第十話 「薔薇」
鈴と銀の話を聞いてから、真は学校に行ってなかった。
とてもじゃないが行く気にならなかったし、それにどんな顔をしてあそこにいていいのか分からなかった。
父も圭さんも顔を合わせても何も言わなかった。どうしてかは分からなかったけど真にとっては有り難いことだった。
連日、街を歩いた。
健治がいなくなった次の日だけ晴れたけど、翌日には雨に変わっていた。それは殴るような雨ではなく、どこか寂しい雨が傘を叩いた。どう歩いても靴は濡れてしまうから水たまりを気にすることなく歩くことにした。
半透明の傘越しに見る町は朧気で、走る車のライトが尾を引くように通り抜けた。道を歩く人達はまるで世界に一人だけだと言わんばかりにすれ違う人に気も向けずに歩き去っていく。
健治の家の近くにも行った。少し古い二階建てのアパートの一番左端が彼の家だった。昼間は誰もいないのか人気がなかった。近くのゴミ捨て場に彼の荷物が捨ててあって、なんだか無性に虚しくなった。
結衣の家の近くにも行った。団地の一角、自分の住むマンションよりは綺麗で、でもひどく冷たく思えた。たった一回しか行ったことがないのに、部屋の様子は鮮明に思い出せた。
茜に連れてかれた場所にも行った。児童養護施設は相変わらず外からでは何も分からなかった。だけど中に入ろうとは思えなかった。それは彼女のかつての家でも同じだった。
鈴の家は知らないので行くことができなかった。例え知っていても行ったところで何もできないし、何かしてやれることもない。
日の最後に、真は決まってある場所に赴いていた。
街の南西、田んぼの中にポツンとある墓場だった。母と弟が眠る墓の前で、陽が暮れるまでそこで蹲っていた。座るのではなく、膝を抱きかかえるような恰好で、ただぼんやりと墓石を眺めていた。その様子を気に掛ける人こそいたが声をかける人はいなかった。
そこで、答えの出ない問答を一人でずっと繰り返した。それに意味がないと分かっていても、それ以外のことをする気にならなかった。
(英雄……)
今となってはかつての憧れや輝きはない。あるのは血塗られた過去と、おぞましい数の犠牲。それらの上に今があって、その中には真の良く知る人も含まれている。
願いを束ね、祈りを叶えた者。その頂点、多くの人が夢見て、恋い焦がれた存在。
知らない内に、自分はそこにいた。
そのことに悲観も楽観もない。今の真はその事実をそのままに受け止めることができた。その上でどうすべきなのか、どうしないといけないのか考えていた。
つもりだった。
「……そう、だよな」
呟く、と表現するにはあまりに小さな声だった。殆ど吐息に交じっていて、例え近くに誰かいても聞き取れないだろう。
そうしてゆっくりと立ち上がると空を見上げた。平らな灰色の空が広がるだけで、他には何もない。
「そうだよな」
さっきよりも確かな声で、はっきりとそう言った。その表情に憂いはなかった。
あれがこの町に現れるまで、あと一日のことだった。
玄関がいつもより狭い。
厳が家に帰って最初に思ったのはそのことだった。
よく見ると靴が一足多い。使い古されているが汚れているわけでもない、スポーツ用品店で売っているモデルのものだった。
然して珍しくないそれを愛用している人物は沢山いるだろうけど、ここまで使い込んでいる奴は一人しか知らない。
なにより、誰もいない他人の部屋に上がり込める図太さを持つ奴なんて、きっと一人くらいだろう。
履いていた靴を脱ぐと、端に寄せて中に入る。
案の定、リビングには見知った顔があった。
「おー、お疲れさん」
その人物は顔を見ると手にした缶を軽く揺らして出迎えた。見れば机の上には大量の空の缶が散乱していて、微かに顔が赤くなっている。
「……相変わらずだな、お前は」
「あんたにだけは言われたくないさ」
凜道圭はニヤリと笑うと再度缶を仰いだ。その表情、態度は昔と何も変わっておらず、自然と笑みがこぼれた。
厳は軽装に着替えると圭の向かい側に座った。
「ほれ」
圭が袋を漁ると手にした缶を厳に放る。受け取るとそれは最近テレビでよく見かける銘柄のお酒だった。
「それ、全部酒か?」
「まーね。一応つまみも買ってきたけど、お互いあんま食べないし」
「そういうことじゃないんだが……」
「そー言うなっての。ほれ、乾杯といこうじゃんか」
厳はため息をつくと乾杯をし一気に呷った。
それを見て圭は嬉しそうに残りを一気に飲み干す。
「真は?」
「いつも通り」
現状を理解すると、「そうか」とだけ答えて新しい缶を開ける。
「そんで、そっちはどんな感じなんだ?」
圭がそう尋ねる。
厳は伸びきった顎鬚を掌で撫でながら、
「なんとも言えないな。被害者が多すぎて、正直捜査が追いついてないのが現状だ。一応一人だけ見つかったが手口が異なるせいで関連性は見えてこない」
「そっか」
「そっちはどうだ?」
圭は酷く疲れた表情を浮かべる。
「こっちも似た感じさ。この前やった保護者説明会なんて散々なもんだったよ。被害者は全員虐めに加担していて、しかも殆どが行方不明。正直どっから突っ込めばいいんだか分かんないよ」
新しく開けた缶を半分ほど飲み干すと、髪を掻きむしりながら話を続ける。
