第2話

 晋一の荷物は九割が段ボールで、それらは部屋の隅に綺麗に陳列された。

「君は倉庫番のクリア状態ですか」

 業者が帰ったあとに覗きに来た男に呆れたように言われた。

「いや、決してそういうつもりじゃないんですけど、家具はこっちで買いなさいと親に言われて中身だけ持ってきたので……」

「そうですか。まぁ、布団さえあれば寝れますからね」

 返す言葉が見つからなくて晋一が黙ると、会話はそこで途切れてしまった。さてどうしたものか。男は玄関の時のように開け放したドアに凭れて晋一をみつめている。出ていくわけでも無いようだが。見られている中で段ボールを開けるのも気が引けて、さて困ったぞ、というときに、階段ホールからトストスという音が聞こえてきた。

「あ、晋一クン、荷物整理できた?」

 一つ目の箱以来上がって来なかった家主が、ひょいと顔をだしてきた。

「はい、終わりました」

 助かった、と思いながら家主に返事をする晋一。

「じゃ、お昼にしよう!」

「いいですね。僕もお腹すきました」

「お昼は蕎麦だぞー。引越しといえば蕎麦だからな!」

 ウキウキしながら階段を降りていく家主。二人もそのあとに着いていく。

 到着した先は、思っていたよりも新しいキッチンダイニングだった。

「ここだけ内装を一昨年あたりに改装したんです。流石に不便でしてね」

 晋一の思ったことは顔に出ていたらしく、男がさらりと説明をした。

「あの、ご飯は、何時も家主さんが?」

「えぇ。美味しいですよ」

 さぁどうぞ、と椅子を指差されて、晋一は席についた。食卓は普通の家にあるような、四人掛けの食卓セットだ。

「はい、おまたせ」

 家主が大きなザルに山のように盛られた灰色の物体を運んできて、どん、と食卓の真ん中においた。いや、不明な物体ではなく、それは確かに蕎麦であった。大量に盛られている蕎麦を初めて見るため、晋一には一見して灰色の塊にしか見えなかったのだ。

「すごい、量、ですね……」

「うむ、晋一クンは若いから沢山食べるだろうと思って、沢山準備したんだ!」

「男三人ですから、まぁ、無くなるんじゃないですか。二八ですよね?」

 先に置かれていた急須から男が少し口の広い器に黒い液体を取り出した。めんつゆだ。

「煩いひとの為にちゃんと両方国産使いました」

 その表現に、あれ、と思う。

「え? 手打ちですか?」

「もちろん。料理と庭仕事が俺の趣味。あ、読書は別な、あれは別格」

「すごい……」

「えへへ、そう? ありがとう」

 家主は笑って頭を掻いた。

「薬味はこれ。つゆはその急須ね。お茶は冷たい烏龍茶。はい」

 ぽんぽんと必要なものが揃い、食卓がいっぱいになる。

「では、いただきます」

「いただきます」

「いただきます…」

 不思議な食卓だった。余所の家にお呼ばれしたような。男が三人にも関わらず、妙に家庭的な雰囲気だからだろうか。晋一はふわふわとそんなことを思いながら、蕎麦を食べる。おいしい。

