August 1


          August



 セミの鳴き声が飽きる事なく、郊外のサナトリウムに響いている。

真っ青な空に湧き上がった入道雲が、スローモーションの様にゆっくりと、その形を変えていく。


今はお盆の真っ最中。

夏休みももう、半分以上過ぎたんだなぁ。

病室のベッドに寝転び、窓の外の湧き上がっていく入道雲を見ながら、ぼくはあの夜の事を考えていた。




 あの夜・・・


あっこと抱き合った夜は、静かに更けていった。

面会時間はとっくに過ぎているから、サナトリウムの入口はもう、閉まっているだろう。

もうすぐ消灯時間だし、この病室から出るのはまずい。

なのであっこは、『愛美の家に泊まる』とアリバイのメールを家に送り、ここで一夜を過ごす事にした。


「先輩。『あっこ』って呼んでくれましたね」


明かりの落ちた、月明かりしかない部屋で、ディープパープルのぼくのTシャツを羽織った酒井は、ちょっと気恥ずかしそうにささやいた。


「え? あ… そうだっけ? 全然気がつかなった。ご、ごめん」

「ふふ。あやまる事、ないです。嬉しかった」

「実はぼくも…」

「え?」

「ぼくもずっと… 『あっこ』って呼びたかったんだ。みんなが呼んでるみたいに」

「ほんとですか? 先輩がそんな風に思ってくれてたなんて」


ベッドの縁に座り込んでふたり肩を並べ、軽く見つめ合う。

もう一度、ぼくは酒井の名を呼んだ。


「あっこ…」

「先輩」


小さく返事をした酒井… あっこは、首をかしげてぼくの肩に寄りかかる。

ほの暖かなぬくもり。

ショートヘアが頬に触れてきて、くすぐったい。


「もう一度… キス。してください」


そう言うと、あっこは僕を見つめて瞳を閉じ、かすかに唇を緩める。

なんて可愛い表情なんだ!


吸い寄せられる様に、ぼくはあっこの肩を抱くと、唇を重ねた。

ぎこちない指で、あっこはぼくの二の腕を掴み、唇をうごめかせ、ぼくに応えようとする。

…とはいっても、キスなんてした事がないから、これ以上どうすればいいのかわからない。(あっこもそう、だろうけど)

ふたりは互いの唇をきつくむさぼり合うだけだった。

ただ、情熱のおもむくままに・・・


とは言っても、その夜のふたりは、キス以上の関係にはならなかった。

そもそも、数時間おきに看護師が見回りに来るので、そんな余裕はない。

廊下で人の気配がする度に、あっこはベッドのうしろに隠れ、息を殺してやりすごす。

だけどそれ以外の時間は、いっしょにベッドの上に座り込み、からだをくっつけあって、ひそひそ声で、夜通しいろんな話をした。


はじめて、あっこがぼくを見た日の事。

新入部員紹介の時に、はじめてあっこと話した時の事。

背の高い、カッコいい先輩だと思ったらしい。

ぼくはぼくで、キレのあるあっこのプレイに見とれていた事。(揺れるおっぱいや太ももを見ていた事は言わなかったけど、もしかしたらバレてるかもしれない)

彼女の方も、バネの様にしなるぼくのサーブやスマッシュに、見惚れていたらしい。

そして、次第にぼくの存在が大きくなっていき、それを隠すために、なんとなく避ける様になっていった事。

そうするうちに、ぼくの入院。

あっこの戸惑い。


ぼくに対する気持ちがいったいなんなのか、面食らってて、そんな自分の気持ちを気づかれるのがイヤで、いつも邪険にしてしまったと、あっこは珍しく素直な口調で言った。


そして…

これが、初恋だという事も…


照れて恥ずかしがりながらも、ポツリポツリと、そんな事を打ち明けてくれた。

そうやって不器用ながらも、身も心もすべて見せてくれる・・・

見せようとしてくれる彼女を、ぼくはとっても愛おしく思う。


いつまでもぎゅっと抱きしめ続けていたい。

誰にも渡したくない。


そんな気持ちを彼女に伝えると、あっこは瞳をうるませて頬を染め、恥ずかしそうにうつむく。

その姿が、強気でズケズケとものを言ういつもの彼女と、あまりにもギャップがありすぎて、余計に可愛く感じる。女の子って、不思議な生き物だ。



 翌朝、検診を避けてベッドの下に隠れていたあっこは、あっさり看護師の安倍さんに見つかった。


「やっぱりあなただったのね」


と、安倍さんは納得した様に言ったが、すぐに厳しい顔になり、ぼくたちにひと通りお説教をした後、『先生達には黙っててあげるからね』と、見逃してくれた。

後日、あっこも結核検査を受けさせられたが、結果は陰性で、ぼくからの感染はなかったみたいだった。

彼女に伝染うつらなくて、本当によかった。


『先輩の病気なら、伝染うつったっていい!』


その言葉はほんとに嬉しいけど、こんな辛い想いは、あっこには味わわせたくないから。


つづく

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