「あたしのクラスに被害者がいないからまだ余裕はあるけど、ほぼ全員がいたクラス任されてた奴は可哀想でならないよ。虐めに気づけなかったのはともかく、行方を晦ませてることまでは責任取れないってのに」
「親御さんにとってのはけ口がそこにしかないからな。こっちにも毎日誰かしらの親が問い詰めにくるから、対応する連中は参ってるよ」
「今回ばかりは仕方ないのかもねぇ……」
残りを一気に呷ると、こう切り出した。
「それとな、例の件、あんたが言ってた通りだったよ」
「────やっぱり、か」
ゆっくりと長く溜めてから、厳はそう答えた。
それはどこか悔しそうで、それでも納得した表情だった。
「あまりに不自然だったからな。そりゃこの非常時だし、人の手で書かれたもんだから多少のミスはあるかもしれないけど、いくらなんでも有り得ないさ」
「こっちも似た感じだ。どいつもこいつもまるで化かされているかのように気づいていない。このまま自然消滅するだろうな」
明確な主語が出てこないまま話は淡々と進む。
そして、意を決した様子で圭が口を開いた。
「それと、やっぱ真も関わっているみたい」
「…………そうか」
予想していたことではあった。
それでも、あいつは関係ないと、心のどこかで願っていた自分がいたらしい。
実際に言われると思った以上にくるものがあった。
「まだ憶測の域を出てないけど、無関係にしてはタイミングが良すぎるでしょ」
圭は笑いながらそう言う。
「なんであいつが……」
「そりゃあんたの息子だからね」
はっきりと言い切られ、厳は不服そうに睨みつける。
圭は軽く肩をすくめると、どこか慈しむ様に語り出す。
「そっくりだよ。変に真面目で、要領が悪くて、頑なで、なんだかんだ優しくて。伸びる背丈と一緒にどんどん似てきてる」
「優しいのはアイツに似たんだろうな」
「どうだか。そこはお互いさまだと思うけど」
どう返していいのか分からず厳は開けた缶の中身を一気に飲み干す。
「あいつなら、あたしらができなかったことができるのかもな」
少しの沈黙の後、圭がそう呟いた。
それを聞いてか聞こえなかったからか、厳が話を始める。
「俺はいなくなったあいつの行方を知りたくて警察官になった。なのに、調べても調べても何も出てこなかった。分かったのは違和感があることと、何かしらの理由があることだけだった。それに……」
見えない壁があることも。
そしてそれは、一生かかっても超えられないことも。
その高さすら分からないままだが、それだけは理解できた。
「大したもんだよあの子は。あたしらの予想通りなら、まさしく地獄だ」
ほんのりと頬を赤く染めながら、羨ましそうに話す。
「それを誰にも、親であるアンタにすら黙ったままで今日まで過ごしているんだ。
それは正しくない。素直に私たち大人に相談すべきだ。でも、それでも凄いと思うし、私じゃ到底耐えられない。絶対にどこかで折れてるだろうさ。何かしらの理由をつけてな」
「何か、できないだろうか」
厳が俯いたまま呟く。
そんなの簡単なことだろ、と圭が言うと、
「信じてればいいんだよ。信じて待ってればいい。どんなことがあっても親は子供の味方でなくちゃいけないと思うんだよね私は」
「……それだけでいいのか?」
「きっとね、子供の生きる世界は私ら大人と同じで全然違うんだ。だから私らが首突っ込んでも同じ景色は見れないし、同じ時間を共有できない。だから待つしかない。どんな答えを出そうとも親が子供の意見を否定しちゃいけない。正し導くことはしても、間違いだと諭してはいけない」
「大丈夫、だろうか」
「心配なのは当たり前さ。だけど大丈夫だろうよ。なにせあんたとあの子の自慢の息子なんだろう?それなら間違った答えには辿りつかないだろうさ」
そう呟いてさっき空けた缶を空にする。
(こういうとき、アイツならどうするんだろうな……)
アイツがいなくなってから、もう十二年が経つ。
時間はあっという間で、それこそ一人途方に暮れていた頃が懐かしいと感じてしまう。それくらい、毎日が忙しなかった。
真が学校で虐められていると知った時、俺は何も言えなかった。何もしてやれなかった。親として、真と向き合うことができなかった。
その負い目からか、俺は未だに顔を見てアイツと話せていない。仕事やお酒の力を借りないと、アイツと二人で話すこともできない。
そんな自分が父親を名乗っていいのだろうか。
名乗る資格があるのだろうか。
(……いや、まだ遅くはないはずだ)
真がそれに関わっている。でもまだいる。この世から消えていない。
それなら、まだ間に合う。十七年遅れたけど、俺はまだ父親としてやれることがあるはずだ。
そんなことを考えながら厳はふと視線を上げる。
見れば机の上に空き缶が散乱していた。この一瞬で空けたらしい。
「……お前、やっぱり呑む量増えたな」
「そうか?そんなに変わらないでしょ」
「どう見ても増えてるだろ。普通年食ったら呑む量減るんだがな」
「そーいうアンタも結構呑んでんじゃんかよ」
「俺はいいんだよ俺は」
「なんだそりゃ」
そういってお互い顔を見合わせて笑った。
