第二話 「初陣」
真が連れてこられたのはさっきまでいた公園から少し離れた集合住宅だった。
ガラガラの駐輪場に健治の自転車が置かれており、とりあえず真もそこに自身の自転車を置くと、入り口に立つ二人の姿を見つけ後に続く。
案内されたのは五階の手前から三番目にある部屋だった。ネームプレートには『徳元結衣』と書かれており、それを見ているうちに二人は中に入ってしまう。
「お、お邪魔しまーす……」
後に続いて中に入る。
玄関は思った以上に簡素で、靴が数足あるだけで他に物が一切なかった。
真っすぐ伸びる廊下にも何もなく、壁にも何もない。
生まれて初めて女の人の家に入る真にとってこれが普通なのか分からないが、想像とは違ったのだけは確かだった。
通された部屋もまた同様に物が少なかった。入って右側の壁が一面引き戸で、恐らくそこが寝室なのだろう。通された部屋にベットは無く、簡単な造りのテーブルがポツンと置かれているだけだったのでそう判断する。
「とりあえず座って座って」
謎の人物にそう催促され、言われるがままその場に座る。尻に敷くものもなく、カーペットもないので直に座るしかない。ほんの少しだけ掌がざらついた気がした。
その横に健治が寝かされていた。それを見てほんの少しほっとするも、状況がまるで理解できていないため落ち着くことができない。
「あ、どうも」
無言で差し出されたコップを受け取る。中身は水だった。絶妙に温いので恐らく水道水だろう。それにしても客人相手に水って、と真は内心そう思う。
「それで、なんであそこにいたの?」
そう尋ねる結衣の口調はどこか怒っているようだった。眼光が鋭いのもあるかもしれないが、なにより彼女が纏う空気がそれを雄弁に物語っていた。
「えーっとですね、その、あそこで行方不明者が出たって話を聞いて、それで、ちょっとだけ見に行こうって話になって……。べ、別になにかしようとは思ってなくて……」
しどろもどろになりつつもどうにか理由を説明する。
どこが面白いのか結衣の隣に座るその人物が口を開く。
「なるほど、ね。しっかしそれにしたって珍しいんじゃない?こんなこと随分久しいでしょ?」
「……」
結衣が睨みつけるとその人物は「おおっと」とおどけてみせる。
「あ、あの……」
「ん?どうかしたかい?」
「いや、その、名前、教えてもらってもいいですか……?」
「あぁ。そういえばまだだったね」
さてどうしたもんかな、と呟くと、
「とりあえずは銀って呼んでほしいかな。結衣はそう呼ぶからさ」
「分かりました。じゃあ銀さんに聞きたいんですけど」
慎重に言葉を選びながら、真は尋ねた。
「その、さっきのこと、どう考えても普通じゃないですよね?二人は淡々と、作業のようにこなしてましたけど……」
謎の空間、そこにいた謎の生き物。それらを難なく倒し、一瞬で着替えた徳元結衣。
それを当たり前のように見つめる銀に、唐突に現れ消えた四ノ宮鈴。
どれをとってもおかしなことだらけだった。
「君の質問も当然のことだね。とりあえず説明する前に──」
銀は片手をあげ、健治を指さす。
「彼を起こしてもらっていいかな?無関係ではないからね」
指す方を見ると丁度健治が意識を取り戻す所だった。
まるで狙ったようで薄気味悪いが、ひとまずは健治に話しかける。
「大丈夫か、健治?」
「ん、あ……?どこだここ……?というか自分は何を……?」
「まぁ当然そうなるよな」
そう言いつつもどこにも異常がなさそうで真はほっと息を吐く。
「ん⁉何故徳元結衣がそこに⁉それに隣にいるのは誰だ⁉」
「まー色々聞きたいことはあるだろうけど、先輩だから敬語使おう。あと俺も全然分かってないから」
とりあえず分かる範囲のことを簡潔に説明すると、「お、おう?」と返事なのか曖昧な言葉を漏らし、大人しく真の横に移動した。
