第2話 パンデモニウム

 魔都パンデモニウム。それは魔王が魔界と人間界を繋ぐゲートを開いた場所に築いた最初の侵略拠点。魔王の居城を中心にゲート、物資集積所などの重要拠点が点在するこの都は魔王亡き後、物流を掌握していた兵站責任者セスルトが事実上支配していた。






「それにしてもこれはやりすぎだと思わない、マスター?」


 バーカウンターの席に座った黒い狩衣を纏った銀の妖狐の女は問いかけたマスターに背を向け、ルーレットやトランプなどのギャンブルに興じる魔族を見つめる。


「やりすぎとは?」


 コップを拭いていたスケルトンのマスターは手を止めることなく対応する。


「いくら魔王様がもういないとはいえ、魔王城の中にカジノ造るのはやりすぎでしょ?」


 誰も咎めないのかと言いたげな妖狐にスケルトンは即答はしない。


「……私めごときには分かりかねます。ただセスルト様は人間の娯楽が魔族にも受けるようなら本国でも売り物なるとのお考えから試しとしてこのカジノを造ったようです」


 この都の支配者を悪く言うわけにもいかず、スケルトンは慎重に言葉を選ぶ。


「ふぅん、商魂たくましいねぇ。あ、水お代わり」


 セスルトの思惑に興味のない様子を隠そうともせず、妖狐は空になったガラスのコップを差し出す。


「お客様、失礼ながらできれば酒を注文していただきたいのですが……」


 水を注ぎ終えるとコップを差し出すスケルトン。


「ごめんね。私酒弱いから飲めないんだ」


 そんな事を言いつつ、妖狐の女はコップを受け取るとそのまま口元へ運ぶ。一口飲むとおもむろに懐から1冊の本を取り出す。


「おや、それはもしや魔王の書ですか?」


 客のプライベートに首を突っ込むのはいけないことと理解しつつも、彼は珍しい品物についつい反応してしまう。


「そうだよ」


 そんなスケルトンの心情などおかまいなしに本を広げ妖狐はページをめくり始める。


「確か軍の指揮官の報告を迅速かつ正確にするための魔導書で、転移や通信の魔法術式が魔法の素養のない者でも使えるようになるんですよね?」


 相手の反応から話を続けても問題ないと判断したスケルトンは興味から質問を続ける。


「そうそう、あとここで売ってる魔獣の値段なんかもこうやって見れるよ」


 妖狐が開いてるページの端を3回指で叩くと様々な魔獣の情報がページに浮かび上がる。


「なるほど、便利ですね」


「ほんと便利。魔石を動力にしてるからそこそこお金がかかるけど、私みたいな魔法が下手な魔族でも使えるから助かるよ」


「え? 苦手なんですか魔法?」


 少し油断していたスケルトンは浮かび上がった疑問をよく考えもせず言葉にする。目の前の客は妖狐。妖狐といえば魔法の使い手として魔界では知られている。


 にも関わらず彼女は魔法が下手だと言う。スケルトンにとっては当然の疑問であった。


「もう全然駄目。ほら尻尾も2本しかないでしょ? 妖狐は修行して時を経て、扱える魔力量を増やすんだけど、同時に尻尾が増えていくの。私も修行とかやったんだけど才能なくてね……」


「も、申し訳ございません。余計なこと聞いたようで……」


 苦笑いを浮かべる妖狐を見て慌ててスケルトンは謝罪する。ただほぼ同時に別の疑問が浮かぶ。


 指揮官クラスの魔族しか持つことが許されない魔王の書をどうやってこの妖狐は手に入れたのだろうか?


