june 12

「好きなんでしょ? バス停にいるあの女の子の事が。

毎朝散歩の途中で必ず中谷2丁目のバス停に立ち寄って、あの子の事見てるじゃない。スレンダーで色が白くって、すごく綺麗な子よね」

「そんな事ないです…」


顔から火が出るくらい恥ずかしくなって、ぼくはうつむいて否定した。その様子を見て、看護師はさらに優しい口調になる。


「いいのよ、別に、隠さなくても。『全部お見通し』って言ったでしょ。だけど感心よ。バス停ではちゃんとマスクして、病気移さない様に気をつけてるみたいだから。

ほんとはね、そんな人前に出るのなんか絶対にダメなんだけど、君の配慮に免じて、先生にはないしょにしといてあげる」

「…」

「先生はね、甲斐くんの症状がなかなかよくならないから、『外出禁止』にするって言ってるのよ」

「えっ?」

「それどころか、面会謝絶にだってなりかねないのよ。いつもお見舞いに来るあの可愛い女の子とも、会えなくなっちゃうわよ」

「…それは」

「イヤでしょ。だったらわたし達の言う事をちゃんと聞いて、早く病気が治る様に頑張ろ?

わたし達は甲斐くんの味方だからね」

「味方?」

「当たりまえじゃない。味方よ」

「…」

「先生には『外出禁止』にしない様、みんなで頼んでる所なのよ。今のあなたは、あの子に会えるのが一番の楽しみなんじゃない? 毎朝欠かさず、いそいそと出かけて行くもんね。

でも今は、病気を治す事だけ考えてね。決められた時間にちゃんとお薬飲んで、無理はしない事。

そりゃ、君はまだまだ若いから、ベッドで一日中じっとしてるのは辛いだろうけど、今はできるだけ我慢して。ね。お願いだから」


『お願いだから』


そう言った看護師の表情は真剣で、ぼくの事を心から思ってくれてる様に見えた。


『味方だから』


って言葉は、絶望の淵に立っているぼくの、唯一の救いにも見えた。

けど…


ひょっとして知らない間に、ぼくのからだにGPSでも埋め込んだのか?

それとも、iPhoneのGPSを盗聴して、位置を把握してるとか。


そんな風に、自分の行動が全部見透かされてるってのは、すごく恥ずかしいものがある。

だいたい、好きな女の子の事をベラベラ本人の目の前でしゃべるなんて、デリカシーなさ過ぎるんだよ。

そういうのは例え気づいても、心の中にしまっとくのが、気配りってもんだろ。

そういうケジメすらつけられないから、ブクブクだらしなくデブるんだよ。


でも。

もしかして…


ぼくが病室でこっそり自家発電してるのも、この看護師に知られてるんじゃ…


「わ、わかりました。これから頑張りますから…」


そう考えると頭から湯気が出そうなくらい恥ずかしくなり、とにかくこの会話を終わらせなきゃと、ぼくは素直そうに返事をした。


「いっしょに頑張ろうね。甲斐くん!」


看護師はそう言ってぼくの背中をポンと叩き、病室を出ていく。

パタンとドアが閉じられると同時に、ぼくはベッドに突っ伏す。

恥ずかしさと悔しさと申し訳ない感情がいっしょくたになって押し寄せ、ぼくを混乱させる。


ぼくだけが心に秘めていた、初恋の甘い思い。

それが他人に漏れていたのは、素っぱだかを晒す以上に恥ずかしい。

それどころか、看護師達の間で、ぼくの行動が噂になっていたかと思うと、もう穴があったら入って一生出てきたくないくらいだ。


でも…


心の奥底には、初恋の想いをみんなに知ってほしい気持ちも潜んでいる。

この、萩野あさみさんを思う純粋な美しい心を、世界中に伝えたいという思いもある。


それでも、翌日は恥ずかしさと気まずさで、恒例の朝の散歩に出かける気にはなれなかった。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る