第四話 「竜胆」
人気のないそこに、一人の少女がいた。
腰辺りまで伸びる髪を揺らしながら、無人の駐車場を通り抜ける。
一風変わったデザインの建物の入り口に張り紙が貼ってある。『営業中止のお知らせ』と書かれたそれを読もうとはせず、周囲を見て回るかのように再び歩き出す。
建物と建物の間でそれを見つけた。昔見せてもらった大切なもの。それは元は三人のものだったらしいが、今では私一人しか持っていないと思うと、随分前に教えてもらった。
「……相変わらず、持っていたのね」
少女はそう呟くと屈んで手に持っていた小さな花束を置いた。青を中心に白やピンクを添えてあるもので、花の名はどれも同じものだった。
慣れた動作で手を合わせ、目を閉じる。数秒経って落ちていたそれを拾い布で包むとポケットにしまった。
「……ごめんなさい」
最後にそう呟くと少女はその場を後にした。
誰一人として、その白い髪を見た者はいなかった。
結衣がいなくなってから三日が経った。
それでも変わらず学校はあるし、いないことに気づかないまま殆どの人が過ごしていた。
人が一人いなくなっても何も変わらない、この世界は残酷だと思った。そしてそんな世界で今も生きている自分に嫌気がした。
落ち込む真を見て銀は「仕方ないね」とだけ言うと姿を消した。
やはり無理強いはしないらしい。
どこまでも銀は銀のままだった。
「お前はどうするんだ?」
その日真は健治に呼び出され、屋上に続く階段の踊り場に来ていた。
先に来ていた健治は手すりに腰かけている。
「どうって?」
「英雄になるのかならないか」
黙り込む真を見下ろしながら、健治は「自分はなる」と言い切った。
「銀から聞いたが、今日にでも別の英雄がここを縄張りにするらしい。ここは敵が現れやすい場所だから、お互い野放しにしておくわけにもいかないそうだ」
どうやら健治は銀と未だに関わっているらしい。
真はたった一度しか会話をしていなかった。
「それに、こんな機会そうそうない。折角の機会を棒に振るほど自分は馬鹿ではないと自負しているつもりだ」
健治は立ち上がると真を置いて階段を降りる。
「お前には話すのが筋だと思った。自分はお前がどうするのかは分からないが、なった場合間違いなく戦力になる。その時は互いに協力したいと考えている。争う必要はないからな」
最後にそう言い残すと健治は一人その場を後にした。
(戦う理由、か……)
何度も何度も思考を巡らせた。英雄になるための理由、動機、目的。
それを見出せない英雄は酷く弱いと、あの人は話していた。
だけど、いくら考えても出てこなかった。
──目を閉じればあの時の光景が甦ってくる。
その最期は壮絶なものだった。
血まみれになりながら、それでも英雄として敵を討った。
その姿は紛れもなく真の思い描く英雄そのものだった。
そして自問する。もしあの状況に置かれたとして、果たして自分にそれができただろうか。
他人を守るために、たまたま居合わせた誰かのために自分の命を投げ捨てることができるだろうか。
(できるわけない、よな……)
口ではできると言える。
頭の中ではそのイメージをするのは容易い。
でも、未だに英雄になっていない。理由を見つけられていない
それだけで、答えとしては充分だった。
(……それでも、もし迷うことなく契約していたら)
結果論だと、切り捨てることはできる。
できないと分かっていながら、そう思わざるをえなかった。
もしかしたらそう思うことで罪悪感を減らしたいだけなのかもしれない。
あの時、初めて見せた笑顔がこびりついて離れないままだった。その表情が消えてほしくて、でも忘れたくてそう思っているのかもしれない。
どちらにせよ、答えが出ることはないし、
答えが出た所であの人は戻ってこない。
その事実が何度も頭の中で木霊していた。
そんなことを考えながら階段を下りていると、その先に見知った人物がいた。
(四ノ宮、鈴……)
英雄の一人。あの結衣さんが強いというほどの実力者。恐らく健治と戦うことになるのだろう。できればそんなことをしてほしくないが、意気地なしの俺に何かを言う資格はない。
「……良かったわ。為る気はないようね」
通り際にそう話しかけてくる。特に答えることなく階段を降りた。
「……一つ忠告しておく。彼に関わるのは控えなさい」