「気にしなくていいよ。まあ、別の才能は多少あったみたいでこうしてこの本を持てる身分になれたけどね」


 スケルトンの疑問を察してか妖狐は身の上話を語る。


「多少の才ではないだろう。相変わらず君は自分を過小評価するんだな。魔導技術開発局のルゥフェミア・ゼルファスト博士?」


 後方からの唐突な第三者の発言に驚き、振り返ると、そこには竜の角に翼、鱗を纏った尻尾を備え、灰色の軍服を着た竜人が立っていた。


「なんだテレジアか。久しぶり、元気してた?」


 妖狐は開いていた魔王の書を閉じて挨拶しつつ、自分隣に座るよう手で促す。


「いろいろ慌ただしいがなんとかやってる。そこの酒をくれ」


 挨拶するとテレジアと呼ばれた竜人はスケルトンの後ろの棚を指差しながら妖狐の隣に座る。スケルトンは空気を読んで妖狐との会話を中断して仕事に徹する。


「しかし珍しいな、穴蔵狐と呼ばれるルゥが魔王城に来るなんて。保護者のヨミはどうしたんだ?」


 スケルトンが注いだ琥珀色の酒を受け取りながらテレジアは笑みを浮かべる。


「竜人族の姫様は酷いなぁ……ヨミが同い年なの知ってるでしょ?」


「だが、相変わらず大抵のことは面倒見てもらっているのだろう?」


「否定はしないよ。ヨミは魔導機兵の納品中。私は納品契約の書類にサインを書けと言われたから来ただけだよ。テレジアは?」


 からかわれていることを自覚し、苦笑するルゥ。


「私は補給物資の価格交渉だ。書類仕事は苦手だが、こればっかりは部下に任せっきりというわけにはいかないからな」


「ふぅん……ところでさっき慌ただしいって言ってだけど、やっぱり魔王様関連?」


 テレジアの仕事にはさして興味のないらしく、ルゥは手元の水の入ったコップをいじりながら話題を変える。


「ん? ああ、私が事実上支配している領地は人間の国、帝国と接する最前線も含まれるんだが、魔王の死後、人間達が慌てて攻め込んで来てな。何かこちらの意表をつくような策でも思いついたかと思い警戒したんだが……」


「もしかして何もなかったの?」


「そうだ。全くの無策と言っていい。で、

 蹴散らして生き残りを捕虜にしたら連中なんて言ったと思う?」


 グラスを傾けながら、顔をしかめるテレジア。


「罵詈雑言でも浴びせられたの?」


「いや、そっちの方がまだマシだ。連中魔王が討伐されたから私達が弱体化したと思い込んで襲ってきたらしい」


「えっとそれはつまり指揮命令系統の混乱の隙をつく的な? まあこっちの事情を知らないならあり得なくないか……」


 まさか魔族がそれぞれ好き勝手に侵略しているとは人間も思うまいという結論に至ったルゥは勝手に納得してしまう。


「いや、そんな現実的な話じゃないんだ。その……連中は魔族が強いのは常に魔王が何かしら魔法で強化しているからで、魔王がいなくなったら、その魔法が消えて弱体化していると思っていたらしいんだ」


 思い出すことすらうんざりするらしく、険しい顔を見せるテレジア。グラスに残った酒を一気に飲むとスケルトンに再度酒を注がせる。


「それは……大変だね……」


 ルゥは何と言って良いか分からず、当たり障りのない言葉を選ぶ。


「これでもまだマシなんだ。人間達の間ではいくつかの噂が流れているらしく、酷いのだと私達魔族は全て魔王が魔力で創った魔物で魔王が死ねば全て消えるに違いないなんてのもあるそうだ」


「それは……擬似魔人の話が間違って伝わったんじゃないかな?」


「もしくは魔族の誰かが情報戦の一環でデマを流したのかもしれないな……とにかく人間達がこんなデマに踊らされるようでは軽視する風潮がより強まる。共存など夢のまた夢だ」


 苦々しく吐き捨てるように呟くテレジア。


「そういえばテレジアは穏健派だったね。共存ってテレジアが占領地で人間を支配するってこととはやっぱり違うの?」


 魔族でも人類に対する考え方に違いがあり、殲滅して全ての土地を魔族が支配するとする過激派や人肉という食料としての価値や奴隷としての労働力としての価値しか認めない者、そして人間の能力をある程度認める穏健派が存在する。


 そんなことを思い出しながらルゥは共存という言葉にわずかな興味を惹かれ尋ねる。


「少なくとも私は違うと思う。今私がやっているのは一方的な支配だ。本来なら占領地の人間側からの意見なども汲み取りたいが戦時下ではできないことが多い。あまり人間に寄り過ぎると部下から反発されるしな。もう少し人類が強ければ違っていたかもしれないが–––」


「相変わらず竜の姫様はくだらねぇことで悩んでんだな?」


 突然話に割り込む第三者の発言。2人が声がした方へ顔を向けると灰色の軍服を着崩した1人の魔族の男がいた。彼の口元からは牙が見え、黒い獣の耳と尻尾は狼のそれだった。


「魔狼族のザルドか。久しいな」


 テレジアから名を呼ばれたザルドはニヤつきながら2人に近づく。


「久しぶりだな。竜姫に穴蔵狐。2人で人間の活用法の相談か」


「そんなところだ」


 テレジアの言葉に黙って頷くルゥ。


「にしても揃いも揃って人間に何を期待してんだか……連中なんて食料としての価値がありゃ十分じゃねえか」


「君の魔狼族部隊ならそれで良いだろうが私やルゥは人肉を食さない。ならばそれ以外の価値を探すのは当然だろ?」


「相変わらずご立派だなテレジア! まあ良い、それよりお前ら俺に手を貸さないか?」


 テレジアの言葉を鼻で笑うザルド。そして次瞬間には薄ら笑いを浮かべながら問い掛ける。


「手を貸せだと?」


 流石のテレジアも薄ら笑いに感じた不快感を隠そうともせず口調が荒くなる。


「てめぇらも知っての通り、魔王は死んだが次の魔王が決まらねぇ。そして魔界の戦力の大半は今ここ人間界にある。ここまで言えは分かるだろう?」


「君を魔王にするために協力しろと? 気は確かか、ザルド? 」


「正気だよ、そのための策もこうして手に入れたしな」


 ザルドは着崩した軍服の上着から丸めた羊皮紙のようなものを2束取り出す。


「何だそれは?」


「セスルトから買った情報だが、1つは魔王が極秘で進めた研究の記録だ。これを利用すれば俺の軍は確実に強化できる。そこにお前らの兵士や魔導機兵があれば侵攻軍全てを手にできる」


 ギラギラと輝く眼は彼の野心が本物であることを示し、同時に彼自身が成功するに違いないという確信を持っていると感じさせるものだった。


「悪いが他を当たれ、私が君を従えるなら話は別だが、下につくなど論外だ。従わせたいなら実績を見せてみろ」


 それでも自身と配下の軍に自信と誇りを持つテレジアは彼の目を見て拒絶し、笑みを浮かべながら挑発する。


 ザルドはその返答に短く舌打ちし、ルゥへと視線を向ける。


「おい、狐てめぇはどうなんだ?」


「……興味ないから私もパスで」


「何だと……学者風情がっ!! 下手に出てりゃ調子に乗りやがって!!」


 本当に興味がないのかザルドを見ようともせず素っ気ない答えを口にするルゥ。その態度がザルドを激昂させる。


 個人の戦闘力に絶対の価値を置くザルドにとって自ら戦場に立ち武勲をあげるテレジアは己と同格。その言葉はかろうじて許容できるものであった。


 しかし非戦闘員のルゥを格下と位置付けていたザルドとって彼女の態度と言葉は許せるものではなかった。


 怒りに身を任せたザルドはルゥに駆け寄り、その胸倉を掴もうとする。


 けれど掴まれたのはザルドの腕だった。


「駄犬風情がルゥに手を出すとはどういうつもりですか?」


 冷めきった声でザルドに呼びかけるのはメイド服を着た八尾の妖狐、ヨミだった。


「何だお守りがいたのかよ」


 舌打ちして腕を大きく動かし、ヨミの手から逃れるザルド。


「てめぇほどの奴がまだ穴蔵狐の護衛とはな……そこまでする理由は何だ? 次期当主の座か?」


「駄犬には理解できないでしょうし、してもらうつもりもありません」


 ルゥの前へと進みつつ、ザルドを睨みつけながら告げるヨミ。


「そうかよ。だが、いつまでそいつのお守りができるか分んねぇぞ?」


 睨み続ける彼女にニヤつきながらザルドはそう捨て台詞を吐く。


「どういう意味ですか?」


「自分で考えな」


 背を向けてザルドはそう言い残すとその場から立ち去った。


「助かったよ、ヨミ。私が止めたらいろいろと面倒なことになっていた」


「構いません、テレジア。それよりルゥ、あの駄犬がどういう状況になれば噛みついてくるかは容易に想像できたのでは?」


 その声色はルゥを糾弾するようなものではなく、ただただ事実を確認をするように淡々としたものだった。


「いや、ごめんね。本当に興味がなくてつい……」


 失敗を誤魔化すように笑うルゥに溜息を返すヨミ。


「こう言ってはなんだが、ザルドのことだ。ルゥがどんな態度だったとしても最後にはああなっていただろう」


 席から立ち上がり、酒の勘定を済ませるテレジア。そしてヨミの肩に手を置き、励ますように言葉を口にする。


「じゃあ私もそろそろ帰るよ。ルゥ、ヨミまたな」


「ええ、また」


「またね〜」


 呑気に手を振るルゥに合わせて手を振りながらテレジアはその場を後にした。


「さて、ルゥ。私達も帰りますか? それともどこかに寄りますか?」


スケルトンに水の代金を払いつつ、ヨミが問う。


「そうだねぇ……なんか美味しいものでも–––」


「これはこれは。ルゥフェミア・ゼルファスト博士ではありませんか」


 ルゥの言葉を遮り、現れたのは梟の頭と鉤爪の手足を持ち、燕尾服を着たこの都の支配者セスルトだった。

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