カクヨムを使い始めて思うこと ――カクヨム二年目の視点から――

二年目・前半

今年度もよろしくお願いします

   

 四月になりました。

 世間では新年度、昨年4月1日にカクヨムを使い始めた私にとってはカクヨム二年目のスタートです。

 今年度もよろしくお願いします。



 ……と、これだけで終わってしまっては、あまりにも短いので。

 この「今年度もよろしくお願いします」という挨拶で、ふと思ったこと。もう余談というよりも思いっきり雑談なのですが、それについて書いてみたいと思います。

 あらかじめお断りしておきますが、今回は、カクヨムにも執筆にも関係ない、ただの雑談エッセイです。本当に申し訳ないのですが。


 さて。

 私がふと考えてしまったのは、これは普通は「今年もよろしくお願いします」というお正月の挨拶だろう、ということでした。

 その「今年も」を「今年度も」に変えたわけですが……。

 そもそも日本には、一月と四月、一年のスタートが二つあるのですよね。新年と新年度。これって、あらためて考えてみると、少し不思議な気がしませんか?

 小学校、中学校、高校、大学、就職と、何から何まで四月スタートなので、もう今さらかもしれません。とりあえず一年のスタートは四月、というのが体に染み付いています。

 いや、染み付いていたのですが。

 アメリカの大学で働いていた時に、ふと「日本では四月から一年が始まるんだよ」と言ったら、とても驚かれたことがありました。その時、初めて私は「もしかして日本は特殊なのかな?」と感じたわけです。

 特に、その時の会話の相手が生粋のアメリカ人ではなくアジア人だったので……。同じアジアでも違うのならば、どれだけ日本は特別なのか、と改めて考えてしまったのですね。

 もしかすると、私の拙い英語力のせいで「日本のお正月は四月」と誤解されたのかもしれませんが、その可能性は、とりあえず置いておくとして。


 日本にいると学校のスタートは四月なのですが、例えばアメリカは九月なのですよね。つまり、夏休みは年度終わりの休み期間、ということになります。

 ビザの都合で私が渡米したのは六月半ばであり、緊張して職場へ赴いたら、雰囲気が緩くて「アメリカって、こんな感じ?」と肩透かしな気分もあったのですが……。後になって、その時期はもう夏休みが始まっていた、と知りました。私は事務員でも教員でもなく研究員だったので、大学に雇われたとはいえ、大学のスケジュールをよく理解していなかったのです。

 大学によっても違うと思いますが、私が勤務した大学では、卒業は五月だったようです。新学期のスタートは九月ですから、丸々三ヶ月以上の夏休み。

 日本だって大学になると中学高校より夏休みは長くなりますが、それでも、ここまで長くはなりませんよねえ? 三ヶ月って、一年の四分の一ですからね。

 ただし日本とは違って、それが旧年度と新年度の境目である以上、夏休みが馬鹿みたいに長いのは、それはそれで合理的ではないか、とも思ったのでした。


 こんな感じで。

 アメリカの年度――学校年度――は日本とは異なる、というのは実感できたのですが。

 では、他の国はどうなのでしょう?

 在米時代、特に調べる気もありませんでしたし、その時は「行ったことない国のことはわからない」で済ませていたのですが。

 よくよく考えてみたら、旅行ならばイギリスにも行ったことがありました。それも、一ヶ月以上滞在という長期旅行。子供の頃の出来事なので、忘れがちなのですが。

 思い返してみると、これも、ちょうど「ヨーロッパもアメリカと同じ学校年度ではないか」という傍証になるエピソードなのでした。


 その、子供の頃のイギリス旅行。『子供』といっても、小さい頃ではなく、高校一年生の時の話です。

 某予備校が主催するツアーでした。……と書こうとして初めて気づいたのですが、これ、いわゆる勉強合宿ですね。アニメや漫画によく出てくるやつ。ああいうのを見て少し憧れる気持ちもありましたが、そうか、私の経験したあれがそうだったのか……。しかも行き先が国内の避暑地ではなくイギリスなら、アニメや漫画よりも豪華ではないですか!