「彼?」
「……星井健治。彼は間違いなく、あなたを苦しめる」
相変わらず、感情の読めない表情だった。
真は何も言うことなく教室へと戻っていったのだった。
気が付けば授業は終わり、目の前には机にもたれかかる黒斗の姿があった。
「おーい、聞いてんのかー?」
「ん?あ、あぁ、すまん。聞いてなかった」
「はー……。最近のお前ぼーっとし過ぎ」
呆れたように黒斗が呟く。健治と話さない分最近は黒斗と話すことが増えていた。
というよりは黒斗と二人きりでいることが増えた気がする
「それで、なんだったっけ?」
「だから、今晩検証に行くからついてきて欲しいって話!明日休みだし丁度いいかなーってさ」
黒斗はオカルトや都市伝説が好きで、時々実際にその場所に行ってみたりするらしい。
それでも殆どが空振りで、その翌日は大概肩を落として学校に来る。
今回もまた、そういった類の話だった。
「それ毎度やってるけど嘘ばっかりなんだろ?」
「いや、今回は自信あるんだなー!なんせ場所が横山なんだよ!」
「横山?確かにありそうではあるけど……」
横山市は角丘市の隣の市で、ゴーストタウンとして有名だった。
父からも「あまり近づくな」とよく釘を刺されている。
「だからさ、頼むよ!この通り!」
立ち上がると手を合わせて頭を下げる。
時間は放課後、既に他の生徒はいない。
「……しゃあない。今回だけだかんな」
「ほんとか!ホントにいいのか!」
「ま、たまにはな」
あまり気乗りしないが、堂々巡りした思考を切り替えるいい機会かもしれない。なにより前回の一件を考慮すると黒斗一人で向かわせるのは危険な気がした。
それに、こうやって気にせず声をかけてくれるのは素直に嬉しかった。
二人は揃って教室を出ると帰路に着いた。黒斗は一度家に帰り荷物をまとめるらしい。準備でき次第真の家に向かうとのことだ。
簡単な段取りをしていると、突如階段の踊り場で黒斗が止まった。
不思議に思った真が振り返るが、夕日に照らされていて表情がよく見えない。
「オレってそんなに頭よくないから、言えない事情があるってことしか分かんないけどさ」
話しながら真の横を通り抜ける。
「それでも、何かあったら相談しろよな。一応友達なんだから」
そう言うと振り返って恥ずかしそうに笑った。
「一応ってなんだよ一応って」
「だってこういうの言うの恥ずかしいでしょ」
「聞いてるこっちも恥ずかしいけどな」
「言ってるこっちのほうが恥ずかしいっての」
こういうのガラじゃないんだよ、と頬を掻きながら黒斗が弁明する。
(ホント、敵わないな……)
前を歩く黒斗の背中を眺めながら真はそう思う。
多分黒斗は俺らの様子がおかしいことに気づいて、だから誘ってきたのだろう。きっと健治の方にもなにかしらしてるのかもしれない。
自分のことしか考えられない俺とは違って、周りの人に気を遣い優しくできる。
近からず、遠からず、程よい距離感で接してくれる。
それが嬉しくて、少しだけ嫌だった。
「ホント、ヤになるよ……」
「?なんか言ったか?」
「いや、なんでも」
校門を出るとその場で解散し、急いで家に帰った。
父はおらず、テーブルに『先寝ててくれ』と書かれたメモ用紙が置いてあったので、空いたスペースに『友達の家に泊まりに行ってくる』と書き込むと躊躇いながらも自室に置いてあった竹刀を持って家を出る。
階段を下りると自転車に乗って黒斗がやってきたので、そのまま駅へと向かう。
沈みかけた夕日が二人の影を長く伸ばしていた。
どんな場所にも、治安の悪い場所は存在する。
それはまるで光と影のように、寄り添うように居続ける。
横山市と角丘市の関係もその例に漏れなかった。
「そういや、来るのは初めてかもな」
「オレもあんまないかな~。なんせなんにもないし」
黒斗に連れられ着いたのは横山市の中心にある工業地帯だった。
かつては工業で賑わっていたが、経営者の高齢化が進み、その殆どがシャッターを下ろしたままか、完全な廃墟になっていた。商店街は閑散としており、地面に蹲る汚れた老人があちこちにいるだけだった。
「……なんか、不気味なとこだな」
「だろ?だからこそ信憑性があるんだよ!」
やや引き気味な真に対して黒斗のテンションは高かった。それは背負う荷物から分かることでもあった。
「それで、今回はどんな内容なんだ?」
「それがさ、集団自殺の勧誘って言うの?いつも出入りしているサイトに隠しページがあって、そっから入ることができるんだけど」
「なんか、情報の授業でそんなのあったな」
確か昔は流行ったとかなんとか言ってた気がするが、機械音痴な真には縁のない話だった。
「そうそう。で、試しに書きこんでみたのよ。希望者ですって」
「それ大丈夫なのか?変なウイルスとかあるんじゃ……」
「一応ネカフェ行ってやったから平気平気」
「ネカフェ?」
「あー、まぁその説明は置いといて、そしたら詳細がメールで届いたんだけどさ。そりゃネットで募集してるから遠いとこなんだろうなーって思ったんだけど」
「それが、ここってことか?」
「そういうこと」
すると黒斗は自分の端末を操作して例のメールの写真を真に見せる。確かに日付は今日で場所は横山市だった。
「結構危ない気もするけど、そこはほら、真がいるからどうにかなるかなーって」
「言っとくけど、あんまりあてにするなよ?喧嘩なんて殆どしたことないし」
「でもオレよりかは全然強いだろ?だからもしもの時は頼んだ」
「……まぁ、善処はするよ」
ここまで来た以上帰るとは言えないし、それにそんなことが実際に起こるとしたら見過ごすわけにもいかない。
黒斗の先導の元目的の場所まで向かう。狭い路地を何度も曲がると不意に視界が開けた。
「おぉ……‼」
「雰囲気は完璧だな……」
目を輝かせる黒斗の横で真がそう呟いた。
トタン壁の建物が三つ並んで建ち、辺りの建物から離れているためか孤島のような印象を受ける。地面に敷かれた砂利と土が乱雑に混ざっており、陽が完全に落ちているため点滅する街灯で辛うじてそれらを確認することができる。
二人から見て右前方に封鎖された扉があり、そこが本来の入り口らしく幅もそれなりにある。そこ以外にももう一つ左奥に同じような物が暗がりの奥に微かに見える。
「それで、これからどうするんだ?」
「とりあえずは隠れるとこだな」
そう言うと右手前にある扉に近づき音を立てて強く揺らし始めた。
止める間もなく揺らすのを止めると真を手招きした。近づくと人一人通れるくらいの隙間ができていた。
「まさかここか?」
「向こう側は見えないけど多分あっちもこっちと同じだから、抑えるべきはさっき通ってきた道。だったらここがベストでしょ。それにその気になれば向こう側から逃げられるし」
言い終える前にそそくさとその隙間に入っていく。真も仕方なくついていくと意外にもそこは広かった。感覚的には六畳くらいある気がする。反対側も同じように封鎖されていた。
黒斗はさっきと同じように隙間を作ると背負っていた荷物を下した。
思ったよりも大きな音がして、例の建物を見ていた真の肩が大きく揺れる。
「それ、何が入ってるんだ……?」
「アウトドア用の椅子に小さい机、マグカップにポット、食料、折り畳みの傘、懐中電灯とかだな。それに双眼鏡に時計とか」
「……案外実用的な物ばかりなんだな」
「そりゃ余計なものなんて持ってこないでしょ」
黒斗のことだからトランプでも持ってきてそう、なんて考えていたことは黙っておくことにした。
真は置かれた椅子に腰かけると息を吐いた。黒斗がマグカップを渡してくれたので有り難く受け取る。中身はコーヒーだった。
「でもさ、こんなことしてて平気なのか?近くの家とかに人いたらどうするんだよ?」
「そこらへんは前もって調べてあるから平気平気。ここら辺だけ変に人がいないみたいでさ、少し早い時間に数回来たけど人が住んでる家なんてどこにもなかったから」
黒斗はコーヒーを啜りながらほう、と息を吐く。
「それにあの建物の中も埃だらけで人が来てる形跡もなかったし、ろくに管理されてる感じもしなかった。多分ずっと放置されてるんだと思う。理由は分からないけどな」
だけど、と一言置くと、
「そうなるとこの企画自体が怪しい気がするんだよね。辺りは他の建物で囲まれてるからここら辺の人しか知らないと思うし、第一知ってるとしても年寄りぐらいだろ?だとしたらこれを企画した奴はどこで知ったんだろうなって思った訳」
「だとしたら本当に危険な可能性も……?」
「ま、考え過ぎなだけな気もするし、そうそうそんな目に遭うとは思わないけどな。ちょっと変わったキャンプだと思ってくれればいいから」
「それは中々に無理があるだろ」
二人は他愛もない話をしながらゆったりと時間を過ごした。特に何も起きることなく指定時間まで残り三十分を切っていた。
そそくさと荷物を片付けてると不意に背中がぞくりと震えた。扉に近づき建物の方を見ると入ってきたとこに誰かがいた。
その様子を見て黒斗が急いで荷物をまとめるとこの扉の反対側に置いた。いざというとき邪魔にならないようにするためだ。
「マジかよ……ガセじゃなかったのか」
「みたいだな」
そこにいたのは複数の人だった。年齢も容姿も服装も統一性がないのに、軍隊のように一列になって建物の中に入っていく様は、かなり異様な光景だった。
黒斗は真に目配せをすると竹刀をケースから取り出した。もしもの時は割って入り止めるためだ。黒斗も覚悟を決めているのかしきりに掌を開いて閉じている。
最後の一人が中に入ったのを確認したところで二人は静かに建物に近づいた。思ったよりも月が明るく、足元にうっすらと影ができていた。
二人は目を合わせると小さく頷き、窓からそっと中を覗いた。
「「え……」」
声が重なった。
お互い声が出てることを咎めなかった。何故なら、
「誰も、いない……?」
中には誰もいなかった。あるのは積み重ねられたガラクタの山とドラム缶が数個だけで、空中に漂う埃が月の光を反射して煌めいているだけだった。
「ここ、だよな?」
「あぁ。流石にこの距離で見間違う訳ないだろ」
あの集団が入っていったのは三つある建物のうち真ん中だった。その途中で通り過ぎた建物にも人がいなかった。
とりあえず最後の一つを確認してみるが結果は変わらなかった。
三つとももぬけの殻だった。
「何がどうなってるんだ……?」
流石の黒斗もこの事態は想定していなかったのだろう。頭を強く掻きながらきょろきょろと辺りを見渡している。
真もまたどうしていいのか分からず動けないでいた。
「とりあえず中になんかあるかもしれないし、入ってみるか~……」
このまま放っておくわけにもいけないと思ったのか、黒斗がとりあえず中を調べようと足を向ける。
「あ……」
その時、パッと真の脳裏にある可能性が浮かんだ。
そしてそれはほんの少しだけ遅かった。
「待て、くろ──」
言い終える前に黒斗の姿が忽然と消えた。
「冗談だろ……」
そう悪態をつくと急いで中に入る。
そこは鬱蒼とした森の中だった。入った瞬間強烈な甘い匂いが鼻孔を刺激し、慌てて袖で塞ぐ。
その匂いの正体は巨大なお菓子だった。人の背丈より一回り大きなそれがあちこちに置かれている。明かりが無く黒で染まるここではまさに浮いて見えた。
ガサガサと音がする。竹刀を向けると黒斗の姿があった。酷く怯えており、全身が震えていた。
「よかった、合流出来た」
「……な、なぁ」
その声は体以上に震えていた。
「なんだよここ……さっきまで俺ら……こんな、森?なんてどこにも……」
「大丈夫だ。俺がいるから」
「なぁ……夢だよな、これ……?」
「とりあえず逃げるぞ。走れるか」
「あ、あぁ……なんとか……」
黒斗の体を抱き寄せながら森の中を走り抜ける。地面は不気味なまでに平らで、木の葉も実体がないのかすり抜けていった。
ふと灯りが見える。途中からそれを目指して走っていたが、その正体が分かると慌てて木の幹に隠れた。
「……マジかよ」
不思議に思った黒斗がその方向を見ようとしたが強引に止めた。いくらこいつでもこれは刺激が強すぎる。
不意に途切れた木々の間にいるのは先ほどの集団だった。まるで舗装されたかのような道を歩く彼らは一直線にある場所へと向かっている。
そしてそれは熱せられた大釜だった。只ならぬ温度で煮えたぎっているからか辺りの空気が熱で歪んでいた。
辺りを二人の男女が躍っている。パッと見は外国製の人形のようだが、顔が黒く塗りつぶされているため表情が見えない。ケタケタと笑い、釜に人が入るたびに声が大きくなっていく。
黒斗はその声だけで既に怯え切っていた。
無理もないことだと真は思う。
そのうえでどうするのが最適か必死に考えていた。
(逃げる、のは無理か……あの動きじゃ追いかけられたら詰む。戦うにしても今じゃあの剣は出せないし、竹刀じゃ相手にすらならない……)
チラリと右手を見た。そして竹刀を見つめる。
(銀がここに来るわけがないし、それは四ノ宮さんも同じ。だとしたら可能性は別の英雄が来るのを祈るしかないけど、それも厳しいだろうし)
木の幹にもたれかかり上を見上げる。ここもまた真っ黒な空だけが広がっていた。
「ま、仕方ないか……」
黒斗が聞き返す前に真は立ち上がると木の陰から飛び出した。
ピタリと人形たちの踊りが止まり、ぎこちない動きで真の方を向く。
叫びそうになる黒斗を睨みつけ黙らせると、頭で行き先を指示する。返答を見ずに敵を真っすぐ見据えた。
「ふー…………」
真っすぐ竹刀を構え、敵を見据える。手足は僅かに震えているが大した支障はない。
(十分……いや、五分が限界、か……)
視界の端で微かに何かが動いた。どうやら指示通り逃げ始めたらしい。逃げ切ってくれることを祈ることしかできないが、なんとかなるだろうと思う。
(結局、後悔ばかりだな……)
あの時契約していたら結衣さんは生きていたかもしれない。
あの時気を緩めなければ結衣さんは生きていたかもしれない。
そして、英雄になる理由があったのなら、こんなことにはならなかったかもしれない。
遅いと分かっていながらも、どうしてもそう考えてしまう。
それは走馬灯のように一気に駆け巡った。
敵が一気に間合いを詰めた。迫る攻撃を身を屈めることでどうにか躱す。
それでも、次第に体勢は悪化していく。
死んだな、とどこか他人事のように考えた。
その時だった。
パァンと乾いた音が空間に響いた。
それが敵ではない別の何かだと気づくのに少しの間かかった。そしてそれが真の背後からだということにも。
慌てて振り向き、呆然としたままその人物の名前を呟く。
「けん、じ……?」
そこにいたのはあの健治だった。だが恰好がおかしい。右手に銃を持ち、黒い外套を身に纏っている。内側に来ている服はどこかの制服らしいが、真には見覚えのない代物だった。
なにより瞳が微かに光っていた。それは昔一度だけ見た蛍のような、そんな淡い光だった。それを見て真はようやく事態を把握することができた。
だが、それを尋ねるよりも重要なことがあった。
「な、なぁ!黒斗は!黒斗と会わなかったか?」
健治は何も答えずに真に近づくとポンと肩に手を置いた。
「安心しろ。あいつは無事だ」
肩に置かれた手も、その声も不思議な力があった。ただそれだけで信じられるような、そんな感覚だった。
「来る途中敵に襲われていてな、助け出した時には意識がなかった。目が覚めたら記憶が飛んでるかもしれない」
「そっか……なら良かった」
「敵は特定の本体がない分散型。結衣を倒したのと同じタイプだよ」
「銀……⁉なんでここに……?」
「久しぶりだね、真。元気そうで良かったよ」
そこにいたのは紛れもないあの銀だった。
「説明はあとだ。今はこいつらを片付ける」
見ると辺りに無数の敵がいた。何がおかしいのかケタケタと笑いながら踊り続けている。
それは一瞬だった。
敵が動く、と真が感じた瞬間に敵が粉々に砕けていた。
笑い声がピタリと止まる。即座に臨戦態勢に入ろうとするも、健治が次々に撃ち砕いていく。その様はあの日の結衣と重なって見えた。
最後の敵を撃ち砕くと景色が歪み建物の中に戻っていた。近くに数人の生存者と黒斗の姿があった。
「黒斗!」
慌てて駆け寄り脈を計る。どうやら命に別状はないらしい。
「良かった……」
ほっと息を吐くも、健治の殺気を感じ取り即座に振り向く。見ると入り口の方に鈴の姿があった。手には一振りの日本刀が握られている。
(なんだ、あれ……?)
真の視線はその刀に集中していた。藍色の鞘は月に照らされ、小さな傷が無数にある。彼女が刀を持っていることに驚きはしていたが、真の感想はそれとは違った。
(あれ……確か、どっかで……)
「何の用だ?」
健治が尋ねる。殺気の籠った声を聞いても鈴の表情に変化はなかった。
それどころか何も言わずに踵を翻した。その一瞬目が合った気がしたが、特に何もなかった。
そこでようやく健治は変身を解き、近くに倒れている人達の安否の確認を始める。
健治が英雄になった。
その事実を、真は呆然と理解することしかできなかった。
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