ひと悶着つくのを待って、銀は説明を始めた。
「とりあえず自己紹介からかな。僕の名前は銀で、彼女の名前は徳元結衣。まぁ見た感じ素性は説明しなくていいかな」
「はい。そこは大丈夫です」
なにせ二人とも最近黒斗から説明を聞いている。
あの黒斗が調べ損ねていることはないだろう。
「まずさっき君たちがいたのは異空間、別世界だね。こことは切り離された世界、物語によく出てくるような、そんな感じの所。勿論夢ではないから安心してね」
「まぁ、そうだろうな」
健治の呟きに真も静かに同意する。というよりそれしか考えられないし、明らかに夢ではなく現実だった。
「さて、と。ここからが少し呑み込みにくいかな。彼女は僕と契約をした英雄。そしてさっき君たちを襲ったのが敵って言うんだ」
「英雄?」
「敵?」
二人が交互にそう言った。
予想通りの反応だったのか銀は話を続けた。
「敵って言うのは人の負の感情が集まってできた怪物、化け物なんだ。負の感情が集まっている場所にああいった空間を作る。彼女、英雄はそれを見つけて、中にいる敵を倒してもらっている」
「なんだが、おとぎ話みたいな内容だな」
「その認識は間違ってないかな。事実これをモデルに書かれた物語は数多くあるからね」
真の脳内にはヒーロー物のテレビや映画、小さい頃に読んだ絵本が思い浮かんだ。
どれもかなり前のことで曖昧にしか覚えていないが、確かにそういった内容だった気がする。
「英雄は敵を倒すための存在。人智を超越した力を有し、時にはその人物の行いが歴史に名を刻む存在として広く認知される」
「なら歴史の授業で習うやつとかは大半がそうなのか?」
「全てがそうではないけれど、間違ってはいないと思うよ」
「英雄になって敵を倒す、か……。物語としてはありがちな話ではあるが」
健治がそう呟いた。
あまり本を読まない真にとってはあまり縁のない話だったし、なによりそんなことが現実にあることが未だに信じられなかった。
でも、あんな目に遭ったばかりでは、納得せざるを得なかった。
「それで、その英雄ってのはどうやったらなれるんだ?そもそもなれる基準などはあるのか?」
健治がそう尋ねる。
「そもそも、今君たちに話をしているのは二人に英雄になれる素養があるからなんだ。健治君の言う基準を満たしている、と言う方が分かりやすいかな」
「俺らが?なんで?」
真が驚きの声を上げる。
「それは僕からはなんとも言えない。ただ二人ともかなり素養があると思ってくれていい。少なくとも僕が見た中でも上位に入ることは保証するよ」
「ほんとかよ……」
(なんか出来過ぎな気がするけど……)
これ以上言及しようとは思えなかったため、真はそこで口を閉ざした。
「英雄になる条件は一つ。願いを一つ叶えること」
「願いを?」
真がそう尋ねると、銀は首を縦に振る。
「随分胡散臭い話だな」
侮蔑の意味を込めたのか健治が結衣をチラリと見た。一切意に介していないのか視線を真と健治の間に向けたままだった。
「これにもちゃんとした理由があって、負の感情を糧にする敵と違って、英雄になるには正の感情が力そのものになる。そうして得た力は対となって敵を倒せるようになるんだ。普通の武器じゃ敵に傷一つつけられないからね」
「じゃあ何か願いを叶えないと戦えないってこと?」
「そうなるね。願いの内容で力も変化するし、戦い方も変わる。なにより敵との戦いは文字通り全てを賭けて行わないといけない。それこそ奇跡を叶えるくらいしないと英雄になろうと思わないんじゃないかな」
「はっきり言って私は勧めない」
唐突に結衣が口を挟んだ。
「全てを、それこそ命も賭けてまで叶える願いなんてない。それに英雄になって良かったことなんて殆どない」
