2 罪なき人々の嘆き-2-

 この小さな町には舗装されていない道が多い。

 ここに永く住む者はそういった整備が意味を成さないことを知っている。

 しばしば戦の飛び火を受ける辺境の町には、そのたびに修繕が必要な整備は無駄でしかない。

 その代わり住居は実に堅牢に造られている。

 激化する戦争に巻き込まれれば、多少の魔法の腕は役に立たない。

 それよりも建築物を強固にし、事が起こればそこに避難すればよいという結論に辿り着いた結果だ。

 そのために住居は今でも石造りが多く、構造も衝撃を受け流せるように独特な流線型を描く。

「じゃあ行ってくるね」

 コートの襟を正してシェイドが言った。

 手にした麻袋は稼ぎを持ち帰るためのものだ。

「ごめんなさいね、シェイド。私も行ければいいのだけど」

「言わないでよ。今週中にあと10枚仕上げるんでしょ?」

 母は若い頃に服飾関係の学校に通っていたため、プラトウ南部の小さな店に自分がデザインした衣服を納めることで生計を立てている。

 特にこの町のように埋蔵資源が多い地域では、大多数の男は採掘に明け暮れるため衣服の消耗が激しく、一定の需要が見込める。

「この町で母さんほど上手に服が作れる人はいないよ。ヤジュのおじさんが言ってたよ。母さんの服は丈夫で長持ちするから好きだって」

 そう言う彼のコートも母が手掛けたものだ。

 製作の過程で繊維に遮蔽の効果を持つ魔法をかけて馴染ませているため、環境によって温度が自動的に調節される。

 夏は涼しく冬は温かいという理由で実際、シェイドはこれを年中着ている。

「夕方までには戻ってくるから」

 石段を降り、初めて訪れた者を迷わせる小路を抜ける。

 陽の当たらない場所は余所から流れてきたならず者がたむろしている可能性があるため、明るい通りを選ぶ。

「おう、シェイド君。今日も山潜りか?」

 砂埃を立てない程度に急いでいると、町民の多くは彼に声をかける。

「そうなんです。ちょっと遠くまで行こうと思ってて」

「この辺のは採り尽くしてるだろうしなあ。仕方ねえが大変だな」

「慣れてますから!」

 大人と子どもでは体力も扱える道具もちがう。

 彼らと同じ資源を漁る以上、取り分で損をしてしまうのは仕方がない。

「遅いぞ!」

 腕を組んで立っていたソーマが彼を呼び止める。

「ごめん! 急いだつもりなんだけど……」

 シェイドは膝に手をついて呼吸を整えた。

 ソーマは同い年だが、彼よりも背が15センチ近く高く、頭上から怒鳴られているようで、彼はつい萎縮してしまう。

 額の汗を拭おうとして腕時計の示す時間を見ると、約束の10分前だった。

「ん? あれ……まだ10分もあるじゃないか! 謝って損した!」

「んなの、どうでもいいんだよ。先に来た俺を待たせるのが悪いってんだよ」

「相変わらず無茶苦茶言うなあ、ソーマは……」

 彼の横暴ぶりは今に始まったことではないし、もちろん本心ではない。

「ほら、飲めよ。走ってきて喉が渇いただろ?」

 ソーマは小瓶に入った水を差しだした。

「これに懲りたら次からはもっと早く……あ、バカ! そんなに飲むなよ!」

 小瓶の傾き具合を見たソーマが慌てて奪った。

「お前よう、今日は遠出するって言っただろ。途中で水が欲しくなっても知らねえぞ」

「あ、うん、ごめん……でも――」

 ばつ悪そうに俯いたシェイドはすぐに顔を上げた。

「ソーマのことだから実はこっそり予備を持ってるんでしょ?」

「ねえよ!」

 頬を赤くした彼はそれを見られまいとそっぽを向き、町はずれの採掘場に向けて歩き出した。

 幼馴染の見せた意外な仕草にシェイドは苦笑した。

 プラトウ周辺には大小合わせ70以上の採掘場がある。

 これは認知されている数であり、規模の大小を度外視すれば500は超えると言われている。

「ここを進むのかあ……」

