june 11

ぼくが今、恋してるのは、萩野あさみさんだ。

それは揺るぎない事実。

だけど、酒井亜希子の事も、なぜか気になる。

あいつの見せる笑顔や親しげな態度は、ぼくをウキウキさせてくれる。


これって・・・ 浮気?

もしかしてぼくって、気が多い?


いや。


酒井といるのは単に『楽しい』んであって、それは恋とかじゃない。

『可愛い後輩』とか、『友達』としての感覚だ。

あれだけぼくに対してツンツンしていた彼女が、今は笑顔を見せてくれる様になった、そのギャップに萌えているだけなんだ。


そうやって自分の気持ちを整理しながら、何気なく『エースをねらえ!』の第1巻を手に取る。

『メッチャおもしろい』って言ってたけど、どんなもんだろ?

そういう軽い好奇心で読みはじめたぼくは、またたく間にハマってしまい、食事もそっちのけで読みふけった。

消灯時間を過ぎても、頭から毛布をかぶってスマホの灯りで照らしながら、看護師の目を盗んで、徹夜で全巻読破してしまった(笑)。




 徹夜したのがたたり、翌朝の8時10分のバス停は、目の下にクマを作ったボサボサ頭で行くハメになってしまった。

あさみさんは相変わらず美しい。

だけど、彼女とこれ以上の進展がないのが、なにより辛い。

バス停で彼女を見ていても、虚しささえ感じてしまう。


退院できれば…


結核が治って健康なからだに戻れば、彼女に話しかける事もできるし、告白だって、きっとできる。

でもそれはまだまだ2ヶ月以上先の話。

それまで、ただ見つめているだけしかできないなんて… じれったい。

それに、告白した所で、彼女とつきあえる様になるって訳じゃないし、理想と現実とのギャップで、逆に彼女に幻滅したりしないだろうか…


という、いつもの思考ループに陥って、寝不足ですっきりしない頭を抱えながら、あさみさんを見送ったあと、ぼくはサナトリウムに戻った。


 病室の前では、いつもの巨体の看護師が待ち構えていた。

思わず身構える。

今日はいったい、どんなお説教を垂れるんだ?


「甲斐くん?」

「は、はい」

「とりあえず、病室に入りなさい」


看護師はドアを開くと、ベッドを指差す。ぼくは素直に従ってベッドに腰を降ろした。

病室のドアをパタンと閉めた彼女は、『ふぅ』とひと息ついて、おもむろに話しはじめた。


「甲斐くん。あなた昨夜、遅くまで本読んでたでしょ」

「…はい」


徹夜したの、バレてたんだ。


「夜ふかしは病気に悪いのよ。ないしょのつもりでも、わたしたちは全部お見通しなんだからね。

いい? 本を読むのはかまわないけど、消灯時間は守る事。約束できる?」

「…はい」


…ったく、口うるさいおふくろみたいだ。


「声が小さいなぁ。それでなくてもお薬飲むのサボったり、不摂生な生活で、症状がなかなか改善されてないんだから。甲斐くんは病気、治りたくないの?」

「そんな事、ないです」

「でしょ? バス停の女の子のためにも、早く病気治して、退院しなくちゃ!」

「?」


え?

なに、それ?


キョトンとした顔をしていると、彼女は軽い微笑みを浮かべて言った。


つづく

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