そう言うと再び黙り込んでしまう。
どう答えていいか悩んでいると銀が口を挟んだ。
「今すぐ決めろとは言わないから慎重に選んでね。僕はいつでも構わないから」
「……分かりました」
ひとまずそう答えると銀は説明を続けた。
「それで、次は紋様についてだね」
銀が結衣のほうを見ると、あからさまにため息をついて右手を差し出す。
そこにはピンク色に光る不思議な模様があった。大きさは五センチくらいで、小さな花びらが円を描くように並んでいる。淡い光はまるで生きているかのように点滅を繰り返している。
「それが紋様。英雄である証であり、力の量を示すパラメータの役割を担っている。光の強弱がそれを示していて、強いほどに力が充実している証拠なんだ」
「へぇ……」
その光には目を惹く何かがあった。二人が食い入るように眺めるのが嫌だったのかすぐに手を引っ込めてしまう。
「消費した力は普通なら一日くらいで回復する。戦闘中に力が尽きたらそれこそ一大事だから、これの管理はしっかりしないといけない。それと普通の人には見えないようになっている」
「じゃないとマズイだろうな」
なにせパッと見はタトウーほぼ同じだ。
だとするとそこら辺の配慮がないと色々面倒だろう。
「そして英雄になると願いに則した特殊な力と、ランダムに五感の一部が強化される。強化された箇所は敵を感知できるように作り替えられ、普通の人より性能が上昇する」
「敵を感知できるようになるのとは別に単純に強化されるってこと?」
「そうなるね」
真の問いに銀はそう答えた。
「特殊な力の方は願いに左右されやすい。例えば誰かの怪我を治したいと願えば傷を治す力を得るし、お金持ちになりたいと願えば欲しいものを具現化する力を得る。方向性はその人の性質に依ることになるから、これもまた思い通りにはならないことの方が多い」
「結局、なってみないと分からないということか」
「そうなるね」
真の呟きに銀は相づちを打つ。
「ただ、力の一部を譲渡してもらうことでその人特有の力を使うことはできるから、戦い方に幅を持たせることはできるかな」
「それには制限はないのか?」
「本来の持ち主より力が落ちるくらい。それと人に譲渡しやすい能力としにくい能力があったりはするけど、それでも基本譲渡できると考えていいと思う」
「結衣先輩は──」
「あげたことはある。貰ったことはない」
やや喰い気味で答えられ、真は口をつぐんだ。
訳が知りたいのか、健治はじっと結衣の方を見つめる。それに気づいた結衣がやや早口で説明した。
「英雄なんかになる人は皆我が強い。そんな連中が仲良くなんてしない。顔を合わせたら即殺し合い」
「英雄っていう役割は文字通り命懸けだからね。できる限り身の危険は減らしたい、それこそ自分と対等な立場の存在は邪魔でしかないからね」
「じゃあ、四ノ宮さんも……?」
「そのうちね。あれほどの手練れだと簡単には手を出せないから」
「四ノ宮だと?あの女も英雄なのか?」
「らしいよ。それと、やっぱり強いんすか?」
真は先ほど対峙した時のことを思い出す。
全身の血が一瞬で凍り付くかのような感覚。ただ立っているだけなのに辺りの空気が歪んだように見えた。
結衣は首を横に振った。
「分からない。ただ、普通ではない」
その動作は肯定の意味でだった。その上で分からないと否定したのだ。
ごくりと音を立てて唾を呑む。
やっぱりあの時の感覚に間違いはなかったのだ。
「結衣、一つ提案あるんだけどさ」
「……?」
結衣が不思議そうに銀を見つめる。どことなく空気が張り詰めている気がした。
「しばらくの間、二人の面倒をみたらどうかな?」
「──は?」
その瞬間真と健治の全身に一瞬で鳥肌が立った。
