無意味幻想譚・その3
青葉台旭
1.
二十九歳から徐々に体調が悪化し、三十歳の誕生日を迎えた直後、いよいよ満足に仕事が出来ないほどの
仕事の内容にも、会社の人間関係にも、未練は全く無かった。
大した趣味も持たず地味に暮らして来たから、通帳の残高はそこそこ有った。同じ年代、似たような賃金の会社員たちの中では、多い方だろう。
だから思い切って辞めることにした。
しばらくは、貯金を切り崩しながら休養生活をして体力を戻すつもりでいた。
さて、どこで体を養うか。
実家の母に相談してみると、母は『古い知り合い』とかいう人物に相談を持ちかけ、その人物から別荘を一軒借りる約束を取り付けた。
僕は、会ったこともない母の『古い知り合い』のご厚意に甘える事にした。
家賃は一年分を前払いで口座に振り込んだ。一年分全部で、東京なら安アパート一ヶ月分にも満たない金額だった。
大家の気持ちとしては無料で全く構わないのだが、いちおう形式として少額だけ受け取ろう、という事らしい。
世の中には気前の良い人もあったものだと思いつつ感謝をして、さっそく東京のアパートを引き払って、S県の山奥に建つ別荘へ向かった。
荷物は旅行鞄ひとつ。
東京暮らしで使っていた身の回りの品のうち、捨てるものは捨て、売れるものは中古屋に売り、それ以外のものは実家に送った。
特急でS県の県庁所在地まで行き、そこから鈍行に乗り換えて、さらにバスを乗り継ぎ、K村に着いた頃には、とうに日が暮れていた。
深い森の小さな盆地に家々が点在する小さな村には、濃い夜の闇が横たわっていた。
真夜中でも街灯や二十四時間営業の店の灯りで煌々としている東京で育った僕は、田舎の夜とはこんなにも暗いのかと驚いた。
街灯も有るには有ったが、その間隔が恐ろしく長い。
ひとつの灯りの下に立って、次の灯りを探すと、道の遥か向こうにポツンと小さな灯りが見えるという具合だった。
道の両側には家が七、八軒ほど並んでいるが、まだ深夜というほどの時間でもないのに、灯りが
田舎の暮らしは朝も夜も早いと聞くが、灯りの消えている家々の住人は、もう寝てしまったのだろうか? それとも過疎化とやらの影響で、そもそも人が住んでいないのか?
僕は、暗い夜道を旅行鞄を手にトボトボ歩いた。
遠くに、少し大きな灯りが見えた。
近づいてみると中に電気を仕込んだ看板だった。
『民宿・お食事』と書いてある。
ほっ、どうにか屋根の下で寝られるぞ、と思い、アルミサッシの引き戸をガラガラ鳴らして開けた。
コンクリート打ちっ放しの
奥にカウンター席。
テーブルのひとつを囲んで、男が三人、日本酒の
カウンターの向こうに、店の主人らしき男と、その妻らしき女。
下半身はカウンターに隠れて見えないが、上半身の高さから、二人とも椅子に座っていると分かる。
夫婦で何か話しているが、声が小さくて聞こえない。男の方は、タバコをプカプカやっている。
みんな老いている。
客も宿の者も、六十五歳から七十歳の間くらいだろうか。
その老いた客と店の者たちが、一斉に僕の方を見た。
いかにも
「あの……一晩泊めて頂けますか?」
カウンターへ向かって、おずおずと
しばしの
「ええと、ああ、お客さん?」店の
「はい」
「泊まり?」
「はい」
「ええと、ちょっと、待って」
女将は、そう言って、店の奥へ消えた。
階段を昇る足音が微かに聞こえた。
五分待たされた。
その間、三人の老いた男たちは、徳利酒をチビリ、チビリとやる。亭主はカウンターの向こうに座って、タバコをプカプカふかす。
店に入った時には、暗い目つきでこちらを見た老人たち、
まるで僕の存在をこの空間から消してしまおうと思っているようだった。
女将が二階から戻ってきた。
手に黄ばんだ大学ノートを持っていた。
「はい、宿帳。ここに今日の日付と名前と住所と電話番号を書いて」
ページを開いてボールペンと一緒に、僕の方へ突き出す。
僕は大学ノート(宿帳)を受け取って、言われた通り日付と名前と住所と電話番号を書いた。
書きながら、さりげなく一行前の日付を見ると、信じられない事に十五年前だった。
