July 15
「『騒ぎ』って?」
「うちのテニス部。こないだの地区予選、準々決勝で負けちゃったじゃないですか」
「ああ。意外だったよ。うちのレベルからすれば、県大会出場は当たり前と思ってたから」
「そうなんですよ。それで、
『酒井さんが甲斐くんの事にかまけてばかりで、練習サボってレギュラー落ちして、クラブ全体のやる気を乱したから』
って、宮沢先輩達が言い出して。
その言い分もわからないでもないけど、宮沢先輩だって団体戦じゃボロ負けしたんだから、あっこのせいだけじゃないはずです。
でも先輩達… 特に宮沢先輩は執拗にあっこを攻撃して、敗退後のクラブミーティングの時は、今日以上に険悪な雰囲気だったんですよ。
あっこ、とっても傷ついてた。
だから先輩の所に行って、あんな事言っちゃったのかもしれません。ごめんなさい」
「…篠倉が謝る事、ないよ」
深々と頭を下げた篠倉を慰めながら、ぼくはあの夜の事を思い出していた。
全身びしょ濡れになって、ぼくを睨むあっこ。
それは、憎いとか嫌いとかじゃなく、なにかにすがりたい気持ちの現れだったのか。
なのにぼくは、そんな彼女の気持ちに気づく事もなく、思いっきり拒絶の言葉を吐いてしまった。
「あんなに泣いてるあっこ見たの、はじめてでした」
篠倉はポツリと言った。
「あっこ… いや、酒井が?」
「先輩に八つ当たりした次の日ですよ。
クラブの先輩に散々ひどい事言われても、絶対弱音を吐いたりしなかった彼女が、甲斐先輩に拒否られてボロボロ涙こぼして泣くの見て、ほんとにこの子、先輩の事好きなんだなって、こっちまで目頭が熱くなってきちゃいました。
だからわたし、あっこと先輩の事、なんとかしてあげたくて…
先輩。あっこの事、嫌わないで下さい」
「…」
まっすぐな瞳で、篠倉はぼくを見つめ、切々と訴えていた。
胸が詰まって、ぼくはなにも言う事ができず、黙って篠倉を見返す。
しばらくふたりは見つめあったまま沈黙していたが、急に恥ずかしくなってきたのか、篠倉は視線を逸らしてうつむいた。
「酒井は… いい友達持ってるな」
かろうじて、それだけを言う。
「え?」
「篠倉みたいな友達がいて、酒井も幸せだな」
「…」
「大丈夫だよ。酒井の事、嫌ったりしてないから」
「先輩… ありがとうございます」
ちょっと涙ぐんで目頭をハンカチで押さえた篠倉は、そうお礼を言うと、すっくと立ち上がった。
「もう遅いし、帰らなきゃ」
「ああ… 気をつけて。酒井によろしく。きっと連絡あるよ」
『そうですね』と言いながらペコンと頭を下げて、篠倉愛美は病室を出ていこうとした。
…が、不意に立ち止まり、振り返って訊く。
「先輩。あっこの事、どう思ってます?」
「え?」
「嫌ってないとしても、好きでもないですか?」
「…」
「あっこの気持ちに、応えてあげられないですか?」
「…そ、そんなの… 篠倉が訊く事じゃないだろ」
はぐらかす様にぼくは答えた。
「あ…」
『言いすぎた』とでもいう様に、篠倉は口許を押さえ、またお辞儀する。
「ごめんなさい。おせっかい過ぎました。あっこに怒られちゃう。今のは聞かなかった事にしといて下さい。じゃあ、さよなら。おだいじに」
パタンとドアを閉じて、篠倉は出ていく。
その後ろ姿を、ぼくは複雑な想いで見送った。
『あっこの事、どう思ってます?』
篠倉の質問が、ストレートに胸に突き刺さる。
酒井亜希子の事を、ぼくはいったいどう思ってるんだ?
自分自身の事なのに、ぼくにもそれは答えられなかった。
酒井の事はいつでも、無視できる存在ではなかった。
彼女から『嫌われてる』と思っていても、なんらかの形でぼくは酒井の事を意識し続けていた。
『好き』の反対語は『嫌い』ではない。
『無関心』なんだと、聞いたことがある。
『好き』も『嫌い』も、相手に対する心の振幅だとすれば、ぼくは確かに酒井亜希子に対して、大きく気持ちが揺れてたって事になる。
特に、入院してからは、酒井と関わる事が(例えそれが意図的だったとしても)増え、彼女の些細な言動に、いちいち気持ちを揺さぶられていた。
やつの事を好きだと感じたり、憎しみを覚えたり、時には性的な興味を持ったりと、心のベクトルはあちこちに揺れていた。
そんな気持ちを味わったのは、はじめての事だった。
萩野あさみの存在がなければ、ぼくは酒井亜希子に恋してしまっていたかもしれない。
萩野さんがいたから・・・
彼女への初恋があったから、ぼくの心はそこに繋ぎ止められていたんだ。
だけど、その萩野さんとも、もう決別してしまった。
いったい僕の気持ちは、どこへ漂流していくのだろう。
やっぱり、酒井の所なのか?
わからない。
ただ、酒井の事は、彼女の本当の気持ちを知った以上、今までより理解してあげられて、優しく接する事ができると思う。
それが恋になるかどうかは別としても、酒井の事は好きになれそうな気がする・・・
朝からいろんな事があって、疲れがどっと出てきたぼくは、そんな事を思いながら軽く寝落ちしてしまった。
どのくらい眠っていたんだろう?
病室に入ってきた人の気配で、ぼくは目を醒した。
窓の外はもう真っ暗で、青ざめた月の光が、殺風景な白い部屋の中をぼんやり照らしている。
ぼくは入口の方を見た。
そこには…
酒井亜希子が立ちすくんでいて、じっとこちらを見つめていた。
つづく
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