話は昔の思い出話に変わり、夜が更けるまで灯りが消えることはなかった。
むかしむかしあるところに、ひとりの男の子がいました。
その男の子はほかのだれよりもたたかうさいのうにあふれていましたが、あらそいがきらいで、ともだちのどうぶつといっしょにいることをこのみました。
それをみた母親は、くにいちばんのせんせいのもとにしゅぎょうをさせにいかせました。
そこでまなび、男の子はいつしかおおきくせいちょうしましたが、それでもたたかうことをきらいました。
こまりはてた母親は、さんにんのうんめいのめがみにそうだんをします。
そこでうんめいのめがみは彼にしれんをさずけました。
彼のすむくにではそれはたいへんなめいよとされ、まわりからのきたいにこたえるために彼はそのしれんにいどみました。
しれんとして、彼のまえにたちふさがったのはかつてのともだちでした。
そのしれんとは、かれらの〇をうばうことでした。
かれはなやみくるしみ、それでもかれらを〇〇しました。
しかたのないことだと、わらっていくものがいました。ごめんねと、あやまるものもいました。だれも彼をせめることはしませんでした。
そしてついに、彼はすべてのしれんをのりこえたのです。
やがてかれはたたえられ、いつの日かこうよばれるようになりました。
英雄、と。
きがつけば、彼はひとりぼっちでした。
おかのうえでひとり泣きます。ないてないて、なみだがかれて、やがてかれはたちあがります。
こんなせかい、ぼくはみとめないと。
あふれるばかりのいかりは、かれのからだをまたたくまにことなるものにかえます。
そうして彼はひとりではなくなりました。おもしろおかしくさわぎたてる、あのころのともだちがすぐそばにいるからです。
そうして彼はむかいます。じぶんたちにとっての、りそうきょうをさがすために。
そしていつか、あのころのように、おだやかなひびをおくるために。
その日は異常としかいえない天気だった。
連日降り続いた雨は止んだものの、灰色の雲が空を覆い昼なのに薄暗い。
気温もこの時期にしては高く、湿った空気と合わさってまつわりつくような暑さをもたらしている。
温い風は何かを急かすように吹きすさび、山の向こう側では遠雷が轟いていた。
この異常気象を大きな災害の前兆と噂する声があちらこちらから聞こえ、一部の人間は三十年前の大災害の再来だと騒ぎ出した。
最終的にその可能性を危惧した住民全員が自主的に避難を始め、街の北側から人影が消え失せ、そこに向かう道は封鎖されることになった。
そうしてもぬけの殻となった住宅街に一人の少女の姿があった。
目を奪うほどに白く、どこか儚く映る少女だった。白を基調とする制服がそれをより強調している。
手に持っているのは一振りの刀だった。藍色の鞘には傷が多数あり、それだけで使い込んでいるのが分かる。なによりそれを携え歩く姿はまるで絵画のようだった。
「……必ず、殺す」
怨念に近いそれを全身に纏いながら、彼女は決戦の地へと向かう。
例えそれが針の孔より勝ち目のない戦いだと知っていても。
四ノ宮鈴が選んだのはいつもと同じ戦闘スタイルだった。
手に持つ刀の他にも、あちこちに爆弾や予備の武器を隠してある。
一応重火器の類を使うことを視野に入れたが、調達の難易度や扱いの難しさ、なにより以前使った際に雑魚の妨害されたことを踏まえると現実的ではない。
本体を倒すには接近し直接攻撃する以外の選択肢はない。それが繰り返すことで得た知識だった。
(爆弾も、予備の武器も、所詮は目くらまし。一瞬でも気を逸れればそれでいい)
かつて善戦した際は数の有利と連携を活用しての勝利だった。だが今戦えるのは私一人。援軍は期待できない。
それでも戦えると、彼女は誓う。手にする刀、かつて彼から受け取ったこれさえあれば最期まで戦える。それは確信めいた自信だった。
そうして歩き続け、たどり着いたのは北部中央にある広い公園だった。だだっ広い草原の、その中心にある巨大な時計のオブジェを目を向ける。高さは数メートルもあり、金属の管が幾重にも絡まりあうような構造をしている。それが現れるのは決まってここ、十二時の鐘がなってからだった。
「……来た」
ゴーン、ゴーンと重厚な音が鳴り響く。ひと際強い風が頬を撫でた。
突然、時計の遥か上空で何かが現れた。それは繭のような形状の竜巻だった。まるで常識をあざ笑うように大きく膨れ、突風を伴って張り裂ける。
中から現れたのはさながらさながらサーカス団とでもいうべきか。最初に現れたのはカラフルな色をした動物たち。まるで踊るかのように飛び跳ね、けたましく鳴きながら周囲に広がっていく。
それを見て鈴もまた歩み寄る。通り過ぎる敵は彼女に興味がないようだった。
近づくほどに現れる動物のサイズが大きくなっていき、繭が弾け飛び本体が姿を現す。
鎖に巻かれ、身動きの取れないそれは十二匹の動物たちに守られるように悠然とそこにいた。その表情はどこか遠くを見ている様に映る。
「…………ッ!」
沸騰するかのような怒りに耐えながら彼女はポケットに入っていたスイッチを押す。
すると近くの物陰から何かが飛び出した。
