第4話 カインとセレナ
カインと一緒に談話室から出たセレナだったが、早々に屋敷の中をユーナと一緒に歩いていた。
談話室をでた直後、カインが「ここで、ちょっと待ってろ」と言って、屋敷の奥へと消えたかと思うと、ユーナが出てきたのだ。カインは自分の代わりに日本人を案内するようにユーナに命じたのだった。
仕事として雇われた以上、早く仲良くなりたかったのに、うちとける機会を失ったセレナはユーナに不満を漏らすのだった。
「さっきの部屋でも、睨まれました・・・・・」
どんよりとした表情の中、つい愚痴がこぼれてしまう。だが、仕方ないのだ。来て早々に誰かから嫌われてるのは辛く、話しやすい人にでも話さなければ心の平穏が保てない。特に慣れない環境ならば。
「アハハハハハ。カイン様の洗礼を受けたってわけね。間違いなくアンタを敵とみなしてるわねー」
ユーナは笑い飛ばしてくれているが、セレナにとっては最悪の事態だ。
(挨拶ぐらい返してくれたってもいいのに・・・)
繰り返し思い出されるは、先ほどの談話室での出来事。
日本式のお辞宜をしようとしたが、カインと言う少年は、返事も返さずそのまま部屋を出て行ってしまった。
(顔が良くても、性格は根性悪・・。私の一番苦手なタイプ・・・・)
外見から長年いじめられてきたセレナにとって、カインと言う少年もまたそのいじめっ子たちと同じ気質を持っている様に感じられた。そして、そのことは小さきセレナにとって、一番の強敵、憎き相手。
「まあ、何事も慣れよ!慣れ!とりあえず笑顔でカイン様に接してみなさい。悪い子じゃないことだけは確かよ。不器用なところがおありだけどね」
そう言いながら笑うユーナに励まされながら、セレナも一応考えを改めることにした。
(これはお仕事、お仕事・・・・。何とかして悪ガキ―ーじゃない、カイン様を懐柔させないと!)
―――こうして、セレナの新しい生活が始まった。
このシュバイツア家に来た異国の少女がメイド兼日本語を教える者として、屋敷中の使用人たちの話題を、かさらったのは言うまでもない。
日本人という言葉の壁もあり、ここの屋敷の男性使用人や、他のメイドたちと一緒にメイド業には悪戦苦闘することもあった。
例えばキッチン。
「グラスは洗い終わったら、フキンで拭く!口紅が残っていたらすぐ洗う。セレナ、遅いわよ」
(だって、この紅いの、全然落ちない・・・)
「当主様やセスティーナ様が食べ終わった食器はすぐに片づけて、すぐお料理を出す。音は立てずに、優雅に」
(優雅に下げるって、え?どうやって??)
屋敷の長い廊下では・・・・。「屋敷は常に綺麗に清潔に!部屋の拭き掃除が終わったら、廊下の掃き掃除。飾られたブロンズ像もね。倒して壊したら私達の年収分はあるから気をつけて。」
「は、はい・・・・!」
(その前に、像のてっぺんに手が・・・・届かない・・・・!)
プルプルと震える両腕を伸ばし、像のてっぺんに積もった埃を取ろうとする。
掃除などは日本にいたときも行っていたが、国が違えばこんなにも仕方が違うのだろうか?
豪華な調度品、細かなガラス細工が飾られた棚を綺麗にするのだけでも緊張が走る。そして、極めつけはこの国のテーブルマナー。フォークやナイフ、置き方、使用人が主たちに配慮すべき仕事、決め事が山の様にあるのだ。それを覚えるだけでも一苦労で、セレナは毎晩クタクタだった。
そして、どこの場所にでもある新人への陰口の対応だが、セレナはある人の助言を受けることで、何とか乗り切る。決してメイド業が順調とは言い難かったが、異国から来た十二歳の少女は日々の仕事を頑張っていた。
しかし、ここの屋敷に来てからまだ一度も出来ていないことがある。
それはセスティーナが最もセレナに託した仕事—――。
カインへの日本語の授業であった。
「カイン様!朝食食べ終えたなら、勉強部屋で待ってて下さいと言いました。なのに、どうしていつもいないんですか!」
この文句を何十回も唱えたら、嫌でもペラペラと話せてしまう。
言語って、不思議だ。
「お前も、たいがいしつこい奴だな。俺は授業なんて受けないよ。さっさと国に帰れよ」
少しだけ英語がわかるのも難儀なことで、セレナはこの少年の嫌味が不思議とよく理解できた。そして、自分の足元を見て言うこの少年に、セレナはやはりいけ好かない思いだった。
セレナが帰れないことを承知で言う、この少年の性格の悪さ。
(出来たら、とっくの昔で、風呂敷抱えて出て行ってるわ!)
