第六話 「歪曲」
深夜、ビルとビルの隙間の暗闇に動く何かがあった。
それは静かに辺りを見渡すと、小さなため息をついた。
「ここも違ったか……」
帽子を深めに被り直し、健治はそう呟く。
茜との再戦を終えて三日、健治は真を連れての探索の後で、一人での探索を行っていた。
自分の力不足を痛感した健治は、その差を埋めようと必死に敵を探していた。だが気持ちとは裏腹に敵と遭遇することすら叶わなかった。
(ここまで見つからないとなると、一度やり方を見直してみるべきか……)
結衣先輩のやり方はあくまであの力があってこそのやり方で、それを自分がやろうとするのは無理があると思った。それにただ見ていただけで細かいことは何も教わっていない。あくまで銀の話から憶測で試す以外の選択肢がない。
(そうなると初日に見つけられたのは運が良かったということになるな)
健治が契約した初日に小型だが敵と遭遇した。その際自らの力を初めて知り、同時に試した。小型ということだけあって苦戦こそしなかったが、敵に対してさほど有効的でないと知った時は少しだけへこんだ。
願いを叶えた今、欲しいのは敵を倒すのに役立つ力だ。
(こればかりは仕方ないとはいえ、少しは話を聞きたかった)
あの日、健治は一人敵の本拠地に乗り込んだ。不自然なまでに敵に気づかれなかったが、最深層に着いたときその訳を知って背筋が凍った。それでも結衣先輩なら大丈夫だろうと判断した自分が甘く、結果として取り返しのつかない事態を招いてしまった。
『大方お前らを庇ったか、連れていて油断したってことだろ?』
その通りだった。もし連絡をしていれば、変な正義感に従わなければ、あの人が死ぬことなんてなかったのだ。
目を閉じれば今でも思い浮かぶ。それは窮地に立たされた先輩を助けにいった真だった。行っても邪魔になる、と考え狭い通路に後退した自分とは違い、一切の躊躇いなく先輩を救おうとした。
危険を顧みず飛び降りたその姿を自分を、ただただ見ているしかなかった。
(……クソ)
昔からあいつはそうだった。どこか冷めていて、いつもつまらなそうにしているのに、誰かのために何かをするときだけは別人のように変化する。臆することなく恐れることなく、周りの目なんかまるで気にしない。そしていつも最善の結果を出す。
それは和の時もそうだった。
負けたくない、とその時思った。初めて、こいつにだけは負けたくないと思った。だからこそ真より先に英雄になろうと思ったし、事実なった。だけど、英雄である自分よりも四ノ宮や若海に気にかけられていることが、恐らく結衣先輩に自分の知らない何かを教わっていたことが、どうしても理解できなかった。
「……クソ」
悔しい。ひたすらに悔しい。若海に負けることよりもずっと、真に負けるのは嫌だ。
だからこそアイツには秘密のまま、今日も深夜の町を駆け回っている。
「……ここなら平気か」
歩き回ってたどり着いたのは高架橋の下にある廃材置き場だった。辺りにはボロボロになった機材や一斗缶、鉄パイプなどが置かれ、砂利を敷かれている以外は雑草が生い茂っている。
「さて。今日もやるか」
そういうと銃を取り出し、傍にあるドラム缶を撃った。ドラム缶は回転しながら吹き飛び、健治はそれが地面につかないよう続けて撃っていく。
とにかく経験が足りていない。今はこの武器を最大限に使いこなせるようになろう考え、ひたすらにそれを続ける。
その練習は空が明るくなるまで続き、電車が走り出すまで行われたのだった。
「おい健治?健治~?」
「ん?あぁ、すまない。どうかしたか?」
「手、止まってるぞ」
見ると昼食のおにぎりを手に持っていた。どうやらそこで動きが固まっていたのだろう。なんでもないといわんばかりにそのおにぎりに齧り付く。
時刻は昼休み。午前の授業の事は殆ど覚えていなかった。ここ数日ろくに寝ていないせいではなく、どうやったら強くなれるか、どこを探せばいいのかなど、英雄に関することで頭が一杯になっているからだった。
「にしてもさ、ほんとに良かったよな~。火傷の跡が消えてさ」
真が気まずそうな表情になる。健治は特に変わらず「そうだな」と返した。
「あーなると競争率も高くなるかもよ?」
「競争率?」
