第5話 カイン

カインは、当主サミュエルと共に朝食もそこそこに、馬車へと乗り込んでいた。

今日は朝から公爵の屋敷にサロンで招待されていたのだ。

馬車に乗り込む直前にあの日本語を教えるために雇われた少女がいた。

メイドたちと並んでいるところを見ると、自分たちの見送りだろう。

「それじゃあ行ってくる。留守中、妹を頼む」

「はい、旦那様。行ってらしゃいませ」

妹とは、サミュエルの妹、セスティーナのことだ。

自分たちの家よりも身分の高い公爵家のサロンからの招待だったが、叔母であるセスティーナは離婚して出戻りしたばかりである。欠席する叔母の、その代わりとして、サミュエルとカインがこうして出向くこととなっていた。

馬車の出発を合図にメイド頭、執事を筆頭に自分たちに頭を下げる。それを見ていたセレナも急いで頭を下げていた。

馬車が走り出し、門の外を抜けると叔父が話しかけてきた。

「やっぱり、あの子は着物よりメイド姿のほうが似合ってるな。異国の子とは思えないぐらいじゃないか?なあカイン」

「さあ。俺は興味ありません」

カインは馬車の外の景色を見ながら、ぶっきらぼうに答えた。

「まだイライラしているのか?いい加減、セスティーナが寄こしたあの子から教わったらどうだ?一人じゃ苦戦してたんだろ?日本語」

サミュエルはサラッという。

「わかってますよ」

「はあ。そうには見えないんだがな、今のお前の顔は」

「どういう意味ですか?」

「お前は、鏡でもみて自分の顔の研究することが最優先かもしれないな。顔に思いっきり出てるぞ。言いたい不満が」

「え?」

カインは驚いた。

(そんなにも顔に出ているか?)

たしかに、モヤモヤとする心を押し殺して、異国の少女とはできる限り考えないようにしていた。

――叔母の手を借りたくない。

そんな不満を、誰にも言わなかったのに。

「そんなに顔に出てますか?」カインは自分の顔に触れて言う。

「出ている。物凄く」

「そうですか・・」

「まあ、お前にも少年みたいな行動するんだなとは思ったがな、今から行くアーガイル公爵のところでは顔に出さない様に気をつけろよ。お前の出生は格好のネタになるんだから。そして、俺のことはお義父さまと呼ぶように」

サミュエルは静かに、ゆっくりという。

「叔父さんの屋敷に来て、早2年ですね。未だに慣れませんよ。自分の父親の兄が僕の父親だなんて」

カインはワザと注意されたことを”叔父さん”と呼んだ。

「・・・」

「それに、未だに使用人たちとは慣れないんですからね、特にメイドたちとは」

「それはお前が、暖炉の煙突掃除として屋根に登ってたり、大木の上で昼寝してたりと、行動がおっかないからだ」

「心外ですね。煙突掃除は俺が善意でしてあげたし、昼寝は外の方が気持ちいいからですよ。」

「なら、野菜仕事は?」

「あれは、我が家のお金情勢が窮地に陥ってると聞いたものだから、畑を耕しいてたんじゃないですか」

カインも、来た当初は負担にならない様に努力したのだ。自分の食いブチは得ようと。自分自身の存在が、屋敷の経済負担になるのは嫌だったのだ。

「俺の妻が鑑賞用に作っていた花壇を掘り返してな」

だが、カインが良かれと思った行動は、裏目に出ていた。その最もたるのが、まだ病気で亡くなる前の、サミュエルの妻やメイドたちが花の球根を植えてあった場所を、カインは雑草と思ってスコップで全部掘り返してしまい、野菜を植えたのだ。そのことが、誤解を生み、使用人たちのひんしゅくを買った。

サミュエルの妻は卒倒しそうになったのだ。

「・・・掘り返す場所を間違えただけですよ」

「花が咲いてなかったから、雑草に見えたという、お前の主張は知ってるよ」

「やっぱり、あれで、使用人たちに悪いイメージができてしまったんですかね?」

気づけば、自分でも気にしていたことを言っていた。

叔父さんは優しいのだが、あれこれ聞いてくる。そして、どうもこの叔父と話すときは本心が出やすかった。きっと穏やかに話す声のせいだ。何も非を咎めようとしない、その声は昔いた自分の父親を思い出された。