ペットボトルロケット。空気圧と水圧を利用した自由研究でよく作られる代物。特別細工がされているわけでもないそれが、ただまっすぐ敵へと向かっていく。
敵は飛んできたそれを警戒する。が、
「……遅い!」
一閃。十二匹いた敵の一匹、猪のような生き物の首を切り落とす。
彼女は打ち上げたペットボトルロケットのうちの一つをワザと大きく上空に外し、そこに転移し、落下しながら敵の一体を斬ったのである。
それはかつて彼から受け取った最後の力だった。
予想外の一撃に敵がけたましく騒ぎ始める。呼応するかのように地面が割れ、辺りの木々が薙ぎ払われ宙を舞う。近くの小型の敵は彼女に狙いを定め攻撃を開始した。
着地するや否や一瞬で迫る小型の敵を切り落としていく。
ここに最後の戦いが始まったのだった。
真は一人、例の墓場にいた。
周囲を持参した箒で掃き、濡らした雑巾で墓石を丁寧に磨く。活けてある花束を入れ替え、中に入っている水も入れ替えた。線香の束を取り出すとライターで火をつけ、軽く振ることでその火を消す。途端にたちこめる煙を確認すると、お線香をあげた。
そうして一通りのことを終えると手を合わせ目を閉じる。何も考えず、お線香の匂いを嗅ぎながら、ただ静かにそうしていた。
ふと、砂利が擦れる音が聞こえてくる。均一なリズムを刻んでいるため誰かが来たのだと思った。こんな時にここに来る人物を真は一人しか思いつかない。
「やっぱり、ここにいたのか」
目を開け、振り返る。普段見ない警察官としての父の姿だった。だが、その表情だけはいつもと何も変わらなかった。
厳は真の周りを見ると、懐かしそうに語る。
「昔から、お前はなにかあるとここに来ていてな。最初こそ心配になったが、巡回中の連中から話を聞いてからさほど心配ではなくなったんだ」
「そういや、そうだったね」
真は墓石を眺めながら、そう呟いた。
「しかし、ここは随分静かなんだな。向こう側はえらいことになってるぞ」
周囲を見渡しているのか、どこか呑気にそう言う。事実人の姿はどこにもいない。最もこんな事態に墓場にいる方が珍しいのだが。
二人を沈黙が包む。それを破るように厳が淡々と話し始めた。
「……俺はな、これでも申し訳なかったって思ってるんだ。母さんと弟を失ったお前を一人放置して仕事に明け暮れていた。仕事を免罪符にして何もしてやれなかった。そのせいでお前には色々と苦労や辛いことを経験させてしまった」
「……別に、気にしてないよ。そのおかげで俺は今ここにいるんだし」
ふっと笑うと、真はそう告げた。
厳は話を続ける。
「だから、正直に言って俺はお前の考えが分からない。理解し合う時間を俺が勝手に奪ったせいで、お前のことをちゃんと分かってあげることができていない」
真は蹲ったまま父の顔を見上げた。
「これが正しいのかは分からない。検討外れなら笑ってくれていい」
笑っていた。
真剣な声色にふさわしくない、優しい笑みだった。
「行ってこい。やることがあるんだろ?」
その一瞬を真は永遠のように思えた。全身の血液が突沸するような、そんな感覚が背中から一気に広がっていく。
唐突に涙がこぼれそうになりぐっとこらえる。隠すように立ち上がりながら父の横を通り抜ける。
「後片付け、頼んでもいい?」
「あぁ。構わない」
「……ありがとう」
真が走り出す。その寸前で厳が呼び止めた。
「真!これを持っていけ!」
投げられたそれを受け取る。布で包まれたそれは手にしただけで中身が分かった。
「それがどう役立つかは分からん。だが、それはきっと、この時のためにあったんだろうな」
「?どういうこと?」
「なんでもない!早く行け!」
真は何か言いたそうにしながらも、その場を後にした。
その背中を眺めながら厳は一人呟く。
「これで、いいんだよな」
その声は風と共に消え、誰の耳にも届くことはなかった。
「──ッ‼」
鈴は迫る蟹の鋏を切り落とし、一度距離を取る。
敵の総数は確実に減っていた。
だがそれでも元が多いせいでその実感はまるでない。
(……強い)
何度戦ってもそう思う。本体が主体ではなく周りが本体なこいつは小さな雑魚ですらそれなりに強く、本体に近づくほどにその強さが増していっている。今斬り落とした蟹はその傍にいた中の一体で、多分あの十二体の中では一番弱い。
「……」
近くに隠しておいた槍を取り出し、構える。ただの武器では敵に傷をつけることはできないが、ほんの少しでも力が篭もっていればそれも可能になる。その槍は結衣の力を加えた一つだけの槍だった。
上空から襲い掛かる鳥を槍で突き殺し、本体に向けて投げつける。真っすぐ飛ぶそれは途中で巨大な牛の胴体に進路を塞がれる。
鈴はその一瞬で転移すると巨大な牛を一刀両断した。その胴体を駆け上がると傍にいる鹿に迫る。
「──ッ」
だが空中でそれを中断し、体を強引にその場に留める。すると眼前を通り過ぎる物体があった。それは鹿よりも二回り大きい獅子だった。ぎょろりと目玉を動かし、鈴を見据える。
鈴は自然落下するのを待たず、未だ空中にある牛の胴体を滑り降りる。直後にそれは八つ裂きにされ、塵となって消えた。
地面に降り立つ。僅かにだが腹部に違和感があった。触ってみると手が真っ赤になった。
