may 5

しまった!

ぼくはバスに乗れないのだった!


こう見えてもぼくは結核患者。結核菌の保菌者だ。

感染防止法の、二類感染症2号に指定されている、恐ろしい法定伝染病患者。

第二次世界大戦後にストレプトマイシンという抗生物質が発見されるまで、全世界で『死の病気』と恐れられ、実際、戦後しばらくまで、日本での死亡原因のトップを占めていた病気なのだ。

無限と思えるくらいに広がっていたぼくの世界は、こいつのせいで、今はサナトリウムとその回りの僅かな空間に閉塞へいそくされてしまっている。


ぼくは病んだ籠の鳥。


そんな自分が公共のバスに乗るなんて、法律では許されていない(かもしれない)事。

だけど、ここでバスに乗らなかったら、『この人どうして乗らないの?』と、彼女に怪しまれてしまう。

それはまずい。

せっかく、チラッっとでも彼女に意識してもらえたのに、次の瞬間には『不審な男』のレッテルを貼られるのって、それだけは避けなきゃいけない。そうでなくても、高校生くらいの自分が、学校に行く格好でもなく、バス停に立っているんだ。はたから見れば謎の存在なのは確かだ。


ぼくは焦った。

立ちすくんだままのぼくを、訝しげにチラリと一瞥して、あの人はバスに乗り込んでしまう。

ダメだ。

完全に不審者に対する視線だ。

バスはぼくが乗るのを少しの間待っていたが、その気配がないと分かると、“ピー”というアラームとともにドアを閉め、排気ガスを残して走り去った。


 途方に暮れて、ぼくはその場に佇んでいた。


…なにも、手が打てなかった。

ぶざま・・・

のひと言。


明日からもう、このバス停に来れない。

もう、あの人の事を間近で見る事ができない。

遠くから気づかれない様、こっそり盗み見るしかない。

それって… 典型的なバスストップ・ラブ?

ってか、むしろ… ストーカー?

もし彼女にその行為がバレたら、ぼくは通報=逮捕されるかもしれない。

いったいどうしたら…


そんな事を考えながらしょげていると、クラクションを鳴らして次のバスがやってきた。

ふと回りを見ると、彼女が乗っていったバスには乗らなかった顔ぶれも、何人か残っている。

ぼくはバスの時刻表を調べた。

8時10分のバスのあとに、行き先が違う8時12分のバスがあるじゃないか。


そうか!

ぼくはそっちのバスに乗る風に見せればいいんだ!

それなら、彼女が乗るバスを見送っても、おかしくはない!

むしろ、バスに乗っていく彼女をゆっくりと見ている事ができるわけだ。

彼女がぼくを不審な目で見たのは、きっと単なる気のせいで、彼女的には『この人乗らないのかな?』っていう程度の気持ちだったんだろう。


そう考えるとホッとして、ぼくは気分よくバス停を後にすることができた。

途中ちょっとパニくってしまったけど、彼女の姿も見れたし・・・

結果オーライとするか。

明日はもっとスマートにやるぞ!


つづく

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