9 皇帝の最期-8-

 光と音が消え失せた時、少年の目の前に彼はいなかった。

 あるのは焼け焦げ、融解した甲冑と混ざり合った無惨な亡骸がひとつ。

 彼の一握りの理性と冷静さが、死体を残させた。

「なんと、なんという……!」

 衛兵たちを襲うのは恐怖と絶望だ。

 ペルガモンを絶対の存在として拠としていた彼らはたった今、その支えを失った。

「皇帝を……お守りできなかった……」

 目が合う。

 シェイドの手にミストが集まる。

 当然だ。

 彼らはあの暴君に従い、多くの罪無き人々を虐げてきたのだから。

 ここで死ぬべきなのだ。

「降服する! 皇帝が死んだ今、もう彼のやり方に従うこともない! ですから――」

 シェイドの頭の中に、何者かが囁く。

 そうやって命乞いをしてきた者を、お前たちは殺してきただろう?

 一片の慈悲も与えてやらずに、容赦なく葬ってきただろう?

 ならば今、立場を変えて殺されることも受け容れるべきではないか。

「――うん」

 彼は心の声に頷いた。

 彼らを生かしておく理由などない、と。

 心がそう告げている。

「………………」

 だが纏ったミストを飛散させ、シェイドは振り返った。

 怨敵を喪った今、振りかざす力は大義を失い、ここから先はただの殺戮になり果ててしまう。

 傍にいたグランが頷く。

 後のことは大人に任せようと彼は思った。

「きみは正しいことをしたんだ。たくさんの人を救い、仲間を守ったんだ」

 シェイドは何も言わなかった。

 為すべきことを成し、多くの民が望む結末に導けたハズなのに、少年の心は満たされることはなかった。

「皇帝は死んだ!」

 誰かが叫んだ。

 宮殿の防御機能が停止したことで、多くの叛乱軍の兵士たちが集まってくる。

 ガンシップから降り立った数名が倒れている同志の救護に当たった。

「皇帝は死んだぞ!」

 再び、声。

「死んだ! 皇帝が死んだ!」

 歓声が響き渡る。

 傷つき倒れた者は、その言葉にしばし痛みを忘れて狂喜した。

 仲間に支えられ立ち上がった兵士たちは快哉を叫んだ。

「俺たちの勝ちだ! 俺たちは勝ったんだ!」

 ここに官民の区別はなかった。

 彼らはただ勝利に酔いしれた。

 たったひとりの死は何百、何千万人にとっての勝利だった。

「彼らを頼む。私は司令部に行き皇帝の死を告げてくる。各地に通達し、ただちに戦闘行動を停止させよう」

 アシュレイはグランにそう言い残すと、数名の部下を連れて宮殿に消えた。

「ありがとう……全てきみのおかげだ」

 グランがその場に跪き、拝むようにして指導者を見上げる。

「僕は、べつに……」

 感謝されるようなことはしていない、とシェイドは言った。

 家族や幼馴染みを殺された当事者である以上、民を救うというのは大義名分に過ぎず、彼にとってこれはただの仕返しでしかない。

「それでもきみは多くの人を救ってくれた。きみは救世主だ」

 彼は畏敬の念を込めて頭を下げた。

 目の前にいるのはただの子どもではない。

 クライダードの純血種であり、ペルガモン亡き後のエルディラントを統べる新たな支配者になるかもしれない人物だ。

 間もなく救護隊が到着し、シェイドたちは応急処置を受けた。

 深手を負っている者は治療が必要なため順次、艦に運び込まれていく。

 シェイドはフェルノーラの元に駆け寄った。

 数名の救護隊が治癒の魔法を行使するが、ぐったりとした彼女は回復する様子を見せない。

「あの、フェルノーラさんは――」

「大丈夫、体内のミストをほとんど失っているようだが、この子は助かるよ」

 いつの間にか横に立っていたグランが彼女の手にそっと触れた。

「きみの勇気には敬服するよ。誰よりも強く、そして勇敢だった――」

 かろうじて息をしている彼女にそう囁き、ミストを送り込む。

 ここでは充分な治療ができないとして、彼らはフェルノーラを艦に運んだ。

 シェイドはその後を追おうとしたが、なぜか足が前に進まなかった。

「あとは彼らに任せよう。心配はいらないよ」

 さらに数機のガンシップが降下した。

 あれほど喧しく、死の恐怖を真横に感じさせた戦の音が遠くに聴こえる。

 ペルガモンは死んだが、両陣営はまだ戦い続けているのだ。

 空を見上げていたシェイドはふと視線を下に向けた。

 数人の軍人に紛れてこちらに走ってくる女性がいる。

 彼女は少年の姿を認めると破顔した。

「シェイド君」

 その優しい声は、久しく聞いていなかったような懐かしい響きがあった。

「レイーズさん」

 軍人でありながら最も軍人らしくない女性に、シェイドは少しだけ顔を赤くする。

「まさか本当に――いいえ、それよりも……あなたが無事で良かった…………」

 鼻声で呟き、小さな背中に回そうとした手を止める。

「手当……手当が必要ね。また艦に逆戻りで申し訳ないけど、私と一緒に……」

 レイーズは同意を求めるようにグランを見た。

 彼は一瞬だけ拗ねたような表情を見せ、深く頷いた。

「行きましょうか」

 彼女は軍人ではないひとりの女性としての笑みを浮かべ、シェイドの手をとった。

 俯いた少年の頬は朱に染まっていた。

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