6 悲劇的-1-

「それじゃあ、行ってくるね」

 麻袋を担いで出かけようとするシェイドを、母が慌てて呼び止めた。

「これを持って行きなさい」

 棚から塗り薬を取り出し、彼の小さな手に握らせる。

「この前、怪我をしたときに魔法を使ったでしょう?」

 彼女はどれほど些細な理由であっても魔法の使用を厳禁した。

 便利な力は使うべきだし、魔法が当たり前の世界でそれを封じるのはおかしい。

 そうシェイドは思っているが、それを訴えると彼女は決まって父を引き合いに出す。


 “あなたのお父さんは魔法の力が強かったせいで死んでしまったのよ”


 こう言われてしまっては反論できない。

「分かった、気をつけるよ」

 シェイドは薬をポケットに入れた。

「気をつけていってらっしゃい」

 母は笑顔で息子を見送った。

 以前に大量の埋蔵石を見つけたことで、生活にはゆとりができていた。

 これまでのように早朝から夕方まで採掘場にこもらなくてもよくなり、時間的な余裕が生まれたからだ。

 この調子でもう少し生活が落ち着いたら、彼は学校に行きたいと思っていた。

 自分よりも多くを知っているソーマを見て、漫然とした不安を覚えたからだ。

 今まで以上に石を集めて前納制度を利用すれば、少なくとも1年は採掘から解放されるだろう。

 そればかりか余剰の石を誰かに譲ってお金にすることで、母も今ほど仕事をしなくてすむ。

 ソーマの家へ向かうシェイドの足は軽かった。

 今のところ、何もかもが順調なのだ。

 母が作った衣服はつい先日完売したし、一生困らないくらいの石も見つけた。

 役人に盾突いても何の咎めもなかったことも、彼の気を大きくしていた。

「おう、シェイド。今日は時間どおりだな」

 家の前で待っていたソーマは彼を見つけて手を振った。

「僕は遅れたことなんてないでしょ」

 向かう先は二人だけの秘密の場所だ。

 洞窟自体はプラトウの子どもたちに知られているが、その中の何の変哲もない一角に大量の石が眠っていることは誰も知らない。

「ん…………?」

 道中、空気の流れが変わったような気がしたソーマが立ち止まった。

「どうしたの?」

「いや、音がしたからさ。また艦が来たのかと思ってな」

「何も……聞こえないよ」

「悪い、気のせいだ。急ごうぜ」

 前を歩いていたソーマはかぶりを振った。


「やっと着いたね……」

 最初に発見して以降、ここには何度か来ているがシェイドはこの道程に慣れない。

 途中には視界を遮る草木と急斜面があり、それに毒虫の類もいる。

 前を行くソーマが草を掻き分け、虫を追い払ってくれたが別のルートを探したほうがいいかもしれない。

 削り取ったサイオライトを手に、ソーマが奥部に進む。

 陽光が届かなくなり、代わって彼の手の光源が洞窟内を青く照らす。

 目的の岩壁にはそれと分からないように偽装が施されている。

 シェイドはそれを丁寧に剥がし取り、アメジスト色に輝く石に触れた。

 この輝きは触れるだけで力を与えてくれる。

 無根拠な勇気と自信をもたらしてくれる。

「………………」

 いそいそとかき集めるソーマをよそに、シェイドは恍惚の表情でアメジスト色を眺めていた。

 不意に彼はこの輝きを独り占めしたくなった。

 持ってきた袋ではとても足りない。

 この輝きに永遠に包まれていたいという、彼自身も理解できない欲求が芽生えた。

「おい、どうした?」

 手が止まっている彼に気付き、ソーマが心配そうに顔を覗き込む。

 シェイドは鏡の中の自分を見つめるように、目の前の石を凝視していた。

「……え? ああ、うん、そうだね」

 意識を引き戻された彼は照れ笑いを浮かべた。

 遅れを取り戻すように石をかき集める。

 用意した袋がいつもより小さかったこともあり、作業は20分ほどで終わった。

 それぞれ目標に達したところで再び偽装して岩壁を隠し、光源を頼りに入り口まで戻る。

 作業が終わればすぐに現場を離れるのが採掘者の鉄則だ。

「ソーマ、あれ……」

 先に洞窟を出たシェイドは空を指差した。

 澄み切った青空の中に、一隻の艦が停滞している。

「妙だな……なんであんなところで……?」

 プラトウは隣国に近いこともあり、しばしば軍の通り道になっている。

 月に何回かの頻度で頭上を過ぎる部隊はあるが、この地域は進路上であって戦場ではない。

 部隊が留まる理由はないハズだった。

 二人はしばらく灰色の胴体を眺めていた。

 たった一隻とはいえ、まるで町を監視しているようで不気味だった。

「ねえ、ソーマ、あれって――」

 シェイドが何か言いかけた時、彼らの視界が一瞬、青白く染まった。

 さらに一瞬遅れて爆音が鳴り響き、地面が鳴動する。

「撃ちやがった!」

 遠くで砂煙が舞い上がったのを見て二人はすぐに理解した。

 ソーマは反射的にシェイドの手を引いて洞窟に引き返した。