真は咄嗟に膝をついて半身に身構えていた。
「だって二人とも素養があるし、知る権利くらいはあると思ったからここに連れてきたんでしょ?それに君が感知できない因子をこのまま野放しにしてもいいの?」
「…………」
ピクリと眉が動いただけで微動だにしない。
それが逆に怖かった。
「あ、あの……」
隣に座る健治が口を開いた。気が付けば正座している。
「自分からもお願いしていいですか。邪魔にだけはならないようにするので」
そう言うと「お願いします」と頭を床につけた。
それを見て真も軽く頭を下げる。
しばらくして真に聞こえるほどの大きなため息をつく。
「……自分の身は自分で守ってね」
「──ッ!分かりました!」
喜ぶ健治を横目に真はほっと胸を撫で下ろしていた。
正直、いつ首が飛んでもおかしくないほどの殺気だった。
「それじゃ、明日の段取りを決めようか」
銀の号令のもと、元の位置に座ると簡単な打ち合わせをして、その日は解散になった。
結衣の家からだと真と健治の家は逆方向になる。二人は外に出るとその場で解散した。
(成り行きとはいえ、とんでもないことになったな)
真は自転車を漕ぎながらそう思う。
眼前に迫る暗闇なんて気にもならなかった。
次の日、健治は終始上の空だった。
魂が抜けたかのようにぼーっとしていて、授業で指されても気づかない程だった。しまいには「明日は雪が降りそうだな」と先生にからかわれる始末だった。
そんな様子を真は呆れた様子で眺めていた。
授業が終わると健治は一目散に教室を後にした。不思議そうに席に近づいてきた黒斗に謝るとその後を追った。すると途中で真がいないことに気づいたのか下駄箱の近くでそわそわしながら待つ健治の姿があった。
二人は校門を出ると学校の傍の公園に向かった。結衣から学校が終わったらすぐに来るように、と言われたからだ。急いで向かうと既に銀と二人きりだけでいた。
結衣は着いた二人を一瞥すると何も言わずに歩き始めた。それを見た銀が苦笑しながら「ついてこいってさ」と二人に伝え結衣の背中を追った。
こうして初の敵退治が始まったのだった。
道中、真の右前を歩く銀が結衣に代わって細かい説明をする。
「敵は人の心、負の感情を糧に生きているのは昨日説明したと思うけど、それを集めるために張り巡らされた根を探すとこから始めるんだ」
「根って植物のあれか?」
「役割が似ているから結衣はそう呼んでいるんだ。根っていうのは町中のあちこちに、特に人の感情が交錯しやすい場所にあることが多い。その方が負の感情を集めるのに効率がいいからね」
銀は指で数えながら例を挙げていく。
「学校、病院、駅、ショッピングモール、遊園地に水族館や動物園。とにかく人が多ければ多いほどにあるんだ」
「目印みたいなのはあるのか?」
「あることにはあるけど、普通に過ごしていたら気づかないかな。それに気づかれないように工夫もされてるし」
「工夫?」
「多分そろそろ分かると思うよ」
そう言うと唐突に結衣が止まった。気が付けば駅の近くの商業施設に来ていた。平日なのに人で溢れかえっており、夕刻だからか制服姿の人の割合が多い。
結衣は並ぶ店舗の一つに貼られている張り紙を指さした。どうやら近々行われるイベントのポスターらしく、カラフルな色合いが目を惹くデザインだった。
真と健治は一歩近づくとじっとそのポスターを見つめ、ほぼ同タイミングであることに気が付く。
「全ての文字が全部鏡文字になってる……?」
しかも文章が左右に入れ替わっているのではなく、文字だけが反対向きになっていた。だからこそパッと見ではその違いに気づけなかった。
(それにしても……)
どうしてかは分からないが見ているだけでなんだか不快な気分になる。例えるならスプラッタ動画やホラー映像に近いかもしれないが、それとは違って目を瞑っていても嫌な感じは消えない。
