2 罪なき人々の嘆き-4-
「お前がそんな命知らずだとは知らなかったよ」
帰り道を歩きながらソーマが言う。
「それはこっちが言いたいよ。さっきのだって、ソーマを助けるつもりだったんだよ?」
「俺を?」
それは聞き捨てならない、と彼は足を止めた。
「あのまま飛び出してたら、きっと捕まってたよ。オルカのおじさんみたいに……」
シェイドは少し前、役人に反抗した罪で処刑された近所の男を思い出した。
「一度捕まったら、どんなに弁解してもだめだって聞いたよ。ソーマはそういうの――」
得意ではないだろう、とシェイドは言った。
それに対して彼は反論できない。
達観しているようで直情的な面もあるこの少年は、幼馴染が見せたような機転は利かない。
何も言い返せないソーマは何も言わずに家へ急いだ。
小柄なシェイドが早足でなければ追いつけない速さで密集した民家を縫っていく。
「ねえ、ちょっと! この道って――」
疑問を口にする前に二人はそこに辿り着いた。
ソーマは土埃を払い落とし、扉を叩いた。
数秒経たないうちに中から女性が出てくる。
「お帰りなさい、シェイド……あら? ソーマ君?」
そこはシェイドの家だった。
「こんにちは、おばさん。少しお邪魔してもいいですか? すぐに帰りますから」
「ええ、いいわよ。どうぞ上がって」
ソーマは丁寧にお辞儀をした後、石でいっぱいになった麻袋を持って中に入った。
「お茶を用意するから、奥の部屋で待っててね」
「いや、ここでいいんです。それより大きめの袋か篭はありませんか?」
「ええ……」
母親は用途も聞かずに袋を探しに家の奥へ消えた。
「ねえ、ソーマ、これってどういうこと?」
「お前に助けられっぱなしってのも癪だからな」
彼が素っ気なく答えたとき、母親が出来上がった衣服を詰めるための袋を持ってきた。
「これでいいかしら? ところで何に使うの?」
「ちょっと借りますね」
言いながらソーマは自分の麻袋から石を移し替えはじめた。
そこで初めて母はシェイドが何も持っていないのに気付く。
その理由を考えている間も彼は作業を続け、数分後には両方の石はちょうど半分ずつになった。
「ソーマ君、何かあったの?」
当然、そう質問されると分かっていた彼は向きなおり、騒動の一連を説明した。
「そんなことが……」
母は顔をしかめた。
弁えのある者なら、役人と道ですれ違うことさえ忌避する。
下級官吏にでも出くわせば、目が合っただけで難癖をつけられかねない。
「シェイド君は勇敢でした。それに俺なんかよりもずっと頭が良いし。他に切り抜けられる方法はなかったと思います」
これは彼の母親を前にしたお世辞ではない。
「ありがとう、教えてくれて。彼女たちを助けようとしたソーマ君も充分に立派よ。それは胸を張って言えることよ。けれど――」
母はソーマの優しさや勇気を殺さないように、
「あなたのお母さんを心配させてはいけないわ」
諭すように静かにそう言った。
「はい、それは……そうですね……」
やはり親子だな、とソーマは思った。
「ところでこんなにもらっていいの? ソーマ君のところもうちと同じで採集に動けるのはあなただけなのに」
「大丈夫ですよ。今月は余裕あるから。それに穴場も見つけましたし」
彼はちらっとシェイドを見た。
「そう……」
「じゃあ俺、もう帰りますから。お邪魔しました!」
ソーマは余計な詮索をされないうちに帰ることにした。
「あ、うん! また明日ね!」
二人のやりとりを見守っていたシェイドは、我に返ったように見送った。
「シャワーを浴びていらっしゃい」
分けてもらった石を運び込んだ彼女は、無事に戻ってきた息子のためにお茶を用意した。
袋に半分ほどの石。
覗くのはわずかに濁ったアメジスト色の輝きだ。
政府が国中からかき集めているこの資源を、彼女は憎々しげに見つめた。
「上がったよ。あ、お茶もらっていい?」
濡れた髪を拭きながら、シェイドはテーブルのカップに手を伸ばした。
いつもなら行儀が悪いと小言を言うところだが、母は今日ばかりは黙認した。
「ちゃんと乾かさないと風邪をひくわよ」
「分かってる」
古く、そう広くない家ではどこにいても声が届く。
いつでも母の声が聞こえることが、シェイドの気持ちを安心させた。
用事を終えて戻ってきた母と二人、テーブルを挟んで向かい合う。
「今日は大変だったわね」
彼はばつ悪そうに俯いた。
「良い子ね、ソーマ君」
「うん、いつも助けてもらってるよ」
彼は微笑したが、すぐに表情を固くした。
自分をじっと見つめている母親が、何を言わんとしているかは分かっていた。
(僕のしたことは間違ってたのかな……?)
