August 6

ない!


ちょっと散歩に出るだけのつもりだったので、スマホは病室に置いたままだった!

その時、対向車線のバス停にバスが着き、あっこが降りてきてぼくに気づき、こちらに向かって手を振るのが見えた。


どうしよう!


のんびりメアドを教えてるヒマなんてない。

これ以上彼女と話していると、あっこもここへ来てしまう。


『この人だれ?』って、ヤツから萩野さんの事を訊かれたら、ぼくは誤魔化せる自信がない。

むしろ、すべての事実をあっこに話してしまうかもしれない。

『彼女が初恋の人だ』と。


それを言って、彼女は受け入れてくれるだろうか?


いや。

傷つくに決まってる。


彼女自身も、ぼくが初めての恋で初めてのつきあいで、いっぱいいっぱいの筈なのに、そんな重い話は彼女のキャパを超えてる。

自分にとって、あさみさんへの想いとあっこへの想いは、まったく種類が違うものだけど、そんなのわかってもらえるわけがない。

まさるの言う様に、萩野あさみさんはあっこにとって、ただのライバルなんだ。


じゃあ、このままあさみさんと別れて、あっこの元へ行くか?


それもできない。

せっかくあさみさんが、こうやって親しげに話しかけてくれてるっていうのに。 


やっぱりぼくは、あさみさんが好きだ。

『あさみさんの事はもう忘れよう』ってのは、結局、傷つくのを怖がってたぼくの、言い訳にしかすぎない。

こうして話をしていると、ぼくの推測が間違ってなかった事に気がつく。

思った通り、彼女は優しく美しく、心の底から清らかな人だった。

あっこみたいに暴言吐かないだろうし、わけわかんない行動に出る事もないだろう。

その上、どうやらぼくの事を、意識してくれていたみたいだ。

『5月頃から、朝、このバス停にいましたよね』とか、ぼくの存在をちゃんと知ってたし。

名前やメアドまで聞いてくれるし・・・


あさみさんは、ぼくの事が気になっていた。

もしかしたら、中谷2丁目のバス停で毎朝見かけるぼくの事が、好きだった。

そんな都合のいい、それこそ少女マンガみたいな事なんて、あるわけないけど、可能性がゼロってわけじゃない。

嫌いなヤツに、名前や通ってる学校名訊いたりしないだろうし、フツー。

まして、メアドとか死んでも教えないぞ。


じゃあ、ふたりは両想いだったって事・・・・・・・・?!


嘘だろ~! !

なんでもっと早く声をかけなかったんだ、自分!


くだらない意地や見栄ばっかり張ってないで、どうして行動しなかったんだ!

もし、あっことあんな事になる前に声をかけてたら、ぼくは迷わずあさみさんを愛して、彼女からも愛されていたのに。

ぼくの運命もガラリと変わってたのに。

なんてこったい!


いや…

ぼくはもう、萩野さんを諦めたんだった。

彼女の事は忘れようと、心に誓ったんだった。


あっこのために。


つい今さっき、萩野さんにさよならを言ったばかりじゃないか。

それなのに…

運命ってヤツは、なんて意地が悪いんだ!


いやいや。

これは運命の女神が、ぼくを試してるのに違いない!

ぼくのあっこへの愛が本物かどうか、試されてるんだ。


今、目の前にいる萩野あさみは、実は悪魔の化身で、もしぼくが彼女を選んだら、『してやったり』と、正体を現して、そのまま地獄に引きずり込む気に違いない・・・ って、オカルトに逃げてる場合じゃないぞ!

それに萩野さんは悪魔というよりやっぱり天使で、むしろ悪魔なのはあっこの方だ。


あの肌、あの胸、あのひたむきさ。

ぜんぶがぼくを惑わせる。


そう言えば、『天使より、人の心惑わす、悪魔の方が魅力的』なんて、昔どこかのアイドルが歌ってるのを、オヤジの『アイドルコレクション』ってビデオで見たっけ。だからあっこはあんなに魅力的なんだな~・・・ って、そんな惚気のろけてる場合じゃないだろ!



ほんの2、3秒なんだろうけど、それはとっても長い時間に感じられた。

脳内回路は今までにないくらい超高速で回転し、いろんな場面シーンを想定し、シュミレーションしながら、ぼくは最適解を探っていた。

だけど、答えはどうしても見つからない。

このままモタモタしていれば、あっこはぼくの所にやってきて、隣のあさみさんの存在を不審がるだろう。

あさみさんとあっこはお互い見つめ合い、探りあい、ふたりを目の前にして、ぼくはどちらも傷つけてしまう事になりそうだ。

でも、どうしていいかわからない。


くそっ!

こんな事はウダウダ脳みそで考えてたってダメだ!

ネットプレイと同じで、脊髄反射で行動しなきゃ!


つづく

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