「授業受けたくない理由教えてください」
「異国のお前だからだ」
「・・・・・・本音は?」
「姉さんが寄こしてきたからだ」
セレナは盛大にため息をついていた。
「セスティーナ様は、家の為に私を呼びました。カイン様のためでもあります。それに、勉強できること自体、スゴイ恵まれてるコトなのに!」
「それはお前の考え。俺は違う。そうだろう?」
そう言うと、カインは走り去って、教えを受けようとしない。
授業ができる気配が全くしなかった。
そして、屋敷のどこかへと消えていくのだ。
この前もカインに門前払いを食らったばかりだった。
ある日のカインは、セレナが追ってこれないだろうと思ったのか、木の上で読書をしていたのだが、セレナも伊達に見世物小屋で曲芸を披露していない。木に登ることくらい簡単だ。だが、木の上、その場でセレナが授業を行おうとしても、カインはすぐに逃げて行方をくらます。セレナは走ることは不得意だったので、結局なかなか捕まえることが出来ない。
しかもカインは自分の手に負えそうもなかった。
それが今朝の出来事だ。
「セレナ、手を出してくれないか?」
「?」
セレナは手を出すとカインが手のひらに何かを乗せた。カインの手が離れると、そこにいたのはクリっとした目玉が二つ、雨が大好きな緑色の生物・・・。
「●☆*_(:3 」∠)_Σ(・ω・ノ)ノ!卍➹✖――――!!!!」
セレナは本物だと思ったのは、実はカエルのおもちゃだったのだが、それでもこの反応をしたのは失敗だった。
セレナが昆虫類が苦手を知ってからはバッタ、カエルといった生き物を、カインはセレナに放つのだ。
(わたし、森や田んぼの田舎で育ったけど、やっぱり昆虫とか苦手・・・・)
それなのに、カインは逃げる手段としてセレナに放つのだから、流石のセレナもこれには参ってしまった。
(どうしよう。これじゃあ、セスティーナ様に怒られちゃう)
せめてもの償いとして、セレナは今日も午後のメイド業に勤しんでいた。
今日は庭で花壇に水やりだ。そして、いま丁度水をやっているのは野菜が植えられている場所だった。
人参、カボチャ、トマト等と多種に富んでいる。あと少しで収穫も出来ることだろう。
(どうしてここだけ野菜なのかな?他は全部花なのに。)
いっそのこと全部の花壇に花だったら綺麗だろうと、いつも疑問に思う。今度、ユーナさんに聞いて見ようかなと思っていたときだった。
日傘をさして庭を歩いてたセスティーナがいた。
「授業がはかどってないようね」
セスティーナが話しかけてきた。
「すみません。カイン様に、拒否されて」
「貴方が謝ることじゃないわよ。カインは、まだ自分の力で語学を学びたいだけなのよ。そして、私が教師を寄こしたことも嫌なだけ」
セスティーナは笑顔で言うが、眼は笑ってない。
セレナがこの屋敷へと来る以前から、カインは語学くらいは独学で学びたいと、数多くの家庭教師が来ることを嫌がり、一人になることを好んだ。
そんな過去をセレナは知る由もないのだが、セレナは意を決して、セスティーナに聞いてみることにした。
どうやったらカイン様が授業を受けてくれるかと――。
「この屋敷に来て数日は経ってるから、もう知ってるでしょうけど、カインは庶民から貴族の養子となった子供だから。まあ、貴方も同じ庶民なら、同じ庶民感覚で聞いてみるといいんじゃないかしら?」
「・・・・・・」
何となく庶民ということをバカにされたような気がするが、まあ曲がりにも相手は生粋の貴族様なので黙っていた。
「わたくし、カインのことはいけ好かないけれど、私も日本に行く男と無理やり結婚させられたせいか、カインの反抗心は自分を見ているようで嫌いなのよね。はやく心を開かせて授業を開始させなさい」
そう言って、彼女は去っていった。
結局彼女に相談しても、カインについてはわからなった。
ただ、普段あんな勝気なセスティーナさえも父親の言う命令で結婚させれていたことは驚いていた。
(この国でも、親が決めた相手と結婚があるのね)
江戸時代、日本では昔から両親が決めた人と結婚することが当たり前だったが、それは身分が高い人の場合だった。平民の場合は結婚することは自由であった。上流階級の人が自由に結婚が出来ないのであれば、やはり平民の母親を持ったカインは稀だということだ。
(カイン様の心・・・。どうしたらいいんだろう)
セレナは考えるが、やはり答えは出ないままだった。
それに、自分を買ってくれた時に支払ったであろう、お金の件もある。
ここでカイン様から逃げてしまえば、一生この屋敷に全額返済など無理だろう。
日本を離れ、遠い異国の地まで来たのだ。このままで終わらせたら、屋敷に来た当初、自分でたてた頑張ってお仕事をするという誓いを破ってしまう。
このままで何もせずに終わるのは嫌だった。
(そうよ!カイン様だって人の子!私が困ってる感じを出せば、哀れに同情してくれるかも!!)
