August 5

「お名前、教えていただけませんか?」

「えっ? ぼくの、ですか?」

「ええ…」


どういうことだ?

そりゃ、ぼくだけが彼女の名前を知ってるのは、不公平だと思うけど…


「甲斐。甲斐ちひろと言います」

「甲斐ちひろ… さん」

「すみません」

「ふふ。どうしてあやまるんですか?」


緊張がほどけた様に、彼女は軽く微笑んだ。

はじめて見せる微笑み。

ほんのりと口のはしが緩み、目じりが下がって愛嬌のある、とっても素敵な微笑み。

こんな表情がぼくに向けられるなんて・・・

信じられない!


「おいくつですか?」

「17歳です」

「高校2年生? わぁ。わたしと同学年なんですね」


ぼくの返事を聞いた彼女は、さも驚いた様に、両手を顔の前で軽く“ポン”と合わせた。

そのしぐさがなんとも女の子らしくて可愛い。

ほっそりとした白い指先と、綺麗に手入れされた爪が、彼女の品のよさを表している様だ。

ぼくの方からも、話しかけたい。

つい、同じ様な質問が、口をついて出る。


「え? そうなんですか。どこの学校ですか?」

「わたしですか? 活泉女学院の2年生なんですよ」

「隣町のカトリック系の学校、ですよね?」

「え? ご存知でした?」

「あ、はい。なんとなく…」


彼女の学校なんて、とっくの昔に知ってる。


ーーーーー


萩野あさみ。

活泉女学院2年1組。

出席番号18番。

所属クラブ:帰宅部。

身長162cm、体重43kg、サイズは上から80B、57、83(すべて推定)。

座高88cm、視力両目とも1.0。

生年月日:11月12日。さそり座

血液型:B。

家族構成:父、母の3人暮らし。ひとりっ子。

住所:中谷町3丁目17-15。ケーバン090-3761-2517(作者註*架空のものです)

得意科目:国語と英語。

趣味:エレクトーンを弾く事とお菓子づくり。

好きなシンガー:オフコース

彼氏:なし(6月現在)


ーーーーー


まさるからの情報で、あさみさんのカタログスペックはすべて頭に入っている。

だけど、『初めて知った』という風に、ぼくは演技した。

あさみさんの質問は続いた。


「甲斐さんは、高校はどちらですか?」

「豊筑高校です。ご存知ですか?」

「もちろんです。すごく頭のいい進学校ですよね」

「そ、そんな事ないですけど…」

「なんか… 変ですよね。わたし、こんな質問ばっかりしちゃって…」


萩野さんはそう言いながら、恥ずかしそうにうつむく。

『変』っていうより、『謎』だ。

どうして彼女がぼくに、こんなに積極的に話しかけてくれるのか。

そりゃ、嬉しい事だけど・・・ 謎だらけだ。

もしかして…


萩野あさみが『ぼくの事を嫌ってる』って思ってたのは、ぼくの勘違いだったのかも。

そうとでも考えなきゃ、彼女の親しげな態度は説明つかない。

あの時、ぼくを避ける様に視界から消えて後ろに回り込み、友達とクスクス内緒話してたのは、ぼくがキライだからとかじゃなく、気づかれない様にぼくの噂話がしたかったから、とか?

バスのステップを上がる時にスカートを押さえたのも、ぼくに見られたくないというより、気恥ずかしさを隠すためで、あの時、軽蔑の眼差しと感じた視線も、ぼくの事を意識してた視線だったって事?

まさか…

いつかまさるが軽口叩いた、『好きフラグ』ってのが、図星だったのか?

これも『コペルニクス的転回』ってヤツかぁ?!


だったら、ぼくからもなにか話さなきゃ。

偶然であれ、せっかくこうやって今日話しができたんだから、もっとなにか話して、自分をアピールしなきゃ。

ぼくのこの初恋の想いを、伝えなきゃ!


「きっ、今日も暑いですね」

「そうですね」

「なんか、暑くてクラクラしますね」

「大丈夫ですか? 具合悪くなったんですか?」


しまった!

天気の話なんてしてる場合か?

それに体調の心配までさせてしまって… ぼくがまるで病弱キャラみたいじゃないか!


「だっ、大丈夫です。ふだんテニスで鍛えてるんで、このくらいの暑さなんて、なんでもありません!」

「え? テニスされてるんですか?」

「ええ。今年のインターハイ地区予選は入院で棒に振りましたけど、来年こそはレギュラーになってみせます!」

「え~。すごいですね。わたしスポーツ苦手だから、運動のできる人って尊敬してしまいます」


尊敬だと?

なんと嬉しい事を!


「あの…」


あさみさんは、その美しい瞳でぼくを見つめて頬を紅潮させていたが、なにか聞きたげな様子で、可憐な唇をかすかに震わせた。


「…メアドとか、教えてもらえませんか?」


メアドだって?!

これからもぼくと繋がりたいって、彼女は思ってくれてるって事なのか?

そんな奇跡みたいな事が、本当に起こっていいのか?


「あ…」


答えようとしてポケットのiPhoneを探り、ぼくは愕然とした。


つづく

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