6 予言を覆す力-6-
死を感じて本能が新たな能力を開花させたのか。
あるいは運命を司る神のような存在があって、気まぐれで彼女を生かしたのか。
突き立てた爪の先がほのかに光った。
淡く、白く、弱々しい輝きだ。
だがそれが彼女に味方した。
ライネの挙動を注視しているケッセルはそれに気付いていない。
刺すような腕の痛みは爪が食い込んでいるからだと思っている。
実際にそうだった。
しかし、そうではなかった。
光は色付き、金色になった。
ライネはそれを一瞬だけ見ると、すぐに視線をケッセルに戻した。
そしてわざとらしく、大袈裟な動きで拳を握りなおす。
彼は一歩退く。
「それがお前らのやり方かよ!」
「お前たちが道を空ければすむ話だ。ガキを殺す最短の道を……だ?」
異変に気付く。
痛みが鋭くなっていく――ハズなのに感覚が曖昧になり始めている。
「なに――!?」
彼は見た。
少女の指先からこぼれた金色の光が、食い込んだ爪を起点に肩のあたりまでよじ登ってきている。
光は――彼の腕を凍らせていた。
自身に起きた変化にケッセルは人質をとっていることも忘れて狼狽してしまう。
表面に薄く霜が張る程度ではあったが、皮膚感覚を麻痺させ、拘束を緩めるには充分だった。
「伏せろッ!」
叫ぶより先にライネは地を蹴った。
フェルノーラは掴まれていた右腕の拘束を振りほどくと同時に身をかがめた。
その頭上をライネが跳び越える。
ケッセルが視線を前に向けた時には、ミストをまとった拳が迫っていた。
彼は迎え撃とうとした。
だがそれは遅すぎた。
凍りつき、ぎこちなく動く腕に一瞬だけ気を取られた隙に、魔力を帯びた一撃が頭蓋を打ち抜く。
その数秒後に、ケッセルの体は地面に落ちた。
「………………」
時間が止まったように感じられた。
たった一瞬だったが、ライネは周囲から一切の音が消えたような感覚を味わった。
「ぅ…………」
フェルノーラのうめき声が意識を現実に引き戻す。
のどに手を当て、足りなくなった酸素を吸い込む彼女を見て、ライネは慌てて駆け寄った。
「だいじょうぶ……大丈夫だから……!」
突き放すように言うフェルノーラが強がっていることはすぐに分かった。
恐怖と驚愕と、彼女自身も理解できていない想いとが――。
混ざり合うことなく、しかしせめぎ合うことなく表情に出ていた。
「………………」
ライネは小さな肩にそっと手を置いた。
震えている。
よほど恐ろしかったのだろうと彼女は察した。
命の奪い合いである戦の場にあって、平静でいられるほうがおかしい。
「フェル――」
周囲に敵の気配はない。
落ち着くまで傍にいてやるべきだが、ライネは本来の護衛対象から離れすぎた。
「誰か呼んでくる! ここでおとなしくしてなよ?」
返事も聞かずに彼女は駆けだす。
後ろ姿を見送ったフェルノーラはゆっくりと息を吐き出し、それから自分の手を見た。
いくらか冷静さを取り戻すと、先ほどの記憶が蘇ってくる。
冷たいのかそれとも温かいのか分からない、指先に帯びた温度を感じながら――。
(私にも……あんな魔法が使えたんだ…………)
少女は自分が少しだけ、あの若き皇帝に近づいた気がして戸惑った。
空中戦は優勢に転じ始めていた。
襲撃者が成果の上がらない地上への攻撃を続ける一方、エルディラント軍は航空部隊を狙い撃ちにした。
轟音が鳴り響き、空が二度、白く明滅する。
対空砲の集中砲火を浴びた敵艦が、まるで
するどい爪が金属を切り裂くような耳障りな音をばらまきながら、艦はゆっくりと落下していく。
「一隻落としたぞ!」
兵士が叫ぶ。
これはたんなる歓喜ではない。
戦況が好転していることを仲間に伝え、鼓舞するための原始的で伝統的な手法だ。
「…………」
走りながら肩越しに振り向いたライネは落ちていく艦を見た。
遠目のせいか、墜落というよりは徐々に高度を下げているように見える。
「ちょっといい!?」
弾切れを起こして武器を探しているらしい男に呼びかける。
その服装から軍人ではなく民間人だとすぐに分かった。
「あっちに女の子がいるんだ。ケガはしてないと思うけど、ついていてやってくれないか?」
「女の子……?」
男は眉をひそめたが、
「あの子か!」
すぐに思い当たって顔を上げた。
「知ってる?」
「ああ、有名だぜ。そうか、あの子が……」
「じゃあ頼んでいい?」
「よっし、まかせな! あ、そうだ、嬢ちゃん! なんか武器になるもの持ってねえか?」
ミストも弾も切らしてしまった、と彼は言う。
「ああ……悪りぃ、アタシも何も持ってない……」
扱いづらいからと銃を投げ捨ててしまったことをライネは後悔した。
「しゃあねえ、どっかから調達するか。で、あっちだな?」
「うん、頼んだよ!」
現地の人間がついてくれるなら安心だ。
ライネは急いでシェイドの元へ向かう。
途中、ドールを3体ほどスクラップにしたところで、彼女は半球状のシールドが薄くなっているのに気づいた。
厚みがなくなったのではなく、密度が薄くなっているのだ。
その理由はすぐに分かった。
「シェイド君!!」
大粒の汗をかいている彼は、ただ中空の一点を見つめている。
シールドが減衰するたびに全体にミストを送り込む、という非効率的な力の使い方が体力を奪っていく。
だがこの手を止めれば、裸出した避難所が敵の攻撃を受けて壊滅してしまう。
そうなったら――彼らの生活はどうなる?
この荒れ果てた故郷を捨てず、復興のために懸命に働いている彼らの生活はどうなる?
そう考えると手を止めることはできなかった。
「ライネ……さん…………」
自分を呼ぶ声に彼は律義に答えた。
「な、なあ……? それ、すごく力を使うんだろ……?」
周囲を窺いつつ問う。
従者が健闘しているおかげで周辺の安全はある程度は確保できているようだ。
「無理しないほうがいいんじゃないか?」
ライネはありきたりな言葉しかかけられなかった。
さして才能に恵まれなかった彼女には、疲労を感じるほど魔法を使った経験がない。
不完全とはいえ避難所を覆うほどのシールドを展開することがどれほど身体に負担をかけるのか、想像することすらできなかった。
ただ――。
そう長くは持ちそうにない、ということだけは漠然とだが予想はできた。
「――ライネ、さん」
もちろんシェイドにもその自覚はあったから、彼は言った。
「お願いがあるんです……!」
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