一番星を探して、星の海をなぞる

すこしだけ時間を巻き戻すことを申し訳なく思う。

でもどうか、その広い大海のような心で許していただきたい。


重く錆びついた扉をこじ開けて、身を屈めて中に入る。

まるで格好の良い秘密基地を見つけた子供のようで、いつも心が躍る。

今はもう使われていない、廃倉庫とでも言うべき場所。

人里から少し離れた場所にあるため、誰も寄り付かない。この時間ならばなおさらだ。

倉庫の中は外よりも寒く、明らかに服選びに失敗した。

なぜホットパンツなど履いてきた、私よ。


――――――私という夜空に輝く一番星は、いったいどこにあるんだろう。


こんなことを思ったのはいつからだっただろう。

「——————」

目を閉じれば、あの日々が昨日のことのように思い出される。

窓から差し込む、暖かな陽の光。少し埃っぽくて、二人で使う分には広すぎる教室。

パソコンのフォルダに今も残っている、未熟で稚拙だけどなんだか誇らしくて、微笑ましい作品の数々。

私がいて、彼がいた。その記憶を少し、回想しようと思う。


***


「問題」

デデン! とクイズ番組でお馴染みの、あのSEが教室内に響き渡る。

かなりの大音量に眉をひそめつつ、無言で抗議するも彼は聞いてなんかいない。

無視を決め込もうと、パソコンで執筆を再開したその時だった。

「1814年に開催された国際会議で、『会議は踊る、されど進まず』と評された会議といえば?」

なんだ、簡単じゃない。

「……ウィーン会議」

「正解!!」

これもまたお馴染みの正解音が流れる。

「なんなの、これ」

正解したからと言って、微塵も嬉しさを感じない。邪魔だ、とハッキリ言ってしまえば楽なんだけど、生憎そうもいかなくて。

「……じゃあ、次。問題!」

「……ねぇ」

嬉々として更にクイズを続けようとする彼を、執筆を邪魔する敵を見過ごすわけには行かなかった。

「ん、何?」

「邪魔しないで」

キッと彼を睨みつける。

「……」

彼は黙りこくったままだ。

その彼と目が合う。目は口程に物を言う、と言うから私の言いたいことは伝わっていると思うのだけれど。

「古代ギリシャの哲学者で、万物の根源を『火』であるとしたのはヘラクレイトスですが、『原子』であるとしたのは誰?」

「……はぁ」

彼のしつこさには嘆息するほか無かった。それ以外に為す術は無く、適切な対処方法も思いつかなかった。

今度は恨めし気な視線をプレゼントして、口を開いた。

「……デモクリトス」

「大正解!!」

ピコピコピコン!! と、先ほどよりも若干数が多くなっている。

彼はニッコリ笑いながら、私の方を見てくる。

無視しなきゃ。そう思っていても体が、いや視線がその顔を捉えてしまうのだ。

「なんだ、嫌々ながらも結構やるじゃん」

「誰のせいよっ」

ぐぬぬ、と唸りながらキーボードで通常の何倍ものスピードで文字を打ち込んでいく。

やがて相手をしてくれないことが分かると、彼も文字を打ち込んでいった。

そうそう、これが本来あるべき姿。そのはずだったんだけど。


***


「ふふっ……」

微かに笑いが漏れる。

「どうした、春海?」

Neinいいえ. 何でもないわ。大丈夫よ」

不思議そうに見つめてくる彼に、この顔は見せられまいと反対の方を向く。

「そうか? 大丈夫なら良いんだけど。……あれ、心なしか赤くなってないか?」

「ひゃっ!? え、嘘!!」

心臓がドクンと跳ね上がる。体は熱くて、頭は熱に浮かされたみたいに、瞬く間に沸騰した。

「なーんてな、冗談だよ」

彼がコロコロと笑う。

悪意無き罠に引っかかった自分を恥ずかしく思いながらも、その言葉にホウ、と胸を撫で下ろす。

でも熱に浮かされたままの私の頭は、記憶をさらに辿っていった。


***


「ど、どうかしら」

感想を聞く私の声は、自分でも分かるほどに酷く掠れていた。

いつだって、誰かに自分の文章を見せるのは緊張する。

ネットのような不特定多数の人間に見せる時は、投稿ボタンを押すときに指が震えるだけで済むのに。

いざ誰かに、それも自分のことを知る人間に見せるとなると、勇気も緊張もネットに掲載する時とは比にならないほどだった。

ここから逃げ出したい。そう思うほどに。


「──────うん。読んだ」

数分の空白のあと、彼が画面から顔を離してぐうっと伸びをする。

その数秒の間、その瞬く間に過ぎ去っていく時間すら、私には永遠に感じた。

面白くないって言われたらどうしよう。

軽蔑するような目で見られたら?

どうすれば良いの?

そんな消極的な思考が頭の中を行ったり来たり。

そんな悪循環を吹き飛ばしたのは、彼の言葉だった。


「すごく、綺麗だった」


思考に一瞬の空白が生まれ、真っ白に塗りつぶされる。

「え?」

面白いではなく、綺麗……?

「綺麗だったんだよな。すごくさ。ほら、この一文なんか。

 『――――――私という夜空に輝く一番星は、いったいどこにあるんだろう』

 俺だったらぜ――――――ったいに、思いつかないね」

彼の笑顔が夕日に照らされて、その言葉を嘘偽りのない純粋なものだと確信させる。

「……」

なんだろう、この気持ちは。

面と向かって褒めて貰えることが、こんなにも嬉しいことだなんて。

「あれ。……は、春海?」

「……ひっく、う、あううぅぅぅ」

嬉しくて、胸の内から暖かいものがこみ上げてきて。

嗚咽も、涙も、全く隠す気なんか無くて。

最初は動揺していた彼も、私を隣の椅子に座らせて肩を優しく叩いて宥めてくれた。

この日、初めて私は、彼の存在を好ましく、愛おしいと心から思った。


***


「大泣きだったよなぁ、春海にしては珍しく」

「そ、それは言わないでよっ」

声音は焦っているように聞こえた。

全く、私らしくない。

「──────」

そっと横顔を盗み見る。大丈夫、まだ気づかれていない。

出会った当初は、妙に馴れ馴れしい人だと思った。

数回会って話をしただけで、私を下の名前で呼ぶなんて図々しいにも程がある。


最初は愚痴ばかりだった。

恨み言ばかりなのに、誰がどう見ても、こう言うの。


、って。


案外、家が近いから一緒に登校して。

時間が空いているから、昼食を共にして。

放課後に一緒に執筆するのは、気がつけば日課になっていた。

息詰まったあなたは、よく私にクイズを出してきてくれて。

最初は鬱陶しく思いながらも答えてみたら、案外正解してて。

そのうち、私も一緒に問題を出して。

放課後は、あなたに見送られながら帰る。


文化祭でクイズ研究会とのガチンコ勝負に二人で挑んで、最後の最後でボロ負けして。

その時にさり気なく、初めて下の名前で呼びかけてみて。

あなたの驚いた顔が、本当に面白くて。


今思えば、最高の3年間だった。

本当に楽しくて、愛おしい、幸せな時間だった。



ずっと、言えなかったんだから。



ねぇ、気づいてる?



──────私ね、あなたに、恋をしているの。

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