魔王が死んでも終わりません

ものりす

第1話 穴蔵狐

 マグラス歴1207年、人類は突如として現れた魔王率いる魔族の侵攻を受ける。


 奇襲とも呼べる攻撃に晒されながらも大陸諸国は連携し、連合軍を組織して反撃を試みる。


 だが魔族の力は強大で数少ない勝利を得ることはできたが、人類はその支配領域を失い続けた。


 しかし聖剣を携えた勇者が現れ、その命と引き換えに魔王を討伐することに成功する。


 その知らせは人々に希望を与えた。勇者の死を惜しむ声は無論あるが、何より敵の総大将を倒したという子供でも理解できる戦果に誰もが酔いしれた。


 だがおとぎ話のようにめでたしめでたしとはならなかった。






 わずかな照明しかない薄暗い地下通路を1人の女が規則正しく足音を響かせながら進んでいく。肩に触れるかどうかの位置で切り揃えられた金髪を僅かに揺らし、青い瞳はぶれることなく前方を見つめている。


 その身にメイド服を纏う女は人間ではない。頭上へと伸びる獣の耳、そして女の後ろで広がる8本の艶やかな毛並みの尻尾。彼女は妖狐。魔界では魔法を得意とする力ある魔族であった。


 通路は両開きの扉に続いていた。女はためらう様子もなく扉の横に設置されたコントロールパネルを操作する。


 音もなく開いた扉の先は暗闇が広がっていた。女は慣れた様子でスイッチを入れ、部屋の明かりをつける。


 女の前には複数のモニターとコンソールを枕にして眠るもう1人の妖狐がいた。


「ルゥ、起きてください」


 そう言いながらメイド服の妖狐は眠る同族の肩を優しく揺する。


「……ヨミぃ? あ、おはよう……」


 目覚めた妖狐は目を擦りながら、ボソボソと言葉を呟く。


「おはようございます、食事の用意はできています。食後にミーティングを始めましょう」


「は〜い、いつもながら朝から完璧だねぇ……」


 ルゥと呼ばれた妖狐はメイド服にシワ一つないことを確認しながら言葉を口にする。


 完璧と評したヨミに対してルゥの容姿はヨミと同様に獣耳と尻尾を備えた妖狐であるが、背はヨミより低く、瞳の色は赤。また腰まで伸ばした髪、耳そして尻尾の色は銀色と容姿はかなり違う。


 さらに尻尾は二本しかなく、着ている服もメイド服ではなく襟が円く袖が広い黒い狩衣装束という独特なものだ。おまけに徹夜の末に寝落ちしたので狩衣はシワだらけだった。


「普通ですよ、ルゥは興味のないことに無関心すぎます。まず女なのですからこんなところで寝たりせず、自分の部屋で寝るべきです。それからもう少し身だしなみに–––」


「まあまあ……いいじゃない、どうせここには私とヨミの2人しかいないんだしさ」


 苦笑いしながらルゥは説教を遮り、部屋の出口へと歩き出す。ヨミは後ろに続く。


「それはそうですが、急な来客などあったら困ります。時間がなければできること限られます」


「来客って……険しい山脈の地下深くに造られた秘密工廠なんかに誰が来るのさ?」


 呆れ顔を隠そうともせず、告げるルゥ。


「あり得ないことなんてないと私は思いますよ。なにせ魔王様が急死する世界ですから」


 感情を乗せることなく、ヨミは淡々と発言する。






「で? 何から話す?」


 食事を終え、工廠内にある全設備をコントロールするための中央管理室に場所を移し、お気に入りの革張りの椅子に腰掛けながらルゥが問いかける。


「まず、魔王軍の現状ですが、現在でも軍は組織として機能していません」


 ヨミもまた適当な椅子に座り、手に持つ資料へと視線を落とす。


「まあ魔王様と側近の最上級幹部、四天王とか言われたんだっけ? 皆死んじゃったからねぇ……でももう1ヶ月も前だよ。いい加減立て直しても良くない?」


 自分の机に頬杖をつきながら喋るルゥ。


「立て直しが進まない原因は主に2つあります。1つは魔王様が生前に戦争の進め方を変えたこと」


「戦争の進め方? ああ、なんか人間達があまりに弱すぎるからこんな戦争本気を出すまでもない……だから各指揮官が好きなように侵略して手に入れた物の何割かは自分の物にして良いよっていう布告を出したんだっけ?」


