5 現実は定められた未来へ-3-

「明日、早々に発ちます」

 冗長な前置きを避けてグランは、ペルガモンにプラトウへ向かうと申し出た。

「良い報せを待っているぞ」

 ペルガモンは上機嫌で言った。

 この権力者は今回の件に関して、特に何も求めていないとアシュレイは悟った。

 常ならばこの後、あれこれと細かな指示がついて来る。

 それがないのは二人には好都合だった。

 プラトウの視察はもちろんだがその範囲や対象、滞在時期にまで自由が利くからだ。

 必要があれば適当に理由をでっち上げ、ミス・プレディスの部屋で見た現象を突き止めるまで長引かせることも可能だ。

 しかし同時に、アシュレイは不安を抱いた。

 漠然とした不安だ。

 明るい未来を期待できるような時代でも状況でもないが、この時に抱いたそれはたんなる気の迷いで片付けられる類ではなかった。

(なにか…………)

 誰にも制御できない、起こることさえ止められない悪いことが起こるような。

 彼はちらりとグランを見やった。

 ペルガモンに言うべきことを言った後だからか、横顔は涼しげだった。

 特に何かを憂えている様子はない。

(気のせい、ということにしておこうか)

 隣にいるグランの落ち着いた雰囲気は、彼に安心感を与えてくれる。

 二人は多くの任務で行動を共にしてきた。

 熾烈な戦いも、複雑な交渉も、どちらか片方の成果ではなかった。

 だから最後には少しくらい心に靄がかかっても、自分たちならば大丈夫だという無根拠な自信が湧いてしまっていた。



 艦は旧式らしく耳障りな唸り声とともに、ゆっくりと浮上した。

 窓からの光景は遠く、下に、小さくなっていく。

 宮殿を俯瞰できる高度に達すると、この国の中枢がさながら要塞であることが分かる。

 宮殿そのものが持つ武装と、その左右に海のように広がる軍事施設はエルディラントの軍国主義を体現していた。

 物々しい景色に嫌気が差したグランはティーサーバーから注いだお茶で喉を潤した後、居心地の悪さを感じて部屋を出た。

 さして大型ではない艦のため通路も狭い。

 今は離陸直後とあって数名の乗員が往復しているが、航行が安定すれば周辺は夜のように静まり返る。

 大半は艦橋や機関室で働き、残るは自室で仮眠をとることが多いからだ。

 彼は艦橋に向かった。

 巡洋艦にしては内部は単純な構造をしており通常、乗員が移動できるのは各待機部屋と、それぞれの部門をつなぐ通路だけである。

 これは徹底した合理化と積載量の問題によるもので、艦体の大部分はAGSを主とした装備が占めているためだ。

 設計図を見れば分かるように、つまり重装備の隙間を蟻の巣のような通路が連絡している。

 部屋によっては真下の機関部からの放熱で真夏並みの室温になることもあり、居住性は良いとはいえない。

「はい……はい……そのようなことが…………いえ、私からは――」

 艦橋に入ったグランは、レイーズ艦長が誰かと通信しているのを認めた。

 ヘッドセットを着用しているため交信相手はおろか、先方からの音声も傍には分からない。

「もちろん、許可があれば……了解しました。その時、は……予定どおりに」

 二言、三言、小声で相槌を打った後、レイーズは回線を切った。

 グランの立っている位置からは見えないが、彼女の表情は険しく、額にうっすら汗が浮かんでいる。

「艦長……?」

 いつも堂々としているレイーズが歯切れの悪い会話をしていたことを彼は訝った。

「……グラン様、どうかされましたか」

 彼女は深呼吸をひとつ、誰にも気づかれないようにしてから振り返る。

 見事なものでグランと対面した彼女の顔はもう、多くの乗員を束ねる有能な艦長のそれになっていた。

「改めて挨拶を、と思ってね。忙しいようなら出直すよ」

「いえ、問題ありません。用事はたった今、終わりましたから……」

 わざとらしく咳払いをし、レイーズは襟を正した。 

「お聞きしてもよろしいですか?」

 そして他の乗員に聞こえないよう、極めて小さな声で訊ねる。

「今回、防備上の問題解決のためにプラトウを視察する、と聞いております。さして重要な任務ではないと思うのですが、重鎮が直々にお出でになる理由があるのでしょうか?」

「難しい質問だな」

 グランは唸った。

 多くの士官は与えられた任務に疑問を抱かないため、意見を求められたならまだしも、進んで否定的ともとれるような質問はしない。

「必要だから、という答えでは不足かな?」

 言った彼自身も分かっている。

 この程度の受け答えでは彼女はごまかせない。

「無礼を承知で申し上げます。その必要はない、というのが私の正直なところです」

 強い女性だな、とグランは思った。

 しかも傲慢ではない。

 理想的な上官だ。

「では……申し訳ありません、もうひとつ――」

 レイーズの声質が変わった。

「本当に視察なのでしょうか? グラン様は何かご存じですか?」

 交渉における基礎であり必須の技術は駆け引きだ。

 真意を悟らせず、真意を暴き出す。

 それができなければ簡単な口約束を交わすこともできないし、長く続く紛争を収めることなどとうてい不可能だ。

「………………」

 グランには答える義務はない。

 両者の地位は天地ほどの差があるから、余計な詮索をするなと彼が言えば終わる話だ。

「私たちはそう聞いているぞ」

 彼はウソをついた。

 はじめてプラトウの名を聞いた時の違和感や、ミス・プレディスの予言について明かすことはできない。

「すみませんでした。私の思いちがいのようです……」

 レイーズは深々と頭を下げた。

「このような時世ですから、つい何に対しても疑ってしまうもので……」

 彼女が今日まで仕官できたのは多分に運の良さもあっただろう。

 ペルガモンが一介の軍人に求めるのは忠実さだ。

 彼がいう忠実さとは下命に疑念を持たず、身を投げ打って職務にあたることを指す。

 とすればレイーズのような人間はいくら有能でも、いずれは煩わしさから閑職に追い込まれるのは目に見えている。

「その姿勢は大切だよ。まあ、ほどほどに」

 彼女のような人材は国に必要だ。

 グランは彼女の実直さが裏目に出ないよう祈った。

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