健治がそう聞き返すと黒斗が呆れたように両手を上げた。
「お前な、和ちゃんはあれでもすっげー美人だからな。ぼやぼやしてると誰かに取られるかもよって話」
「そういうものなのか?」
「そういうもんでしょ」
なんか色々噂になってるし、と黒斗は笑って付け加える。
(誰かに取られる、か……)
火傷の跡が消え、彼女が他人に受け入れられるようになったことは嬉しい。それは彼女がなによりも願っていたことであり、同時に自分も願っていたことだからだ。
なのに、どうしてかもやっとした気分になる。喜ぶべきなのに素直に喜べない。そう思ってしまう自分がどこか卑屈に思えた。
「ま、誰かに告られても和ちゃんはうんって言わないだろうけどね」
「?どうしてだ?」
おかしなことでも言ったのか黒斗と真は顔を見合わせ大きくため息をついた。
「マージで分かってないのな……」
「まぁ、健治らしいというか、なんというか」
真のその言い方に少しだけカチンとくるも、「良く分からん」とだけ答えておにぎりの残りを一気に食べる。
結局午後の授業も頭に入らず、その日はすっきりしないまま探索に赴くのだった。
「健治!後ろ!」
「くっ‼」
声を聞いて健治は慌てて照準を定め放つ。
それから数日が経ち、健治と真はようやく敵の本拠地を見つけることができた。
遮る物のない荒野に、辺りを照らす月。風は真に向かうように吹き、木々はそれに応えるように音を立てて揺れている。
敵は甲冑を着た案山子で、その見た目故に動きも極めて単調なものだった。遠くにいる敵は弓を放ち、近くにいる敵は槍で突く。少なくとも結衣が倒された敵よりずっと弱い。
だが、真から見て思いのほかに苦戦を強いられていた。
理由は彼の不調だった。
その動きは明らかに精彩を欠いていて、時折放つ弾が見当違いの方向に飛んでいく。近づく敵にも気づけず、そのせいで数か所怪我を負っていた。
(集中できていない)
真はそう判断する。健治の戦い方はどこか焦っている様だった。そのせいで動きが硬く、視野が狭くなっている。使う武器の性質上それは致命的な欠陥だった。
「おい!なにしてやがんだ!」
どこからか声がしたかと思うと健治を狙って草むらに隠れていた弓兵が粉々に砕け散る。
白を基調とした服装に赤い髪。若海茜だった。
「そんなんじゃやられちまうぞ!もっと周りを見やがれ!」
「……ッ!分かってる!」
健治はそう怒鳴り返し、辺りの敵を次々に撃ち抜いていった。
茜は敢えて手を出さず、真の周囲にいる敵だけを倒す。
そうして空間が消えてなくなった。
茜は舌打ちをすると変身を解いた。
「逃げられたか」
それだけ言うとその場を後にしようと歩き出す。
だが、その足は唐突に止まった。
「……おい、なんのつもりだ?」
見れば健治が茜の頭に照準を定めていた。何も言わない健治に対し、
「悪いが今のアンタには興味ねぇ。もう少し鍛えてから出直しな」
そうして最後まで振り向くことなくいなくなった。
健治はその銃を降ろすと、変身を解いた。
「……すまんが、今日はここで解散にしてくれ」
「……分かった」
真は何度か振り返りつつも健治を置いてその場を後にする。
一人になった健治は近くの壁を思い切り叩いた。
「……ちくしょう」
助けられた。よりにもよってアイツに、だ。
怒りでどうにかなりそうだった。倒すと決めた相手に助けられる。それも敵を横取りもすることなく、わざと逃がしもした。どうしてそんなことをしたのか、理由は言うまでもない。
「……くそッ」
そう吐き捨て、健治は二人とは逆の方向に歩き出す。また一から探さないといけない。今度こそ一人で倒す。でないといつまでたってもアイツに、アイツらに勝てない。
そうして今日も夜の街に消えていく。
腹部の痛みは増すばかりだった。
それからしばらく経ったある日、健治は一人教室にいた。
理由は下駄箱に入っていた一通の手紙だった。差出人は閨崎和で、内容は『今日の五時に図書室に来てください』というものだった。
真には例の公園で待っていてもらっている。要件が終わり次第いつものように敵の探索をするからだ。以前逃がした敵の痕跡を辿り、やっとのことで本拠地を見つけ出すことができたのだ。
(しかし、何の用だ……?)