すると結衣が二人の間を割るように前に出ると、そっとそのポスターに手を伸ばした。
その手が触れた途端黒いもやのようなものが一瞬噴き出ると、気が付けば文字が元の向きに戻っていた。驚く二人を他所に何事もなかったかのように結衣がまた歩き始める。
「びっくりした?」
悪戯が成功したかのように銀が笑う。
「あ、あぁ……」
真は呆気に取られていた。銀は声を弾ませながら説明をする。
「これがさっき言ってた目印のことだよ。英雄はこれを探しながら本体を探すんだ」
「確かにこれは気づかないな……」
「でも、こんなものを探すより直接本体を探す方が良くないか?確か感知できるようになっているんだろ?」
真の問いに銀が「それがそう上手くいけないんだ」と答える。
「敵の本体は何層にも入り組んだ空間の奥に潜んでいるし、その入り口も人気のないところに隠されている。それに敵は人が本能的に避けたくなる気持ちを与える力を働かせているから、探そうにも無意識に避けてしまうんだ」
「それは英雄もなのか?」
「そうだね。人も英雄も敵の空間に迷い込むことはあっても、意図的に近づくことはできない。だからこそまずは末端の根を探すとこから始める」
歩きながら右前にいる銀は話を続ける。
「これを彼女が根と呼ぶのは、これが必ず本体に繋がっているからなんだって。根を辿れば必ずそこに本体がいるっていうのが彼女の経験則」
「だから、その根を見つけるとこから始めるのか。思いのほか地味だな」
「でもさ、どうしてこんなことするんだ?」
真がそう尋ねる。不思議そうにしている健治を横に真が続けた。
「いや、確かに英雄が敵を倒さないといけないのは分かる。でも、それをしなくてもいいんじゃないか?だってもし願いを叶えることが目的の場合、叶えた後律儀に役割を果たす必要もないだろ?」
「もしかして、真はそうするつもりかい?」
声を詰まらせる真に対し「冗談だよ」と笑った。
「それにはきちんとした理由がある。一つは敵は放置しておくと町を滅ぼしかねないから。過剰に集まった負の感情はそれだけで人に悪い影響を与え、その場所から人がいなくなる。もう一つは敵は英雄を目の敵にしているから。理由は分からないけど力を蓄えた敵が英雄を襲ったって話は沢山あるんだ。だからこそ率先して敵を倒さないといけない」
「なる、ほど……」
真は納得した様子でそう呟く。
確かに自分の願いで自分が住む町が壊れてしまうのは避けたい事態だ。それに敵が英雄を倒そうとするなら、逆にこっちから敵を叩いた方がいいのかもしれない。
「でもここ最近の敵は異様に強くてね。そのせいで人が寄り付かない場所が随分増えてしまってるんだ」
「敵の影響で、か?」
「恐らくだけどね」
銀は困った調子で言うと、どこか呆れた様子で結衣を見つめる。
「でも、本当ならこんなことしなくてもいいんだけどね……全く、素直になればいいのに……」
意図が分からず真と健治は目を合わすと首をかしげた。
歩くうちに陽が傾き始めていた。沈む空の端は紅く染まり、少しずつ夜の面影が滲み始めている。
「着いたよ」
結衣が足を止めたのは学校からそれなりに離れた場所にある廃ビルだった。
約三十年前に起きた原因不明の大災害の被害を受けた地域に残された物だからか一目見ただけでかなりの年数が経っているのが分かる。
そしてここら辺は治安があまり良くないことでも有名だった。
結衣は金属製の鎖で閉鎖されている入り口に近づくと、
素手で鎖を引きちぎった。
「はぁ⁉」
「……」
目の前で起きた出来事に真は驚きの声を上げ、健治は絶句していた。
そしてそんな反応を結衣は煩わしそうに睨みつけると、そのまま中へ入っていった。
