may 6
翌日から毎日欠かさず、ぼくは『中谷2丁目』バス停に出かけていった。
手ぶらでバス停にいるのもなんだかヘンだし、ぼくは手頃なバッグを持って出かける事にした。
バッグの中には、コンパクトデジカメを忍ばせてある。
チャンスがあれば、彼女の写真を撮りたいと思ったからだ。
写真さえあれば、いつでも彼女の姿を妄想だけでなく、物理的に見ることができる。
ぼくがバス停に着くのは8時5分頃。
まるで正確なメトロノームの様に、あの人は毎朝必ず8時8分にバス停にやってくる。
相変わらず友達といっしょだ。
ぼくは気づかれない様に、彼女をチラチラと覗き見る。
いつ見ても変わらない、その美しい横顔。
聡明そうな涼しい瞳に、長い睫毛。
キリリとした眉は、意志の強さを感じさせる。
軽くウェーブをつけたサラサラの髪が、エンジェルリングを作りながら、5月の爽やかな風になびく。
ソバカスもニキビもない真っ白な肌に、綺麗な三次元曲線を描いて伸びる、しなやかなプロポーション。
彼女、意外と身長が高い。162cmくらいかな?
ぼくが177cmあるので、理想の身長差といえる。
左の頬に、ホクロがある事にも気がついた。
胸ポケットに『2-1』という校章をつけていた。
まだ学校名はわからないけど、2年生か。ぼくと同級じゃないか。
『あさみ~』
と、友達が彼女を呼ぶ事がある。
漢字まではわからないが、『あさみ』さんって名前なんだ。なんて語感のいい、綺麗な名前。ちょっと古典的だけど、美しくつつましい彼女にぴったりじゃないか。変なキラキラネームだったら逆に萎えるし。
バスに乗る前、彼女は一瞬、携帯をチェックする。
時間を確認しているらしい。
可愛いうさぎのキャラクターのストラップが揺れる。そうか。うさぎが好きなのか。
そんな風に、毎日なにか新しい発見があって、朝のこの時間は、次第にぼくの生き甲斐になっていった。
彼女がいるからぼくは、この退屈で虚しい入院生活も耐えていける。
いや、違う。
このぼくの結核も入院も、あさみさんと出会うために必要なものだったんだ。
結核に
このサナトリウムに入院することがなければ。
ぼくはきっと一生、あさみさんには出会えなかった。
そう。
これは必然。
運命!
高校2年にもなってやっと初恋だなんて、みんなに笑われるかもしれないけど、それは今まで、彼女程の素晴らしい相手に巡り会えなかったからだ。
ぼくはあさみさんに恋する運命だったんだ。
もっと知りたい。
あさみさんの事を。
学校とか名前とかだけじゃなく、その心の内側まで、もっともっと深く知りたい。
そしてできるならば、あさみさんをいつまでも見つめていたい。
朝のバス停での僅かな時間だけじゃなく、昼も夜も、24時間中彼女の美しい姿を、飽きる事なく見ていたい。
バス停であさみさんの様子を横目でうかがいがら、ぼくは上着のポケットの中で、バッグから移したコンデジを握りしめ、電源を入れて、いつでも撮影できるようにしている。
彼女を撮る一瞬のチャンスを狙ってるけど、ぼくにはカメラを取り出して構える事なんてできない。
そんな事をして、もし彼女に『なんでわたしを撮ってるの?』って、バレるのが怖いからだ。
盗撮・・・
それはれっきとした犯罪だ。
ぼくは彼女によく思われたい。
そんな犯罪者や不審者みたいに、思われたくない。
しかし、『写真撮らせて下さい』なんてお願いする勇気は、ぼくにはない。
だからいつも、上着のポケットの中で、カメラを握りしめているだけ。
軽やかにバスのステップを駆け上がる君。
制服のミニのプリーツスカートが腰のあたりで蝶の様に揺れ、白くて綺麗な脚がスカートの中からすらりと覗く。
ステップを上がる時、不意にスカートがめくれて、かなりきわどい所まで脚が見えてしまう事がある。
その眺めは、ぼくの下半身にズキンと響いてくる。
そんな彼女も、写真に収めたい…
ダメだ!
そんな低劣なくだらない妄想で、初恋の人を
あさみさんは穢れを知らない清楚な人で、ぼくにとっての美の女神で、単なる性の対象として彼女の事を見るのは、彼女を、ひいては自分の初恋を、貶める事になる。
ぼくはそんな欲にまみれた、即物的でくだらない人間じゃない。
この初恋は汚れなく美しく、精神的なもので、肉体の欲望とは無関係なのだ。
とはいえ、ぼくの近くで楽しく話をしている彼女の声を聞いていると、満たされると同時に、『話しかけたい』『自分の事を知ってもらいたい』という気持ちがムクムクと沸き上がってきて、もやもやした気分になってくる。
胸の奥になにか大きな異物がつかえている感覚。
吐き出したいんだけど出てこない、もどかしさ。
彼女を見ていると、体温が0.5度上がる気がする。
手のひらにじんわりと汗をかき、息苦しくなってくる。
心臓の鼓動も速くなってきて、軽いめまいすら起こす。
視野がだんだん狭くなっていき、彼女以外にはなにも目に入らない感じ。
これが『恋』ってやつなのかなぁ、、、
つづく
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