どこか落ち着かなく、そわそわと教室を歩き回る。思い返してみると最近は顔を出していない。もしかしたら図書委員を辞めるよう伝えるつもりなのだろうか。だとしたら時間を空ける必要はどこにもない。指定が今日だということは既に何かしらの準備をしていることになる。
(となると、別の何か?火傷の跡が消えた理由を知ったということは……それは流石に有り得ない)
教室はすっかり暗くなっている。まだ五時だが向かいの校舎に遮られるため暗くなるのが少しだけ早いためだ。電気をつけようか悩んだが残り十分を切っているのを見てつけるのを辞めた。
(まさか、これに気づいた、とか……?)
鞄に閉まってある袋を取り出す。中身は一冊の本で、少し前に和が読みたいと話していたものだ。少し値が張ったが大した問題ではない。せいぜい使い道のない貯金が減っただけの話だった。
机の位置を直したり、カーテンを束ねたりしているうちに残り五分を過ぎていた。健治は鞄を肩に下げると教室を後にする。他の教室には名前の知らない生徒が数人残っていた。和の教室も覗いたが誰もいなかった。
やや小走りになりながら健治は図書室に向かう。少しだけゆっくりし過ぎた。これでは時間通りにつかないかもしれない。
結局走って図書室に着いた。辺りに時計がないため正確な時間が分からない。仕方なしに健治は二回ノックをして、そっと扉を開ける。
中は夕日に照らされて赤く染まっていた。空いた窓から風が吹き込み、カーテンがヒラヒラと揺れている。その真ん中、机の並ぶ中心辺りに和が立っていた。他に人はいない。
「すまん、遅くなった」
「ううん。時間丁度だよ」
そう言われて時計を見ると確かに時間ぴったりだった。どうやら予定には遅れなかったらしい。その様子を見ていた和がクスリと笑う。
「そんな細かいとこまで気にするなんて健治君らしいね」
「時間だけは守るようにしているからな」
夕日越しに微笑む和を健治は直視することができなかった。
どうしてか心臓が早まってしまい、見るに見れない。
「相変わらず真面目だね」
「そうだろうか?自分では堅苦しいだけだと思うが」
「でも健治君っていつも真面目で、何事にも真剣で、どんな些細なことも簡単に受け流せない。そこが健治君のいいところだから」
どう反応していいのか分からず「そ、そうか」とだけ答える。
なんだか、今日の和はいつもより饒舌だった。
「私ね、そんな健治君と一緒にいるのが凄く好きなんだ。落ち着くっていうか、心地いいっていうか。でもね、そう思うと同時に自分が嫌になるの。助けられてばかりで、何もできない自分が」
「…………和?」
決定的に、何かが違う気がした。
それは見慣れた光景に異物が混じり込んだような、いつも食べている食事の味に違和感を感じるような、そんな感覚に近い。
その違和感を言葉にすることができない。それでも、明確に何かが違う。
「だけど、火傷の跡が消えて、そしたら世界が一気に変わった。ううん、鮮やかになったの。皆私を除け者扱いしない。それどころか話しかけてくれるようになって、健治君達以外にも友達ができたの」
言葉が詰まる。
口の中が異様に乾く。
自分でも分からないくらいに声が出ない。