「早くしないと追いていかれるよ?」
銀は不思議そうにしながらも結衣に続いて中に入り、健治も慌ててその後を追う。
真はこっそりと千切られた鎖を手に取ってみる。見た感じどこも錆びてないし、千切りやすいように傷が入ってもいない。それに手に伝わる重みは間違いなく本物だった。
(これ、素手でも充分に強いんじゃ……)
改めて人間離れした強さを再確認すると、絶対に怒らせないようにしようと心に決め建物の中に入る。
中にはろくに物がなく、外見よりも広く感じた。汚れた窓から夕焼けの灯りが入っていて、壁や天井にできたヒビに少し濃い影ができている。
しばらく人が来ていなかったのか、空気が淀んでいて埃っぽかった。試しに近くの窓枠を指でなぞるとくっきりと跡が残った。
既に三人の姿はいなく、奥の方に階段が見えた。どうやら上に行ったらしい。
真もざっくりと部屋を眺めながら階段を上がっていく。
「うわ……」
やっとの思いで最上階に上がった時、真は思わずそう呟いた。
半壊しているため見晴らしがよく、先ほどまでいた辺りが良く見える。風はないものの、そこから見える景色は気分を清々しいものにするに充分だった。
無言で結衣がそこにある扉を指さす。どうやらベランダがあるらしく、そこに通じているらしい。開かれた向こうには隣のビルがあるだけだった。
だけど、真にはそれがただの扉には見えなかった。
「これが結界の入り口だね。まぁ正確に言うなら英雄が来たことに気づいた敵が、自分たちを招き入れるために作った入り口って言う方が正しいけど」
そう言うと健治と真の前に、丁度扉の間に入るように立つとこう尋ねる。
「さて、と。これから敵の本拠地に向かう訳だけど、覚悟はできているかい?ここから先は文字通り、命懸けだよ?」
「……あぁ」
そう答える健治の表情は険しかった。
──本当はまだきちんとは理解できていなかった。だけどこの人とならきっと大丈夫だと思えたし、なにより健治が行くというなら引くわけにはいかなかった。
真は健治の顔を見て「勿論」と答えた。
返事を聞いた銀は一歩横にずれると、結衣が静かに二人に近づく。それぞれの手を取り、小さく呟いた。
一瞬淡く光ると、結衣はその手を離し元の位置に戻り、昨日見た格好に姿を変える。
見ると掌に不思議な模様が描かれていた。どことなく花に見えるそれは結衣の衣装に使われているピンク色に似ている。
「それが、昨日言った力の譲渡。それがあればごく一部だけど英雄としての力が使えるよ」
「へー……」
試しに触ったり掌を開いたり閉じたりする。特に変わった様子は無い。
「つまり、結衣先輩の力はそういうものだと言うことか?」
「うーん……、似て非なる物ってとこかな。ひとまずは君たちが最低限自身を守れるように貸しているから、本来の効果は得られないと思う。それを使うときはその模様に意識を傾けると、呼応して戦うための武器が現れる。それで自分の身を守るといいよ」
「……分かった」
それだけ言うと健治は目を閉じ深呼吸をする。真はその様子を見て、ぐっと全身に力を込めた。
「行くよ」
結衣の号令のもと4人は敵の本拠地へと踏み込む。
こうして二度目の戦いが始まったのだった。
そこはまるで水底のように静かだった。
聞こえてくるのは自分たちの靴底が擦れる音と呼吸の音。
生き物の気配はなく、白と黒で構成された単調な世界。真っすぐ伸びた道に均一に電灯が並び、そびえ立つビル群は発光しているかのように白い。隙間がなく、どこか向かう先を限定している。
「なにもないな……」
真の隣を走る健治がそう呟く。
「──いや、いる」
「え?」
「真の言う通りだよ。よく見てご覧。そこら中にいるよ」
銀にそう言われ健治は辺りを凝視する。真は既にそれに意識を向けていた。
