第5話 不運な商人
エルマイス地下街、常闇に輝くこの街に相応しく、社会のはみ出しものが羽虫のように吸い寄せられて集まる。
華やかなさは、愚者を捕食する為の釣り餌だ。
溢れかえる贋作や盗品、愉快な薬剤に魔族の道具、果ては人間奴隷まで。
そんな具合に街は混沌としているが、ここにもある種の秩序というものがある。
例えば、この街を統べていたスベトラーナ。何処の名前か知らんが、本名らしい。
その女傑は、いつからか、ピーターズバーグとかいう、"特殊な杖"を使う傭兵集団を率いてこの街を締めていた。
だがある日、足を滑らして"激しく体を打って"死んだ。階段から転げただけで手と足がなくなって"発見"されたそうだから、驚きだ。
噂じゃあ、"両刃の斧"が始末したっていう話である。信じ難いが、そいつらは子供にしか見えない魔術師の二人組とかなんとか。
ともかく、"商売"を張り切り過ぎると、"いつのまにか消える"のがこの街の秩序だ。
俺らにお天道様は見えやしないが、見られてるって事だ。
物騒なお天道様もいたもんだな、全く。
そんな地下街の5番街。
今日も此処より"下"から"回収"された品を売りつけ、いつも通りの1日が終わると思っていたが、今日はそうは行かなかった。
今日だけは絶対にいるってのに、イかれちまった《客呼び店番鐘》を直そうと弄っていた。
結局諦めて、そいつを持って外に捨てようとした時だ、誰かにぶつかって中の魔晶液が出ちまった。
それだけなら何でもない。
それをぶっかけちまった相手が最悪だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「冷たっ!」
子供の声と瓶が転がる音。散らばる露店の食い物。
あたりには魔晶液と瓶の中身が飛び散って、街の霧と混ざる。
魔晶液をかけちまったのは初等部くらいの娘だった。
髪にべっとりと魔晶液がかかっている。
気味の悪いお面で半分くらいしか見えなかったが、初めて見た顔だった。
だが、長い間店をやっている俺が、ここで見たことの無いガキなんているわけない。
学園のクソガキ達もこんな時間には来ない、だから俺はすぐに直感したね、ついに"両刃の斧"が来たんだってな。
「す、すまねぇ!い、命だけは!助けてくれ!」
「……は?」
俺みたいなのが、ここで生きて行くにはこういう凶悪な手合いには逆らわない事だ。
運さえ良ければ生き残れる。
天に見放されればそれまでの事、だが今日ばかりでも精一杯の信心だ、勘弁してくれ。
「……」
無言で見つめてくる茶色の瞳。
あまり"目"が良い方じゃないが、それでも暗い色の魔力光が漏れ出ている。
俺にでもはっきり見える色という事はまず間違いだろう。
「じゃあ、"良い道具"が欲しいんだけど、どっか良い所知らない?」
"両刃の斧"が欲しがる道具ああそうか"アレ"の事か。
確認して来たって事はそう言う事だろう。
「それなら良いところがありますぜ?案内しまさぁ」
「ありがとう」
笑った様子を見れば、年相応の娘にしか見えない。
コレがあの惨殺、いや事故を起こすって言うんだから恐ろしいもんだ。
「へへ、朝飯前でございまさぁ、あ、今顔を拭くものを……」
店に戻ろうとすると袖口を掴まれた。
頭から血の気がサッと引く。
「……どうかなすって?」
「必要ないから、早く案内して」
奴が頭に手を当てると、吸い込まれるように魔晶液は消えた。魔術師は便利でいいな。
「はやく片付けて帰らないと」
そういう奴の顔は暗かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
レモナとモモと逸れてしまった。
あの阿呆娘がわざと三層目で遊んでいた事はまあ、彼女なりの歓迎方法だと考えるとして、二層目に着くや否や居なくなるのはどういう事だろうか。
本当に阿呆なの?
《ならば何故モモは此処に居ないのだ?》
肩の上で透明化しているイヴが、何か言っている。
さあ、何故だろう私には見当もつかない。
《あまりフラフラするな、と言われてすぐに露店へ歩き始めたのはお前だろう?》
違うって、身寄りのない食べ物が沢山いたから、仕方なく保護してるの。
口付けまでして、愛情たっぷりの慈善活動なの。
《準備用の金で買い食いしおって、足りなくなっても知らんぞ?》
そういえばいつの間にか財布が軽くなってる。
最近の財布は中身を食べるんだね。
はやく使わないとなくなっちゃうね。
《軽くなってるじゃあない。今お前の手元にあるのはなんだ!それにその変なお面は!》
飲み物って事だけは分かるけど、なんかちょっと苦いし妙に泡立ってる。
ああ、多分炭酸飲料。
或いは炭酸飲料かな。
お面は…"ごめん"わからない。なんつって。
《くだらん事を言う暇があるなら、あいつらを早い所探し出すんだな》
二層目からならすぐに帰れるだろうし、別にいいじゃないかー。
《面倒ごとに巻き込まれる前に帰れ、という事を--》
大丈夫でしょ?何かあれば--
「冷たっ!」
急にひんやりとした感触が。
頭から何かの液体を被ってしまったようだ。
モモの魔術よりかは温いが、驚いて保護していた哀れな食品達を手放してしまった。
持っていた瓶が手を離れ、地面へ転がっていく。
《言わんこっちゃない、そらお待ちかねの面倒ごとだ!》
「すまねぇ!い、命だけは!助けてくれ!」
「……は?」
声がする方を見ると、髭面のおっさん二人が全く同じ動作で慌てていた。
見るからに屈強そうなのに、何をそんなに慌ててるんだろ?
《おい、そいつは一人しかいないぞ、しっかりしろ》
なんだ、一人しかいないのか。
じゃあ分身か、流石ファンタジー。
執拗なくらい頭を下げてくるおっさん。
見かけによらず小心者?
あ、イヴの魔力光が見えてるのかな?
「じゃあ、"良い道具"が欲しいんだけど、どっか良い所知らない?」
元々はそれが目的だったし。
それならイヴも文句ないでしょう?
《いいだろう。だが危険そうならば直ぐに帰るぞ》
「それなら良いところがありますぜ?あんないしまさぁ」
「ありがとう」
まあ、相手が悪くてもお礼ぐらい言っておこう。
「ああ、いいってことよ……今顔を拭くものを……」
除湿でも使えば直ぐに消えるでしょう?
まさか逃げる気かな?そういう訳には行かないぞ。
取り敢えず文房具とかを揃えたらレモナ達と合流しなければならないし。
奥へ行こうとするおっさんの袖を掴んで引き止める。
「ど、どうかなすって?」
「必要ないから、早く案内して」
髪についた液体を除湿で消す。
ベタついた髪が元どおりにサラっとした状態へ戻る。
本当に便利だ。
まあ今ところ、副作用なく使える魔術がこれしか無いのが残念だけど。
どうやったら普通に使えるようになるんだろう。
《その為の学園だろう。お前の望むようなものなら、容易に知る事ができるだろう……制御できればの話だが》
裁定の剣の評価って何だったん?最高の適性ってさ。
《我輩のお陰でどのような魔術でも行使することはできるだろうが……今は記憶まで消費して暴発するのが関の山だろうな……》
「なら、はやく片付けて帰らないと」
また家とか部屋とか吹き飛ばしたくないし。
《魔術は容易くは成らん。まあ精々精進する事だな》
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