「でも、私分かったんだ。誰も私を見ていないんだって。本当の私じゃなくて、顔が綺麗になっただけの私を見ているんだって分かったの。それって友達って言わないと思うの。でもこの気持ちなんて普通、分からないじゃない?だから──」
そう言って、彼女は笑みを浮かべた。
ニタリ、と。道化師が相手を見下ろすように。
「知ってもらおうと思ったの。私を苦しめた全員に」
その時彼女の胸元から何かが溢れ出た。
それは黒い液体だった。墨汁のようだが驚くほどに光沢がないそれが、あっという間に図書室に広がっていく。健治の足元に触れて、驚いた。それはまるで煙のように足先を通り抜け、夕暮れに染まる部屋があっという間に黒に染まる。
「──え?」
呆然と和を見る。半身を覆うそれの胸の中心、丁度心臓の辺りだった。何かが光っている。鈍く、淀んでいる光。ライトのような真っすぐな光ではない、どこか禍々しいそれが、和を中心に広がっていく。
それは紛れもなく敵の発する光だった。
それなのに、健治はそれがまるで別の物に見えた。
「──どう、して……?」
思考が完全に停止していた。何がどうして、どうなったらそうなるのか、とにかくそれら全てに理解が追いついていなかった。脳が目の前の現象を処理することを拒んだ。間違いだと繰り返し信号を発している。
だってそれは、間違いなく────、
「アハハハハハハハハハハハハハハハ‼」
甲高い声で笑うソレを、健治はただ眺めることしかできなかった。
時間は少し戻って、健治が教室を出る前の事。
黒斗は一人携帯片手に街を走っていた。
メッセージが届き、急いで開く。
その内容を読むと顔をしかめた。
「くっそ……マジでどこにいきやがった?」
息を整えながら黒斗は駅の周囲を見渡す。
学校終わりの生徒がたむろするとしたらこの周囲ぐらいだろう。なんだって近くに巨大な複合商業施設があり学校からも近い。遊び場所としては充分過ぎる。
そう考え辺りを見渡したがどこにもいなかった。探しているのは人だった。それも一人ではなく総勢十人という大人数。
だが未だに一人も見つかっていない。
(こうなるとあの話はマジってことか……)
黒斗はかなり顔が広い。学校にいる間は真と健治とばかり吊るんでいるが、放課後はそれ以外の連中とも遊ぶし、なんならSNSでの繋がりもある。
その連中の一人が、最近閨崎和について気になる噂があると話してきた。虐めを庇った黒斗に、ここだけの話だとして教えてくれたのだ。
内容はその虐めが再開されていること。しかもそれが他クラスの生徒も巻き込んだ大規模なものだということ。しかも同じクラスの連中が見て見ぬふりをしていること。
どれも信憑性に欠けるとして気にも留めなかったが、少しだけ引っかかりついで程度に調べた所、全て本当のことだった。しかも上級生や他校の生徒まで加わっていることまで判明した。
前回とは遥かに異なるその規模故に下手に騒ぐと厄介なことになると判断した黒斗は、真と健治にそのことを伏せておくことにした。話を切り出すのはしっかりとした証拠を掴んでからだと判断したからだ。
だが、事態は思わぬ方向に進んでいた。ここ数日その虐めの中心にいた連中と連絡が取れないらしい。しかも家にも帰っていないらしく、警察に失踪届が出されたそうだ。
(明らかにマズイよな……!)
