2 罪なき人々の嘆き-3-
重くなった袋を担いで町に戻ると、広場に人だかりができていた。
たまに地方の珍しいものを売りに来る行商がいて、お金にゆとりのある層で混雑することがあるが、この日は様子がちがっていた。
「言い訳は無用だ! お前たちは規律違反を犯した!」
軍服を来た数人の男が、若い女性と少女を取り囲んでいた。
「どうか……もう少しだけ待っていただけませんか! 不足分は必ずお納めします!」
つくばった女性が落涙しながら懇願した。
「滞納はいかなる場合でも許されない」
だが男たちは訴えに取り合おうとはしない。
周囲の者は気の毒そうに様子を見守っているが、割って入ろうとはしなかった。
「あの、何があったんですか?」
シェイドは衆人に小声で問うた。
「税金が払えないから財産の差し押さえがあったの。だけど、それでも足りないからって連れて行かれるのよ。かわいそうに……家財全部取り上げられたうえに連行だなんて……お役人もそこまで厳しくしなくてもねえ……」
最後のほうはほとんど聞き取れない声だった。
もし彼らの耳に入ってしまったら政道批判として咎は免れない。
「あいつら、好き勝手しやがって……!」
遠目で観ていたソーマが道具を投げ捨て、飛び出そうとした。
「なにするつもりさ!?」
シェイドが慌てて袖をつかんで制止する。
「決まってんだろ。あの人たちを助けに行くんだよ」
「だめだよ! そんなことしたら僕たちまで捕まっちゃう!」
小声で叫んでからシェイドはちらりと輪の中を見た。
幸い、役人たちはこちらには気付いていない。
「なら見殺しにするのかよ!」
「そうは言ってない!」
シェイドはソーマの肩を掴んでかがませた。
「お前は知らないんだよ。あいつらに連れて行かれた人がどうなるか」
シェイドは現場から目を背けた。
見なかったことにすれば、このまま静かに立ち去れば、何も問題はない、と彼は思った。
(助けられるのなら、とっくに誰かがやってるよ。大人がいっぱいいるのに……)
どうして誰も助けないんだ、とシェイドは思った。
「さあ、来るんだ!」
役人が女性の腕を掴んで無理やり立たせた。
「やめてください」
そばにいた少女が凛とした声で言った。
何度も繕われたようなぼろぼろの服を着ているが、よく通る声と伸ばした背筋が勇ましさを感じさせる。
「私には母しかいません。ここで連行されれば私はどうして生きていけますか? お願いですから、もう少しだけ待ってください」
「生意気なガキだな。お前のことなど知るか。さあ来い!」
男たちは少女をはねのけ、女性を連れ出そうとする。
「ソーマ、だめだって!」
いよいよ我慢できなくなったソーマが衆人を押しのけて前に出た。
「お前はここにいろ」
「待って! 僕も許せないよ。でもやり方がちがう!」
今のソーマは冷静ではない。
後先も考えずに飛び出し、強権的な彼らを殴りつけてしまうかもしれない。
「僕が……行く」
言いながら彼はそうしていた。
「なんだ貴様?」
屈強な男が低い声で言った。
「あ、の……」
シェイドは勇気を出せ、と自分に言い聞かせる。
足は震えているし、極度の緊張と恐怖がまともな発声を許してくれない。
目の前の男の、今日まで何人も殺してきたような視線が少年を竦ませた。
「用がないなら早々と失せろ。それとも死にたいか?」
男は腰にぶらさげた銃をちらつかせた。
政府の威光を振りかざす彼らは、いつでも発砲を許可されている。
理由は後でいくらでもとってつければいい。
「つ、連れて……連れて行くのはやめてください!」
もうどうにでもなれ、とシェイドは思った。
今さら引き返しはできない。
「おい、こいつ死にたいらしいぞ」
役人たちは品のない笑い声で言った。
徴税は役人の中でも低級の者があたる。
初めて手にする権力に振り回されてか、あるいは上級職から受ける重圧を発散するためか、この職位にある連中は品行卑しい者が多い。
シェイドは担いでいた麻袋をおろし、中を彼らに見せた。
「小さいけど5キログラムはあります!」
アメジストの輝きが役人たちを照らした。
(なにやってんだ、あいつ……?)
