june 10
「ほら先輩、いい香りでしょ」
おっぱいに気を取られてる間に、お茶の支度はすっかりできて、胸のすくようなバラの香りが、部屋中に漂っていた。
彼女に勧められるまま、ぼくはバラの模様が描かれたティーカップを手に取った。カップからソーサー、ティーポットまでバラ柄で、まさにバラづくし。
「カップまで持ってくるとか、すごいね」
あそこの形状変化を悟られない様、毛布を腰までしっかりかけて膝を立て、できるだけ平静を装いながら、ぼくは話しかける。こちらの焦りには気づいてもない様子で、酒井ははにかみながら応えた。
「せっかくだからキチンと入れたいじゃないですか。カップとかポットとか。
『道具と雰囲気もお茶の味のうち』って、おばあちゃんも言ってたし」
「でも大変だったろ。これだけ持ってくるの」
「これ、おばあちゃんのピクニックセットなんですよ。お茶道具が一式入れられるんですよ」
そう言って酒井は、持ってきた籐のバッグを開けて見せる。
ギンガムチェックの布が内側に貼られたバッグの中には、ベルトで止められたお皿やスプーンが綺麗に並んでいて、持ち運びしやすい様にできていた。
「へぇ~。便利だな。それにしてもオシャレなおばあちゃんだな。うちのおばあちゃんなんて、フツーにモンペはいて農作業してる、田舎のばあちゃんって感じなのに」
バッグに感心してそう言うと、酒井はクスッと笑う。
あ。
やっぱりこいつ、笑うと可愛いぞ。
そう言えば、バラがきっかけだったな。
酒井に対するぼくの気持ちが変わってきたのは。
以前の酒井亜希子は苦手な後輩で、向こうもぼくの事を嫌っている感じがしてたんだけど、最近は以前より機嫌良く接してくれてる様な気がして、それにつられてこちらも、苦手意識が薄れてきた。
まあ、ハプニングもちょっとあったりして、酒井の事を『女』として、意識する様になってきたかもしれない。
もちろん、初恋の萩野あさみさんに対する様な、胸のときめきなんてないけど、彼女の色っぽい女の部分には、結構ドキドキさせられる。
「あっ! 『エースをねらえ!』がある! 先輩、読んでもいいですか?」
壁のラックに並べられたマンガを見て、酒井は言った。
『エースをねらえ!』は母が若い頃に読んでハマったものらしく、入院中ヒマだろうってことで、わざわざ全巻揃えて買ってきてくれたものだけど、少女マンガだし絵柄も古いので、実はまだ読んでない。
どちらかというと、ぼくは『テニプリ』の方がよかったんだけどなぁ。
「あ、ああ。いいけど…」
返事をする前に、1巻目を取り出して窓ぎわの椅子に座りって読みはじめた酒井は、あっという間にマンガに引き込まれてしまった。
「そういえば先輩。少女マンガなんて読むんですね」
しばらく黙って読んでいたが、突然思い出した様にそう言って笑い、また本に没頭する。
椅子に座ってこちらを向いて本を読んでいると、ベッドに寝ているぼくの位置からは、どうしても酒井のミニのワンピースの中が、奥の方まで見えてしまう。
太ももと、ひらひらした服の間にできた、小さな三角。
そんなスカートの奥に潜む薄暗いデルタが気になって、熱心に読書している酒井を、ぼくはチラチラと盗み見た。
「メッチャおもしろいです。お蝶夫人サイコー!」
そう言って、あっこはパタンと1巻目を閉じて立ち上がった。
「また来た時に、続き読んでいいですか?」
本をラックに戻し、帰り支度をしながら酒井は訊く。そう言えばもう夕方だ。
「ああ。いいよ」
「じゃ、これからちょくちょく来ますね。続きが気になるし」
「そ…」
『そんなに気になるなら、持って帰っていいよ』
そう言おうとしたぼくは、口を噤んだ。
本がここにあれば、酒井は頻繁に通ってくるだろう。
そうすればまた、今日みたいに楽しいひとときが過ごせるかもしれないし、彼女の事も見ていられる。
「それじゃあ、いつでも読みに来なよ」
「もうすぐ期末考査で、その後は午前中だけの短縮授業になるから、平日も来ます…」
そう言いながら、ちょっと考える様に黙った酒井は、珍しく遠慮がちに訊いてきた。
「先輩、邪魔じゃないですか? あたしが来るの」
「そんなことないよ。嬉しいよ」
「じゃ… まっ、また来ます。さよなら」
微かに頬を赤くした酒井は、慌てて籐のバッグにカップとソーサーを仕舞い、なにかに追い立てられる様に部屋を出ていった。
ぼくはしばらく、酒井が出ていったドアを見つめていた。
『嬉しいよ』?
思わず出た言葉だった。
酒井亜希子がここに来てくれるのが嬉しいなんて…
ぼくはほんとにそう思ってるのか?
つづく
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