こうなると最悪のケースも想定しないといけない。とにかく人のいそうな辺り、素行の悪い連中がいそうな辺りをくまなく捜索してもその影すらない。
「なんで、どこにもいねぇんだ……」
膝に手を置いてぜぇぜぇと息を吐く。普段から多少は鍛えているとはいえ長い時間走り続けるのは酷だった。
端末にひっきりなしにメッセージが届く。黒斗が顔の効く連中に探すよう頼んだのだ。だがどれもあまり良くない報告ばかりで、殆ど役に立っていない。
もし最悪の事態になって、一番マズいのは健治だった。今のアイツにそれを受け入れることなんて不可能に近い。誰であれ、健治の立場にいたら耐えられない。
だが、その健治すら見つからない。まだ学校にいるのかもしれないが、その可能性は低いと思っている。学校を出る際近くの公園で真を見かけたが、あれは恐らく健治を待っているのだろう。だとすると既に学校を後にしていると考えた方がいい。あの健治が長時間真を待たすなんて思えない。
「……しっかし、よりにもよって、今日か……」
この日は和の誕生日だった。
そんな日にどうしてまた、と黒斗は思わざるを得ない。
乱れた息のまま黒斗は再度走り出す。道行く人が物珍しそうに見てくるが、気にしてる余裕はなかった。
(──なにが、どうなって──)
図書室にいた健治は目の前で起きている現象を眺めることしかできなかった。
黒い液体から小さなバラが咲いていた。それは辺り一面に咲き誇るが、幻想的とは程遠いものだった。
「どうしたの健治君?ぼんやりとしちゃって」
クスクスと和の顔をしたソレは笑う。
それは彼女に似つかわしくない、醜悪な笑みだった。
「変なの。それじゃあ、これを見て!」
そういって両手を、まるで幕を開けるように腕を上げた。黒い液体を押し分け、音もなくそれが地面から浮かび上がる。
現れたのは十字架だった。いつしか彼女の焼け落ちた家で見せてもらったものと似ている。なにより彼女が自分にくれた十字架と瓜二つだった。
数は八。和を囲うように半円の形で並んでいて、中央に何かが括り付けられていた。
「なっ……⁉」
それは人だった。しかもこの学校の生徒だった。大半が和と同じクラスの女子だが、中には違うクラスの人や、見たことのない人までいる。それらが薔薇の蔓で十字架に巻きつけられ、刺さった棘から血が滴り落ちている。
「和、なにを──ッ⁉」
「決まってるでしょ。教えてるの。体に傷を負うことの痛みや苦しみ、それを見世物のように扱われる屈辱や恥ずかしさを!」
半身を覆う黒い液体が変形するとその中の一人の顔を斬りつける。斜めに走った線から赤い血を撒き散らした。
「ね?いいと思わない?」
「……ぅう……あ……」
「────ッッッ⁉⁉」
生きている。
驚くことに彼女たちはまだ生きている。そのうめき声に連鎖するかのように他の十字架からも声が聞こえてきた。
「うるさいなぁ」
煩わしそうに呟くと、右手を彼女らにかざした。途端に蔓の締め付けが強くなり、彼女たちの制服が一気に紅く染まる。
「おい!なにをしてる!今すぐやめろ!」
「……どうして?」
グルンと首が回った。頭だけが健治のほうを向いている。
「だってこの人達は私を苦しめたんだよ?笑いながら何度も殴っては蹴って、物を隠したり、捨てられたり、しまいには私の家にまで来て。そうやって何度も何度も何度も何度も何度も私を虐めた。泣いている私を見て嬉しそうに笑ってた。写真だって何枚も撮られた」
