あの世市地獄一丁目三番地

三上 珪

第1話

 生まれてこの方十八年、なんとか順調に大学進学までこぎつけた少年と青年の狭間の彼、北村晋一きたむらしんいちは、親元を離れて念願の一人暮らしを始める予定だ。

 大切な漫画や本と、命の次に大切なパソコン一式、それから当座の服を詰めて、荷物は一昨日実家から発送したところである。

 一人暮らしといっても、男子寮のような場所らしかった。

 大学から少し離れた立地ではあるが、単身用賃貸の相場と比べて一割安く、広かった。築年数は晋一の年齢を遥かに超えていたが、そんなことよりも文化財のような外観に惹かれた。

 住み込みの寮長が居て、更に「ゴキブリ退治できる方家賃二千円引き」とまで書かれては、晋一にはそこ以外の選択肢など無かった。

 寮ということはいろんな人が住んでるに違いない。

 晋一は目眩く大学デビューを夢見て、実家をあとにしたのだった。



+--+ +--+ +--+



 そして引越し当日。


「おお! ようこそ我が家へ!」

 晋一を門で待ち構えていたのは、テキトウに伸ばしたままと思われる黒髪の、だらし無く和服を着た、細長い男だった。

「えーっと」

 晋一がどう返事をして良いのかわからずそう応えると、男は笑って口を開いた。

「俺はこの家の家主」

「大家さんですか。初めまして、北村晋一です。お世話になります」

 晋一はぺこりと頭を下げた。家主と名乗った男は無遠慮にその頭をわしわしと撫で、「おう」と言った。

「ちょっ、なにするんですか。もう、髪がぐちゃぐちゃに……」

「無造作ヘアー!」

 家主がドヤ顔で言った言葉を晋一は無視することにした。

「ところで寮長さんは……」

「ん? あぁ。それも俺だ」

「へ?」

「そういう感じに書いておかないと、人来ないだろうなぁと思って。君が来てくれて良かったよ、晋一クン」

 家主はあっけらかんと言い放ち笑う。なにが何だかよく判らない晋一は口を開けて、ぽかん。

「いやー、引越しを日曜日に指定して悪かったな。そろそろあいつも起きてくるころだと思うし。あ、荷物は何時だっけ?」

「え、あ、十一時から十二時の指定に」

「よしよし、もうすぐだな。ま、何時までも門前に立っててもアレだからな、入れ入れ」

 家主はまた無遠慮に肩に手を回してぽんぽんと叩きながら、晋一を玄関に導いた。

 門から玄関までは僅かな道程であったが、松や何やと植えられている庭は綺麗で手入れが行き届いていた。

 ジャリジャリと音をさせながら玄関に辿り着くと、家主とは対照的に短く切り揃えられた髪でスラックスにシャツという出で立ちの男が腕を組んで待ち構えていた。優雅な雰囲気すら醸し出し、開けた扉にもたれて。晋一達の方を睨んでいた。

「おお、起きてたか」

「あれだけデカい声で喋ってれば嫌でも聞こえますよ。それより何ですか、その子」

 女受けのよさそうな若手官僚。晋一はその男をみて真っ先にそう思った。あと眼鏡だし。インテリめ女子に大人気だろ羨ましい。

「うん。可愛いだろ。晋一クン」

 相変わらず肩に手を回したまま、笑って言う家主。

「かわいい?!」

 晋一はなんてことを言い出すのだと驚いて家主を見るが、ほら、あいさつあいさつ、と言われて男の方を向きなおした。

「初めまして、北む」

「あなた……僕というものがありながら、無断でこんな若い子を連れ込んで! 何考えてるんですか!」

 男は晋一の挨拶を無視して、いや、遮って、そう怒鳴った。男は晋一を見ていない。

(え、なにこの修羅場?)

 どうしていいのか判らず、また呆然とする。

「誤解を招くような表現は止めろ!

 お前が働け働けうるさいから下宿人勧誘してきたんじゃねーかよ!」

 ずい、と男に詰め寄る家主。

「それは働くとは言いません! このニート!」

 男は身を起こし、家主の襟首を掴んだ。

「んだと! 俺にはお前から家賃を搾取する大切な仕事がある!」

 家主も言い返してぐいと服を掴む。

「間違えました! あなたは僕のヒモでしたね!」

「誰が飯作ってやってると思ってんだ!」

「誰が公共料金を払ってると思ってるんですか! 家賃っていうよりあなたのお小遣でしょう!」

 まるで不良漫画のお手本のような一触即発の雰囲気に、晋一はどう声をかけようかと考えていた。

「あ、あの、」

『すみませーん、引越宅配便のものですけどー!』

 晋一が意を決して声をだしたときに、見計らったかのように、後ろから声がかかった。荷物が届いた。

「ふぅん、なんだ、日曜でもちゃんと時間通りに運んでくるんですね」

 ふと顔を門へ向けた男が、そう言った。

「あ、晋一クンの荷物か」

「は、はい。あの、何号室に運んでもらえばいいんですか? 俺、聞いてないですけど」

 そうだ。どんな部屋なのか写真だけで、詳しいことは何も聞いていない。そういった事を思い出して、晋一は、実はとんでもないところに来てしまったんじゃないかと不安になり始めた。