セレナは、乞食の様に観客から涙を誘い、恵みの銭を恵んでもらう芝居を見世物小屋で行うこともあった。だが、嫌でも培ったあんな芝居を打つのは避けたかった。あんな思いはしたくない。何度もそう思っていた。
それでも、もうこの際ウジウジ悲嘆にくれる暇はないのだ。
やるしかない。
だが、それは最後の切り札だ。
(他にも作戦、練なきゃ!今までも、いじめっ子には上手くかわしてきたんだもん!!)
決意を新たに、セレナはその晩、ベットに潜って遅くまで作戦を考えるのだった。
♢
その日から、セレナはあらゆる方法を試した。手荒な真似はしたくなかったが、これ以上自分の仕事ができないのは嫌だったのだ。
逃げられる前にカインの手首に縄をかけて無理やりでも連行しようとしたり、カインがよく過ごすという書庫に、待ち伏せしてみたり。
だが、あちらも手練れで、いつの間にか縄を解かれたりと、逃げられていた。
最初はお金の件で自分の授業を受けさせようとしたセレナだったが、別の感情が燃え上がっていた。
(敵前逃亡なんて絶対嫌!私を見込んで、大金をはたいたセスティーナ様のこともあるんだから。カイン様には、絶っっ対に授業を受けてもらわないと!!)
セレナがカインに授業を受けるよう挑んで、早幾日が経っていた。
「カイン様!今日こそ、私と一緒に勉強です!」
「やだね。諦めろよ。一人で勉強してるから」
「一緒の方が捗ります!」
セレナはジリジリと距離を詰めていった。
「だから、お前の授業受けなくても大丈夫だって。それに、俺が人の言うこと聞くと思ってんの?そらよ!今日の虫だぞ!」
と言って放ったのは、セレナが大の苦手な虫。
屋敷の周りは花壇だからか、虫の調達は簡単なのだろう。今日はテントウムシやバッタの昆虫だった。
カインは、この虫達でセレナが怖がっている間に逃亡をはかるのだが、今回はセレナも違っていた。対策を考えてきたのだ。
「来ると思いました!」と言うと、大きな傘で虫が自身に来るのを防御行いながら、前に駆けて行く。これなら嫌いな虫も見ないまま、前に進むことが出来た。それを見たカインは、驚きながらも庭へと逃げて行く。
「お前、卑怯だぞ!盾つかうなよ!」
「どこが!卑怯はカイン様!」
カインの思わぬ口調に、セレナは(最初から虫出したのはそっちー!)と、憤慨した。
そして、走りの早いカインは、庭でいつも縦横無尽に走り、捕まえることが出来ない。なので、セレナが昨日一晩中考えた作戦は・・・・・。
「手荒な真似、したくなかった。けど、すみません!!」と言って、花壇で前日に作っておいた、ピカピカの泥団子をカイン目掛けて投げた。
「うわっ!貴族に泥投げるな!」
「当主様から、OK貰いました!授業受けさせたいと言ったら、すんなり!」
怒られるかもしれないとは思ったが、当主サミュエルは笑顔で「いいよ!」と言ったのだ。
「あんの、叔父ー!!ちょっ、ストップ!」
「授業受けるなら、止めます!」
カインが怒っている間にも次々と泥団子は矢のように投げられていた。それを巧みにかわすカインもなかなかだったが、ここでようやく逃げ切れないと悟ったのか、カインも花壇の泥を即席で作り、セレナに投げてきた。
「やり返されても泣くなよー!」
と言って投げたときだった。
屋敷の壁側から、日傘を持ったセスティーナが、
「セレナ、何してるのよ?そこ・・・」
セスティーナの言葉は続きはなかった。カインがセレナ宛にに投げた泥がセスティーナのドレスにピシャッと当たった。
「・・・・。貴方たち、そんなに運動したかったら、そのエネルギーを屋敷の手伝いに回しなさい!」
セスティーナは、二人が遊んでると思ったのか、怖い顔で怒りの声をあげる。だが、これにはカインも負けてはいなかった。
犬猿の仲というのか、売り言葉に買い言葉を発したのだ。
「はあ?それは姉さんのほうでしょ。毎日飽きもせずに、ダイエットで庭散歩するんだから。デザート食わなきゃいい話なのに。体重ごときで大げさな」
だが、これが火に油を注いでしまったようだった。
「そうね、この運動じゃ生ぬるいわ。もっとハードな運動にしましょう」
セレナは、この時のことを振り返り思うのだった。セスティーナの背後で燃え上がる炎を見たのは、決して幻覚じゃないと・・・。