黒い液体に覆われた顔。左目のところが乾いたかのようにひび割れ、剥がれ落ちた。
それを見た途端健治の顔色が変化した。
気づかれないよう唇を噛み締めた。
「助けてって言おうと思った!でも、そうしたら次は皆の番だって、それは嫌で、だって私にとってかけがえのない大切な人達だから!だから一人でなんとかしようって!相談なんてできない!されてるのを知って悲しむ顔なんて見たくない!だから頑張った!頑張ったんだよ!」
和が一歩詰め寄る。健治は反射的に変身していた。
黒い液体で覆われた彼女の表情が変わる。驚いた、というよりは酷く悲しそうな表情だった。同時に剥がれ落ちた表情が変わる。嬉しさと悔しさを混ぜ合わせた、潤んだ瞳を小さく細めた。
「ねぇ、どうして?どうしてあなたも否定するの?だって、私はあなたのために、健治君のためにここまでしたんだよ?あなたの喜ぶ顔が見たくて、だから、こうやって──」
「悪いが」
右の手で銃を構える。
その照準は彼女の胸のほうを向いている。
「自分は英雄だ。英雄として人を傷つける存在を無視するわけにはいかない」
強く握られた左の拳から血が滴り落ちる。
気が付けば両目から涙がこぼれていた。
「そして、英雄は敵を倒さないといけない。それが英雄としての役割だからだ」
視界が滲む。黒い液体が粟立つが、和は何も言わず、静かに健治を見ている。
小さく、和が呟く。健治が答えようとするのを、首を振って止めた。
目を瞑り引き金に力を込める。
乾いた銃声の後、バタリと何かが倒れる音がした。
恐る恐る目を開く。
茜色の光が部屋を優しく照らす、いつもと変わらない図書室だった。
辺りには沢山の人が倒れていた。その中の一人に健治は近づき、静かに抱きかかえる。
亜麻色の髪をした、本が大好きな女の子。
初めてできた、自分以上に大切な人。
その顔は穏やかで、まるで眠るようだった。
胸に空いた穴から赤い液体が溢れていた。
練習通りに、銃弾は狙った所を撃ち抜くことができていた。
彼の努力は実を結んでいたのだ。
突然弱々しく瞼が開いた。
虚ろな瞳が健治を捉えると一瞬その瞼を細める。
口が開く。震える唇が微かに動いた。
やがて震えが止まり、その体から力が消えた。
『ありがとう。大好きでした』
彼女は最後の最後で、胸に秘めた想いを明かすことができた。
その恋心の、答えを聞くことをできずに。
一方その頃、真は公園のベンチでぼんやりと空を見上げていた。空には鳥が飛び、赤い色の雲が行き来している。すぐそこで遊んでいた子供たちの姿はなく、公園には静寂が訪れていた。
(遅いなぁ……)
指定の時間をとっくに過ぎている。健治はどうしてか自分に対してだけは時間がルーズになることが多い。だからこそそれほど苛立つことなく、のんびりと待つことができている。
(多分というか、絶対そういうことだよな……)
今日の健治はいつもと様子がおかしかった。いや英雄になってから少し変だったが、今日はそれとは違う意味でおかしかった。終始落ち着いていないというか、変にそわそわしていた。黒斗はそのことに気づいているのかいないのか分からないが、放課後になると即座に教室を後にした。だけどさっき校門を出るのを見た限り、学校で何かしらの用事があったのだろう。なにやら焦っている様子だったが、その理由に真に心当たりはない。
(とりあえず「おめでとう」か?いや、それとも「知ってたよ」とか?いやいや、でも変に言うのもあれだし、こういう時は知らないフリをするべき、なのかな?)