 自分の背丈ほどもある草が生い茂る一帯を見て、シェイドは息を吐いた。

「我慢しろって。見返りは大きいからさ。ああ、足元にも気を付けろよ」

 草木に視界を覆われるうえ、急斜面になっているために足場が悪い。

 こういう時、ソーマは率先して前を歩く。

 少しでもシェイドが通りやすいように道を作ってやるためだ。

 そうしてしばらく進むと、ぽっかりと空いた大きな穴が見つかる。

 入口付近は赤茶色の土がむき出しになっており、そこにはすでに無数の削られた跡がある。

 彼らよりも幼いか、粗末な道具しか持ってこなかった子どもたちが手当たり次第に石を探した跡だ。

 二人は転ばないように注意しながら洞窟をゆっくりと奥に進む。

 数メートルも歩けば陽光は届かなくなるが、内部はいたるところにサイオライト鉱石が裸出しているためにものを見るには不自由しない。

 この鉱石は酸素と結びつくと青く発光する性質を持つ。

 消費される酸素はきわめて微量なので酸欠に陥る心配はない。

 浅いところは先客に採り尽くされているので深部に向かう。

「この辺りにありそうだよ」

 シェイドは荷物をおろし、袋から小さなつるはしを取り出した。

 その間にソーマは来た道の壁からサイオライトを削り取って戻ってきた。

 青色の光源を頼りに地面や壁を掘削する。

 固い感触の中、黒く照り返す部分があれば周囲をていねいに削る。

 慎重な作業の末に転がり出たアメジスト色に輝く石こそが、彼らが死ぬまで採り続けなければならない獲物だ。

「ここのはけっこう大きいな」

 額の汗を拭いながらソーマが満足げに言う。

 採取できるのは砂粒ほどのものから拳大のものまでさまざまだ。

 大きな石ほど輝きは強いが、形や色合いに大差はない。

 掘り出した石を麻袋に詰めていたシェイドは、時折りぼんやりと一点を見つめることがあった。

「どうかしたのか?」

 ソーマが問う。

 気のせいだ、と言いかけたシェイドはゆっくりと立ち上がり、壁を指差した。

「あそこ……あの壁、何かあるような気がする」

「ん……? 何か、ってなんだ?」

 ソーマは訝しみながら壁に近づいた。

 触ってみるが何もない。

 ならばと叩いてみたが特におかしな点は見当たらなかった。

 ソーマはつるはしを握りしめた。

 シェイドはたまに勘が働くときがある。

 その機転に何度か救われたことのあるソーマは、彼が感じた何かを確かめることにした。

 壁がもろい場合は崩落の恐れもある。

 彼は力加減を誤らないように壁を削った。

「すげえじゃねえか、これ……!」

 作業が終わる前に彼はもう声をあげていた。

 削り取ったのは手の届く範囲だけだが、全てを見なくとも何がどうなっているかは理解できた。

「なんで分かったんだ?」

 ソーマは興奮気味に訊いた。

 削られて露出した壁面は隙間なくアメジスト色に輝いている。

 サイオライトの光に呼応するように、上から下へ、下から上へと照り返している。

「分からないよ。なんとなくそんな気がしたんだ」

「これ、ずっと奥もこんな調子か? おいおい、いったい何年分あるんだよ?」

 この壁が全て目的の石でできているのなら、このさき数十年は生活に困らない。

 納期限に怯えなくてもよいし、余剰は換金することもできる。

 裕福な家庭の子のように学校に行き、欲しいものを買うことだって夢ではない。

「お手柄だぜ、シェイド! よし、取り敢えず隠しちまおう。他の連中には気の毒だけど、これは俺たちだけの秘密だ」

 その言葉に気が引けたが、シェイドは従うことにした。

 明日さえ見えない時代だから、これを卑怯だと罵る人間はいないだろう。

 誰かが自分の立場でも、きっと同じようにしたにちがいない。

 シェイドはそう言い訳しながら、瓦礫でこれを隠した。

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