私のお星様
こうやとうふ
素直になれない子供のような
「あんにゃろ……、こんな時間に起こしやがってぇ」
薄暗い、濃紺の空が広がる夜の道を、一人で歩く。
まだ覚醒仕切っていない頭に、冷たい風が吹き付けて強引に目覚めを促してくる。
今年の春は、例年と比べて寒いらしい。今週は真冬並みだとか。
やめてくれ。痛いし、冷たいし、気持ち悪いし。
時刻は午前の1時。
幸いにも人通りは完全に無く、車が走っている気配もない。
まるで世界に、俺一人だけのようで、なんだか気分が良い。
勝手に舞い上がり、有頂天になる気分とは裏腹に、体は絶賛不調の嵐だった。
まず喉が痛くて、しゃがれた声しか出ない。
あと羽織る上着を間違えて、ただのパーカーを持ってきてしまった。
もう少し厚いやつにするんだった。寒さで体が震えて仕方がない。
『ごめん。あと10分はかかるかも』
メッセージを送信すると、ものの数秒で返信が返って来た。
デフォルメされたアライグマがサムズアップしている横に『OK!』とポップな文字が並ぶスタンプ。
中々にシュールで笑ってしまった。
「くそっ、寒い。あー、寒い。死ぬ」
ウダウダ愚痴っていると、あっという間に目的地に到着してしまった。
目の前には鉄のデカイ扉が。
「ふんっ……」
少し錆びて一部が赤茶色に変色した取っ手を掴んで、グッと体ごと全体重を乗せて前に押し込む。
ギギギギィ……と、気味の悪い音を立てながら扉は開いた。
「……この扉、来るたびに開けにくくなってんな。そろそろダメかも──────えいや」
お返しと言わんばかりにドアを蹴りつける。
ゴンッと鈍い音がしたがビクともせず、代わりに俺の足が痛くなっただけだった。
「……アホらし」
自分の馬鹿らしさに呆れつつ、中に入る。
明かりなど一切無く、月光だけが優しく中を照らしていた。
視線の先には、一人の女性が、本を片手に冷たいアスファルトの床に座っていた。
「やっほー、グッドモーニング、ぐぇ……」
おかしな挨拶をして器官に何か入ったのか、ごほごほと咳き込んで、涙目になりながら俺の方を見上げた。
暗い緑色のファー付きジャケット、中には灰色のパーカー、ホットパンツにスニーカーとか季節感ガン無視の服装で座っていた。
「……主に下、寒くないのか」
「平気。あなたも座ったら?」
長い黒髪が、外からの風でふわりと舞う。
俺はそれを見つめながら、しゃがれた声を出した。
「……隣、いいか?」
「お好きにどうぞ。それにしても、どうしたのよ、その声」
「喉、やっちゃったみたいで」
「おバカさん」
彼女は苦笑して、ポンポンと隣の床を叩く。
気にせずに座れということらしい。
「よっと。ふぅ……」
座ると脱力し、肺の中に溜めていた空気を全て吐き出す。
いざその顔を見ると、先ほどの愚痴はもう出なくなっていた。不思議なもんだ。
ふと、彼女の視線を感じて横を向くと、少し唇が歪んだ不器用な笑い方で心地よい声を上げた。
「……お疲れ様、
「どうも、
腐れ縁からの労いの言葉を受け取る。
そして今ここに、最後の、ささやかな宴が始まった。
***
俺の名前は
此奴や仲間内から《ジンジン》と呼ばれてたり。
ダサすぎるからやめて欲しいんだが、注意すると面白がってさらにエスカレートするからお手上げ状態だ。
大学生の20歳で、将来のことはまだ模索中だ。
そしてこの女の名は
俺が勝手につけたあだ名は《パルム》だ。
そう。あのアイスキャンデーから取った。
俺と同い年の20歳で、
──────期待の新人小説家。
***
「……しっかし、お前が小説家とはなぁ」
手を頭の後ろで組み、そのまま寝転ぶ。
床は外の空気よりも、さらに冷たかった。
「ホント、先は読めないもんだ」
「大げさなのよ。────大体、3次落ちの作品が編集者の目に留まったっていうだけ」
……本当に偶然。それだけ。
そう言った後、春海は俺に申し訳無さそうに俯いた。
なんだか悪い事をしたかのように、嫌な気分になった。
こういうの、苦手だ。不用意に言葉を選んだら相手を傷つけるんだから。
だから、出来るだけ慎重に言葉を選びながら言う。
「いや、でも凄いじゃん。俺は……怖くて出せなかったからさ」
「──────そんな顔しないの」
遮るように強く言われてハッとする。
悪い癖だ。自分を卑下するなと、俺は彼女から何度も咎められている。
「春海、ごめん。俺……そんなつもりなくて」
「どうしてすぐに謝るのよ。さっきも言ったけど、私がこうなったのはただの偶然。一回こっきりの奇跡なのよ? 12時になれば魔法は解けて、綺麗さっぱり消えてなくな───」
「無くならねぇよ」
今度は俺が強く遮る番だった。
「……え?」
「だから、無くならねぇって。お前が凄い奴なのは俺が一番知ってる。
——————そりゃあ、お前に対して嫉妬はするし、ムカついたりしたけどさ。お前が紡ぎあげたその言葉は、文章は、誰かの心に届いて、響いて、いつまでも残り続けんじゃないのか」
「なっ……」
俺が言い終わるや否や、春海は顔を真っ赤にして膝を抱き寄せてそれを隠した。
照れるとついやってしまう癖、らしい。
「どうしてあなたは、そんな恥ずかしいことを惜しげもなく言えるのかしら……」
「俺に聞くな。勝手に出てくんだよ」
「その勝手に、が怖いのよね……」
照れてるのかそうじゃないのかハッキリして欲しい。そんな恨めしげな目をしながら俺を見るのはやめてくれ。
「じゃあ、あなたはどうなの? 私の紡ぎあげる文章は、好き?」
「は? 俺?」
うん。と彼女が頷く。目をキラキラに輝かせながら、俺の答えを待ち切れないといったような様子だ。
予想外の事態に呼吸が詰まる。
微かに月光の明かるさが強まり、眩しくて目を細める。
少し照れながら、素直に声に出してみた。
「あー、悪い所を挙げようとするとキリがないけど」
「えー、ヒドイなあ……」
春海がむぅ、と頬を膨らませる。
でも、と一呼吸置いて。
「——————流石だと思う。思うように書けない苦しみも、上手くいった時の嬉しさも。それを真正面で逃げずに立ち向かうお前を、俺は一番近くで見て来た。だから、分かるんだよ」
「……そう」
俺の正直な気持ちを聞いたのか、穏やかな顔をして、すぅっと息を吸い込む。
「ありがとう。そう言ってくれるとうれしいわ」
おもむろに携帯を取り出し、ゆったりとした動作で春海は携帯を操作する。
時刻はまもなく午前二時。
ゆったりとしたピアノの音色が、俺たち二人を包んでいく。
流れ出す曲はリストの『愛の夢 第3番』。
柔らかな旋律をバックに、今宵の宴はまだ続いていく。
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