健治が来る間、そんな妄想を繰り返す。初めてのことでどう振る舞うべきか分からなかった。
すると公園の入り口に人影が見えた。とりあえず変に気負わないように、姿勢を正して近づいてくるのを待つ。
「お、おう。遅かったじゃんか」
「すまない。予定が思いのほか長引いてな。随分と待たせてしまった」
そう返す健治の様子はいつもと同じだった。嬉しそうでも、幸せそうでもない、いつも通りの顔をしている。
じっと顔を見つめる真を不思議そうにしながらも、「行くか。時間もあまりないからな」と催促する。真はどこか附に落ちなかったが、とりあえずその後に続いた。
移動の間も健治はずっと無言だった。どうだったか尋ねたかったが、なんとなく聞いてはいけない気がしたので黙っておくことにした。
そうしてたどり着いた敵の本拠地の中で、真は言葉を失っていた。
それは以前逃がした敵だったが、戦況は前回とまるで異なっていた。
(強い……強い、けど……)
槍を持つ敵を一瞬で撃ち抜き、迫る矢を全て撃ち落とした。弓を持つ敵の群れに近づくと無数の銃で塵に変え、近くの伏兵も悉く倒していく。
その戦い方は苛烈そのものだった。守ることも、己の危険性も一切考慮しないような戦い方。結衣さんと似ているが、健治のそれはどこか違って酷く投げ遣りのように思えた。
そうして最後の一体を倒して空間が消えた。どうやら黒斗と迷い込んだのと同じタイプだったのだろう。健治は辺りを見渡すことなく、真の傍に近寄ってくる。
「やっと、倒すことができた」
そう呟く声に爽快感はなく、どこか重々しいものがあった。見れば数か所怪我を負っている。多分さっきの戦闘中に受けた傷だろう。まだ生々しい傷を健治は一切気にしていなかった。
「さて、帰るか」
「あ、あぁ……」
健治そう言われ、真はその後に続く。
自転車を漕ぐ間も二人はずっと無言だった。
さっきまでいた公園の傍を通った所で意を決して声をかけた。
「な、なぁ!少し、休んでいかないか?」
健治は何も言わずに自転車から降り公園の中に入っていく。真も自転車を降りると、その後に続いた。
ベンチの傍に自転車と荷物を置くと、二人はベンチに腰掛ける。陽は既に落ちており、電柱が傍にないのか公園の中にある電灯が唯一の光源だった。
「……なぁ、健治」
気が付けば口が勝手に動いていた。
今更止めることはできず、そのまま続ける。
「今日の戦い方さ、なんか、良くないと思う。なんていうか、勝った気がしない」
「……だが、敵を倒すことができた。それで充分だと思うが?」
「いや、まぁ、そうなんだけどさ……」
こういう時、いつも言葉が続かない。肝心なことを言葉にすることができない。
「でもさ、あれじゃ見てるこっちが辛いよ。辛いって言うか、しんどいっていうか、見てて心配になる。もっと違う戦い方もできるんじゃないかって──」
「なら、お前がやればいいだろ?」
空気が張り詰める。
突然吹いた風が木々を強く揺らした。
「大体なんで見ていることが前提なんだ?どうして一緒に戦おうとしない?そもそも、いつになったら英雄になるんだ?」
「それは──」
「それにだ、自分がどういう戦い方をしようとお前には関係ない。自分は結衣先輩のようにはいかない。弱いからな。それなのに戦い方を選んでいる余裕があると思うのか?」
「……お前、ホントにどうした?俺が英雄にならないことはともかく、今結衣さんは関係ないだろ?」
「だろうな。お前にとっては既に過ぎたことだろうからな」
「はぁ⁉そんなわけねぇだろ!何言ってんだお前!」
流石の言い方に真がそう反論する。
「──なら、お前が戦えばいい。自分みたいな才能のないやつじゃなくて、お前が英雄として戦えばいい。そうしない理由はなんだ?あるなら言ってみろ!」
健治が声を荒げた。
その時の健治の表情に真は唖然とした。目が真っ赤だった。何度も瞼を擦ったのか赤く腫れている。そしてその表情は怒りに満ちていた。
