5 現実は定められた未来へ-2-

 アシュレイは短い瞑想から抜け出し、冷水を顔にぶつけた。

 刺すような冷たさが皮膚を叩く。

 いずこかへと飛ばしていた意識が戻ってくる。

 が、気分は晴れないままだった。

「お疲れのようですね。襟も曲がっていますよ」

 彼の身の回りの世話をする女が言った。

 衣服の調達や武具の手入れ、その他の雑用が彼女の仕事だ。

「この国の人間なら皆、いつも疲れてるよ。きみもそうだろう?」

 ねぎらいも込めてアシュレイは言った。

「疲れる、だけならよいのですが……」

 彼女は朝日を眺めて呟いた。

 ここからでは空が少し濁っていて、陽光の美しさを拝むことができない。

「そう不安になるな。ただの視察だよ。危険なことは何もないんだ」

 彼は半分は自分に対して言った。

「私にできるのはお世話と心配だけですから」

 女は悲観と皮肉を交えて返す。

「それで充分だ。人にはそれぞれ役割があるからね」

 この男は誰に対しても優しい。

 重鎮と持て囃され、ペルガモンにも一目置かれる存在だからといって、安易に驕ったりはしない。

「行ってほしくはありませんが、そろそろお時間です……」

 動きやすい衣服にマントを羽織ったアシュレイは窓を閉めた。

 任地に赴く者はその所属に応じた制服の着用が義務づけられているが、文官武官の枠を超越した存在という意味で、重鎮だけは自由な服装を認められている。

 彼らは敵を含めて周囲に威圧感を与えないように、武力を表す軍服は極力避けてきた。

「荷物は私が持って行くよ。軽かっただろう?」

 これは簡単な任務だと主張するように、彼は片手に持ったバッグを上下させた。

「はい……」

 この瞬間が彼女には最もつらい。

 こう言って宮殿を後にし、“戦没者報告”と書かれたたった一枚の紙切れとなって帰ってきた者は数えきれない。

 今はアシュレイのために宛がわれているこの部屋も、かつて戦死した者が寄宿していた場所だった。

「どうか、どうかお気をつけて」

 不安そうな彼女に紳士的な笑みを見せ、彼は離着陸場に向かった。

(役割……)

 彼はたった今、自分が発した言葉を頭の中で繰り返した。

 胸を痛める彼女にかけた励ましだったが、元はミス・プレディスが使った言葉だ。

(プラトウで何かが起こる。私たちはその時、そこにいるのか? それとも……)

 すぐに起こるのか、あるいは何年後かに起こるのか、彼は考えた。

 ミス・プレディスの珍しく不明瞭な予知能力は、プラトウで起こることはもちろん、その時期についても明らかにはできなかった。

 彼女の家で見たあの眩い光は、もしかしたらアシュレイたちが天寿を全うした後の出来事かもしれないのだ。

(仮に居合わせたとして、私に何ができるんだ? 私の役割は……?)

 思い悩むのは役割の問題だけではない。

 あの出来事の背景にある恐ろしい事実だ。

(エルディラントの軍が町を攻撃したのはなぜだ……?)

 未来を見通す力は彼女には遠く及ばない。

 その彼女でさえ分からないことを彼が分かるハズがなかった。

「遅かったな」

 先に離着陸場に来ていたグランは、普段着ともいえる紺色のケープを羽織っている。

「ちょっと考え事をしていたんだ」

 遅れた理由を説明した彼に、

「私もしていたが5分でやめた」

 グランは遅れなかった理由を説明した。

「分からないことばかりだ。悩むだけ無駄だと悟ったよ」

 あれこれ思案するアシュレイとは反対に、彼は思考を手短にまとめたがる傾向がある。

 二人は待機している艦の間を縫うように歩いた。

 何隻かの艦を迂回した先に、彼らの乗る巡洋艦が待機している。

 旧式だが速力があり、装甲も厚いため現在でも生産されている人気の型だ。

「お待ちしておりました。皇帝に命じられ、準備はできております」

 艦長のレイーズが二人の姿を認めて敬礼した。

 この女はまだ若いが、上官の命令に忠実で且つ、非常時の判断に優れている。

 プラトウに赴くにあたってグランが同行を希望した人物だった。

「ああ、すまなかった。すぐに飛べるか?」

「はい、至急と伺っていますので、今すぐにでも」

「きみを推薦してよかった」

 職務に誠実な彼女を持たせたことを、グランは申し訳なく思った。

「お乗りください。お部屋まで案内させます」

 艦は起動状態に入っており、指示があればただちに浮上、航行が可能だ。

 このエリミータ級巡洋艦は戦線を拡げる目的で建造された。

 同時期に開発された巡洋艦に比して火力は劣るものの航行速度に優れている。

 反面、構造上の問題からAGSの動力源であるミストの変換効率が悪く、稼働には大量の石が必要となる。

 しかし少々の燃費の悪さは運用の支障にはならない。

 足りなければ搾り取ればよいだけだ。

 二人はそれぞれの部屋に通され、浮上までのわずかな時間を外を眺めて過ごした。

 室内には必要なものがひととおり揃っているが、特に関心を引くものはない。

 そもそも有事に備えて休息をとるための場所であるから、重鎮のために設えられたとはいえ内装も質素だ。

 アシュレイは離着陸場の向こうを見やった。

 ミス・プレディスの話によればあの時、溢れ出した光は世界を呑み込んだという。

 となれば今、視界の中にあるこの光景もまるごと光に覆われることになるが、はたしてそんなことがあるのだろうか。

 彼が再び思考の渦に沈みかけた時、艦内放送が離陸する旨を伝えた。

(行けば分かるか……)

 考えることを止め、アシュレイは代わりに昨日のやりとりを思い出した。

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