「さあな。だが、どうもお前が田舎町で過ごした行動全ては、この貴族社会では野蛮に見えるんだ。だから、お前は、もう少し周りの空気を読むようにして行動しろ」

「わかりましたよ。しっかり、笑顔を作って演技しますよ」

「よろしい。子供は素直が一番だ」


(叔父さんは、俺のことどう思ってるのかな・・・)

昔、一人の男性貴族が、平民の女と駆け落ちした。そして一人の子供を産み落とした。

だが、親となるべく二人はあっけなく流行り病で亡くなり、そして叔父の妻も亡くなった。叔父に子供はいなかった。自分はこの貴族の屋敷で跡取りとして引き取られた。

俺が養子としてきた当初は、大人のよそよそしい反応が辛かった。

自分をどう接すればいいかわからないといった反応が、顔にありありと出ているのだ。どう言いつくろっても隠しきれていなかった。

引き取られたとき、すでに自分は13歳と、ある程度大人の事情は分かる年齢。

使い物にならなかったら、自分はどうなるのだろう?

また一人になって街をさ迷うのか。秩序や法などはなく、あるのは力の差によって決まる支配、運がない者は干からび、死んでいく場所に。

カインは肉親に捨てられるのが怖くて、必死で貴族社会のマナーを学んだ。すぐに大勢ついていた家庭教師も勉学をマスターすることによって、徐々に減らしていき、今ではダンス教師だけしか雇っていない。自分をここまで突き動かし、能力を高められたのは恐怖心だけだ。

それに外見も拍車をかけて、社交界デビューしたときには、女性貴族だけでなく男性にも受けが良かった。だから、パーティー会場やサロン同様に屋敷の人間たちとは仲良くしたかった。

―――生き残れるように。

だが、自分にはまだ田舎暮らしが抜けていないらしく、たびたび、屋敷内でこういったドジを踏んでは、使用人たちの間に壁が出来上がっていた。外見は取り繕えても、中身が出やすい、屋敷での生活は上手くいってないと自分でも認めざるおえない。

「おっと、もうアーガイル公爵邸だ。やれやれ、貴族として愛想をばら撒くのも疲れるものだね」

サミュエルは甥の言葉そう言って、帽子をとりながら降りる準備をしたのだった。

この時まではカイン、サミュエル共に、今から何が起こるか予想すらしていなかった。

                 ♢


主人のサミュエル、カイン達が屋敷にいない間、セレナはメイド業の続きを行い、自分たちの夕食も済ませ、あとは主人たちの帰りを待つのみとなっていた。

だが、帰宅の予定時間を過ぎても、何故か馬車が屋敷に戻って来なかった。

メイド達は何かあったのかと、屋敷の窓から、雨が降る外の様子をしきりに眺めて待っていた。

午前の晴れ渡る、暑い気温とは打って変わって、さきほどから外の天気は、バケツをひっくり返したような大雨が広がり、一気に暗い夜に変わっていた。

(すごい雨・・・。嫌な雲行きだったけど、こんなに降るなんて・・・)

セレナは外の景色を、螺旋階段の踊り場にある大きな窓から眺めていた。

「旦那様、帰ってくるのが遅いわね。何かあったのかしら?」

「そうねえ、カイン様すぐさま帰りたがる人なんだから、もう帰ってきていいのにねえ」

ふと、玄関から馬車の音がした。

「あら、きっと旦那様だわ。帰ってきたわ」

「みんな、ご主人さまが帰ってきたぞー」

使用人たちは、バタバタと大急ぎでやりかけの仕事を置いて、玄関で主人たちの帰宅の片づけに取り掛かる。セレナも、他のメイド達の後を追って、玄関前で出迎えに行ったのだったが・・・・。

「こら、カイン!!待ちなさい!!」

玄関の扉が開いて、出てきたのは、大声で叱るサミュエルとカインだった。

二人ともコウモリ傘を差していただろうが、外の横風が強かったのかフロックコートの上半身部分以外は濡れていた。

「いいえ、もう我慢なりません。金輪際、あの屋敷には、顔なんて出したくありません!!」

そう言って、叫ぶカインの服装は、全身が泥や雨水で薄汚れており、特に肩には何か黄色いクリームみたいなものまでついていた。そして中に着こんでいたシャツもシワが刻まれ、ヨレヨレだった。