 いやはや。

 ともかく、そのツアーというか勉強合宿。その某予備校の高校生クラスに通っている同級生の親から、私の親が聞いてきて、それで申し込んでくれた旅行でした。

 ただし、その最大の理由が、

「格安ツアーだから」

 というもの。夏期講習の代わりになるとか、ホームステイは貴重な経験になるとか、そういうのではなくて。

 親曰く、この金額で一ヶ月もイギリスへ行けるのはお得。そのお得感のおかげで、私はイギリスへ行かせてもらえたようです。


 今『ホームステイ』という言葉を使いましたが、一ヶ月もホームステイというわけではありません。ホームステイは、最後の一週間だけ。それまでは、別のところに泊まる形式でした。

 もちろん、ホテルとは違います。それでは格安ツアーにならないですからね。

 宿泊先は、大学だか高校だかの学生寮。夏休みは学生寮が空っぽになり、学校の教室も空くので、学生寮に泊まらせてもらって、昼間は教室で夏期講習を受ける。時々、バスで観光もする。

 ……そんな感じのツアーでした。

 当時の私は『夏休みは学生寮が空っぽ』という部分に何の疑問も持たず、ただ「イギリスの夏休みは日本より長いようだ」としか思いませんでしたが。

 今になって考えてみると、単なる夏期休暇の帰省だったら、部屋を他人に貸すほど完全に空っぽにすることは難しいでしょうね。年度の途中ではなく、年度が切り替わる時期だったからこそ、学生たちは一度完全に出て行く形になっていたのでしょう。

 つまり、これが『「ヨーロッパもアメリカと同じ学校年度ではないか」という傍証』でした。

 なお、このエッセイを書くにあたって、ネット検索してみたところ、やっぱりヨーロッパもアメリカと同じで、四月ではなく九月が学校年度のスタートのようです。



 ……と、年度の話は終わりなのですが。

 ついでなので、そのイギリス旅行の話を少し。

 勉強合宿のようなツアーなので、大人は主催予備校の関係者と現地のイギリス人だけで、あとは子供たちだけ、という生活でした。イギリスとかホームステイとかよりも、私にとっての一番の印象は「親元を離れて暮らすのは、なんと開放的で素晴らしいことか!」だった気がします。

 なお、当時の私は高校一年生。それも、中高一貫の私立の高校一年生でした。つまり、高校受験を経験していない高校生です。

 高校受験の代わりに中学受験があったわけですが、英語は中学受験には含まれていません。つまり、全く英語を勉強していなくても高校へ行けてしまうのですね!

 もちろん、中学の普段の授業で英語という科目はありましたが、あまり私は真面目に勉強していなかったので……。

 今でも覚えているのが、厳しい(?)受験を経て入った中学での、最初のテスト。一学期の中間テストでは、一クラス50名の中で上から6位だったのが、二年目の二学期の期末テストでは49位、つまり下から2位。

 わずか一年半でこれだけ下がったのですから、どれだけ私が怠け者だったことか。そして、英語なんてチンプンカンプンだったことか。

 ……あれ? もしかすると格安ツアー云々は建前であって、こんな状態だったからこそ勉強合宿が必要だと思われたのでは?


 ともかく。

 このように低レベルな英語力だったので。

 例えば、そのツアーの学生寮での食事の席で。

 現地のイギリス人と同じテーブルになった時、「お塩とってください」と頼む機会がありました。英会話の初歩で出てくるアレですね。

 でも当時の私にとって『取る』は『take』。思いっきり苦笑いされました。

「こういう場合は『Pass me the salt』って言うのだよ」

 と教えられたのは、おかげで今でも忘れません。

 また、例えばホームステイ先で。

 最初の挨拶の段階から、ホストファミリーの方々が何を言っているのか、もう全くわからなかったのですが……。

 たまたま訪ねてきた近所の人と彼らが話しているのを聞くと、何となく「あら、困っちゃったわ。今度の人たち、全然英語が喋れないみたい」と言っているっぽいのだけは伝わってきました。

