July 3

「昨夜はどうしたの? ケンカ?」


翌朝、検診に来た例の巨体の看護師が、いきなり訊いてきた。


「…いえ。別に…」


脇に体温計を挟んだぼくは、ぶっきらぼうに答える。

昨日の出来事がまだ尾を引いているせいか、まだむしゃくしゃして、看護師の質問になんか答える気になれない。


「そう? でも夜に騒いだりしたら、他の患者さんの迷惑になるから、気をつけてね」

「…はい」

「ちゃんと仲直りしなさいよ。ふふ」


口もとに軽い微笑みを浮かべて、看護師は言った。


…またはじまった。


この『なんでも知ってますよ』って感じの、思わせぶりな口調。

あんたにぼくのなにがわかるんだよ。


『だからケンカじゃないって言ってるだろ。ぼくだってわけわかんないんだよ!』


そう言いたいのをグッとこらえて拳を握ったとき、“ピピピ”と体温計が鳴ったので、ぼくはそれを無言で渡した。


「今日はお散歩行かないの?」


体温や脈拍の数値をカルテに書き込みながら、看護師は気安く訊いてきた。


「行きません」

「え? 雨も上がったし、いい天気よ」

「行かないってば」

「どうして?」

「なんとなく」

「でも、あの子に会いたいんじゃないの?」

「…」

「あの子も待ってるかもよ」

「…」

「名前知ってるの? ね、教えてよ」

「もうっ! いちいち人のプライバシーに首突っ込まないで下さい。うざい!」

「…」


思わず声を荒げると、看護師は驚いた様に首をすくめ、口をつぐむ。


「ごめんね。ただ… 毎朝散歩、楽しみにしてたんじゃないかなって思って…」

「余計なお世話です!」

「そ、そうね。ごめんね」

「もういいです」


…こんな風に言うつもりなんてなかった。

この看護師はいつも、ぼくの面倒を親身になっててくれている。

そりゃ外見はブスでポチャで、ぼくの理想の看護師とはほど遠いけど、容姿が気に入らないからって、邪険にしちゃいけない。

いけないと思いつつ、反省とはうらはらに口をついて出てくるのは、ひどい言葉ばかり。

さらにとどめを刺す様に、ぼくは言い放った。


「ぼくのことは放っといて下さい! ムカつく!」

「わ、わかったわ。じ、じゃあ、また午後の検診の時にね」


きつい語気に押される様に、あきらかに動揺して看護師はそう言い残し、そそくさと部屋を出ていく。ぼくは返事をしなかった。


口の中が苦い。

汚い言葉を吐いた後は、その言葉で自分自身も汚れていく様な気がして、イヤだ。

なんであんな事言ってしまったんだろ?

昨夜の酒井のわけわかんない言動に、引きずられてしまったんだろうか?

あんなやつの事なんか、どうでもいいのに。



 そんなこんなで、今日一日気分は最悪。

気晴らしに『エースをねらえ!』を最初から読み返していると、夕方頃メッセージの着信音が鳴った。

差出人は、同じテニス部で酒井と仲のいい、後輩の篠倉愛美しのくらまなみからだった。


『先輩。あっこと仲直りして下さい』


は?

なんで篠倉が、こんなメッセをよこすんだ?


それから小1時間も経たないうちに、今度は酒井からメッセが届いた。


『昨日はすみません。あたし、今度の県大会のレギュラーからはずされて、ムシャクシャして、つい先輩に八つ当たりしてしまいました。もうあたし、先輩のとこには行きません』


そうか…

そういう事だったんだ。昨日のアレは。


ぼくだって今年はレギュラー当確だったのに、結核なんかで入院したせいでパァになって、相当落ち込んだもんな。

酒井が『ムシャクシャする』って気持ちもわかるけど、どうしてその矛先がこっちに向くんだ?

それに『先輩のとこには行きません』って…

もうここには来ないってこと?

それはなんだか寂しい様な…


そんな事を思いながら、どうレスを返そうか悩んでいる時に、また篠倉からメッセ。


『先輩。あっこはまたそちらに行きますから、よろしく頼みます』


えっ?!

どうして篠倉が、酒井のメッセの内容のフォローをしてるんだ?

ふたりはいっしょにいるのか?


『いったいどうなってるの?』


ぼくが篠倉にそう返信すると、すぐに新しいメッセがきた。


『長くなるので、今度わたしがそっちに行って説明します』


説明って…

するとすかさず、


『愛美のメッセは無視して下さい』


とあっこから来る。

そのあと少し経って、


『エースをねらえ!があと2巻残ってるんで、また読みに行ってもいいですか?』


と、さらに混乱させるメッセが、酒井から届いた。

酒井と篠倉は、なにか言い合いながらメッセやってんのか?


『わかった。ぼくの方こそごめん。エースをねらえ!も、最後まで読むといいよ。篠倉によろしく』


かろうじてそれだけを、酒井にレスした。


『ありがとうございます』

『ありがとう先輩』


ほとんど同時に、ふたりから返事が来た。

ふたりの間で繰り広げられている女子トークを想像してみる。

昨夜のケンカを酒井が篠倉に言って、篠倉が仲直りさせようとしてるってくらい(そのまんまじゃん)しか思いつかない。後半推理不能。


『今度わたしがそっちに行って説明します』

って篠倉は言ってるので、そのうち謎も解けるかもしれないけど…

妙に心に引っかかる。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る