衣服の乱れ具合を見れば、誰の眼にも何かあったことは明白だった。

「カイン!!」

サミュエルが尚も大声で引き留めようとするが、カインは玄関前の螺旋階段を駆け上っていった。

「あの、旦那様。何かトラブルでもございましたか?」

執事が恐る恐ると聞いていた。

「はあ、アーガイル公爵の子息たちに、両親の嫌みを言われたみたいでな。乱闘騒ぎになったんだよ」

どよめくメイド、使用人たちの前に、サミュエルの話は続いた。

「食事を持って行ったときでいいから、カインは部屋で謹慎きんしんするように後で伝えてくれ。」

「かしこまりました」

サミュエルの上着を預かりながら執事が頷く。

屋敷の主たちが部屋に入ると、メイドたちは自分たちの仕事に専念して、濡れた靴やら、コウモリ傘を片づけていた。

そして、仕えている貴族たちの就寝準備を片付けると、自分たちも明日の仕事のために早々と就寝していった。

セレナも寝るためのガウンの服に着替え、賑やかな女性使用人部屋の、二段ベットの下段、自分のベットにちょこんと座っていた。

(あの方が本気で怒っているの、初めて見た・・・)

いつもセレナが追いかけてたときは、カインは嫌そうな表情全開に見えたのだが、先ほど見た顔は違っていたのだ。

たぶん、今まで手加減していたのだろう。出なければ、最初からあのような顔を自分に向けるはずだ。

あそこまで彼が怒ったこととは、一体何なのか。自分と違って、身分の高い貴族に貰われた彼は、いい暮らしを送っている様に見えた。だが、彼も自分と同じように辛い境遇に苦しんでいるのだろうか?

そんな考えが頭をよぎって今晩は眠れそうにもなかった。

「セレナ、寝る前にトイレはすましてきた?今のうちに行かないと、迷子になっちゃうかもよ?」

セレナが寝る前にトイレに行ってないことに気づいたユーナが、セレナに声をかけてきた。

この屋敷に来てすでに幾日は経っているのだが、屋敷内部は広く、未だにセレナはどこから来たのかわからなくなる時があった。しかも、夜だと廊下の明かりだけしかない為、屋敷の中だというのに室内は薄暗く、まだ幼いセレナにとっては恐ろしかった。

「い、行ってきます」

小さい声でセレナは返事をした。

「大丈夫?一人で行ける??」

ユーナは心配そうに声をかけてくれたが、セレナがメイドの仕事は不慣れなこともあって、彼女にはずっと自分の面倒を見てくれているのだ。これ以上、彼女に仕事を増やして迷惑をかけたくはなかった。

セレナは不安な自分を押し殺すように、「大丈夫」と嘘をついて女性使用人たちの部屋を一人で出た。

そして所要の用事も終えて、いざ、元居た部屋へと戻ろうとしたのだが、廊下に灯っていた、あるはずのロウソクの火が消えていた。

目の前は光が全くない、暗闇だったのだ。

しかも消えた炎は一つだけではなく、廊下の全部かけている廊下のロウソクが、である。

(え、どうして消えてるの!?いつもは明かりがあるのに!部屋が・・、ドアが全然見えない!)

セレナが壁をペタペタと触れながら、必死になって元来た女性使用部屋へと戻ろうと、屋敷の廊下を確認しながら進んでいった。

そして、奥に進むにつれて、全然違う方へと進んだのか、行ったときよりも時間がかかっていた。それにもかかわらず、女性使用人部屋に全くたどり着けそうになかった。

つまりは、”迷子”である。

(ど、どうしよう!部屋を尋ねようにも、全然人も通らない・・!)

それに、セレナにはそれ以上に困ったことがあった。

それは、この屋敷の暗闇である。

(暗い!怖い!)

昼のときには、あんなにも綺麗で重厚感あふれているように見えた屋敷内部だったが、廊下にところどころに置かれている彫刻がセレナには恐ろしかった。

騎士の格好をした等身大の女性、男性の銅像たちが、こちらを見ていつ動き出して襲ってくるか、という恐怖しかない。

(ど、どこか、人・・。誰か・・、明かりでもいいから、どこかにないかな)

そう思ったときだった。

足元の先に、微かだが、光がこぼれ出ており、その床の上はドアなのだろう、ドアノブが薄っすらと見てとれた。

(あ、明かり!だれか・・・!)

セレナは、助けを求める一心で、そのドアを開けたのだった。





                ♢



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