見守っていたソーマは、彼に危険が迫ればいつでも飛び出せるよう準備していた。
「何の真似だ?」
「この人たちに譲ります。それで……なんとかなりませんか?」
「きみ、どういうつもりなの?」
袖を引っ張られてシェイドが振り向くと、少女が困惑したような顔で言った。
質問に答えている余裕はない。
これは最初で最後の交渉になるかもしれないのだ。
「なんだ? これは何の騒ぎだ?」
不意に野次馬の一角が崩れ、そこから長身の女性が姿を現した。
男たちと同じ軍服姿だが、色合いと胸の記章が異なっている。
「官長!」
対応に困っていた男たちは一転、すがるように女の元へ駆けた。
闖入者が上級役人だと分かると、場はさらに緊張感に包まれた。
「――というワケでして。たしかにガキの持っている分があれば足りますが、期限は過ぎているんです。かまわず連行しましょう」
男たちから事情を聞いている間、官長はじっとシェイドを睨みつけていた。
旗色が悪いと感じたソーマは、いよいよ出番かとシェイドの元へ向かおうとした。
だが、彼が一歩を踏み出したとき、
「黙れ、この件が問題かどうかはお前らごときが判断することじゃない」
役人としての威厳や風格をまるで感じさせない彼らに失望したように、女は一蹴した。
一方でシェイドは彼女の威圧的な視線に今にも気を失いそうだった。
「話は聞いたが、お前からも確認しておく。その石はお前のものだな?」
「え……? あ、の……あの……」
「どうなんだ?」
「は、はい! そうです……じゃない、そうでした! でもこの人たちに譲りました!」
かろうじて受け答えはできているが、今の彼は顔面蒼白で全身は滑稽なほど震えている。
「なるほど――」
小さく息を吐き、官長は連行される予定の二人を見た。
母親は恐怖に支配されているようだったが、娘のほうは毅然とした姿勢を崩していない。
「お前たち、テスタ家を支局に連行する途中だったな?」
「は、はい!」
さんざん権威を振りかざしていた役人たちは、彼らが横暴に振る舞ってきた相手と同じように上ずった声で答えた。
「途中であればテスタ家の連行は完了していない。よってこの子が所有する石の所有権移転を認め、当該財産をテスタ家より差し押さえる。連行は中止だ。いいか、中止だ!」
こういった騒動はいつも政府側が法や規則を盾に強引に収束させる。
意外な顛末に場は静まり返っていた。
「この量なら不足分を補うどころか超過が出るな。そこのお前、先に没収した資産は返してやれ。ただし超過した分の石は遅延に対する追徴とする」
シェイドは倒れ込むようにして跪いた。
「あの、ありがとうございます! 本当にありがとうございました!」
テスタ家の二人もその場に膝をついて拝むように謝した。
「次はないと思え」
官長は群衆にも聞こえるように言った後、三人に顔を近づけ、
「お前たちは運が良かっただけだ。二度とこんな真似はするな。いいか、絶対にだぞ」
そう囁き、男たちを伴って引き上げていった。
彼らの姿が見えなくなると、間もなく拍手が巻き起こった。
「信じられない! 役人が黙って帰って行ったぞ!」
脅威が去ってしまえば、野次馬の多くは一種の興奮状態に陥る。
「無茶しやがって。ひやひやしたぜ」
ソーマは不機嫌そうに安堵した。
「僕も、だよ。もう全身汗びっしょりだ……」
気力を使い果たしたシェイドは荒い呼吸を整えるのに必死だ。
「あの、本当にありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか……あなたのおかげで助かりました。先ほどの石は一生かけてもお返しします!」
命を救われた女性は先ほど役人にしたように、卑屈なほど頭を下げた。
「いいですよ、お礼なんて。黙っていられなかっただけですから」
照れ笑いを浮かべた彼は、釈然としない様子の少女と目が合った。
「余計なことをしなくてよかったのに。でもあなたたちに助けられたのは事実だから、お礼は言っておくわ。ありがと」
シェイドたちより少し年長のこの少女は、二人を交互に見ながら言った。
彼女は騒動の中で一歩退いた場所にいたため、最初はソーマが割って入ろうとしていたのを見ていた。
「おいおい、それはないだろ。俺はともかくこいつは命懸けだったんだぜ?」
「だからお礼を言ったんじゃないの」
その後、お礼をしたいと言い張る女性とそれを断るシェイドの間で10分ほど押し問答が続いたが結局、彼女が折れるかたちで終わった。
結果として母娘が救われただけで彼にとっては十分な報酬だった。
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