 その途中、間隔をあけて一度、また一度と閃光と爆音が繰り返される。

 何度目かの震動にソーマが足をとられそうになったのを、シェイドが慌ててその手を掴んで立ち上がらせた。

 着弾点はここからずっと離れた場所だったが音と光と震動とが、二人に死の恐怖を植え付けた。

「あ、あれ、味方の艦だよね? なんで撃ったの?」

「知るか! どっかに敵でも潜んでるんだろ!」

「でもあれじゃプラトウの人まで巻き添えになるじゃないか!」

「だから知るかって! あまり奥に行くな!」

 奥まで逃げようとしていたシェイドをソーマが止めた。

 艦がこちらに向けて砲撃をしかけてきたら、入り口が塞がってしまうかもしれない。

 無差別と思える攻撃はしばらく続いた。

 轟音は遠くに近くに聞こえ、そのたびに足元が揺れる。

 砲塔が蒼白に光るたびに響く発射音が二人の耳にこびりつく。

(何がどうなってるんだ……!?)

 早鐘を打つ心臓に静まれと言い聞かせて、彼はちらっとシェイドを見た。

 幽霊でも見たみたいに怯える幼馴染の姿に、途端に彼は動揺していた自分がバカらしくなった。

(俺がビビッてたら、こいつはもっと怖がるだろうな)

 手間のかかる幼馴染だと彼は思ったが、そのおかげで自分が気丈に振る舞えることには気づいていなかった。

「外で何が起こってるの? 何かあったの?」

「心配いらねえよ。きっとただの誤射さ」

 誤射ならせいぜい1発か2発だ。

 今も続いている砲撃は明らかにプラトウの被害を度外視している。

「ねえ、母さんたちは――」

「大丈夫だ!」

 その先を言わせてはならない。

 警報もなく突然の、しかも艦からの攻撃だ。

 きっと逃げ遅れた人間は大勢いる。

 その中には自分たちの家族が含まれているかもしれないが、ソーマはその可能性を考えないことにした。

「でも、助けに行かなくちゃ……!」

「俺たちじゃ何もできねえ! 大人の足手まといになるだけだ!」

「そんな……いつもは大人は役に立たないって……」

「こういう時は別だ。それにみんな、とっくに退避してる。いいから待ってろ」

 気ばかり焦るシェイドをなだめながら、ソーマは砲撃が止むのを待ち続けた。

(家の近くにも砲撃をしのげる場所はたくさんある。みんな無事だ!)

 鉱山町の利点は採掘場をそのまま避難所に活用できることだ。

 そのため避難場所の数は他の地域の比ではない。

「………………」

 きわめて長く感じられた数十分が経過した後、光と音と地響きは同時に収まった。

 つい先ほどまでの爆音が恋しくなるほど、洞窟内は静まり返っている。

 聞こえるのは互いの息づかいと、まだ落ち着かない心音だけだ。

 こういう状況には慣れているハズの二人も次の行動を躊躇った。

 敵機に攻撃されることはあっても、自国の艦から砲撃を受けたことなど一度もない。

「もう少し待って何もなかったら外に出よう」

 結局、ソーマは曖昧な安全策をとることにした。

 シェイドはやはり焦りを隠せなかったが、この場は彼の意見に従うことにした。

 さらに数分。

 沈黙はいつまでも続いていた。

 しかしまだ様子を見に外に出ようという気にはなれなかった。

 音を立てずに艦が停滞し、地上で動いたものを目がけて砲撃するつもりかもしれない、という不安が拭えない。

 かといってここに留まり続けるのも現実的ではない。

 夜になれば暗闇になり、いよいよ恐怖に耐えられなくなる。

「ソーマ、そろそろいいと思う」

 彼が慎重になり過ぎた時、その背中を押すのはシェイドの役目だ。

 この二人は常に対照的で、いつも互いに足りない部分を補い合う。

「よし、行くか」

 内心ではその言葉を待っていた様子のソーマは、ゆっくりと一歩踏み出した。

 その足音がやけに洞窟内に響く。

 岩陰から上体だけを出して入り口の様子を覗き込んだ彼は、すぐにそれに気付いた。

(誰かいる……!)

 入り口に何者かが立っていた。

 逆光で顔は見えないが、長身で体の線は細い。

 手には何かを持っているようだが、ソーマのいる位置からでははっきりしない。

 不穏な空気を感じ取った彼は咄嗟に身をすくめた。

 振り返りシェイドに音を立てないよう指で合図する。

 不意に影が動いた。

 きわめて緩慢な歩みで洞窟内に入ってくる。

 規則的な足音が鳴り渡り、シェイドは思わず身を固くした。

 何者かは洞窟内を入念に調べるように一歩、一歩と進み寄ってくる。

「ねえ、何なの……?」

 岩を背に体の震えを抑えながらシェイドが囁く。

 足音は次第に大きくなる。

 ソーマは彼をさらに奥に押し込め、自分は岩陰からそっと顔を出した。

 足音がぴたりと止まった。

 次の瞬間、両者の目が合った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る