あまり触れたくない話題だったから、彼はそれを切り出すことはしない。
だがそれは考えなければならないことだった。
「あなたはとても良いことをしたのよ、シェイド」
しびれを切らしたように彼女が言う。
「あなたとソーマ君が助けなければ、その母娘は酷い目に遭わされていたわ。だから悩むことはないの。シェイドはとても良いことをしたのよ」
「正しいこと、って言ってくれないんだね……」
「それは…………」
母は息子が最も言ってほしいことを言わなかった。
その気持ちを安易に肯定することが、かえって災禍を招くと分かっていた。
彼女はたったひとりの息子を、真っ直ぐで優しい子に育てた。
現実を見れば強者に媚びて弱者の足元を見るような、もっと狡賢い子にするべきだった。
だが地位も名誉もない母は、人としての誇りだけは捨てたくはなかったのだ。
「母さんにも分からないわ。人を助ける行為は尊いと、ずっとあなたに教えてきたわね。けれどそれが正しいかどうかは――」
この時代では言いきれない、と彼女は言った。
(じゃあ母さんは正しくないことを僕に教えたの?)
シェイドはそこまで出かかっている言葉を呑み込む。
母は歯噛みした。
人道的にも道徳的にも、子をどのように教え育てるかは決まっている。
しかし苛烈な現実がそれを許してはくれない。
正しいことを言う者は罰せられ、間違っていると分かっていても国に
(こんな世の中でなければ……)
彼はもっと伸び伸びと生きられたハズだ。
友だちと遊び、学校で勉強し、年頃になれば恋人をつくる……それら当たり前のことができたハズなのだ。
「ねえ、シェイド、あの話だけど――」
「再婚の話でしょ?」
聡明な息子はすぐに気が付いた。
「いつも言ってるけど、僕の父さんは一人だけだよ。母さんがどうしても、っていうのなら……僕もわがままは言えないけど。好きな人、いるの?」
「いないわ。母さんが愛しているのは……たった二人だけよ」
「だったら――」
「現実的な問題よ。男手が増えれば、あなたも今ほど働かなくてすむから」
「その分、人頭税が増えるじゃないか」
「遊び盛りのシェイドが犠牲になっているのがつらいのよ」
この話題になると彼女はいつもこの手を使う。
言葉に詰まったシェイドはカップに口をつけた。
お茶はすっかり冷めていた。
「やっぱり反対だよ」
彼は数秒、考えるふりをして言った。
「誰か他の人が来ても父さんだなんて思えないし多分、そう呼ぶこともできないよ。父さんのことはほとんど覚えてないけど、優しくてカッコよかったのは覚えてる」
シェイドは椅子の背もたれに身を預け、ぼんやりと天井を眺めた。
二人のいるちょうど真上にシミがあり、そのかたちがまるで骸骨に見えて彼は小さい頃から苦手だった。
「寂しくないの?」
「寂しいよ。名誉の死だとか尊い犠牲だとか周りは言ってたけど、納得できないもん。父さんひとりいてもいなくても勝ち負けなんて変わらなかったハズだよ」
彼の父親は8年前に戦死した。
武器もろくに扱えない、町の元気な男たちを集めて大軍勢を演出するために彼らは利用された。
国境で発見された希少金属の所有権を巡っての戦いだったが政府は当初、武力をちらつかせて敵を退かせる心算だった。
しかし狙いは外れ、両勢力は激しくぶつかり合い、その果てに彼は死んだ。
「戦争なんてなくなればいいのに……」
シェイドは意味のないことを呟いた。
この過酷な世界に終わりはない。
ほとんど全ての人間が生きるためだけに生き、彼らに潤いを与える一切のものは国に吸い上げられる。
作物も、お金も、命さえも。
それが世の中というものだった。
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