第二話 運命の出逢い

 辺りにキャラメルのような香ばしい香りが漂っている。


 これは……コーヒー……?


 香りに惹かれ、飛鳥は目を覚ました。


 少しぼやけた視界が最初に捉えたのは、金色の円が描かれた真っ白い壁であった。

 円の中心からは羽根、だろうか……。ブーメランのようにも見える図形が均等に、六方向に伸びている。


 重い頭を動かし、右を向いてみた。そこにも同じ円が描かれた真っ白な壁が。

 左を向いてみても、やはり同じ壁だ。


 それ以外、家具と呼べるものはおろか置き物の一つもない。


 どこなんだろう、ここは……。

 僕は……一体……?


 と次の瞬間、脳裏にはっきりと映像が浮かび上がってきた。


 全く焦りを見せない老人男性の顔。そして、自身から流れ出した真っ赤な体液と、それが作り出した血の海──


 そうだ。僕は車に轢かれて……。

 じゃあ、ここが天国というやつだろうか?

 子どもの頃見たアニメでは、閻魔大王に天国か地獄かを決められて、地獄行きの人は泣きながら鬼に連れて行かれる、という描写がお決まりだった覚えがあるが、実際はダイレクトに飛ばされるのか……。


 少し意識がはっきりしてきたところで、念の為もう一度首が動く範囲で辺りを見渡してみた。

 だが、やはり視界に映るのは真っ白い壁だけだ。少なくとも血の池や針の山といったものは見当たらない。


 まぁ、僕だって同級生とケンカで殴り合ったことぐらいはあるが、万引きはおろか傘の一本すら盗んだことはないし、動物を虐めたりしたこともない。

 そんな僕が地獄行きな筈がないから、ここは天国で間違いないんだろう。

 それにしても……、


「天国って、思ったより何もないんだな……」


 ボソッと呟き上を向くと、女性がこちらに背中を向け逆さまに立っていた。


「…………」


 いやいや、そんな訳がない。そこでようやく、自身が床に転がっているのだと気付いた。


 ゆっくり起き上がると、不思議と痛みはない。

 しかし、死んだんだから当然か、とすぐに納得できた。

 試しに腕や足、腹部などを擦ってみるが傷もない。

 だが、スーツは至るところが裂け、血がべっとりと付き砂埃まみれであった。

 どうせなら全部直してくれればいいのに、と立ち上がると気配で気付いたのか、その女性がこちらを振り向いた。




 その瞬間──



 飛鳥は文字通り、雷に打たれたような衝撃を受けた。


「あ、目が覚めたんですね。おはようございます」


 耳を包み込むような、温かく優しい声が響いた。


「え、えと……君、は……?」


 息が苦しい。胸も、鼓動がどんどん激しくなっていくのが分かる。

 先程発した言葉も、声がカッスカスで届いているのか怪しい。


 な、何が起きた? これは一体何だ?

 さっき身体を調べた時にはどこにも異常はなかった筈だ。


 意識は更にクリアになっていくが思考が定まらない。目を逸らしたいのに、彼女から目を離すことができない。


 ん!? 目を逸らしたい? 何で? 僕は気付いたらこの部屋で倒れていただけだ。何もやましいことはしていないし、する気もない。ならば何故そんなことを考えるんだ?


 飛鳥の様子に違和感を覚えたのか、彼女は心配そうな表情を浮かべた。


「あの、大丈夫ですか? どこか痛みますか?」


 彼女が近付いてくる。

 飛鳥は反射的に後ろに下がり、そのまま勢いよく転んでしまった。


「だ、大丈夫ですか!? ちょっと見せてください!」


 彼女は飛鳥の顔を覗き込み、頭に手を当てた。

 頬に柔らかく、艶のある金色の髪が触れる。それに、花のような淡く甘い香りが鼻孔をくすぐった。


「良かった。傷やこぶはできてないみたいですね」

 と、彼女は優しく微笑んだ。

 その笑顔に再び思考がかき乱される。飛鳥は思わず身を翻し距離を取った。


「え、えぇと……」


 さすがに彼女も困惑したようだ。


 そりゃそうだ。いきなり部屋に知らない男が現れ、おまけに未だ一言もまともに会話ができていないのだ。悲鳴をあげられないだけましというもの。普通ならとっくに通報されていてもおかしくはない。


