may 4

 翌朝、朝食を急いで掻き込んだぼくは、心躍らせながら外出の準備をした。

結核にかかって入院しているとはいっても、ぼくの場合はそれほど重症でもなく、激しい運動でもしない限りは、体調もいつもとほとんど変わらないし、菌もあまり出てないらしく、このサナトリウムの回りを散歩する程度の外出なら、許してもらっている。

家から持ってきている一番お気に入りのシャツの袖に腕を通し、ジーンズを履いたぼくは、いそいそと散歩に出かけた。


朝の空気が爽やかだ。

『中谷2丁目』バス停に続く、細いアスファルトの一本道が心地よい。

道ばたには色とりどりの花が咲いていて、小川には小さな魚の影が見え隠れしている。

黄色い蝶が、花から花へとひらひらと飛び回っていて、そのあとを白い蝶が追いかけている。

なにもかもが、生命に溢れていて、生き生きとしているみたいだ。

そう感じるのは、これからあの人に会えると思うからかもしれない。


 8時。

『中谷2丁目』バス停に到着。

一応、人に伝染うつるといけないので、しっかりとマスクを着用ながら、周りを見渡す。

あの人はまだいなかった。

ちょっと早かったかな?


8時7分。

出勤のサラリーマンやOLがちらほらと姿を現す。

だけど彼女はまだ来ない。

制服を着ていたし、高校生なのは確かだから、このバス停に現れるとは思うんだけど、どうしたんだろう?

まさか…


昨日はたまたま8時10分のバスに乗っただけで、いつもは違うバスとか、たまたまこのバス停から乗っただけで、いつもは違うバス停とかじゃ…

だとしたら、もう会えないのかも・・・

あれだけウキウキとした気分でここまで来たっていうのに…

気持ちがしぼんでいく。

と、その時、視界の隅を紺色のブレザーが横切った。


『来た!』


瞬間的にそう察知したぼくの心臓は一気に高鳴り、まずいことに脚までガクガクと震えだした。

できるだけ平静を装いながら、意識していない感じでゆっくりとそちらを振り向く。

やっぱり、あの人だった!

友達とふたり、連れ立って歩いてくる!


『やった!』


そう思った瞬間、心臓が一段と鼓動を増した。

隣に並んでいる若いOLに、聞こえてしまうんじゃないかと思われるくらいに。

あの人はぼくから2メートルくらい離れた所で立ち止まり、友達と話しながらバスを待っている。

風に乗って時折聞こえてくる、あの人の声。

軽やかな小鳥のさえずりの様に、綺麗で澄んだ明るいトーン。

視界の隅で、あの人が微笑んでいるのがわかる。

テニスをやっているぼくは視野が広く、動体視力が抜群にいいのが自慢なのだが、こんなところでそれが役に立つとは思わなかった。

あの人の事をもっとちゃんと見たくて、ぼくは少しからだを彼女の方に向け、首をわずかに傾ける。

その気配を察したのか、彼女が不意に、視線をこちらに向けた。


まずい!


あまりガン見していると、不審者と思われてしまう!

タダでさえ、マスク姿が怪しいのに。

できるだけ自然に見える様に頭を掻きながら、ぼくはゆっくりと首を戻した。

ふう…

ちょっとヤバかったけど、初めて彼女に、ぼくの存在を意識してもらえたんだ!


そうするうちにバスがやってきて、その鈍重な車体をぼくたちの前に横たえ、乗車口のドアを開けた。サラリーマンやOLが次々とバスに乗り込んでいく… って。


しまった!

ぼくはバスに乗れないのだった!


つづく

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