「ずる、晋一、クン、ずずず、遠慮してると無くなるぞ」

「そうですよ。食費も家賃のうちということにしておきますから」

「え、んりょ、してませんけど、あの、俺、ちょっと気になってる事があるんです」

 晋一がおずおずとそう言うと、二人は揃って首を傾げた。

「お二人の、名前。俺、伺ってないです。なんとお呼びしたらいいですか」

「おぉ……忘れてた」

 家主が反応するまで、少し間が有った。本当に忘れていたようだ。

「なんです、自己紹介もしてないんですかあなた」

「言ってるお前もな。あんまりつんけんしてやるなよ、ゴキブリ退治してくれるんだからな」

「それを早く言いなさい」

 男はコロリと顔色と雰囲気を変え、

「北村君、荷物整理も手伝わずに申し訳ありませんでした。家具を買いに行かねばならないんでしたよね? 僕が車を出しましょう」

 ニコリと笑ってそう言った。

「え、あ、はい。ありがとうございます。だからなま」

「初日からデート?! ずるい! 俺だってまだ乗せてもらったこと無いのに!」

「デートって、あなたねぇ。だいたいあなたは家から出ないじゃ無いですか」

「なま」

「くそー……今夜はカレーだ。やけカレーだ」

「あの、な」

「うんと辛くしてくださいね。あ、北村君は辛いのはいけるほうですか?」

「え、まぁまぁ、です。辛いよりも香辛料の匂いがアレなので……それよ」

「そうですか……しかたありません、普通の辛さでいいですよ」

「作る俺のなんだけど俺の嗜好は無視なのか? それより晋一クン、家具買いに行くのか?」

「……。はい」

「そうかそうか。そういえば晋一クンの荷物は段ボールばっかだったな。家具屋さんとか、こいつよく知ってるから、頼りにしてやってくれな」

「箸で人を指さない。

 部屋の広さならだいたい把握してますから、任せてください」

 晋一は二人の会話の勢いに流されて、今名前を教えてもらうのは、諦めた。思っていたより、名前は呼ばなくても、生活できるようだ。

 もちろん早いうちに教えてもらいたいけれども……。

 晋一はどうしたものかと胸中唸りながら蕎麦をすすった。あぁ、おいしい。



+--+ +--+ +--+



 食後しばらくして、未だに男以外の情報が無い彼に連れられて、全国チェーンの家具屋へきた。歩いて行ける距離でもなく、駅から近いわけでもなく、彼に車を出してもらえてよかった、とホッとした。

「予算とリストはありますか?」

 あ、と鞄を探る。親にメモを渡されていたのだ。

「本棚と机二つと、衣装ケース……予算、は、しばらくの生活費と家電も入れてにじゅうって」

「へぇ。親御さんは太っ腹ですね。家電といってもテレビくらいですかね。ほかの白物家電は必要ないですし」

 男はメモを晋一の手から抜き取り、何処から出したのか、ボールペンで品目を消していた。

「こんなものですか」

「ちょっと、ソファー消さないでくださいよ、俺の夢が」

 メモを取り返して確認すると、白物家電でないソファーまで消されていた。

「その資金とスペースは冬の炬燵にした方がいいですよ。これは経験談です」

 真顔で神妙にそう言い切られ、最近終わったばかりの冬を思う晋一。たしかに暖房器具のことは考えていなかった。

「そんなに寒いんですか?」

「中途半端に洋館で天井が高いですし、夏の冷房にエアコンはありますけど、暖房をエアコンって足元寒いですよ。

 まぁ、君が睡魔と戦いながら、または震えながら毛布に包まって試験勉強したいというのなら無理には止めません。まぁ、炬燵も眠くなりますけどね」

 そこまで言われて、ソファーを頑なに購入するという気概は、晋一には無かった。

「冬が来たらまた考えます……」



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 さて家具屋での買い物を終わらせて、次の店に行こうかという時のことだった。

「ん、電話ですね。北村君、ちょっと待ってください」

 男は懐からスマートフォンを取り出して、耳にあてた。

「僕です。……えぇ、それで。はい。……はい。わかりました、買って帰ります。今から行くつもりでしたから。はい。では」

「あ、ま、まってください!」

 通話を終えて懐に仕舞おうとする彼を晋一は急いで引き留めた。

「なにか用でしたか? 電話切っちゃいましたけど」

「ち、ちがいます。ケータイ! ら、ライン、友達になりましょうよ!」

 男が携帯電話を取り出すのを見て、これだ!と思ったのだ。このチャンスを逃せば、次はいつどんなチャンスがあるのか見通せない。

「ラインはやっていません」

 冷たく全拒否された。この時代にラインをやっていないとか晋一としては意味が分からないが、とにかくここで引き下がるわけにはいかない。

「じゃぁ、メアドと番号交換しましょうよ!」

「……なんで教える必要があるんですか」

 晋一は舌打ちが聞こえた気がしたが、聞かなかったことにした。

「ほ、ほら、緊急事態とか。ご飯だって一緒に食べるんですから、なにかあった時に便利じゃないですか! 僕が道に迷ったり、えと、次の店ではぐれて置いて帰られても、へへ、困りますし、ね!」