――――その頃当主であるサミュエルの部屋に執事のセインがお茶を運んできていた。
「失礼します。サミュエル様、お茶の準備が整いました」
サミュエルは見ていた書類から眼を離して、もうそんな時間かと思った。
「あと、近く行われるアーガイル公爵家に欠席の連絡を入れるのはセスティーナ様だけでよろしいでしょうか?」
「ん?ああ。今回はカインも連れていかないとな」
(甥を連れてこいとうるさいからな、他の貴族が)
「かしこまりました。それと、書類は眼に通して頂けたでしょうか?」
サミュエルが書類を眼にしていたのはシュバイツア家の事業計画書だった。
「ああ。この案件どうりに話しを進めてくれ」
サミュエルが書類から眼を離し、執事に言ったときだった。
なにやら庭の方から叫ぶ声がしていた。
何かあっただろうか?と窓に眼をやると、そこにはセレナ、カインが走り回り、セスティーナが馬で追いかけまわしている姿だ。
「そこまで言うならば、私の運動に付き合いなさいな!」
「できるか―――!!なんで追いかけられなきゃいけないんだよ!」
「なんで私まで―――――!!!!!怖いです――――!!!」
と庭中を三人とも走り回っていた。
それを、屋敷の部屋の高い場所で見ていたサミュエルと執事。
「・・・・アイツら、いつの間に仲良しさんになったんだ?」
「わかりませんが、皆さん元気ですねぇ。」
呆れ驚くサミュエルと、穏やか過ぎる執事のセインは、この騒動を止めに入ろうともせず傍観するのだった。
結局、セレナはこの日もダメだった。
(また、受けてもらえなかった・・・・・)
これで何回目だろうか?もう最終手段として、憎き相手に泣き落としにかかるしかないのだろうか?だが、そんなことしなくても、あっちも少しぐらいは自分の授業を受けてもらっても良い気がするのだ。こっちとしては、学びを受けられることが、どんなに羨ましいことか!
(なによ!ガキから教わりたくないなんて!あっちだって子供なのに!生まれは高貴なのかもしれないけど、日本の悪ガキと同じじゃない!)
箒で掃わいてる落葉に、セレナが怒りの矛先を向けていると、裏門のところから大きなカバンを抱えた女性が入ってきた。
誰だろう?と思い、人物の顔を見ると、先日まで休暇で里帰りしていたユーナだった。
「ユーナさん!帰ってきたんですね!実家楽しかったです?」
「あら、セレナじゃない。ただいま。休み漫喫してきたよ!あとでお土産渡すわ。あと、お屋敷はどんな感じ?変わりない?」
「・・・来る前と変わりないと、思います」
「そう。良かったわ。セレナはカイン様とはどんな感じ?」
「・・・・今日もダメでした。難しいです。カイン様」
「そ、そうね。まあ、セスティーナ様だって、できなかったら最終的にはメイドだけでもいいって仰るわけだしね」
ユーナから慰めの言葉を貰ったのは今回で何度目だろうか。失敗のたびに、優しい言葉をかけてくれるが、今ではその気遣いが逆に申し訳なかった。
いい加減白黒ハッキリさせた方が良いだろう。そうすれば、メイドの仕事だって専念してできる。
朝から無駄に終わるカインとの追いかけっこをしなくてもいいはずなのだ。
よくよく考えてみれば、お金を返済し終えたとしても、自分のこの奇形な髪では船に乗って故郷に帰れるかさえ難しいのだ。
――昔、何故自分の髪は白いのか自分を育ててくれた神父様に聞いたことがあった。
自分が他の人と変わってるから、だから、皆は石を投げてイジメるのかと。
いじめっ子に泣かさて帰ってきた私に、神父様がずっと私に言ったあの言葉。
今でも鮮明に思い出された。
『ツバキ、お前は影の人生を歩むんだ』
社会について全てを理解できたわけではないけれど、その言葉から、自分は生きていくことが困難だということだけは幼心にわかった。
例え日本に帰れなくても――。
(うん!明日で最後にしよう!ダメなら、セスティーナ様に全力で頭下げて謝ろう!)
だが、セレナの決意は果たせることはなかった。
カインとサミュエルが朝から外出だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます