July 7


『朝の散歩に出て、あさみさんに会って、それを看護師に報告する』


という計画は、まさるのおせっかいのおかげで吹っ飛んでしまい、不本意ながらもあさみさんを『おかず』にしてしまった罪悪感もあって、しばらくぼくは、彼女の事を考える気さえおきなかった。

それでも、ほとぼりが冷めてくると、初恋の人に会いたい気持ちは、次第に募ってくる。

何日か経ってようやく、ぼくは散歩に出る決心を固めた。



 その日の朝。天気は悪く、今にも雨が降りそうに空は暗かった。

今までのように、8時5分に『中谷2丁目』バス停に着く。

そのすぐ後に、あさみさんが友達とやってくるのは、いつもと同じパターン。

いつものようにマスクをし、顔を別の方向に向けたまま、気づかれない様に、ぼくは横目であさみさんの様子を伺っていた。


、、はぁ、、、


相変わらず美しい。

ため息が出る程。

だれがなんと言っても(だれもなにも言ってないけど)、その美しさは圧倒的だ。

ぼくが彼女を心の中で穢したのは、あの時の一度っきり。

それ以来、あの画像は封印している。(削除する勇気はないらしい)

彼女の顔を見るのは、なんだか気が引けるけど、見ればやっぱり心が洗われる。


しかし、今日のあさみさんは、いつもとなにかが違った。

いつもはぼくから少し離れた場所に立って、こちらを気にもしないで友達との会話に夢中になってるのに、今日のあさみさんはチラリとぼくに視線を送ると、友達の耳元に顔を寄せてヒソヒソと何か話し、ふたりで顔を見合わせて笑い合っているのだ。


なに?

まさか・・・

ぼくの事を何か話しているのか?


一瞬緊張し、その後わけもなく恥ずかしくなって、頬が紅潮してくる。


視線を避ける様に、あさみさん達はぼくの後ろの方に回り込み、視界から消えてしまった。

こうなると、さすがに振り向いて見るわけにもいかない。

背中で彼女達の気配がする。

相変わらずふたりは小声で何か話していて、時折笑い声が聞こえてくる。

いつもは天使か小鳥のさえずりの様に感じる彼女の声が、今日ばかりは痛い。

どうやらあさみさんたちは、ぼくの事を、なにか嘲笑しているみたいだ。

その証拠に、ぼくの視界に入らない様に、わざわざ場所を移動して話をしてるじゃないか。


まさか・・・

ぼくがあさみさんの事をけがした事が、彼女にバレて・・・

って、そんな事はありえない筈。

なんだけど・・・


ぼくは焦った。

背中に彼女の視線を感じて、でもどうする事もできず、バスが来るまでの2分間が、まるで拷問みたいだった。


いつもの様に、ノロノロとバスがやってきて、その鈍重な車体を横たえ、ドアを開ける。

『一刻も早くこの場を立ち去りたい』

という風に、あさみさんは足早にぼくの隣をすり抜ける。

そしてバスに乗る一瞬、ぼくをチラ見した。


・・・それは。

あからさまな軽蔑のまなざし。


制服のミニスカートのお尻を鞄で隠しながら、笑いを抑える様にして、彼女はバスのステップを駆け上がる。


まさか…


ぼくがいつも、バスに乗るあさみさんを凝視しているのを、彼女は知っているんじゃ・・・

スカートから伸びた彼女の綺麗な脚に、ぼくの目が釘づけになっていることに、気づいているんじゃないのか・・・!?

そんなぼくを、あさみさんは『イヤラシイ男』だと軽蔑し、嫌悪しているのか!?



『ねえ。あの人見てよ。5月頃からこのバス停にいる男の人。なんか気持ち悪くない?』

『そうそう! いつもマスクして、横目でジロジロわたしたちの方盗み見て。変態なんじゃない?』

『やだ~。不気味~』

『バスに乗る時も、あさみの脚ばっか見てるのよ。いやらしいわよね~』

『え~っ? 最低。あんなのに見られたくないわ』

『いつもマスクしてるのは、きっと口元が不細工なのを隠しているのよ』

『キャハハハ。それありえる!』

『まだ若そうなのに、ヒッキーのニートかな?』

『ヒッキーがバス停なんかに出てこないって』

『どっちにしても、近寄りたくないわね~』

『いっしょの空気、吸いたくない感じね~』



そんなふたりの会話を想像する。


………絶望的だ!


ぼくは彼女に、『甲斐ちひろ』という存在を知ってほしいと願っていたが、まさかこんな最悪の認知のされ方をするとは、思ってもいなかった。

ほんとは『けっこうイケメン(まさる談)爽やかテニス男子』なのに、結核のせいでこんな不細工なマスクづらを晒して、声をかける事もできず、ぼくのイメージは最低最悪。


………死にたい。



あまりのショックに、雨が降り出したと言うのに傘も持たないまま、ぼくはずぶ濡れでバス停に、長い間立ちすくんでいた。

そのせいかもしれないが、夕方から高熱が出て、体調が悪化し、医者からはとうとう外出禁止令を出されて、面会謝絶になってしまった。


つづく

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