(……こういう時、痛覚がないと便利ね)
普通なら気絶してもおかしくない傷だが今の鈴には然して問題はない。強いていうなら体を捻じる際に多少の違和感があるぐらいだろう。鈴は開いた傷口をホチキスで無理やり閉じると、包帯を巻いた。
「……」
その間に迫っていた中型の蛇を切り伏せ、再度敵を見据える。
それはどこか優雅に宙にいて、どこにも傷はない。
真は風に押されながらも住宅街を通り抜け、線路の近くにまで来ていた。
「そりゃ、いるよな……」
踏切には警察官や消防士が数人立っていた。いつでも避難できるようにか近くに車両が止められており、しきりに辺りを見渡している。
真は一度その様子を観察すると、住宅の塀に身を近づけ彼らから見えないよう体を隠す。
(こんだけの事態だし、封鎖されてても仕方ないか)
あれこれと手立てを考えたがこれといった解決策は思いつかない。
最悪強引にでも、と思ったその時、
「……よっ」
「──ッ⁉」
声が漏れないように口を抑えつつ慌てて振り向く。
するとそこに見知った人物がいた。
「黒斗⁉お前、なんでこんなとこに⁉」
「細かい話は後。ついてこい」
そう言われ真は黒斗についていく。
聞きたいことは山ほどあるが、いつもとは違う雰囲気に気圧されて聞くに聞けない。
狭い路地を通り抜け、連れてこられたのは高架橋の下にある駐輪場だった。さっき二人がいたとこと別の踏切の丁度中間にあり、避難していることもあってか自転車が所狭しと並んでいる。
「多分こっからならいけると思う」
そう言って指さしたのは線路の脇に設置されているフェンスにある小さな穴だった。小さいとは言っても人一人くらいなら通れる程度の大きさはある。それは踏切にいる人からは見えない位置にあった。
「昔見つけたんだよ。反対側には人いないし、最悪見つかっても向こう側にまでは追っかけてこれないから」
フェンスの高さはそこそこにあるが乗り越えられないくらい高いわけではない。それこそ真ぐらいなら余裕でいけるだろう。
だが、それよりも、
「お前、なんで……?」
「あのなぁ、これでもオレ怒ってるんだけどさ」
そう言われて真は思わず口を噤む。
「何があったか、何が起きてるか、大体聞いた。というか分かった。ムカつくほどに知らなかった。知った気になってた」
「……」
「そりゃ部外者だし、言われても理解できたか分かんないけどさ、そんでも相談してほしかった。オレには聞くことしかできなかったけど、それでも、話してほしかった」
「……すまん」
真にはそうとしか言えなかった。
黒斗は頭をガシガシと掻くと、「それはオレの台詞なんだよ」と言った。
「とりあえず、今は行ってこい。こんなとこで道草食ってる場合じゃないんだろ?話は全部片付いてから全部聞かせてもらうからさ」
そう言うと黒斗はグーで真の胸の真ん中を軽く押した。
「…………あぁ」
真はそう答え、身を屈めフェンスを潜り抜ける。
「黒斗」
「ん?」
フェンスの向こう側で真が呼びかける。
「……ありがとな」
「うっせ。さっさと行ってこい」
しっしっ、と追い払うような素振りをすると、真は一度頷くと、向かい側のフェンスを乗り越える。
遠くから騒ぐ声が聞こえるが、多分間に合わないだろう。真の足なら撒けるだろうし、あの連中だってわざわざ危険を冒したいとは思わないはずだ。
「今度こそ、上手くいくといいな」
針の入った裁縫ケースを片手に、黒斗はその場を後にしたのだった。
見る影もないほどに街は崩壊していた。
建物の瓦礫が辺りに散乱しているが、敵が通った付近だけ薙ぎ払われたかのように何もないため、行き先を予測するのは容易かった。だが、
「遠い……!」
姿は見えてるのにそこまでがとてつもなく遠い。走っても走っても距離が縮まっているように思えなかった。それどころか遠ざかってるような気さえしてくる。
「クッソ……」
悪態をつきながら真はひたすらに走った。辛うじて残っている道をなぞるようにひたすらに走る。
違和感は線路を超えてからずっとしている。きっとこの先に何かがいる。油断すればあっという間に足は止まるだろう。
それでも、真はどうにか歩みを止めることなく進んでいた。
すると向かう先に何かがいた。人のような形のそれは手に槍や弓を携えている。崩壊した町であってもそれはあまりに風景に浮いていた。
一瞬、目が合う。それだけで敵意があるのが分かった。
目視しつつ脇道を探そうとするが、視界の外側から新手が真を襲った。
「くっ……!」
慌てて身を屈めてそれを回避する。槍の先端が背負っていた入れ物を掠める。
真は背負ってたそれを取り出し構える。
それは木刀だった。手元には布が巻かれていて、手汗で黒くなっている。手にした瞬間、どれだけ振り込んだのか即座に理解できた。吸い突くように手に馴染む。
襲い掛かってきた敵の槍を弾き、斜めに斬った。
すると敵が塵となって消えてしまう。
「これ、でもなんで──」
驚く暇もなく、次々に敵が現れた。
真は手にする木刀で次々に斬り倒しつつ移動する。
違和感が更に大きくなる。引き返せと、もう一人の自分がそう訴えているかのようだった。
(でも、だとしても……!)
