6 予言を覆す力-5-

 痛みは――なかった。

 せめてもの情けに苦痛を感じないよう、一瞬で斬り伏せたのではない。

「――――?」

 フェルノーラはおそるおそる目を開けた。

 振り下ろされるハズだった刃は、彼女が最後に見た時と同じ位置にあった。

 違っていたのは、暗殺者の腕をライネがしっかりと掴んでいることだった。

「弱い者いじめなんて――」

 その腕を後ろに引っ張り上げる。

「感心しねえな!」

 崩した体勢を立てなおそうと地を踏むより先に、水平に弧を描いたつま先が男を蹴り飛ばす。

 男は受け身をとることもできず、十数メートル向こうの廃材に背中を打ちつけ昏倒した。

 振り向いたライネは勝ち誇ったような顔でフェルノーラを見た。

 それが少し面白くなかった彼女は、

「私、弱くないから!」

 珍しく感情を露わにして言い返した。

 拗ねたような口調にライネは苦笑したが、それも一瞬のことだった。

 背後から伸びた腕が少女の首に巻きつく。

 慌てて逃れようとしたが、右腕もひねり上げられ身動きがとれない。

「そのまま退がれ。そのままだ。いいか? 余計な真似をしたら殺す」

 男が低い声で言う。

「お前……!!」

 ライネは歯噛みした。

 またしてもこの男に出し抜かれたのだ!

 ――ケッセル。

 あの暗殺者たちと同じように損壊した避難所から抜け出し、身を潜めていたのだろう。

 いくらかはシェイドの甘さが引き起こした事態でもあるが、彼を責めている暇はない。

 言われたとおりにした。

 いくらでもやりようがあるのに……。

 格闘技の心得がないフェルノーラには急所を蹴り上げることも、身をひねってさらに相手の背後に回り込むこともできないだろう。

「ぅあ…………っ!」

 ケッセルが力を入れたか、フェルノーラは小さく悲鳴を上げた。

「放せよ! その子は関係ないだろ!?」

「ああ、そうだ。お前にとってもな」

 ケッセルはいやらしく笑う。

「ガキの護衛――お前の任務だろう? なぜこんな小娘にかまう?」

 この男はよく分かっている。

 重鎮が推薦したあの護衛が、直情的で単純なのを。

 自分ではなく、まんまとイエレドを疑っていたらしいことも。

 大役を任されておきながら、この少女を気にかけていることも。

「役割を忘れたか? お前の任務は何だ?」

 この男は心得ている。

 自らの手でシェイドを殺すのは無理だ。

 千載一遇の好機は昨夜、イエレドに潰された。

 ならせめて防備を削り、別の誰かに手柄を譲るしかない。

 こうしてライネを遠ざけて足止めするだけでも意味はある。

 後日、暗殺に協力したとしていくらかの報酬は得られるだろう。

「ここにいれば任務を果たせなくなるぞ?」

 もちろんフェルノーラを殺しはしない。

 そんなことをすればライネが逆上して襲ってくるか、足枷あしかせから解放されたことでシェイドの護衛に戻ってしまう。

 このまま膠着状態を保つのが一番いい。

「卑怯な奴だな……!」

 何もできない代わりにライネは精一杯ケッセルを睨みつけた。

 

”もしシェイド君とフェルのどっちかしか助けられない、って状況だったら迷いなくあの子を助けるよ”


 発した言葉が重くのしかかる。

 ここで足止めを食っている場合ではない。

(分かってる……)

 ケッセルの言うように彼女を見捨て、シェイドの護衛に戻るべきだ。

(だけど…………!)

 それができない。

 ただ、それだけのことが。

 思い浮かべるのは、命を懸けて守らなければならない友だちの姿。

 ここで彼女を見殺しにして、彼が喜ぶハズがない。

「…………っ!」

 フェルノーラの表情が苦悶にゆがむ。

 酸素を求めてか、時おり息苦しそうに口を大きく開けている。

 細めた目がライネを見つめる。

 それは助けを求めているようにも、私にかまうな、と言っているようにも見えた。

(――ダメだ!)

 やはり見捨てることはできない。

 だが打つべき手がない。

 少しでも拘束の手を緩めようと、フェルノーラは首に巻きつく腕をつかんだ。

 しかし少女の非力では引きはがすには至らない。

 それどころかケッセルは逃すまいとさらに力を込める。

「あぁ…………ッ!」

 首を絞められ、もがいたフェルノーラはケッセルの腕に爪を立てた。

「やめろっ!!」

 ライネが叫んだ時だった――。 


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