この民宿には、十五年間も宿泊客が来ていないのか。
不安になった。
女将に案内され、カウンターの横の通路を通って靴を脱ぎ、階段を登って狭い廊下を歩き、一番奥の部屋に通された。
押入れ付きの六畳一間。
その真ん中に布団が敷いてあった。
他に何も無い。
「それじゃあ」と言って戻ろうとする女将に、僕は「あの、会計は?」と聞いた。
「ああ、そうだった。二千円」と言って、女将が手をこちらに出してきた。
ずいぶん安いんだなと思いながら、千円札を二枚渡した。
「領収書は切りませんから、そのつもりで」と女将。
別に領収書なんて必要なかったが、それにしても、つっけんどんで無愛想な言い方だ。
「それから、お腹が空いたら一階の食堂で、どうぞ」女将が続けた。「ただし別料金ですので、他のお客さんと同じように食後に会計してください。朝食は作りません」
「朝ごはん無しですか?」
「朝は、いろいろ忙しいので。お客さんのご飯まで手が回らないのです。他に質問は?」
「お手洗いは?」
「廊下の反対側です」
それを最後に部屋の扉をバタンと閉めて、女将は行ってしまった。
ひどい客の扱いだな、と思い、ど田舎の山奥の民宿なんてこんなものさ、と自分を納得させ、畳の上に座った。
部屋の真ん中に敷かれた布団を見る。白いシーツ、白い枕カバー、白い掛け布団カバー。
パッと見た感じ、清潔そうだった。
宿帳の記載を信じるなら、この宿に最後に客が泊まったのは十五年前。
つまり、この布団は最低でも十五年間、誰も使わず押入れの中に
おそるおそる鼻を近づけて
特に不快な匂いは無かった。
思い切って、掛け布団の上に大の字に寝そべった。
そのまま
* * *
寒さで目が覚めた。
腕時計を見ると深夜の二時を指していた。
部屋の電気を消して、今度は掛け布団の下へ潜り込んだ。
部屋の窓は、頭の側にあった。
明かりを消してみて初めて、外から月光が差しているのに気づいた。
なんだ、今日は満月か、と思った。
村の道を歩いているときは確か空は真っ暗だったような気がする。あのときは曇っていたのか。
月の光が誘っているような気がして、僕は布団を出て窓際に寄った。
そこで初めて、窓にカーテンが吊るされてない事に気づく。まったく本当に、なんにもない部屋だった。
二階の窓から月光に照らされた外の世界を
店の裏側に面したその窓からは、小さな庭、その向こうに小さな畑、そのさらに向こうに水田が広がり、水田の奥に木々に包まれた山が連なっていた。
青白く光る夜の世界をしばらく眺めていると、どこからか「どしんっ、どしんっ」という地響きのような音が聞こえてきた。
すわっ、地震かっ、と身構えていると、外に向かって右側、僕の視界の外から中へ、巨人のような影が侵入してきた。
身長は、六メートルか七メートルくらいか。
満月の青白い光を浴びて、なお、巨人の体は黒々としていた。
ところどころ金属的な光沢で、月光をギラッ、ギラッと反射する。
「ロ……ロボット?」
僕は一人部屋の中で
それは確かに、黒い鋼鉄製の(あるいは僕の知らない特殊な金属製か)、大きな人の形をした機械だった。
向かって右から現れた巨人機械が、田んぼの稲を踏みながら、ゆっくりと左の方へ歩いていく。
民宿に最接近したとき、巨人の内部で駆動する歯車のギシッ、ギシッという音が聞こえた。
目が離せなかった。言葉も吐けなかった。
驚きのあまり、全身の筋肉を一本たりとも動かすことができなかった。
なんだ、これは、という思考が壊れたように脳の中を何度も何度も
月の光に染まった青一色の、静かな世界に戻った。
僕は、ぐったりして布団の上に座った。
驚愕と興奮の嵐が過ぎ去ってしまうと、ただ、ただ、
僕は、そのままゴロンと横になり、布団を
すぐに意識が無くなった。
* * *
朝日の眩しさで目が醒めた。
前夜は、着替えもせずに眠りに
妙な夢を見た。
身の丈六、七メートルもある鋼鉄の巨人が、真夜中、月光を浴びながらズシンッ、ズシンッと田んぼの中を歩く夢だ。
立ち上がって、窓際へ行った。
