一年中





 これは、晩春ばんしゅんを超えた頃、つまりは5月も終わりかけの頃の話。


「今年も暑くなるよね」

「そうですね、天気予報も、去年とそう変わらないみたいですし」

「そっかぁ~。それじゃ……家に居よう!」

「君はいっつも家に居ますけどね」


 ハイテンションな彼女と、他愛たわいもない会話を楽しむ。たまに何言ってるのかよくわからないのは、僕が彼女を愛してる心が足りないからなのか……。


(まぁそんな訳ないですけど)


 即否定。彼女に関しては、あんまり深く考えないのが最善さいぜんの一手なのだ。愛らしく可愛い彼女は、それでもちょっぴり――いや、結構――天然だ。

 突然の出来事にも、もう慣れてきた。


 昔は、急にお泊りを開かれたり、気付いたら彼女の家に僕が拉致らちされていたりと、中々に天然な行動もあった。

 そのたびに愛が深まった気はしないかもしれないけど、おかげで最近は平穏な毎日だと思う。


「む、私を見て温かい目をするなーっ! ……恥ずかしいもん」

「すみません、でも可愛いのが悪いと思う」

「うぅ……!」


 返す言葉が無いみたいで、彼女は僕の胸に頭を押し付けてくる。マーキングするように、主張するようにぐりぐりと押し込んでくる。

 さらさらの髪と、僕の両手でぴったり収まる頭が僕を刺激する。何て愛らしい行動なんだ。これ以上僕をポンコツにしてどうする……。永久無料の家政婦かせいふの契約くらいしか出来ないですよ。


 っと、そんな事を考えるくらいには僕も間抜けなのかもしれない。


「春は恋の季節! 私たちも……っ……え、えっと……いちゃいちゃ、しよう……ね?」

「……」

「あ! 笑った! 酷いよ、私の勇気を鼻で笑うなんてー!」

「違いますよ。ただ、別に春じゃなくても、僕は一年中、君とイチャイチャしたいですよ」

「ッ……!」


 再び押し黙る彼女、可愛い。


「さて、それじゃあイチャつきますか?」

「ぅえ……?」

 

 困惑こんわくするように聞き返してくる。そんな彼女に微笑みかけながら、僕はゆっくり彼女へと近付いていく。


「え……えっと…ぉ……?」


 だんだんと赤くなっていく顔を見つめながら、ついに彼女の座るソファの前に立った。そのまま彼女の顔の位置までしゃがんで、その体に腕を伸ばす。


「(ぎゅぅ~)」

「ぁぅ~……」


 ささやくように耳元で告げると、言葉に出来ない甘い吐息が聞こえた。腕の中にいる彼女の静かな息遣いが胸に当たり、それが温かくてくすぐったい。


 少しの抵抗ていこうをした後、彼女は少しずつ腕を僕の背中に回した。


――今だ!


「きゃっ!?」


 抱きしめた彼女を横に倒すように、僕もソファへ横になる。狭いソファの外側を僕、内側を彼女が互いを抱き合うように寝転がる。

 少しでも力を抜けば僕は落ちる。


――だから。


「(もっと強く、抱きしめてください)」

「~~ッ!!」


 僕の背中に掛かる力が強くなった。彼女の頭の上に僕の頭が乗るような感じ。

 柔らかくて壊れてしまいそうな彼女の肌をじかで感じながら、小さく息を吐きだした。


 梅雨つゆ季節きせつ特有とくゆうの、言い知れない感覚が突き抜ける。春の日差しと夏の香りが部屋の中をめぐり回り、やがて僕たちを優しく包み込む。

 少しだけ暑い湿度を感じながら、離れることは出来ない。


 高まる鼓動こどうは、きっと彼女にも伝わっているんだろうなぁ、なんて。

 でもおさえきれないその感情を、声に出して力を込めて形にする。


「大好きですよ」

「ぅぅっ! ……わ、私も……」


 くぐもって、ひかえめで小さな声が僕の耳を貫く。


「……だ…大好き…………うぅ!」


 やがて恥ずかしくなったのか、彼女はさらに僕の胸に顔を押し当てて隠れようとする。でもそれが、予想だにしない程に愛らしくて、可愛過ぎて、やっぱり僕の腕にも力がこもる。


 真冬の寒さを緩和かんわするように、抱き着いて離れない僕と彼女。


―ああ、洗濯物を干さないとなぁ。


 とか。


―買い物に行かないとなぁ。


 とか。


―掃除しないとなぁ。


 なんて。


 頭の中を幾つもの”日常”が通り過ぎるけれど、僕はそれを一つたりとも実行することは出来ない。

 ”日常”とは得てして慣れ切ったことの裏返しだ。それと同時に、やるべきことの代名詞でもある。


 けれどそれは、非日常を前にして無力となる。


 なんて。


 堅苦しい言葉を使わなくても僕は分かっている。

 今はただ、彼女を離したくないのだ。愛おしくて可愛くて、何よりも大好きな彼女の温もりが、幸福を与えてくれる。


 幸せな時間は、それからしばらく続いた。

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