 そんなレベルだったので、特に英語力が身につくような経験もなかったのですが……。

 ただ「英語って全く喋れなくても、身振り手振りで何とかなるものだな」という妙な自信だけはつきました。

 ……こうして書いていると、思うのですが。

 イギリスホームステイを描いた有名な日常系アニメで「英語の喋れない主人公が何でも『ハロー』で済ます」という話がありますが、あの『ハロー万能説』、あながちフィクションとも言えないようですね。


 さて、ホームステイの話について、もう少し。

 ホームステイというものは、ホストファミリー次第で、雰囲気が丸っきり変わってくるものだと思います。

 学生寮に泊まっていた全員が、色々なホストファミリーのところへ送り込まれるのですが……。私のところは他の学生二人と一緒の三人、そして、どうやら下宿屋さんみたいなところだったらしいです。何度もホームステイを受け入れているけれど、あくまでもビジネスとして割り切っている、という感じの。

 同じツアーに参加した別の友人の場合、ホストファミリーがディナーや観光に連れて行ってくれたそうですが、私のところは、そういうのは一切なし。朝夕の二食と寝床を提供してくれる、というだけでした。

 朝起きると、玄関入ってすぐのキッチンルームのテーブルに、簡単な食事が用意してあります。牛乳とコーンフレークと、もう一品あるかないか。それをホストファミリーとは別に、ホームステイの学生たちだけで食べます。

 よく「イギリス料理はまずい」という話がありますが、コーンフレークだけでは、もう美味しいとか美味しくないとか以前です。いや、むしろまずくはないのだから、運が良かったのでしょうか。

 ちなみに、学生寮に泊まった一ヶ月の朝食は、豆がメインであり、少なくとも私の口には合いませんでした。その直後だっただけに、余計に「コーンフレーク万歳!」な気分だったのかもしれません。

 昼間は自由行動ということで、学生寮の時期に出来た友人たちと待ち合わせて、ロンドン市内の観光です。ホストファミリーに色々と連れて行ってもらえる者でも、毎日ではないですからね。必然的に、子供たちだけで集まって遊ぼう、という日が必ず出てきます。

 学生寮期間の観光とは違って、引率の大人たちも無し! 日本人高校生だけで、地下鉄一日乗り放題のチケットで色々と見て回るのは、それだけで楽しかったですね。もう、あまり詳しく覚えていないのですが。

 一つ覚えているのは、そうした自由行動における昼食。自分たちだけでレストランに入るのは躊躇してしまい、結局、いつもマクドナルドで済ませていました。

 そもそも、どこで食べたらいいのかすら、わからないですから。今ならばネットやスマホで簡単に調べられるのでしょうが、これ、1980年代の話ですからね。携帯電話すら使わない時代、言葉も通じない異国で、それぞれ離れた家にホームステイしている者同士が待ち合わせて遊びに行くなんて、今考えると難しそうですが……。携帯電話のなかった頃は、そういう『待ち合わせ』も常識でしたからね。


 先ほど、ホストファミリーとの交流は一切なかった、と書いてしまいましたが。

 もちろん必要最低限の会話はありましたし、また、その家の子供と遊ぶこともありました。日本でいえば小学生くらいの年齢の男の子でしたが、夕食後、何度か一緒にモノポリーで遊んだのを覚えています。

 こういうボードゲームのルールは万国共通なのだな、というのが、当時の私には新鮮でした。また、サイコロに合わせて進むゲームなので、日本人三人と一緒に遊ぶうちに彼が「イチ、ニ、サン……」と真似して日本語で数えるようになったのが、面白かったです。

 こうしてホームステイ先の子供と遊ぶというのも、今になってみると、アニメや漫画のようなシチュエーションなのかな、と感じますね。



 ……と、とりとめもなく書いてきましたが。

 後々自分がアメリカで何年か働くことになるなんて、当時は全く考えてもいませんでした。

 アメリカ時代の経験は、今振り返ってみても、いくつか小説のネタに使えるのですが……。

 一方、このイギリス旅行の話。昔すぎて、もう細かく覚えていないから、とても小説には活かせないのですよね。

 それでも何かに使えないかなあ、という気持ちから、こうして雑談エッセイという形で吐き出させていただきました。

 お粗末さまでした。

 次回からは、きちんとカクヨムテーマのエッセイに戻るつもりです。

   

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