「いつもお前はそうだ!昔っからどこか冷めてて、悟ってる風に振る舞って!そんなお前がどうして結衣先輩に気に入られ、茜や四ノ宮に興味を持たれて!なのになんで英雄になろうとしない!それなのに偉そうに上から物言って!心配なんかしてないくせにそんなこと言うんじゃねぇよ‼」
「けん、じ……?」
肩で息を吐きながら、忌々しそうに呟く。
「俺は、俺はお前が死ぬほど嫌いだ。何でもできるくせに何もしない、そんな卑怯者に俺は絶対に負けない。負けるわけにはいかないんだ」
そう言い捨てると一人その場を後にする。数歩歩いた所でその姿が忽然と消えた。
残された真はただ、その場所を見つめるしかできなかった。
気が付けば真は玄関の前にいた。鍵を使い中に入ると玄関の靴が一足多かった。
せめて気を遣わせないようにと、真は気を入れ替える。今ここで父に迷惑をかけたくない。
「ただいま。ごめん遅くなった」
父は無言だった。スーツ姿で椅子に座っている。「すぐに準備するから」と言いながら荷物を置くと、
「真、話がある」
いつもとは違う口調にドクンと心臓が高まった。それでも顔に出さないように反対側の椅子に座る。
それを見て父が重々しく口を開いた。
「ついさっき、殺人事件があった」
「へぇ、そうなんだ」
他人事のようにそう返す。
「死んだのは閨崎和。お前の同級生だ」
思考が、止まった。
父は話を続ける。
「現場は学校の図書室。彼女以外に怪我人が複数いる。現段階ではまだ何とも言えないがひとまずは殺人として調べることになった」
「さつ、じん……?」
「そうだ。被害者の体には撃たれた跡があった。心臓に一発、即死だったのだろう。遺体は劣化が酷いが抵抗した形跡もなく、人見知りの犯行だと思われている」
そして、と父は言う。
「現場にこんなものが落ちていた。お前なら見覚えがあるのではないか?」
そういって差し出された写真に写っていたのは一冊の本だった。すぐ横に包んでいたらしき袋が置かれている。
それを見て真はあることを思い出す。
(これ、健治が前に……)
『こういった厚い本のことだ』
あの時手にしていた本がまさにこれだった。どうしてこれが現場にあったのか理解できなかった。
「ここからある指紋が検出された。そしてそれは被害者の体からも検出された。検査したところとある人物に行き当たった」
そういって別の写真を机に出す。
それを見た瞬間、呼吸が止まった。
時間そのものが止まったように思えた。
「星井健治。お前の友達だ。実家を調べたが未だに帰ってきていないらしい」
「けんじが……どうして……?」
「そこはまだ調べている最中だ。とにかく、連絡があったらすぐに知らせろ。会ったらすぐに出頭するよう説得してくれ」
厳はそう言うと写真を取り、立ち上がる。
部屋を出る一瞬だけ父の顔に戻ると、
「すまんな、真」
そう言って部屋を後にした。
真は何が何だか分かっていなかった。
健治が和を殺した?どうして?あの時?健治はそのためにあそこにいたというのか?
──有り得ない。それだけは絶対に有り得ない。
だってあいつは和のために願いを叶えた。命懸けで戦うことを受け入れた。その健治が彼女を殺すなんてことは絶対にない。
理由。そう理由があるはずだ。俺の知らない理由があるのだ。
だから……殺した?
「探さないと」
立ち上がりドアに手をかけた瞬間、唐突に体が固まった。
(でも、会ってどうするんだ……?)
大体俺が何を言えばいいのだろうか。英雄にならず、ただついていくばかりの自分が、説得なんてするだけ無意味にしか思えない。それに今会った所で話を聞くとは思えない。
(いや、でも、それでも……!)
このまま放置しておけない。それなのに体が動かない。探すことを拒むように体がいうことを聞かない。両足は鉛のように重く、体は石のように固まる。
「なんで……⁉」
焦る気持ちとは裏腹に体は無慈悲だった。そのまま力なく両膝を付く。
「俺は、どうして……」
何もできない。そうやって嘆くことしか彼にはできなかった。
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