 ルゥは興味のない話題だったのか朧げな記憶たどるようにゆっくりと発言する。


「まあ、簡単に言えばそんな感じです。各地に配置された指揮官は魔王様の了承を得なくても作戦の立案と実行ができるようになりました。無論経費などに制限はありましたが、それでもこの布告によって各地の指揮官が独立した勢力を築きやすくなりました。今ではそのほとんどが軍閥化してます」


「兵站部のセスルトなんか凄いよね、魔王様が死んだ後もパンデモニウムの城で指揮官達に魔獣やウチの魔導機兵を売り続けているし」


 自分の知り合いに思いを馳せながらルゥは呟く。


「セスルトを通じて利益得ている以上我々も他所のことは言えませんね。とにかく既得権益を得ている魔族は既得権を犯しかねない次の魔王や魔族の統一された軍を今は必要としてはいません」


「2つ目理由は?」


「本国です」


「え、何? 次の魔王を巡って内戦でも始めたの?」


「実際に内戦は始まってはいませんが、概ねそんな感じです」


 冗談のつもりで笑いながら発言したルゥにヨミは真顔で応える。


「え? 本当なの?」


「はい、今代の魔王様は世継ぎを1人も残しませんでした。そのため有力者が協議を重ねていますが、誰もが疑心暗鬼に陥り、荒れているそうです。そんな有様ですから侵攻軍のことなど気にする余裕はないそうです」


「妖狐の一族はどうすんのかな?」


 自分の想像より悪いらしい本国の状況を耳にして恐る恐る尋ねるルゥ。


「御当主、ルゥのお母様は早々に中立を宣言したようです。理由は古の盟約に従うだそうですけど、何か知ってますか?」


「全然知らない」


 困り顔を見せつつ、ルゥは首を横に振る。


「話を戻すけど、侵攻軍と本国がそんな感じなら……」


「ルゥが望む未執行の開発予算は凍結されたままでしょうね。というか魔王様が死んだ今となっては認められるの可能性すら……」


「ですよねー」


 銀の妖狐は机に突っ伏しながら呟く。


「やはり諦めるべきでは? 戦略兵器搭載型移動要塞を独力で完成させるのはどう考えても難しいです」


「えー……魔王様に土下座して戦後支配の象徴とか絶対的な力の証とか言ってなんとか開発許可もらったんだよ。それにもう7割はできてるんだからここで諦めたらもったいないよ! 一度は空飛ばしてみたいし、要塞主砲も実際に撃って検証したいし、それから–––」


「ああ、はいはい。分かりました」


 これまでの苦労と努力、そして自身の欲望を語り出したルゥを制止し、溜息をつきながらも開発継続を認めるヨミ。


「ですが、労働力は魔導機兵でなんとかするとしてやはり問題は財源です。魔導機兵はそこそこ売れてますが、それだけでは……御当主に支援を頼みますか?」


「それは……やめとこ。何要求されるか分かんないし、それに……」


「そうですね。そんなやり方では色々言ってくる輩もいるかもしれないですね」


 ルゥの様子から気持ちを察してか早々に提案を取り下げるヨミ。


「では他の魔族のように人間領に侵攻してみては?」


「うーん……統治とか興味ないし、この工廠の場所がバレるのもなぁ……」


「相変わらず興味のないことには消極的ですか……これでは引きこもりの穴蔵狐と揶揄されるのも仕方ないですね」


 メイド妖狐は再び溜息をつく。


「そんな私を見捨てないでくれたヨミには感謝してるよ、ありがとう」


 満面の笑顔をつくり語りかけるルゥ。


「私に感謝しても問題は解決しませんよ、ルゥ」


 そう言いながらも子を見る母親のような笑顔をヨミは返す。

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