あの時のようにはなるわけにはいかない。
もう二度と、何もしないでいるのだけは嫌だった。
攻防を繰り返しながらも真はどうにか北部の中心にある公園に辿り着いた。そこはさながらクレーターのように地面が抉れていた。
だが、真の意識はそちらに向いていなかった。
「誘導、されてたのか」
おびただしい数の敵が空を覆っていた。それは鳥であったり、牛であったり、さっき交戦した人型もいた。見ると既に後ろも塞がれている。
違和感の正体はこれだった。後悔よりも先に納得がいった。
だけど、
「だとしても、俺は迷わないって決めてるんだ……!」
絶望的な状況に対して真はそう言い捨てた。
散々だった。運命の糸とか英雄の素質とか、そんなのはどうだっていい。俺はもう、何もしないまま、ただじっとしているのが嫌だったんだ。
敵が一斉に襲い掛かる。
どうにかそれらを回避し、突破しようとするまさにその時、
「よく言った、真」
視界が銀色に覆われた。
見れば真を中心に金属の棘が周囲に伸びている。真に肉薄していた敵は貫かれて消え、残りの残党も何が起こったのか理解できないのか狼狽える様に鳴いている。
金属の棘にひびが入ったかと思うと瞬く間に砕け散った。金属の粉ではなく赤い花びらが辺りに散った。
現れた人物を真は知っていた。白を基調とした服装に、手にしている錨を模した槍。なにより、無造作に切り揃えた深紅の髪は懐かしささえ感じた。
思わず、その名を口にする。
「……あか、ね?」
「久しぶりだな。ちっとは成長してるじゃねぇか」
そう嘯き笑う。
その姿はあの若海茜だった。
「でも、なんで……?」
そう尋ねる真の肩を茜が思いっきり叩く。
「痛ってぇ!」
思わずそう叫ぶ。
実体がある。夢でも幻でもなく、正真正銘そこにいる。
「ったくなに心気臭い顔してんだよ。さっきまでの勇ましい顔はどこいった?」
「いや、そんなことよりも、どうして茜が?てっきり死んだとばかりに……」
「そこはまぁ色々あったんだよ」
茜が事の経緯を話し始める。
かつて健治であった物を倒した後、実はこんな出来事があった。
文字通り死闘を繰り広げ、辛うじて勝利を掴んだ茜だったが、意識を失い、そのまま死ぬのだと思われた。
「ッッッつう……。死んだら痛くねぇってのはデマカセだったのか……?」
全身に走る激痛で意識を取り戻した茜が、思わずそうぼやく。
だが目を開ければ見たことのない場所に倒れていた。それが天井だと分かるのに数秒を費やしたが、むき出しの電灯を見てそこまで広い所ではないのを知った。
「どうなってやがる……?」
間違いなく自分は力を使い果たした。
なのに今も生きている。
それは本来有り得ないことのはずだ。力で生命を維持している以上、それを失えば死ぬのは明白なことだった。
どうにか右腕を伸ばすと包帯でグルグル巻きにされていた。明らかに誰かに治療された証拠だ。どうにか体を起こそうとしたが体が言うことを効かない。そこでかけれらた毛布に気づき、今も誰かに介護されていることが分かる。
「お、目ぇ覚ましたのか。丁度良かった~」
背後からそんな声が聞こえてくる。慌てて振り向こうとしたが、全身に激痛が走り思わず呻いてしまう。
「いやいやいや、流石に動くのは無理だって!とりあえず横になってて!」
その声の主に押されて仕方なしに横になる。敷かれた布団は安物なのか、殆ど地面に寝てるのと同じ硬さだったが、それでもないよりはずっとマシだった。
「やっぱ病人には林檎だなってね~」
そう言うと袋から林檎を取り出し、慣れた手つきで皮を剥いていく。その様子を頭だけを動かして声の主を観察した。
男、恐らく年上だろう。だけどそんなに離れていない。せいぜい二つか三つ上、結衣くらいだと推測する。制服は結衣や真、健治と同じで、茶色の髪が印象的だった。話し方や声質から一人で遊ぶより大勢で遊ぶのが好きなタイプだろう。座っていて正確な背丈は分からないが、真よりは高いように見えた。体つきからして運動をしていないと判断する。
「ほい。とりあえずこれに体預けて、平気?起きれる?」
背中に座椅子のようなものを差し込まれて、どうにか上体を起こすことができた。目の前に置かれた机の上に皿に並べられた林檎の切れ端がある。
「ホントにびっくりしたよ~。廃屋に血まみれの人が倒れてるんだもん!慌てて近くにあった空き家に運び込んだわけ。あ、着替えさせたり、治療したりしたけど勘弁してね」
話を聞きながら目だけを動かして辺りを見る。六畳くらいの狭い部屋だった。大量の本が置かれている以外特に物がない。テレビもなく、冷蔵庫も見るからに古い型だった。かけてある服にこの男と同じ学校の制服があるが、私服は殆ど見当たらない。
「どう?平気?食べれる?」
「……あ、あぁ。なんか悪ぃな」
「全然!オレが勝手にやったことだから!」
そう言って笑う顔を茜はどこかで見たことがあった気がした。でも、どこで見たのかはまるで覚えていないし、知っている人とはどこか違うような気がした。
「それで、アンタの名前は?」
傍に置かれているフォークで林檎を一切れ刺すと、口に運んだ。瑞々しい食感が口に広がる。