「あぁ。ないないそんなの。二階の南西の部屋ね」

 ぱっと手を離し合う二人。

「え? ここ寮じゃ……」

「あ、それ嘘。俺とこいつの二人しか住んでないし、どっちかっていうと、昔ながらの下宿ってやつ?」

 はっはー。と笑う家主。晋一は不安が現実となったことで、がっくりと肩を落とした。

「看板、うまくできてだだろ? 竹青寮ちくせいりょう。我ながらうまく作れたと思ってるんだ」

「笑ってる場合じゃ無いですよ。業者さん困ってるじゃ無いですか。あなたは早く案内しに行きなさい」

 先程の熱さは何処へいったのか、男は冷静に指示を出しはじめる。

「まぁ、決めたのなら僕は覆す権利はありませんね。北村君、君は僕と先に二階に上がりますよ」

 ほら、と促される。家主がもう業者とあーだこーだと話を始めているのを見て、晋一はもう一度男を見た。

「どうしたんです」

「あの、よろしくおねがいします」

 挨拶がまだだったことを思い出したのだ。

「おや、いい子ですね。よろしく。さぁあがりましょう。早くしないとあれの配置センスは倉庫番並ですよ」

 それだけ言ってくるりと背を向け、玄関へ入っていく男。晋一は慌てて追い掛ける。

「そ、倉庫番ってどういう意味ですか、まさか初期配置じゃ無いですよね」

「おや、君みたいな若い子でも知ってましたか。勿論それです」

 そこで突然、あ、靴はここで、と言われて、あわあわとしながら脱ぐ。たたきのある広い玄関だ。靴を脱いで上がると、そこは大正ロマンであった。

「わぁ……」

 思わず声がでる。

「すぐ慣れます。一階はダイニングやリビングです。楽器は嗜みますか? ピアノならリビングにありますよ。お風呂も一階。ちょっと広いですから、まぁ今夜を楽しみにしているといいでしょう。階段はこっち。たまに軋みますけど、風情ですよ」

 早口に一通りの説明をして、男はさっさと階段を上がりはじめる。長身の彼は晋一よりも移動速度が速いため、晋一はやや小走りだった。

 階段は家の中央にある。吹き抜けになった階段ホールは中央で螺旋を描き、廊下は階段を囲っていた。

「二階は五部屋です。北東が僕の部屋。三回ノックをして僕が許可をしなければ扉は開けないように」

 上がったところで左奥を指す男。それから指を右手前に動かして、

「南東は空き部屋ですけど、倉庫みたいなものですね。君も要らないものがあればあそこへどうぞ。わが家の共有物にしましょう」

 正面へ指が動く。階段ホールの幅ほどのバルコニーがある。

「この向きは真南で、バルコニーです。月見に良いですよ。残念ながら桜はうちの庭にはないので、花見は出来ません」

 二階の廊下が明るいのは、バルコニーへはガラス戸で出来ているからであるようだ。

「で、あそこが南西の君の部屋です。その隣が北西の部屋で、空き部屋です」

 さぁ行きましょう、と一つ扉を説明せずに男が動き出すものだから、晋一は驚いて説明を求める。

「あの、北の真ん中の扉はなんなんですか?」

「あぁ……、忘れてました。あそこは書庫です。あれの趣味でね、夜になるとあそこに篭ることもよくあります。ほら、君の部屋だ。一番に開けてごらんなさい」

「は、はい!」

 男に急き立てられ、晋一は慌ててドアに近付き、ドアノブを手に取った。どこも古めかしい建物の中で、レバー式のドアノブは妙に新しく感じた。

 晋一がレバーを下ろすとガチャリと鳴いた。扉を(引き気味だったがレバーを下ろした時に開かなかったから)押し開く。

 広い。

 ベッドが一つ置いてあるだけの、伽藍堂とした部屋だった。

「どうです? 君の部屋ですよ」

 開けられている品の良いカーテンのむこうからレース越しにするすると入る太陽の光が部屋を明るく照らす。板の廊下とうってかわって、柔らかな絨毯が敷き詰められていた。広い。とても。

「えっと、その、」

「その様子では気に入ってもらえた様ですね。さて、荷物の搬入をはじめましょう。ベッドだけは申し訳ないですがあれを使ってください。寝台しかありませんが」

「はい、話はきい、えーっと、うかがってます」

 何故か丁寧な言葉を使わねばならないと思い、晋一は言い直した。男はその言葉に目を細めて、頷いた。

 そこで背後が騒がしくなる。荷物を持って、業者の男達があがってきたのだ。

「晋一クン! 荷物適当に配置しても良いの?」

 先頭は家主であった。小さくて軽い箱を一つ持っている。晋一の荷物の中で一番軽いものであった。

「良いわけ無いでしょう」

 男が即座に否定した。倉庫番初期配置は本当なのか、と戦く晋一。

「では北村君、頑張ってくださいね。私は部屋に戻ります」

「え、あ、ちょっと」

 そうして、くるりと踵を返して男は部屋へ戻って行った。

「じゃ、指揮官は晋一クンだな。さぁ、早くしないとお昼食べれなくなっちまうぜ!」

 家主の声に押されて、荷物の搬入が始まった。



続く

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