それはビルとビルの間や、街灯のすぐ近く、天井や地面の端に数えるのが億劫なほどいる。黒い体に白い目。形状はやはりスライムに近い。
「……」
先頭を行く結衣は気にする素振りも見せずに走り続ける。
道は何度か上がっては下り、時折左右に大きく曲がった。それでも目に映る景色は一向に変化しないままで、本当に進んでいるのか不安に思うほどだった。
突然結衣が足を止めた。見るとさっきまでいたスライム状の敵がまるで道をふさぐようにたむろしている。
「……」
結衣の空気が一気に変わるのが分かる。どうやら戦うらしい。真と健治もまた気持ちを切り替えると、言われた通りに刻まれた模様にぐっと意識を傾ける。
微かに模様が光ると虚空から武器が現れた。二人はそれを確かめるように握り眺める。
真の武器は銀色の両刃の剣だった。長さは竹刀程度だろうか、手に伝わる重さは見た目よりもずっと軽く、すんなりと掌に馴染んだ。
健治の武器は一丁の銃だった。真の剣より一回り小さいものの、重厚感は比べ物にならない。銃口は二つで、俗に言うポンプショットガンと呼ばれる代物だった。本来なら一発放つごとにリロードする必要があるため、複数の敵を相手するには不向きな銃だ。
だがそんなことをこの二人が知る訳がなく、
「お前、それ扱えるのか?」
「分からん。だがやるしかないだろうな」
「まぁそれもそうか。俺のは多分なんとかなる、はず」
「頼むぞ剣道経験者」
「実剣と剣道は全然違うっての」
そんな軽口を叩きあいながら二人は確かめるように武器を細かく握り直す。
「凄いね、彼ら」
「……そうね」
結衣と銀が当の二人に聞こえない声でそう話す。
息を合わせたかのようにスライム状の敵が一斉に四人に襲い掛かった。迎撃する三人は銀を中心に三角形を描くような形でそれを迎え撃つ。
(こっちは、まぁいつも通りだよね……)
ただ一人眺めているだけの銀が静かに戦況を分析する。
結衣は滑らかな挙動で弓を構え、矢を番えて放つ。矢は無数に分裂すると余すことなく敵を撃ち貫き、すぐさま次の矢を番える。
(だけど、こっちは正直予想以上かな……)
対する真と健治は初陣とは思えない、息の合った連携で敵を倒していった。迫る敵を健治が撃ち、撃ち漏らした敵を真が切り伏せていく。スッと真が一歩下がると間髪入れずに健治が弾を放ち、そして別の方向から迫る敵を真が一刀両断する。
(いくら二度目とはいえ、ここまで動ける人は初めて見たよ)
銀の知る人間は武器を手にすると、特有の高揚感と恐怖心で正常な思考を働かすことができなくなる。しかも殺意を持って迫る敵に対し、普通なら臆するか怯えるかのどちらかの反応を取ってしまう。
なのに、彼らはあまりに自然体だった。それは近くに親しい友人がいるからかもしれないが、だとしてもこの動きはそこらの英雄よりよっぽど慣れた動きだった。
(やっぱり、僕の見立ては間違いなかったってことかな……)
素養もあり、素質もある。
契約したらきっと彼らは──。
「銀?おい銀?何ボーッとしてんだ?」
「あ、あぁ。ゴメンゴメン」
見ると戦闘が終わっており、辺りには戦った痕跡が刻まれている。
どうやら圧勝だったらしい。結衣もどこか不服そうにしながら銀を睨む。
「行くよ」
結衣がそう言うと真と健治がその後に続く。
息一つ乱れていない三人の背中を銀はただじっと見つめるのだった。
その後も何度か襲撃を受けたものの、特に問題なく四人はそれを切り抜けた。
「え……⁉」
突然、景色が一変した。
気が付けばビルが湾曲してドームのように覆いかぶさっていて、思っていたよりもずっと高い位置にいた。側面には人が数人通れるぐらいの抜け道があり、埋め尽くすようにスライム状の敵がこちらを見ている。
見下ろした一番下に、それはいた。