畑の向こう側に広がる水田の稲が所どころ倒されていた。まるで巨人が歩いた足跡のようだった。
だからと言って『昨日見たものは夢じゃなくて現実だった』などと、安直に考えたくなかった。
あの水田の所どころで稲が倒れているのには、きっと別の理由があるはずだと思った。
どんな理由かは、分からなかったが。
さっさとチェックアウトしようと、布団を畳んで部屋の隅に置き、旅行鞄を持って廊下へ出た。
廊下はシンッと静まっていた。
一階に降りた。
誰も居なかった。
この民宿を経営している家族が住んでいるであろうと思われる、一階の奥の方へ向かって、おーい、すいません、と声を投げかけてみたが、何の反応も無かった。
一階の奥は暗かった。
人の気配も無かった。
仕方なしに、黙って宿を出ることにした。
宿泊料は前金で払ってあるのだ。
消耗品を使った訳でも、何かを飲み食いした訳でもない。(そもそも、そんなものは備えられてなかった)
追加料金を払う義務はないはずだ。
引き戸をガラガラと開けて、通りに出た。
さすがに山あいの小村だ。
少し寒いが、都会と違って空気が美味い。
さて、右へ行こうか左へ行こうかと少し迷った。バス停まで戻るのも何だか損をしたような気分で嫌だったから、バス停とは反対側へ歩くことにした。
そのうち、何かと出会うだろう。
* * *
民宿を出て、バス停から離れる方向へ歩き続け、いつの間にか村外れまで来てしまった。
その間、村民には一人も会わなかった。
無人の廃村のようだったが、前日の夜、民宿に泊まりを願った時には宿の夫婦と客が三人居た。皆、老人だったが。
最低でも五人は村民が居るわけだ、と、冗談半分に思った。
わずかに登り坂になった田んぼの中の道を歩き、森との境界線まで来た。
二十メートルほど森の中へ入った場所に『ロボット博物館こちら→』という木の看板が慎ましく立っているのに気づいた。
少し考えて、その博物館とやらに行くことに決めた。
行けば誰か居るだろう、と安易に考えたからだ。
村道からさらに細い枝道に
十五分ほど歩くと、いきなり視界が開けて目の前に近代的な建築物が現れた。
高さはそれ程無く、せいぜい三階建といった所だが横幅があった。
なだらかな曲線を描いて両端が森の奥に隠れる格好の壁面で、鳥の視点から見下ろせば恐らく円形をした建物だろうと思われた。
大きな建物だが
建ててから百年くらいは経過してかも知れない。少なくとも第二次大戦前には違いない。
正面玄関の扉を押し開けて館内に入ると、中の空気はヒヤリと冷たく、湿って、淀んでいた。少し
中へ向かって左側に小窓があった。券売所のようだったが、小窓の向こう側はカーテンが閉じられていて見えない。
、『大人百円、小人五十円』と書いた看板が掛かっていた。
ずいぶん安いんだな、と思いながら小窓に近づき、ガラスをコンコンと叩きながら「すいません、誰か居ますか?」と少し声を張って言った。
耳を澄ます。
確かに、ガラス小窓の向こう側に誰かの居る気配がする。
いきなり、サッとカーテンが引かれ、年配の女性の顔が現れた。
表情というものが全く無い、冷たい感じの女だった。
「大人、百円」そう言う声にも、感情が全く無かった。
「あの、この近くに富豪の別荘が一軒あると聞いたのですが」僕は、その券売所の女に尋ねた。「道順をご存知でしょうか?」
「わたし、ロボット、入場料、受け取るだけ」女が言った。
その言葉に、僕は「え?」と言って、あらためてマジマジと小窓の向こうからこちらを見ている女の顔を見つめた。
「わたし、ロボット、入場料、受け取るだけ」女が繰り返した。
ああ、なるほど、こういう博物館の演出なんだな、と最初は思った。
ここはロボット博物館で、来場者がその『ロボットの世界』にドップリ浸かれるように、従業員にもロボットの演技をさせているのだ。
僕は内心、少し腹を立てた。
こっちは真面目に道を
「あの、すいません、じゃあ、せめて村役場への道順だけでも教えて頂けませんか?」
「わたし、ロボット、入場料、受け取るだけ」
「いや、それじゃ、上司を呼んで下さい。人間の上司を」僕は少し大きな声で言った。
