ってことでいいんだろうか?


「えぇと……」

「宇宙とは一つの器のようなものです」

「器?」


 飛鳥の問いに、アーニャは頷いた。


「はい。そして、飛鳥さんたちが世界と呼んでいるものが水に当たります。当然水を入れすぎると溢れてしまいますが、この瞬間も新しい世界は生まれ続けています。これらを全て収めるにはどうしたらいいと思いますか?」

「それは、もっと大きな器を用意すれば……」

「その通りです」

「あの、それと世界救済と何の関係が……?」

「器、つまり宇宙は最高神様を含めた我々神々と『救世の英雄』によって形成されています。我々の神格を上げ、英雄がより強くなることが器を大きくすることに繋がっているのです。最高神様は我々の神格を上げる方法を、救世の旅と決められました」


 飛鳥は顎に手をやり少し考えた後、確認するように口を開いた。


「要するに……新しく生まれる世界が零れ落ちないように、今ある世界を救ってパワーアップしろ、ということですか?」

「理解が早くて助かります」


 アーニャはコーヒーを飲むと、ふぅっと息を吐いた。

 飛鳥もおかわりを貰い、口をつける。


「では、進んでも大丈夫ですか?」

「はい、お願いします」


 するとアーニャは一冊の本を差し出した。

 アーニャが持っているものと同じデザインだが、二回り程小さい。本というより手帳みたいだ。


「さっき神様は何でも知っているのです、なんて偉そうに言ってみましたが、これのお陰なんです」

 と、持っている本を飛鳥に見せた。

 しかし、その本には何も書かれていない。何ページか捲ってみたがどのページも真っ白だ。


「何も書かれてませんけど……?」

「はい、これは『神さまニュアル』、通称『神ま』と言いまして、これから行く世界の基礎知識や飛鳥さんと私に付与される能力などが記される本です。読めるのが神々だけなのが少し不便なんですが……」

「じゃあこっちの小さいのは何ですか?」


 飛鳥は受け取った本を開いてみた。やはりこちらも何も書かれておらず真っ白だ。


「通信器みたいなものだと思ってください。『神ま』が親器で、そちらが子器です。距離の制限はありますが、思い浮かべたことを相手に文字で伝えることができます」

「メールみたいなものですか」

「ですです。さっそく試してみましょう。それを開いたままで何か念じてみてください。『神ま』に浮かび上がってきますから」


 伝えたいこと、か……。


 急に言われても、女性に何と送ればいいのか。これまでの人生経験の薄さを恨んだ。

 ありきたりだけど、今日は良い天気ですねーとか……。いや待て、この神殿からは空が見えない。

 それに、せっかくなんだから印象をよくできるような一言がいいよな……。


 悩み、ふと顔を上げると、コーヒーを飲みながらアーニャが微笑んだ。

 またしても思考がかき乱される。そして、ようやく自覚した。


 僕は、アーニャのことを──


「…………」


 『神ま』に文字が浮かび上がっていく。アーニャが視線を落とすとそこには……


 『アーニャめちゃくちゃ可愛い』


 なんて書かれていて、思わずコーヒーを噴き出した。


「あ、飛鳥さん!? これは一体……」

「す、すみません! でもアーニャ様を見てたら思い浮かんでしまって……」

「そう、ですか……」


 しばしの沈黙が流れた。飛鳥の表情がどんどん青ざめていく。


 やっぱり、引くよな。いきなりそんなこと言われたら。

 また失敗してしまった……。何でいつもこうなるんだろ……。


 飛鳥が項垂れていると、アーニャはふふっと笑った。


「神様に可愛いなんて、飛鳥さんは本当に面白い方ですね」

「い、嫌じゃ……ないんですか……?」

「嫌なんてそんな! 嬉しいですよ。ありがとうございます。『神ま』もちゃんと機能してますし、そろそろ行きましょうか。私たちの救世の旅へ」


 アーニャは立ち上がると、神殿の中央へと歩を進めた。

 飛鳥もそれに続く。


「あの、装備品とか食糧とかお金は……?」

「それは到着までに用意されますからご安心を。えいっ」


 アーニャが軽く床を蹴ると、足元に大きな穴が現れた。

 急に足元の感触が消え、飛鳥は「へっ?」と間の抜けた声を発した。


 そして二人の体は重力に従い、穴へ吸い込まれていった──

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