 そこでふと、天国にも警察ってあるのかな? なんて状況にそぐわないことを考える。


 さすがにあるか。大天使だっけ? 何とかエルとか何とかフォンって連中は天国の警察みたいなものだよな。


 そんなことを考えていると、困惑した表情を浮かべながらも彼女が再び近付いてきた。


「えと、何か失礼なことをしてしまったのであればごめんなさい。いきなりこんなところで目を覚ましたら驚きますよね」

「あ、いえっ、えぇと……僕の方こそ勝手にお邪魔してすみません……」


 もう自分でも何を言っているのか分からない。決して自分の意思でここに来た訳ではないのだから。

 だが、さっきから他に人はいないし多分天国の中にある彼女の自室なのだろう。


 飛鳥が慌てていると、彼女はにっこりと笑った。


「お邪魔なんてそんな。貴方は選ばれたからここにいるんですよ。『救世の英雄』様」

「……は?」


 聞き間違いだろうか? 今僕のことを『英雄』と呼んだのか? 毎日ブラック企業と自宅を往復するだけの僕を?

 少年時代にゲームの中でなら幾度となく世界を救ってきたが、リアルで英雄なんて呼ばれるようなことはしていない。できる訳がない。


「私の名はアニヤメリア。最高神様に仕える神々の一柱です。宇宙存続の為、私と一緒に世界を救ってください」

 と、彼女──アニヤメリアは飛鳥の手を取った。


「世界を救うって……と言うか、神々ってことはもしかして、女神様、なんですか……?」

「はい♪」


 もー何が何だか益々分からなくなってきた。僕死んだんだよね? 死んだ人間が世界を救うってどういうことよ?

 ……あ、もしかしなくてもこれは夢なんじゃないか? 夢って願望が表れるってよく聞くし。だとしたら──


「あの、アニヤ……メリア? 様?」

「呼びにくいと思うのでアーニャでいいですよ。これから世界を救うパートナーになるんですから」

「じゃあ、アーニャ……様。一発殴ってもらっていいですか?」

「えっ!? 何でですか!?」

「だってこれ夢だし……」

「夢じゃありません! 貴方、飛鳥さんは地球の日本という国で亡くなりました。そして上位神様たちによる厳正な抽選の結果、『救世の英雄』に選ばれたんです!」


 抽選の結果ってそんな適当な。本当に世界を救う気があるんだろうか。そもそも僕の少ない知識でも、少なくとも神様は人間の味方ではない。

 偏っているかも知れないが、神様ってのは気分で人間に「試練を乗り越えたら幸福になれるぞー」とか言って理不尽を押し付けて自分は煎餅齧りながらテレビ観てるようなタイプだろ?

 そんな人間の……人間じゃないか。神様とやらの言うことなんてなぁ……。


 なんて失礼極まりないことを考えていると、いつの間にかアニヤメリアが顔をグッと近付けこちらを見ていた。


「うひゃああああああああ!?」

「今何か失礼なこと考えてませんでした? 飛鳥さん」

「いえ! 何も……って、何で僕の名前を?」


 飛鳥の問いに、アニヤメリアは胸を張り答えた。


「私は神様ですよ? 何でも分かるのです♪ では今後のことについて説明していきますね。地球の日本のお菓子もありますよ。飲み物は何がいいですか?」

 と、アニヤメリアが手を振ると部屋の中央にテーブルと椅子が二つ現れた。


「あ、じゃあコーヒーお願いします……」

「はい♪ あ、聞きたいことがあったら途中でもどんどん質問してくださいね」


 それに対して飛鳥はさっそく手を挙げた。


「いきなりで何なんですが……」

「積極的でいいですね、何でしょうか?」



「とりあえず、着替えがあったら貸してください」

 と、ボロボロのスーツを摘まんでみせた。

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