あくまでロボットの演技をする券売所の女にイライラが
その時、突然、女の両目の、白い部分がピコピコと光りだした。
白目の内側に電球でも仕込んであるみたいに、ピコピコ、ピコピコ、右、左、右、左、と、交互に点滅を始めた。
「わたし、ロボット、入場料、受け取るだけ……わたし、ロボット、入場料、受け取るだけ……」
白目をピコピコ点滅させながら、女が繰り返す。
僕は、慌ててポケットから百円玉を出して小窓の前に置き、逃げるようにして建物の奥へ向かった。
* * *
博物館の中は薄暗かった。
天井を見上げても光源がどこにあるのか良く分からない。
建物は、外から見たときの予想通り、大きな平べったい円筒形をしているようだった。
中央部が吹き抜けになっていて、そこに、黒い巨人の像が立っていた。
前日の夜に民宿の窓から見た、あの巨人ロボットだった。
動かないだろうかと不安になりながらも、僕はその巨人ロボット像に、近づかざるを得なかった。理由は分からない。どうしても近づきたいという欲求を抑えられなかった。
巨人は直径五メートルほどの台座の上に立ち、台座には『アール1号 身長6.5メートル』と彫られていた。
「アール1号……」僕は、その巨人ロボットの名前であろう文字を小さな声で読んだ。
突然、背中の方から「さよう……」という老人の声がした。
驚いて振り返ると、白衣を着て眼鏡をかけ、白い
「アッ、あなたは誰?」と、僕はその老人に言った。
「
「では、この巨人ロボットを作ったのは?」
「さよう……この
僕は館長で博士の
〈アール1号〉が安置されている建物の中心部のみ吹き抜け構造で、外周部分は二階建てになっていた。
館内図を見ると一階に十部屋、二階に十五部屋、展示室があるようだった。
博士は、僕を連れて、そのひと部屋ひと部屋を順々に案内して回った。
展示室は、テーマごとに分かれていて、例えば『戦争用ロボット』とか『家庭用ロボット』とか『工場用ロボット』という風にまとめて展示してあった。
僕と博士は、最後に『美しき少年ロボット』という展示室に入った。
「ここには、どんなロボットが展示されているのですか」と博士に
「同伴ロボットとは何ですか?」と、僕は重ねて尋ねた。
「一緒に旅をするためのロボットです」
「旅、ですか」
「そう。旅です。『旅は道連れ』というではありませんか。一人旅も良いが、さらに一人か二人の仲間が居れば、もっと楽しいとは思いませんか?」
「そういうものですか……」
僕は、旅というものをした事がない。
もちろん、仕事や生活のために列車に乗って街から街へ移動した経験はあるし、学生時代には修学旅行というものもあった。
しかし、仕事や修学のためではなく、旅そのものを目的とした、いわゆるレジャーとしての旅行に自ら進んで出かけたことは、
「あなたは、これから長い旅を続けていくでしょう」
「いや、僕は、
「仮にそうだったとしても、一緒に暮らす仲間が有った方が良い」
「……」僕は黙り込んでしまった。博士の持論がどこへ落ち着くのか分からなかった。
「ここに数多くの美しき少年ロボットが展示されている。このうちのどれか一つを、あなたに差し上げましょう」
「エッ、それは一体どういう……」
「何、大した意味はありません。こんな森の奥の博物館に入館者が現れたのは、ずいぶん久しぶりだ。館長の私としても、その久しぶりのお客さん、つまり
「はあ」
何だか、話が上手すぎる……上手すぎるというより、理屈に合わない。
ここに展示されているロボットなるものが、
百円の入館料で、ただ見物客として来たというだけの僕にロボットを与えれば、博物館は大きな赤字を負うはずだ。
どう弾いても
これには、何か、油断のならない秘密や
「まあ、とにかく、一つ一つご覧になってください。ロボットを受け取るか、受け取らないか……受け取るとすれば、どれにするのか、結論はそれからでも良いでしょう」
博士の言葉に、僕は、しぶしぶ
* * *
なるほど、『美しき少年ロボット』という展示室の看板に偽りは無かった。