「人、なのか……?」
真は魅入るようにそれを観察する。
群がるスライム状の敵の中心にいるそれは、さっきまでのとは比べようもないほどに巨大だった。その姿は子を抱く母親のようで、抱きしめる母親の表情は泣いているようだった。
黒一色のそれは背景に溶け込んでいるため輪郭が不明瞭だが、それでもそれが巨大だと分かる要因が一つあった。
「あれが抱いているのは何だ……?」
ここにおいて明らかに浮いている物体。それは満天の星空のような淡い色を放ち、液体でできているのか波打つように形が変化している。
神秘的で美しいはずなのに、どうしてかそれが禍々しいものにしか見えず、
それだけで、あれが危険な存在だと理解できた。
「下がってて」
結衣はそう告げると真っすぐ飛び降りた。気づいたスライム状の敵がその体を触手のように伸ばし迎撃する。
結衣はひらりと躱し矢を番え放つ。着弾すると爆風と共にピンク色の花弁が舞い散った。
巨大な敵はその場から動くことなく佇んでいた。
結衣は少し距離を取って着地し、手に持つ弓を下げた。
一瞬の静寂の後、結衣が仕掛けた。真の目には矢が放たれた瞬間しか見えなかった。数は三本。いずれも巨大な敵へと向かう。
が、敵はその巨体に見合わぬ俊敏さで飛び上がり躱すと、体から触手を出し側面に張り付き、抱える液体の雫が弾丸のように結衣目がけて飛来してきた。結衣は移動することでそれを回避する。着弾した瞬間何もない地面にヒビが入った。
真と健治は思わず息を呑んだ。それは先ほど相手したスライム状の敵の攻撃とは比べ物にならない威力だった。
結衣と敵は互いに遠距離からの攻撃を交えていた。真から見て劣勢だったのは結衣の方だった。威力も機動力も敵に劣っているように見えたからだ。
そして放つ矢が十を超えた頃、敵の攻撃が空中にいる結衣に直撃した。重い物が落ちたような凄まじい音がすると同時に結衣の体がピンポン玉のようにはじけ飛ぶ。
「────ッ結衣さん‼」
気づけば真はそう叫んでいた。その声虚しく結衣の体が力なく落下していく。
敵はとどめを刺そうと結衣に接近する。助けに行こうと真が動くと銀がそれを制止した。
「なにすんだよ銀!」
「大丈夫」
その声は驚くほどに落ち着いていた。
「もう、決着はついてるから」
その言葉の真意が分からず、眉を顰めるその視界の端で、
突然敵の動きが止まった。
「え……?」
敵はそのまま着地する体勢も取れずに落下した。よく見ると体中に淡いピンク色の模様が浮かび上がっており、気が付けばそれは壁や天井全体に広がっている。
舞い散る花びらの中苦しそうにもがく敵の元へ結衣がゆっくりと向かう。結衣の体には傷一つついておらず、辺りに広がる紋様と同じものが全身に浮かんでいた。
「…………」
結衣は弓に矢を番えると、敵ではなくその上空へと矢を放つ。
緩やかに上昇する矢は途中で勢いを失い球体すると、そこから矢の雨を降らせた。
敵の断末魔を背に結衣が踵を返す。一度たりとも表情が崩れることがなかった。
やがてそれが途切れ、四人は元居た場所へと帰ってきていた。
まさにあっという間の出来事だった。
「おつかれ。今日も絶好調だったね」
ポカンとしている二人を他所に銀が結衣に話しかける。結衣は何も言うことなく一人階段を下り始める。
残された二人はその場を動くことができなかった。
「……なぁ、健治」
「……」
「……すっげぇな」
「……あぁ」
「何してるの?早くしないと置いてかれるよ?」
銀が不思議そうにそう言うと階段を下りる。
外は既に夜になっていた。真と健治は顔を見合わせ感嘆すると、二人の後を追ったのだった。
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