「ふぅん……まぁいいでしょう。メアドを見せてもらえますか? 記載したメールを送ります」

 手早くパタパタと事を済まされてしまった。晋一は、戻ったら家主にも同じ手で名前を聞こうと決意した。

寺本てらもと慶司けいじ、さん」

「まぁ殆ど仕事でしかつかいませんけど」

 淡泊そうな彼っぽいな、と晋一は心の中で呟いた。

 寺本を入れるグループに、迷いに迷って、竹青寮、と名前を付けた。なんか違うな、と思いつつ。

「帰ったら家主さんにも聞こう」

「はいはい。では行きますよ、君はゴキブリを退治するための装備を一揃い準備する義務がありますからね」

「な、なんなんですか、その表現! 装備って!」

「では次はホームセンターです。ラック程度なら車に積めますから買って帰りましょう」



+--+ +--+ +--+



 言われたままにゴキブリ退治グッズ(殺虫剤、蠅叩き、バット、長いゴム手袋、エプロン、ゴム長靴、それに工場の人が使うような顔面の防具)を揃え、生活の細々したものも買った。先程の電話は生活雑貨のことだったらしい。


 家に着き、荷物を降ろしながら晋一はあらためてゴキブリ退治グッズを見る。なんとなく溜め息が出てきた。

「寺本さん、これじゃ本当に装備じゃないですか」

「あたりまえでしょう。奴等に立ち向かうには心許ないですが、街ではこの程度しか揃えられません」

「いったいどんなゴキブリなんですか……」

 それよりも二人が異常にゴキブリを敵視している事に呆れている。大の大人が、男が、二人して、なんて怖がりようだ。

「兎に角、期待していますよ」

 寺本はメタルラックを車から持ち出し、玄関へ向かう。晋一は慌てて先回りして、扉を開けた。

「ただいまもどりましたぁ!」

 玄関を開けて中に声をかけると、遠くから「おー」と奥まった声で返事があった。家主は奥のキッチンにでもいるのだろうか。

「ただいま戻りました」

 寺本はラックを抱えたまま器用に靴を脱ぎ、すたすたと二階へ上がっていく。晋一はまた慌てて先回りをして、自室の扉を開けた。

「さて。夕飯まで少ししかありませんが、片付けでもしてきなさい。あなたの装備は階段裏に閉まっておきます。ではごゆっくり」

 居ないほうが捗るでしょう? なんてさりげなく付け足して、寺本は晋一の部屋をあとにした。

(なんていうか、有無を言わさない喋り方だなぁ。別に異義を挟む必要が無いからいいけど)

 晋一は取り敢えず、買ってきたメタルラックを組み立てることにした。

「何これ重! え、寺本さんこれ軽々と持ってたけど?!」

 そんな筋肉質には見えなかった。どう見ても優男で、晋一は自分と同じくらいの力だと思っていたのだ。

 動揺していても仕方無い。晋一は個別撃破をして包装を解体し、ボール紙を下敷きにポールを繋ぎ合わせていく。

 平行にパネルを設置するのに手間取ったが、なんとか出来上がる。

 壁際に空っぽのメタルラックを置いて、眺める。何を置こうか、とか。何か飾り物でもつけようか、とか。晋一はこの先の新生活を思ってにやにやしながら、梱包材をまとめる。

「……分別はどうなってるんだろ」

 どうしようかと少し悩んで、紙とプラスチックだけ分別しておくことにした。



続く

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