見た目の年齢は、十二歳から十五歳くらいだろうか。
どの少年ロボットも、明治時代の錦絵に出てくる牛若丸のような……あるいは古代ギリシャ彫刻に出てくる少年たちのような美形ばかりだった。
着ている物は、質の良い生地で仕立てた背広にネクタイが多かったが、中にはチンドン屋のような珍妙な姿の物もあった。しかし、そのチンドン屋の服装にしても、かえって少年の美しさを引き立てこそすれ、貶めているようには見えなかった。
僕は、ズラリと並んで立っている美少年ロボットたちを順々に見ていった。みんな目を閉じている。まるで立ったまま永遠の眠りについているようだ。
最後に、深い緑色の三つ揃いを着た少年の前で足を止めた。
何か特別な理由があって足を止めた訳では、なかった。
確かに、その少年も美しかったが、造作の美しさで言えば、他のロボットも甲乙つけ難い。
僕がその少年ロボットの前で止まったのは、これが展示の最後、これより先はもう展示室を出るしかなかったからだ。
「決まりましたかな?」
「いや……その」と、僕は曖昧な返事をした。
突然、博物館長の博士が両手をYの字に広げ「ヤァーッ」と叫んだ。
「目覚めよ! 美しき少年同伴ロボット! ビー75号!」
博士の叫びとともに、美少年ロボットの胸、人間で言えば心臓のあたりから、歯車とポムプの回る「ジュウィーン、ジュウィーン、ジュウィーン……」という音が微かに聞こえて来た。
少年の目がパッと開いた。
両目の内部に電球が仕込まれているかのように、白目の部分が光っている。
さっきの券売所の女と同じだ、と思った。
やがて目の光りが収まった。
光が消えると、ごく普通の人間の目と区別がつかない。
「何か、ご用ですか、お父さん」
ビー75号と呼ばれた少年が、台座の上から博士に向かって言った。
「おお、我が可愛い息子よ。お前に、一つの使命を言い渡す」
「はい、お父さん」
「この人の旅行同伴者になりなさい」
「はい」
少年ロボットは、台座から降りてツカツカと靴音を立てて僕の前まで来ると、刻み刻みの声で言った。
「私の、名は、ビー75号、です。よろしく、お願いします」
そして、握手を求めるように、手を差し出した。
僕は、思わずその手を握って振った。
「よし、それでは、二人とも……いや正確には一人と一台か……とにかく、ここから旅立ちなさい。もう、この『ロボット博物館』に用は無いはずだ」
博士に背中を押されるようにして、僕は、博物館の正面出入り口まで戻った。
ビー75号と名乗る美少年ロボットも僕らの後に
券売所の窓をチラリと見ると、小窓の向こうから、年配の女ロボットが僕らを見つめていた。
相変わらず無表情だった。
白目の部分がピカピカ光っていた。
「それじゃあ」と言って、博士は僕とビー75号をスイング・ドアの向こうに押し出した。
博物館の外は既に夕方だった。
気温は、博物館の中より少し暖かかった。
ああ、そうだ、旅行鞄を忘れた、と思い、振り返ってスイング・ドアを開けようとしたが、既に鍵が閉まっていて、どんなに押しても引いても開かなかった。
ドアのガラス部分から中を
博物館の館長も、券売所の女も、居るのか居ないのか、良く分からなかった。
「旅行鞄なら、私が、持っています」
その声に、ビー75号の方を見ると、いつの間にか僕の鞄を持っていた。
なーんだ、と思ってその鞄を受け取ろうとすると、ビー75が言った。
「この鞄は、私が、持ちます」
「いや、それは悪いよ」僕は、小柄な少年に言った。
「私は、ロボット、力は、あります。重労働は、苦ではありません」
本物の少年ならば重い荷物を持てば
結局、僕が住むはずの別荘の場所は分からずじまいだった。
とにかく、こんな森の中にいつまで立っていてもしょうがないから、森の中の細い道を戻ることにして、僕は歩き出した。
僕の旅行鞄を持ったビー75号が、僕の隣を歩いた。
空が赤紫色に染まっていた。
無意味幻想譚・その3 青葉台旭 @aobadai_akira
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