「そうだったそうだった。オレの名前は──」
「黒斗⁉なんで⁉」
「なんか調べことしてて、その際偶然アタシを見つけたんだとさ」
さっき会った時聞いたとかなんだとか言っていたが、よくよく考えてみればあのタイミングであそこにいるのは不自然な話だった。
だけど、茜と会って話を聞いたのだとしたら辻褄が合う。
だからあの場所にいたのだ。来るかもしれない俺を待って。
「黒斗に介護されて、アタシはどうにか一命を取り留めた。だけど思った以上に消耗しててな。結局このタイミングまで動くことができなかったってわけだ」
申し訳なさそうにそう言うと真に背を向ける。
「ここはアタシに任せな。アンタらの方に行かせないよう、全力で倒させてもらう」
「でも、この敵の数は──」
「はっ、テメェは誰に物言ってやがる」
茜は鼻で笑い、手に持つ槍を軽く横に振るった。
すると先ほどと同じ棘が敵の群れを貫く。
「アタシはあの結衣と肩並べて戦ってた英雄だぞ?そんなアタシが、この程度の連中に遅れを取ると思ってるのか?」
遅れる形で棘が出現する。それは真の正面に風穴を開けた。
「さっさと行きな。あんまり人を待たせんじゃねぇ」
「……分かった」
そう言って走りだす。
「真!」
慌てて足を止め、茜の方に振り向く。
「理由は、見つかったか?」
「案外、簡単だったよ。少なくとも想像していたよりはずっとな」
そう返し、真は踵を返す。
出来た風穴を抜けて、真が包囲網を突破した。
その背中を茜が眩しそうに見つめる。
「ったく、やっとらしくなったじゃねぇか……」
小さく呟き、再度前を見据える。既に陣形を整え、いつでも攻撃できる状態で敵の群れが佇んでいた。
それでも、彼女は笑みを絶やさなかった。
真っすぐ敵を見据え、声高らかに宣言する。
「テメェらごときがこのアタシを倒そうなんて数千年早ぇ!本物の英雄ってヤツを、今ここで、たっぷりと教えてやるよ!」
もし、この場に誰かがいたのなら、こう評するだろう。
彼女こそ、歴史に名高く誉れ高い、英雄そのものであると。
「くっ……‼」
敵の一撃をもろに受けて、鈴は地面に叩きつけられた。
痛みがないのが幸いして、彼女はまだ意識を保てていた。
もし正常な人間だったらこの時点で死んでいるだろう。地面に横たわる彼女の全身には数えきれないぐらいの切り傷ができ、左腕と両足はあらぬ方向に曲がっていた。身に纏う制服はズタズタに裂かれ、至る所に血のシミが浮かんでいる。
辛うじて動く右手には一振りの刀が握りしめられていた。もっとも今の彼女では振るうどころか握っているのかどうかさえ分かっていない。
それでも、彼女の目はまだ死んでいなかった。
結衣から受け取った力を応用して全身の治癒を試みる。
だが、既に彼女の力は底をついていた。いくら精神状態が力を左右するとはいえ、ここまでに至る行いと今回消費した力を鑑みれば結果は目に見えていた。
つまり、彼女は正真正銘力尽きたのだ。
「だめ……ここで、あいつを倒さないと……」
気持ちとは裏腹に体はびくともしない。
小刻みに右手が震えるが、それが限界だった。
すっかり慣れた霞む視界には悠然と佇む敵の姿が映る。
どれだけ殺したいと願い、そしてどれだけ負けたのだろうか。
そのたびに這い上がり、何度も挑み続け、その結果彼女は敗北し続けた。
(もともと、私には無理だったの……?)
あの日、捨てた弱い心がそっと顔を覗かせる。
そもそも私が英雄になろう、と思ったのが間違いだったかもしれない。こんな弱くて大した取り柄のない、生きてる価値のない人間が誰かのために戦うことなんておこがましいにもほどがあるだろう。
それに、あんな風に彼を変えてしまったのは間違いなく私だ。私がいなければもしかしたらあの時彼は逃げたかもしれない。結衣さんと二人で撤退したかもしれない。私が英雄にならなければ彼がこんな辛い目に遭わなかったかもしれない。
そう思うと無性に悔しかった。惨めで、ただただ情けなかった。
涙が溢れて頬をつたった。
「ごめん、なさい……」
感情を制御できなくなる。いっそこの場で死んでしまえたらどれだけ楽なんだろうか、と甘い囁きが脳裏をかすめた。鈴は抗うことなくその声に体を任せ────。
「やっと、追いついた」
遠のく意識の外でそんな声が聞こえた。
それは来るはずのない、来てはいけない人の声だった。
鈴が倒れているのを見た時どうしようもなく腹が立った。
それは敵に対してのものでもあったし、そうではないものでもあった。
鈴と交わした言葉はどれも短くて、素っ気ないものばかりだった。
それでも、真はどうしてか、彼女には笑顔でいてほしいと思った。
あんな苦痛に耐え、歯を食いしばって困難に立ち向かう彼女はもう見たくないし、傷だらけで倒れている彼女は見るに堪えなかった。
彼女に近づき声をかけると、屈んで彼女の紋様を確認する。
輝きはわずかにだが残っていた。
それを確認すると、ほっとした表情を浮かべた。
「……どうして……あなたがここに……?」
微かに開かれた瞳には明らかに動揺の色が見えた。
「ごめん」
小さく言うとそっと親指で涙を拭う。血と混じって赤く滲んだ。
「ゆっくりしてて。ここからは、俺が頑張る番だから」
即座にそれがどういう意味なのか理解したのか、鈴の瞳が大きく見開かれる。
初めて、ここにきて初めて真の心が大きく揺らいだ。
せめて気づかれようにと、刀が握られた右手を両手で包みこむ。
そうしていると、鈴の意識がパタリと途切れた。
呼吸していることを確認すると、真は静かに立ち上がった。
いつの間にきたのだろう。気が付けば銀がすぐそばにいた。
真は臆することなく銀と対峙する。
「さて、と。今更契約できない、なんて言わないだろうな」
「当たり前さ。今の君に叶えられない願いはない。どんな願いであれ、それは間違いなく享受されるだろうね」
「それならいい」
「それじゃあ、真。君は何を願うんだい?」
もはや長々しく言葉を紡ぎはしなかった。
既に消化作業。結末は決まっているのだから。
「──────────────────」
ポツリと真は願いを言った。それはあまりに小さな呟きだった。
だが、銀には聞こえたのか何故か焦った様子で真を問い詰める。
「…………正気かい?そんなことが君の願いだって?確かにそれはある種の救済にはなるだろう。だとしてもあまりに無謀だ。それは人の身に余る行為だよ!」
「あぁ、勿論だ。銀、俺はさ、正直浮かれてたんだと思う」
真はゆっくりと話を始める。
胸の中央で小さく光が灯った。
「他の人にはない特別な才能。ただの高校生にはない力。異世界に住む化け物たち。
どれも輝いて見えた。英雄になれたらきっと人生ががらっと変わるんだろうと心躍った」
光はその言葉に呼応するかのように徐々に輝きを強めていく。
「ただその憧れはいつしか恐怖に変わり、そして尊敬に変わった。
俺は考えられなかったからな。誰かのためとか、人のためとかそういうことを」
少しだけ砕けた笑みを浮かべる。それもすぐに真剣なものに変わった。
「他人のために命を懸けられる、それを躊躇わず当たり前にできる連中が苦しむなんてことがあっちゃいけないんだ。そいつらの願いが踏みにじられていいわけがない」
彼が出した答えはそれだった。
もしなんでも願いが一つ叶うと知って、それを他人のために使うことができるだろうか。
純粋に他人のためを思って、その想いを相手が知ることはなくても、それでも喜ぶ姿を見て「良かった」と笑えることができるだろうか。
真はできないと思った。
だからこそ英雄として戦う彼らを尊敬し憧れた。
だからこそ彼は英雄になることを躊躇い、こうしてここにいるのだ。
あまりに尊く、あまりに誇り高い。
そんな存在が簡単に使い捨てられるのが、真には許せなかったのだ。
「だから俺は英雄になる。俺はな、誰かを大切に思うその気持ちで、誰かが傷つく姿はもう見たくないんだ」
「それで出した答えが、それだって……?そんな願いが叶えばいくら君でもどうなるか分からないのに……?」
銀の声は普段から想像できないくらいに震えていた。
それは初めて見せる、明確な怯えだった。
「構わないさ。例えらしくなくても、誰かのために俺は戦いたい」
言葉から意思が溢れる。
「それにな、もしあいつらが苦しむことが仕方ないって言うなら」
想いは言葉に、言葉は力に。
光がそれに呼応する。
「そんな仕組みなんて俺が変えてみせる。壊してみせる。悲しみの連鎖は俺で断ち切って、お前らの思惑なんて全部薙ぎ払って、誰もが笑える世界を作ってみせる」
真の体から溢れる光は天を貫き、曇天を裂いた。
それに照らされた敵が一体、一体と消滅していく。
──少し離れたところにいた茜も、この現象を目撃していた。
彼女は最初何が起こったのか分からなかったが、光の指す方向を見た瞬間全てを悟った。
「あの野郎か……」
そう呟くとドサッとその場に腰を下ろす。
全身から力を抜き、下げていた首飾りを手に取り頭上に掲げる。
それは例のイルカのペンラントだった。そのうちの二つは一度ちぎったのかつなぎ目の部分が真新しいものに変わっている。
「全く、大したもんだよ……」
そう呟く茜の表情は晴れ晴れとしたものだった。
それでも、ほんの少しだけ悔しそうに、それでも誇らしげに光の柱を見つめるのだった。
眩い光によって鈴の意識がわずかに現実へと戻っていた。
真から発せられる光は鈴の体を包むと一瞬にして力が戻った。
それと同時に全身の傷が癒え、髪の色も瞳もかつての色に変化していた。
そして、彼女を突き動かしていた呪いに似た何かは霧散していた。
温かな光に包まれ鈴の意識は急速に落下していく。
抗えない、と思う。
さっきとは違う、深い眠りに就くようなそんな優しい感覚。
体から力が抜け落ちていくように、夢へと落ちていくかのように。
「ありがとう」
途切れてく意識の中で、鈴はそんな言葉を耳にした気がした。
それを確かめる術はなく、聞き返すこともできず、
ここに、一人の少女が戦い続けた物語が、ようやく幕を閉じたのだった。
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